第33話 家族


 テラスに響き渡るのは、柔らかい歌声。

 その歌と共に、火傷を負った少年の傷は癒えていく。

 治癒魔法、それだけは分かる。

 分かるが……この場に響き渡るのは、詠唱ではなく歌声。

 どこまでも温かく、心に響く様な歌声にしか聞こえない。

 コレが、魔女様の魔法。

 彼女は全てを美しく飾ってみせる。

 例えモドキだと言われようと、それがどうしたと言わんばかりに胸を張り、本物以上に輝かせて見せる。

 それが、“サイカ アオイ”だ。

 私が頭を下げ、懇願してまで仲間に入れてもらった“創碧の小物屋”の店主。

 間違っていなかった。

 もちろん、選ぶ余裕があった訳じゃない。

 それでも、だ。


 「私は……間違っていなかった」


 自らを害そうとする相手にさえ手を差し伸べ、そして救う。

 まるで、この薄汚れた私を拾ってくれた時と同じように。

 優しく、柔らかく、そして包み込む様に。

 彼女は笑うのだ。

 ココに居て良いよと微笑むのだ。

 そんな彼女が、また新しい誰かを救おうとしている。

 歌を紡ぎ、暖かい光を全身に纏わせ。

 暗殺者の少年を癒していった。


 「なんの騒ぎだ!?」


 「アオイ! いっぱい連れて来た!」


 テラスの窓を蹴破って登場したのは、あろうことかこの国の王様。

 普通なら兵士を先に向かわせるべきだろうに。

 なんて、呆れたため息を溢しながらも膝をついた。


 「王よ、今だけはお静かに」


 「道化! お前は何を……言って……あぁ、なるほど。 確かに、空気を読むべきは私だったな。 前にもこんな事があったと報告を受けた」


 一言声を掛ければ、彼は納得したように静かに目の前の光景を見つめていた。

 傷付いた少年の頭を膝に乗せ、月に向かって歌う魔女。

 もうその姿は、聖女といっても過言ではないのだろう。

 それくらいに、美しかった。


 「彼を、どうなさるおつもりですか?」


 「どうもこうもない。 この後あの子を取り上げてみろ、聖女様にぶっ飛ばされてしまう」


 「随分とお転婆で物騒な聖女様が居たモノですね?」


 「目の前にいるじゃないか、お前には見えないのか?」


 「いえ、はっきりと見えております」


 我らが愛する魔女様は歌う。

 どこかの国の子守歌を。

 聞き馴染みは無かったが、それでも。


 「不思議です。 こんな私ですら許され、ゆっくりと眠る事を促されている様です」


 「たまにはゆっくりと眠れよ、“道化”。 王からの命令は、緊急時にしか使わん。 それ以外は、お前は私の国の人間なのだからな」


 「魔女を名乗っているのに何を今更……と、言いたい所ですが。 今日はぐっすり眠れそうです」


 そんな会話を紡ぎながら、我が主を見守っていた。

 もう敵が味方がとかどうでも良い。

 そんな風に思えてしまう様な光景が、眼の前には広がっていた。

 優しくも悲しい、月の蒼い光に包まれた静かな一枚絵の様な光景が。


 ――――


 テラスの策に足をかけてみれば、どこかで見たような光景が広がっていた。


 「アオイ……か?」


 声を掛けてみても、歌は止まらない。

 だというのに。


 『邪魔しないでくれるかな、王子』


 そんな声が、頭の中に響いて来た。


 「また……お前かっ!」


 『勘違いしないでくれ、今回はアオイから頼まれて力を貸しているに過ぎない』


 威圧を放つ俺に対して、一瞬だけアオイが此方に視線を向けた気がする。

 本当に一瞬だけ。

 その後は、膝の上に乗せた少年に視線を下ろして歌を紡ぐ。

 止めろ、アオイ。

 ソレはお前を殺そうとした獣人だ。

 止めろ、アオイ。

 全てを救おうとしても、きっとソレはお前を不幸にする。


 「アオイ!」


 だからこそ、叫んだ。

 もう止めろと、コレ以上自らを苦しめるなと。

 そう叫ぼうと思ったのに。


 「あ、来てくれたんだ王子。 ちょっと待ってね、もうちょっとで治療が終わるから。 そしたら、一緒に飲もう? ちょっと疲れちゃった」


 にへへっとばかりに、緩い笑みを浮かべる彼女。

 いつも通りの、普段から見ていた“アオイ”だ。

 だというのに。


 「もう、止めてくれ……」


 何故だろう、とてつもなく不安になるのだ。

 彼女が魔法を使う度、“こちら側”に馴染もうとする度に。

 彼女が削れていくような気がして。


 「大丈夫、まだ大丈夫だって。 だから……この子を……あれ?」


 フラッと傾く彼女に駆け寄り、腕の中に抱いた。

 俺からしたらとても小さく、軽い。

 そして何より、抱きしめれば砕けてしまいそうな。

 そんなガラス細工のような雰囲気を持った“異世界人”。

 その軽さに、思わずゾッと背筋が寒くなった。

 俺は……こんなにも脆い彼女の事を守れるのだろうか?

 ずっと、強い女だと思っていた。

 だというのに、いざという時に見せる彼女の強さは、非常に“脆い”。


 「私は大丈夫」


 虚言なのだ。


 「全然平気、怖く無いし」


 虚勢なのだ。

 彼女の強さが、俺にとっての恐怖へと変わる。

 アオイと関わって、アオイの事を知ったからこそ分かる。

 彼女が強い言葉を紡ぐ時、それは……“助けて”の合図だ。

 アオイの強さは、俺の求める強さとは違う。

 どこまでも真っすぐで、誰かの為に求める強さ。

 自分ではどうしようもない事態に陥っても、彼女はきっと「大丈夫」と囁くのだろう。

 例えその身を盾にしようとも。

 それが分かってしまったからこそ、ひたすらに怖いのだ。


 「もう良い、もう良いんだ。 治療は終わっている、後はこちらで様子を見よう。 だから、休め。 お前は、“ゴミ屋敷の住人”だろうが。 何を頑張っている、何故そこまで抗う。 お前は、資材に埋もれながら趣味に生きれば良いんだ」


 「うっせぇよバカ王子。 そんなんで生活出来たら、苦労しないってーの……」


 そんなセリフを残しながら、彼女は意識を失った。

 腕にのしかかる彼女の体重。

 軽い。

 異常に軽いのだ。

 魔術そのものが、アオイにどれ程の負担をかけているのか。

 俺には正確に分からない。

 だとしても、だ。

 間違いなく、彼女は“身を削って”魔法を行使している。


 「ふざけるなよ……コレが“異世界人”に対する世界のルールだとでも言うのか?」


 「アスティ……?」


 父上が心配そうに声を掛けてくるが、今だけは耳に入らなかった。


 「ふざけるな! コレが神の決めたルールだと言うのなら、俺は神を恨む! ふざけるな! 何でアオイが苦しまなければいけないんだ!? 何故アオイがアオイを忘れなければいけないんだ! そんなのおかしいじゃないか! 彼女はただ、必死に生きているだけだ! 誰かを助けているだけだ! なのに、何故!?」


 吠えた。

 天に向かって。

 だって、おかしいじゃないか。

 アオイは、人々を笑顔にさせる仕事をしているんだ。

 アオイは、俺の周りの人たちを皆笑わせるんだ。

 アオイは、いつだって一生懸命なんだ。

 アオイは……誰かの為に自らを犠牲にするんだ。


 「だったら! まずはアオイを救えよ! 何故こんな運命の筋書きを描いた! 誰よりも自己犠牲を、しかもそうとも思っていないで実行する奴を苦しめるんだ! おかしいだろ! コレ以上アオイを苦しめるな! 神よ!」


 俺は、アオイを失いたくない。

 守ると約束したのだ。

 側に居ると、そう誓ったのだ。

 だから、もう。

 コレ以上は苦しまないでくれ。

 その日、パーティー会場に集まった人々の目の前で。

 俺は恥じも惜しまず涙を溢したのであった。


 ――――


 「ずあぁぁぁぁ……体いってぇぇ……」


 そんなセリフを溢しながら、ベッドから這い上がった。


 「アオイ、へーき?」


 「平気、前よりずっとマシ……慣れたのかな?」


 なんて事を呟きながら、枕元にちょこんと座っていた浅葱の頭を撫でる。

 そんでもって、視線をソッと室内に向ければ。


 「あっちゃぁ……プリエラとブルーに謝っておかないと」


 壁に掛けてあるのは、見事にボロボロになった蒼いドレス。

 アカンて、緊急事態だったからとはいえ、コレはダメだって。

 二人が丹精込めて作ってくれた物を、一晩で駄目にしたのだ。

 マジで土下座する勢いでやらかした。

 今から二人の顔を見るのが怖いよ……なんて事を思いながらため息を溢していれば。

 一階からガンガンッとノッカーの叩く音が聞こえる。

 おうふ……もう来てしまったのだろうか。

 早速土下座の為の準備運動をしなければ。

 とは言っても、体がマジで痛い訳だが。


 「お客さん!」


 「ん、そだね……浅葱、ゴメン。 先行って知り合いだったら何か喋ってて。 着替えてからすぐ行く」


 「あい!」


 テテテー! と一階に走り去っていく浅葱を見送ってから、非常にゆっくりな動作で服を着替える。

 だぁもう、筋肉痛が酷い。


 『大丈夫?』


 「だいじょばない。 って、あ、そうだ。 昨日ありがとね、あの子治った?」


 急に話しかけて来た幽霊さんに返事をしてみれば、呆れたような困った様な笑い声が返って来た。


 『大丈夫だよ、ちゃんと治った。 頑張ったね』


 「本当だねぇ、よく頑張ってくれたよ。 あんな火傷じゃ下手したらすぐ死んじゃってたかも」


 『そっちの事じゃないんだけどね』


 再び呆れた声を上げながら、それ以降幽霊さんは黙ってしまった。

 最初こそ驚いたが、案外慣れてしまえば悪くない。

 ここぞって時のピンチには力を貸してくれるし、本人も悪い人って訳でも無さそうだ。

 ただし、筋肉痛には悩まされるが。

 なんて事を思いながら着替え終わったその瞬間。


 「アオイ、お客さんでもお友達でもなかったー」


 「はい?」


 しょんぼりした浅葱が、部屋の中に戻ってきた。

 お客さんでも友人でも無ければ、ココに来ない様な気がするんだが。

 結局誰だったのだろう?


 「その人はどうしたの? まだ居る?」


 「うん、玄関でずっと立ってる。 待ってるって言ってたー」


 それはまた。

 というか、そんな良く分からない人と会話して来たのか浅葱は。

 流石に扉は開けられないとは思うが、この子の事だ。

 「だれー?」とか「なにー?」とか扉越しに会話して来たのだろう。


 「ま、とりあえず行ってみますか」


 「ご飯は?」


 「用事が済んだ後かな?」


 「あいー」


 緩い返事してから、再び枕元で丸くなる浅葱。

 なんとも自由だ。

 コレで魔獣っていうのだからビックリだよ、どう見ても気ままな猫にしか見えない。

 やれやれと笑みを浮かべていれば、再びノッカーの音が響く。


 「はいはーい! 今行きますから、ちょっとお待ちをー!」


 ブリキの人形かって程に動かない体をどうにか動かしながら、玄関まで辿り着く。

 もうここまで来ただけで息切れするほどだよ、お婆ちゃんかよ。

 そんな事を思いながら玄関を押し開いてみれば。


 「よぉ……」


 そこには、随分と可愛らしいケモミミが揺れていた。

 狼さんかな? キャー怖い。

 でも可愛い。


 「国の重要人物を狙った罪で、一生奴隷だって言われた。 ずっと強制労働だって。 そんで、俺が働く事になった先が……ココみたいだ」


 赤い首輪をしたケモミミ少年が、そっぽを向きながらブツブツと説明してくれた。

 ナイス王様、流石。

 どっかのボンクラ王子とは訳が違う。


 「いらっしゃい、少年。 これからよろしくね? 怪我はどう? もう痛くない?」


 「ん、全然平気。 アンタが治してくれたから」


 もにょもにょと呟く少年。

 なんだろうこの可愛い生き物は。

 浅葱の次に可愛い。


 「なら良かった。 それじゃまずはご飯にしよっか、何が食べたい?」


 「……へ? 俺、まだ何もやってない。 なのに、ご飯をくれるのか?」


 「当たり前じゃない。 子供は遊ぶ、寝る、食べるが仕事なんだよ? 私の仕事を手伝いたいなら、それらをキチンとこなしてからにしなさい」


 コラッと𠮟りつけてみれば、彼はポカンとした表情のまま固まってしまった。

 まぁ“こちら側”の子供達、本当に良く働いているみたいだしね。

 無理もないわ。

 でもま、ウチはウチの流儀で行かせてもらいましょう。


 「だから、まずはご飯。 それからお風呂に入って、その後遊びにいこうか。 遊びに行くための服も必要だね。 今日はお買い物の日になりそうだ。 後はそうだなぁ……何か欲しいモノ、ある?」


 ニカッと笑ってみれば。

 未だ止まったままだった少年が、ピクピクと少しずつ動き始める。


 「本当に、いいの?」


 「いいよ?」


 「殺さなくても、生きていける?」


 「むしろ誰かを殺そうとしたら、私は怒るよ? 殺しちゃ駄目、それ以外の仕事でお金を稼ぎなさい」


 ベシッとチョップを叩き込んでみたが、少年は痛がる様子も無く、こちらを見上げている。


 「俺は……家族が欲しい。 居場所が欲しい。 安心して眠れる、家が欲しい」


 「全部あるよ、全部あげるよ。 お帰りなさい、少年。 コレからはそう言ってあげる、私が君の家族だ。 ココが居場所で、眠れる場所だ。 安心したまえよ、ちゃんとお姉さんが守ってあげるから」


 ふははは、とばかりに高笑いを浮かべてみたものの。

 少年からの反応はいまいち。

 うーむ、滑ったか。

 切り替えていこう。


 「とりあえず、名前を聞いても良いかな? 私は彩花碧。 皆からは、アオイって呼ばれてるよ。 君は?」


 ポンッと相手の頭に手を乗せて、ワサワサと撫でまわしてみる。

 うんむ、毛並み……というか毛質は良い様だ。


 「ヘキ」


 「うん?」


 「だから、俺の名前。 ヘキって言うんだ」


 ほぉ、コレはまた。

 凄い偶然もあったもんだ。


 「それじゃぁヘキ。 ちょっとおいで」


 彼の手を引いて、ウチの庭に飛び出してから看板を指さした。


 「アレ、なんて読むか分かる?」


 「上の文字は読めないけど……下は“創碧の小物屋”って」


 「正解。 ちなみに上も同じ言葉が書いてあるの。 それでね? 創碧ってのは、作るにアオっていう字なの。 碧ってのは、私の名前ね? そんでもって、あの字は“ヘキ”とも読むのよ」


 そう説明してみれば、彼はジッと看板を眺めた。

 それこそ、食い入るように。


 「あの漢字はね? アオイ、ミドリ、ヘキ。 その他諸々、結構な読み方が有る訳さ。 だから、“丁度良い”じゃない」


 「丁度良い?」


 不思議そうな顔を浮かべる少年の頭を、もう一度グリグリしながらニカッと微笑んだ。


 「アンタの家って事だよ。 ココは私のアトリエだけど、ヘキの家でもある。 しかもあんなに大きく描いてあるし。 “創碧の小物屋”。 ココが今日から、君の家だ。 だから、次からは間違えないでしょ?」


 「えっと?」


 何が何やらと困惑する彼を解放し、私だけ玄関に戻る。

 そして、両手を拡げ。


 「“おかえり”、ヘキ」


 そう言って笑ってみれば。


 「……ただいま、アオイ」


 ほとんど初対面、だというのに。

 何処までも必死に生きている様に見えた少年は、私を殺そうと奮闘していた少年は。

 今日から、家族になった。

 どこまでも必死な瞳をしていたんだ。

 それこそ、私を殺さなきゃ明日がないってくらいに。

 それでも、迷っていたんだ。

 ナイフを握るその手は、ガタガタと大きく震えていた。

 恐れていたのだ、私を。

 恐れていたのだ、人を殺す事を。

 だったら……。


 「悪い未来ばかり選ばなくたっていいじゃない。 もう少し、夢を見ようぜ。 若者よ」


 「うん、うんっ!」


 私の胸の中で泣き叫ぶ少年の頭を、ひたすらに撫で続けた。

 どうかこの子に幸せな未来を。

 こんなにも小さい、それこそ従業員の皆より若いくらいなのだ。

 だったら、可能性はいくらでもある。

 好きな未来を選ばせてあげたい。

 だから。


 「ウチで働かないかい? ヘキ」


 「……はい、はいっ! よろしくお願いします! アオイさん!」


 「アオイで良いよ。 家族だからね?」


 「……うん。 ごめんなさい、いっぱい、ごめんなさい。 アオイ」


 「謝るな少年。 笑って今日から頑張ろうじゃないの」


 未だ泣き止まぬ少年を抱えながら、私は玄関先で随分な時間を過ごすのであった。

 

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