第3章 能ある鷹は爪を研ぐ

第11話 ヤンキー殿下は生徒会長に絡まれる

 魔術学院のローズガーデンは、マルティナのお気に入りの場所だ。

 色とりどりのバラは見ているだけで心が華やぎ、ふんわりと漂う甘い香りは気持ちを落ち着けてくれる。

 そして婚約者とのお茶の雰囲気も、最高にラブラブな感じにな……らなかった。


「俺、帰るわ」

「お、お待ちください! せっかく紅茶が入りましたのに!」


 マルティナは、ローズガーデンのテラス席から速攻で立ち去ろうとするルディウスにしがみつき、彼の退席を必死に食い止めていた。


「わたくし、殿下にお礼がしたいのですわ! 先日、わたくしに自信を持たせ、水魔術を成功に導いてくださった殿下に!」

「あ? 俺は別に、てめぇが水魔術が使えるって知ってただけだ」

「あら。わたくし、殿下の前で水魔術を使ったことなんてありませんわ。雷魔術は御身に刻んで差し上げましたけど、どちらでお知りになったのです?」


 ルディウスは一瞬の間を開けて「……てめぇの親父とか」と、小声で答えた。

 その抵抗が緩んだ隙をマルティナは見逃さず、強引に彼を椅子に引き戻すと、目の前にドンとボールのように丸い塊を置いてやった。

 それは、立体的な丸いパンに格子柄のクッキー生地を纏わせた謎の食べ物だった。


「んだコレ?」

「うふふ。殿下のお好きなメロンパンなるものを作ってみましたの!」

「はぁ?」


 普段は鋭いエメラルド色の瞳をまん丸くして驚くルディウスを見て、マルティナはサプライズ大成功と言わんばかりに手を叩く。ステラと頑張って試行錯誤を繰り返した甲斐がある。


「丸いパンの上にクッキーが乗っているとのことでしたので、パンとクッキーを別焼きにして、後からクッキーをくっつけましたの。パンとクッキーの間にはバタークリームを挟んでありますわ!」

「見た目と大きさががメロン過ぎてビビるわ」

「あら。メロンパンの特徴を押さえたはずですけれど……。違いますの?」


 ルディウスは何か言いたげだったが、諦めたように「うぅん!」と唸ると、乱暴にマルティナが作ったメロンパンに手を伸ばした。そして豪快にかぶりつき、もっしゃもっしゃと口いっぱいのメロンパンを咀嚼した。


 その顔は、しかめ面から徐々に柔らかなものに変わっていき、やがて照れくさそうな笑みが口の端に浮かんでいた。


「ぜんぜんメロンパンじゃねぇけど、美味い……。てめぇ、昔から甘いもん作るの上手いよな」


(昔……から……)




 ルディウスに褒められた喜びに重なるようにして、幼い頃の記憶が鮮烈に蘇る。


 十歳にも満たない幼い時代。

 婚約したばかりのマルティナとルディウスは仲が良く、よく王城の庭園で、国をこうしたい、ああしたいと語り合いながらお茶を楽しんだ。二人とも甘いお菓子が大好きで、城のパティシエから「食べ過ぎです」と量を減らされてしまうこともしばしばあった。

 そんな事態に備えて、マルティナはいつも焼き菓子を手作りして持って行っていた。

 マドレーヌにスコーン、クッキーにケーキ……。

 ルディウスが「ティナはお菓子を作るのが上手いよな」と、喜んで食べてくれることが嬉しくて、飽きずに数年の間ずっと作り続けていたのだ。



(殿下は、別人のように変わられたのかと思っておりましたけれど、違いますのね。……わたくしが忘れていただけで、殿下は殿下なのですね)


 ルディウスは昔から、平等な国を創りたいと話していた。平民も貴族も、男も女も強く生きることができる国を。

 自分もその理想に憧れたはずなのに、いつの間に忘れていたのだろうと、マルティナはきゅっと唇と引き結ぶ。


「変わってしまっていたのは、わたくしの方だったのかしら……」


 ルディウスが黙々とメロンパンを頬張る様子を見つめながら、ぽつりとつぶやく。

 すると、うっかりルディウスに聞こえてしまったようで、「あ? ぶつぶつうっせぇな」と睨まれてしまった。

 だが、もう砂糖ひと匙分も怖くはない。


「みんなは怯えて逃げるかもしれませんけれど、わたくし、未来の王妃ですもの。へっちゃらですわ」

「チッ……。覚えてたのかよ。それは、てめぇに発破かけるために言っただけだ!」

「な! そんな後出し情報は認めませんわよ! 棄却致します」

「黙れ、クソアマ! 俺はまだ、婚約破棄も諦めてねぇからな」

「婚約破棄も認めません!」

「王子の俺に口答えすんじゃねぇよ!」


 癒しのローズガーデンが、口喧嘩で騒がしい空間になり果てた時だった。

 突然、テラスに金髪に蒼い瞳の男子生徒が現れたのだ。

 襟の詰まった制服を生真面目に着るその人のことを、マルティナはよく知っていた。


「やぁ。逢引き中すまないね。君たちに話があるんだ」

「逢引きじゃねぇし」

「……どのようなご用件でしょう? ディヴァン生徒会長」


 ルディウスの否定は無視し、マルティナは不機嫌を隠さず淡々とした口調で応じた。ラブラブティータイムを邪魔されたのだから、ムッとせずにはいられない。


 マルティナが睨んだこの青年――ディヴァンは王国の政治を司る内務卿を務めるコルバティール伯爵の嫡男であり、貴族としての務めを果たすべく、清廉潔白を地で行くような男だった。魔術学院の生徒会長も務めており、誰にでも気さくで優しいことで人気が高い。

 だが、特定の貴族や王族への執着が見られ、例えば軍務卿の娘であるマルティナをライバル視し、何かと張り合ってくるのだ。

 マルティナ自身も負けず嫌いであるため、魔術学院での定期試験ではいつもバッチバチの火花を散らし、学年一位の座を争っている。ちなみに現在は、悔しいことにディヴァンが勝ち越し中である。


「先日の学生寮爆破事件のことを聞いたよ。ルディウスがカルロス侯爵家のエリックとトラブルになり、彼を精神的に追い詰めたこと。エリックを過剰に攻撃したこと。そしてマルティナが過剰な威力の水魔術を使い、平民の生徒を危険に晒したこと」

「まぁ、酷い言われようですわ! 誰がそんなことを仰いましたの? 少なくとも、殿下は平民の生徒の命を救ったというのに」

「複数の生徒たちの証言だ。命を救われたという男子生徒も、恐ろしい思いをしたと話していたよ」


 マルティナは、そんな馬鹿なと大きく目を見開く。

 事件を起こしたエリックが自主退学という形で魔術学院を去り、あの件は一件落着したと思っていたというのに、まさかこちらが悪者になっていたなんて。


「証言されたのはどなたかしら? わたくし、抗議して参りますわ!」

「無駄なことはやめとけ。パーシバル派の連中か、連中に金でももらった奴らだろ」

「正義の心根を持った魔術学院の貴族たちが、そのように不誠実な発言をしているわけがないだろう! 撤回したまえ、ルディウス!」

「そう思いたかったら、そう思っとけ。別にかまわねぇよ」


 ルディウスが吐き捨てるようにして言った「パーシバル派」という派閥は、第一王子パーシバルこそが次期国王に相応しいとする者たちの集まりだ。彼らは現国王が王位第一継承者に指名したルディウスを決して認めようとせず、長年に渡って、ルディウスが如何に無責任で無能な王子であるかを現国王に訴え続けていた。

 そのことはマルティナも知っていたのだが、今回のように情報操作をしてまでルディウスの評価を下げようとしてくるとは。


(そもそも殿下は孤立無援だというのに、パーシバル派はやり方が汚いですわ!)


 そして、今。タチが悪いのは、ディヴァンという青年は人の悪意を疑わず、貴族の心の美しさを信じていながら、「パーシバル派」に所属しているということだ。


「パーシバル殿下を王に推薦する者たちは、心の底から殿下を慕っているのだ。殿下は、誠実で聡明。誰にでもお優しい。……それに比べて、君はどうだ? 言動は粗暴、学問も疎かにし、最近は何かあれば暴力で解決しようとしているらしいじゃないか。非常に目に余るよ」


 ディヴァンは、尊敬するパーシバルのことを「殿下」と呼び、ルディウスのことを「君」と呼ぶ。

 それは、彼のルディウスへの評価そのもの。ディヴァンは敬愛するパーシバル以外が王になるべきではないと思っているのだ。


「僕には生徒会長として、君の生活態度を改めさせる義務がある。規則や規律は守るためにあるのだからね。少しでも、君がパーシバル殿下のような人格者に近づけるように指導させてもらうよ」

「バカか。俺は、自分でてっぺんを取る。パーシバルみたいな腑抜けと比べんじゃねぇ」

「てっぺん? つまらない冗談だろうか? 君は、魔術学院のてっぺんも取れていないというのに」


 ディヴァンとルディウスの会話に混ざれず、途中から口を閉じていたマルティナだったが、なんとなくディヴァンの台詞が誘導的であると感じていた。ルディウスを挑発し、都合の良い言葉を引き出そうとしているような不穏さがある。


 そう、気がついた時には遅かった。


「あぁん? 俺は、魔術学院のてっぺんくらい、簡単に取ってやるよ! なんせ、魔術学院なんざ通過点だからな!」

「そうか。では、学院のてっぺん――座学試験の成績ナンバーワンを賭けて、僕と勝負しようじゃないか! 君が負けたら王位を辞退、僕が負けたら生徒会長を辞任する」

「いいぜ。その喧嘩、買ってやる!」

「えっ、ええええ! お待ちください、殿下!」


 マルティナは血相を変えて二人の会話に割り込んだが、ルディウスもディヴァンも男の約束だと言わんばかりに熱く頷き合っているではないか。


「そんな不平等な勝負、認められませんわ! 王位と生徒会長では、あまりにも重みが違います! おバカですの?」


 マルティナがルディウスを必死に止めようとする理由は、他にもある。

 そもそも、ルディウスの学力は低いのだ。いつもいつも取り巻きや太鼓持ちの貴族たちに課題をやらせたり、試験では平気でカンニングをしていた彼が、学年トップクラスの頭脳を持つディヴァンに勝てるわけがない。しかも、座学の試験は一週間後に迫っているのだ。


 こんな結果が分かり切った勝負をして、ルディウスが王位継承権を手放してしまったら、彼の強い国を創るという夢は早々に途絶えてしまう。もちろん、王妃として彼を支えたいというマルティナの夢もだ。


 そんなマルティナの危惧を感じ取ってか、ディヴァンは一つ提案をしてきた。


「君がルディウスに勉強を教えたらいい。自分たちこそが未来の王と王妃だというのならば、二人の愛の力で僕を倒したまえ!」

「受けて立ちますわっ!」


 即断し、自信満々にラズベリーブルーの長い髪を搔き上げたマルティナ。

 勝てる根拠はまったくないが、「二人の愛」と言われたらやるしかない。たとえ、つい先ほどまで勝負に反対していたとしても。ルディウスが恐ろしい形相で「愛だぁ?」と睨んできていたとしても。


 ともかく、王と王妃の地位は二つで一つ。婚約破棄が実行されていないマルティナとルディウスは、運命共同体になったのである。


「俺たちが、必ずてめぇに吠え面をかかせてやるよ!」

「えぇ! せいぜい、吠える練習でもなさっていてくださいな!」

「不良カップルに、この僕、生徒会長兼、アルズライト王国内務卿コルバティール伯爵家嫡男ディヴァン・フォン・コルバティールが敗北することなど、ありはしないさ!」


 自信満々に胸を張って宣言したディヴァンに対して、「肩書き、なっが!」と、マルティナとルディウスは互いの顔を見合わせた。


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