会えたね
如何敬称略
第1話
星の歌に月さえも眠る夜。
桜の開花前線通過前の夜。
ある男女がチャットアプリで話していた。
智「何他人事のように…同じ補習受けてるよね?」
雫「あーあれねはいはい…」
智「…そういえば、しーちゃん、最近補習で見てないような」
雫「サボっちゃったてへ」
智「おいおい…。というより、そもそも補習以外でも会ってない気がする」
雫「あれ、そうだっけ。結構見かけてるけど…気づいてない感じ?」
智「え、、、」
雫「…まあいいよ、次は声かけるね」
智「会えたらね。じゃ、そろそろ寝る、おやすみ」
雫「うん。おやすみ〜」
智はスマホを閉じ、大の字でベッドへ後ろに倒れた。見上げる天井は暗い。疲労感からスゥっと意識は閉じていった。右手に握るスマホは、一晩中黙っていた。
土曜日の午前授業が終わり、これと言ってやりたいこともなかった智は一人、中庭のベンチに腰掛け、食堂で買ったフライドポテトを箸でつついていた。
「会えたね」
ポテトから視線を上げると、目の前にはしーちゃんがいた。その後ろにいつもしーちゃんと一緒にいる女子数名が控え、歳柄にもなく黄昏る
『会えたね』
智の耳裏で女の子が囁く。満開の桜で消されそうなほどに儚い。瞼の裏に、髪の長い人影が映る。
と、途端に巻き上げるような風が吹いた。危うくポテトを落としてしまいそうだった。
制服のリボンを大きく揺らした雫が怪訝そうな顔で智を見つめていた。そうだね、の一言を聞き、厳しい目つきが緩んで今度は嘲るようにニヤリと見下ろす。
「このコミュ障」
ポテトを落とさないようにねと付け加え、雫は一連の行程を見せつけられた女子を連れて食堂へ向かった。
建物の死界に入る前にふと振り向くと、智はどこか違う場所を見つめていた。どこか、遠くの、霞んだ空の。
隣の桜の木は今にも開きそうなほどに膨らんだつぼみをたくさんつけていた。
午後は友人と話にたくさん花を咲かせていた雫は、家に帰り着くと空元気が剥がれたように、疲労感に襲われた。制服のまま布団に潜り込み、チャットアプリを開く。まどろみの中、見つめるトークルームは閑散としていた。最後のメッセージに「おやすみ」と答え、静かに目を閉じた。
その画面の向こう側。
日が落ちて間もなく、智は家に帰り着いた。昨日使ったまま古語辞典が開かれた学習机に向かう。
うたかた【泡沫】
(名)水に浮かぶあわ。
(例)淀みに浮かぶ
スマホを充電ケーブルに繋ぎ、チャットアプリを開く。下までスクロールすると、相手が退出したトークルームがあった。久しぶりに開くと、二月ほど前の日付で相手が退出したとログが残っていた。智はしばらくトークルームを遡り、まぶたに焼き付く髪の長い先輩と一人で話をした。
その夜、智は先輩と何度目かの短い会話を交わした。舞い降る桜を掠めて差し込む朝日を背中に受け、歩み寄り、先輩はそっと優しく囁く。
『会えたね』
桜色の言葉になかなか反応できず、智は散った花を箒でかきまわす。乱暴がちに振られる竹箒の先の桜。
『そうですね』
やっと出た一言。智は背面を通る気配にうつむく。それ以上出ない言葉。散り積もる。
やがて窒息感に見舞われ、夢からさめた。
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