死にゆく集落
まるで乾いた木の枝のように軽いカレトの手に引っ張られながらクディアの集落に入った瞬間に、言いようのない違和感を感じた。集落があるということは生活があるということだ。その生活が出来ているようには見えなかったのだ。10棟ほどある住居の屋根や柱は荒れ果て、一部が腐っている為に今にも崩れ落ちそうだ。それを修理したような形跡があるが、はっきり言って杜撰の一言だ。道は荒れ果て、全体的にどんよりとした雰囲気が広がっていた。
なにより一番気になったのは、男の姿が見えないということだ。狩りや力仕事は屈強な男がする。ここ以外の集落ではそれが当たり前の事だったし、女や子供はそれを支える。それが今の世界そのものなのだ。ちらほら見える女たちは皆がみんな痩せ細っていて、動く気力も殆どないようだった。あまりの『死』の気配の強さに、背中の中心あたりが逆立っていく。力なくとも自分の力で歩くことができるカレトが、この集落の女たちに比べると健康的に見えてしまう。
「もぅし」
風にかき消されそうほどに小さな声が背後から聞こえる。振り向けば杖をついた老婆が私を見上げていた。些細な理由で死んでしまうこの世界、尚且つ死の気配が濃厚なこの集落でここまで長く生きていられたことに若干の驚きを感じた。長いこと生きているが、ここまで歳を召した女性は本当に久しぶりに見た。
「客人か、こんなところへはるばるよく来てくれましたな」
老婆は折れ曲がった腰をさらに曲げるように、深々と頭を下げる。このまま前に倒れてしまいそうな姿に、つい両手が前に出てしまいそうになる。
「あ、スヴァリだ!」
よくわからない気遣いをしてしまいそうになっていた私を遮るように、カレトが黒い髪を振り回しながら少し大きな声を上げる。まるで人懐っこい小動物のように老婆の周りをくるくるとゆっくり回りながら、私を指さしながら笑う。
「スヴァリ、この人はエドナ。 遠くから来たんだってさ!」
カレトの紹介を聞いた老婆は、皺だらけの皮膚に隠れていた双眼を大きく見開く。一瞬だけではあるがはっきりと見えた、今まで見た事のない種類の眼光に全身の皮膚の産毛が毛羽立つような気味の悪さを感じた。
命を一つの目的に向かって燃やし尽くしたツカルジのような力強さをもった瞳や、彼の家族を殺したダケラケの牙のような恐ろしさとはまた別の感覚だ。ある種の妄執というか、粘ついた執念のようなものだ。
「カレトや、私はこの人とお話があるから家に戻ってなさい」
「え、でも」
「いいから」
スヴァリと呼ばれた老婆の声は、先程私に向けたものより数段威厳に包まれたものであった。カレトにとっては有無を言わせないような、聞くものを屈服させてしまうのではないかと思うものに聞こえただろう。
「……はぁい」
現に、カレトはそれ以上何も言うことが出来なくなっていた。小さな背中をさらに小さくしながら住居と思われる場所へと歩いていく彼女を見送った後、私はスヴァリに向かって半身を向けながら軽く睨みつける。
「そういう言い方、あんまりよくないと思うな」
「すみませぬ、少し事情がありましてな」
少しだけ語気を強めたのだが、スヴァリにはあまり届いていないようだった。私に再び視線を向けた彼女の瞳は客人を歓迎するものであり、それが私の中の疑念を一層強めていく。急速に死に近づいているこの集落で、私のような他所者に用があるとはとても思えない。先程の老婆の見開いた眼を思い出し、視線を逸らしてしまう。
幾ら見回しても、このクディアという集落には男が存在しない。そんなことがあり得るのだろうか。繁栄には男と女が必要不可欠だ。男と男だけでは、女と女だけでは、集落を維持することすら叶わないだろう。
「このクディアの集落、どう思いますかな」
辺りを確認している私の視線を遮るように、スヴァリの嗄れた声が私の耳孔に滑り込んでいく。彼女の顔を見ずに小さく息を吐く。
「……言っていいのかい?」
視界の隅でスヴァリの影の上の方が縦に動いている。カレトが入っていった住居を見ながら、私は自分より長く生きていない老婆に向かって残酷な現実を突き付けた。
「男がいないね。ここには女しかいないのかい?」
私の言葉にスヴァリは答えることはない。老婆の沈黙は肯定と受け取って、言葉を続けていく。
「男の真似をできる女がいない。見るところ、みんな満足に獣の肉を食べられてないみたいじゃないか。これじゃあ近いうちに全滅だよ。どうにかしないと」
私の言葉に、スヴァリは「くふ」と呻くような笑い声を上げた。その声は動揺や狼狽を微塵も感じない。そう言われることを知っていたというか、想定していたような笑い声だった。
「そうでしょうなぁ、貴女の言う通り、ここには男がいませぬ。みんな、みんな出ていってしまった。獣が多いところに行くと。クディアという集落が出来て3回ほど雪の時期が来た時に」
スヴァリの影が薄くなっていく。視線を上に向けると分厚い雲が空を埋め尽くそうとしていた。もうすぐ雨が降るかもしれない。視線をスヴァリに戻すと、皺だらけの顔を険しく寄せている。目の前の老婆が浮かべている表情が示しているものが、悲しみや怒りといったさまざま感情が入り混じっているものであることは容易く想像できた。
天からの雫を察知した女たちはのそのそと蠢くように動き出し、甕や壷を地面に置いている。これらも劣化が激しくなっていて、入れたものもすぐに漏れて無くなってしまいそうだった。
「ここクディアから離れることの出来なかった女たちも、生きるために見様見真似で力仕事や狩りを試みたのです。じゃがそれは、無謀なことでありました。勇ましい筈の女は、実際にはあまりにも力が足りない。みんな逆に獣の餌になってしまいました」
「なんてこと……!」
薄暗くなることで深まる『死』の気配は、スヴァリの話によって一層強くなっていく。なんとなく予想はしていたが、この集落が迎えている現実に私は嘆くことしかできなかった。女しかいないこの集落は、もう間もなく終焉を迎えてしまうだろう。
「カレトは、このクディア最後の男なのですじゃ」
「え」
胸の奥が飛び跳ねる。カレトが男だなんて、まるで気付かなかった。女の子ではなく男の子だったのか。完全に女の子として接してしまっていた。身体のラインを隠すような服を着ていたのは、男であることを他の人に知らせないためなのかと合点がついた。
「男たちが去る前に身篭った女の子供、それがカレトですじゃ。男がいるなら、子を成せる。子を成せるなら、クディアは再び元に戻る。その為に、カレトを死なせるわけにはいけませぬ」
身勝手なことを言う。カレトのことを子供を作るための道具としか見えていないのだろうか。大を救うために小を犠牲にする。長い目で見ればそれは確かに正解なのだろう。私のように途方のない時間を生きているならば、そういった選択を受け入れられるだろう。だけどカレトにはカレトの生き方があるのだ。自分の思うように、命を輝かせなければならないのだ。
それが例え、カレトの命が残り少ないとしても、だ。
「旅の人よ、どうか、どうかカレトを、カレトだけでも生き延びさせる知恵を与えてはくれませぬか」
私は呪い師でもなんでもない。そんなことを言われたところでカレトから感じる『死』の気配が遠ざかってくれるとは思えない。
「とりあえず、お腹いっぱい食べさせてやってよ」
こんな気休め以下しか言えない自分自身に、ただ溜息をつくことしかできなかった。
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