第8話 伯爵令嬢はヤンキー殿下の筋肉がお好き

 マルティナは「おサボりの件は、お父様には内緒ですわよ」とステラに念を押しながら、中庭にやって来た。

 中庭は、二棟の学生寮――貴族寮と平民寮に囲まれた芝生広場となっており、軽スポーツを楽しんだり、ベンチでくつろぐ生徒たちの姿が目に留まる。

だが、貴族と平民が交流している様子はほとんど見られず、大きな顔をして広場を占拠する貴族の陰で平民たちが遠慮がちに隅っこに固まっているような印象だ。


 マルティナは、その光景に大食堂での出来事を思い出してしまい、なんだかやり切れない気持ちになってしまう。

 貴族と平民が共に学び、新しい価値観を見出すことを目指している学院のはずなのだが、お世辞にもそのような場所とは言えない。しかし、だからと言って、マルティナには魔術学院を変える方法など何も思い浮かばないのも事実。


「今の殿下なら、貴族と平民の壁なんて壊してしまいそう……というのは、都合の良い願望かしら」


 心の声が口を突いて出てしまったようで、隣を歩くステラと目が合った。

 言うつもりがなかったことを聞かれてしまい、マルティナはつい気まずくなってしまったが、当のステラは穏やかに微笑んでいた。


「私は、マルティナ様こそが貴族と平民を繋ぐお方だと信じておりますよ。だって、この私をお傍に置いてくださっているではありませんか」


 ステラは元々平民で、父ミハイルが慈善事業の一環で施設から引き取った身寄りのない少女だった。そして、その施設で彼女を指名したのが幼いマルティナであり、以降ステラはマルティナに仕える侍女として働いているのだ。


「わたくしは、何もしていませんわ。寧ろ、本来は貴女をローゼン家の養女として迎えるべきでしたのに、わたくしの我儘で傍仕えにしてしまったことを今でも猛省していますのよ」

「私は、養女よりも侍女の方がいいですよ。私を選んでくださったあなたに尽くせることが、何より嬉しいのですから」


 ステラの笑みに目頭が熱くなるマルティナ。

 アルズライト王国にいると麻痺しがちだが、女貴族の自分にだってできることはある。きっとルディウスの傍ならば、それが見えてくるのではないかと、マルティナはブレザーを肩に羽織る彼の後ろ姿を思い浮かべる。

 中肉中背であるため、頼りがいのある広い背中であるとは言えない。だが、心惹かれて追いかけたくなる背中だった。


(殿下は、お世辞にも逞しいお身体ではありませんものね)


 マルティナが体術や武術の修練が大嫌いだったルディウスを思い出していると――。




 芝生広場の片隅から、「フン! フン!」と気合いの入った声が聞こえてくるではないか。

 マルティナとステラが何事かと駆けつけてみると、木陰で腕立て伏せ――否、片親指伏せをしているルディウスの姿があった。しかも、なんと上半身が裸である。


「でっ、殿下! そんな破廉恥な恰好、いけませんわ!」


 指で目を覆いながらも、指の隙間からルディウスを見つめるマルティナは、「きゃあっ!」と黄色い悲鳴を上げた。

 アルズライト王国では、男女問わず胸元の露出は下品とされており、ましてや裸など滅多に見せることはない。そのため、男性の半裸を初めて見るマルティナには少々刺激が強すぎたのだが、未来の伴侶の身体ならば問題がないのではないかという好奇心も抑えきれない。


(あら。殿下……。あら……)


 ルディウスの身体は、マルティナの想像を上回る逞しいものだった。決して唸る筋肉が隆々というわけではないが、厚い胸板にしっかりとした腕筋、引き締まった腹筋には惚れ惚れせずにはいられない。光る汗もまばゆく、彼が熱心に筋肉トレーニングを行っていたことが一目瞭然だった。


「うっとり……。嫌ですわ、口に出てしまいました」

「あぁ? 見世もんじゃねぇぞ、このアマ」


 ルディウスはマルティナとステラに気がつくと、右手の親指一本で軽々と地面から身体を押し上げて立ち上る。

 まさか、ルディウスにこのような筋力があるとは驚かざるを得ず、マルティナはキラキラと碧眼を輝かせた。


「すごいですわ! NEW殿下はムキムキ路線ですのね!」

「ベースだけはできてたからな。これからもっと盛ってくんだよ」

「そうでしたの?」


 タオルで汗を拭うルディウスを尚も指の隙間から覗くマルティナは、かつてのだらしない性格の彼が地道なトレーニングとする姿など想像もできず、小首をかしげてしまった。


「能ある鷹は爪を隠すとは言いますけれど、隠れてトレーニングをやっておられましたの?」

「次期国王って言われるまではな」

「……?」

「ほっとけ! 【歩く回復薬】なんて言われっぱなしじゃムカつくじゃねぇか。攻撃魔術が使えないなら、腕っぷしでのすしかねぇだろ。いつか、ソレを言った奴らを血祭に上げなきゃなんねぇ」


 物騒な発言の中に、ルディウスのコンプレックスがちらついていた。

【歩く回復薬】とは、ルディウスが王維継承者であることを快く思わない派閥――兄王子パーシバル派が付けた彼の蔑称だ。

 ルディウスは治癒魔術は一級品だが、それ以外の魔術を扱うことができない。それ故、強敵から国民を守ることができないのだという侮蔑の意味を込めた呼び名が、陰で使われているのだ。

 そのことはマルティナも知っていたのだが、まさかこれまで政治に興味を示さなかったルディウスが、蔑称を気にしているとは思ってもみなかった。


「てっきり、殿下は気にしておられないかと思っていましたけれど、兄王子派を見返してやろうとお思いなのですね。わたくし、感激いたしましたわ!」

「くそっ。喋りすぎた。俺は帰る」


 核心を突かれたからか、ルディウスはムッとした表情の顔を背けると、手早くシャツを着て立ち去ろうとした。

 その背中はなんだか頼り甲斐があるように映り、マルティナの胸がキュンと飛び跳ねる。

 抱き着きたい。そんな衝動に駆られるが、グッと堪えて彼のシャツの裾を捕まえた。


「お待ちください! わたくし、殿下を尾行しようと思って授業をサボりましたの! だから、行かないでくださいまし!」

「尾行する奴の台詞じゃねぇぞ、ゴラ! 張っ倒すぞ、ストーカー女!」


 やっと会話らしい会話ができたかと思ったのに、やはりルディウスはマルティナと仲良くしてくれる気はないらしい。マルティナが彼を引っ叩いてしまったことが原因の一つとはいえ、なかなか嫌われたものだ。


「改めて好きになっていただくチャンスすら、与えてくださいませんの? わたくし、生まれ変わった貴方とお近付きになりたいですわ!」

「……チッ! 生まれ変わったから、ダメなんだ。てめぇは、俺といたら不幸になる」

「不幸?」


 まるで、未来を知ったようなルディウスの口振りに違和感を覚える。彼のエメラルド色の瞳にわずかだが怯えが見えるような気がして、マルティナは思わず掴んでいたシャツから手を離した。


「殿下。それはいったいどういう意味ですの?」


 しかし、マルティナの問いに答えが返ってくることはなく、代わりに中庭一帯にドォォォォンッという大きな爆撃音が響き渡った。

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