蒼碧の小物屋
くろぬか
1章
第1話 仕事と副業
「おぉ! 成功したぞ!」
目の前から大声が聞こえ、ビクッと肩を震わせてみれば。
「ようこそ我が国へ! 貴女は選ばれし“異世界の民”! 歓迎いたしますぞ!」
随分と近い距離に、立派なお髭を生やしたダンディーおじさんがキャッキャと騒いでいた。
誰だろうこの人。
さっきまで眠い目を擦りながら、SNSで注文された小物を作っていた筈なんだけど。
はて、とばかりに首を傾げてみれば。
「あぁ、すみません。 今ご説明いたします」
やけにテンションの高いダンディーおじさんが「おいっ!」と鋭い声を上げたかと思うと、後ろからちょっと頭皮が後退……じゃなかった。
自らの前進に頭皮が追い付いていないおじ様が登場なされた。
そんでもって、今更かもしれないが。
皆恰好が凄い。
髭ダンディーさんはザ・王様って感じの恰好にモフモフ付きの赤マントだし、今来た頭皮置き去り前進おじ様は中世ヨーロッパみたいな恰好をしている。
すごいねぇ、お金掛かったコスプレだねぇ。
なんて思いながら眠い目を擦り、手物に集中する。
今作っているのは羊毛フェルトのぬいぐるみ。
明日までに何とか形にして、明後日には発送しないといけないから……えっと、眠れるのかな、私。
そんな事を思って窓の外を眺めてみれば……日が登っている。
「で、ではご説明させて――」
「はぁ!? もう昼間!? え、ちょっとまって! 間に合わないんだけど!?」
「ひえっ!?」
急に大声を上げた事に驚いたのか。
目の前に居た頭皮置き去り前進おじ様は尻餅を付き、周りに居た人達もガヤガヤと騒ぎ始めた。
ていうか、今になって気づいたがこの部屋結構人数が居らっしゃる様で。
眠気と疲労によって狭くなっていた視界が、徐々に徐々に広がっていく。
すると。
「ここ、どこ? あと、誰?」
目の前には髭ダンディーと頭皮。
そして周りには鎧コスプレやら修道院コスプレやら。
何だコイツ等、仮装パーティの真最中か?
悪いんだが付き合っている暇がない。
こちとら納期が近いのだ。
これで発送が遅れたり、出来の悪いモノでも渡して見ろ。
すぐさま炎上待ったなしだ。
だからこそ、作らなければ。
仮装パーティの真っ最中だったとしても、その中心地に突っ立っていたとしても。
私は作品を作らなければいけないのだ。
すまぬ、パーティ参加者たち。
会場のど真ん中をちょっと借りるよ。
「あ、あの……?」
頭皮おじさんが話しかけてくるが、今は時間がないって言ってんだろうが。
あぁ~ちょっと待ってね? なんて適当な言葉を返しながら、ひたすらに羊毛フェルトをチクチクチクチク。
うわぁぁぁぁヤバイ、ヤバいよ。
終わる気がしないよ。
もうそれなりに終盤だから、これから6時間くらい寝ないで作業すれば間に合うか?
そんな事を考えながらひたすらに手元に視線を落としていれば。
「随分と可愛らしい物を作っていらっしゃるのですね? それは……なんでしょう? 魔獣の羊ですか?」
「魔獣って、そんなどっかのゲームの模造品なんか作ったら訴えられちゃいますよ。 ただの羊です、ちょっと機嫌悪そうな見た目の」
頭上から聞こえて来た声に思わず突っ込みを入れながら、チクチクチク。
大体形は出来て来たんだ、後は最終チェックと多少の手直し。
そんでもって、相手に写真付き確認メールも送らないと……なんて、思っていると。
「うふふ、本当に可愛らしい。 商品なのですか? 私にも作って頂けませんか?」
「えっとごめんなさい、今はそれどころじゃないっていうか。 もしよければ私のアカウントをフォローして予約とか入れてもらうと……と?」
そこまで聞いて、やっと顔を上げた私。
作品に興味を持ってもらえた、もしかしたら注文を入れてくれるかもしれない。
そんな打算ばかりな考えだが、作品を気に入ってもらえたのは純粋に嬉しい。
だからこそ、宣伝文句の一つでも言っておこうかと思ったのだが。
「えっと……お姫様?」
「はい、一応この国の第一王女です」
私のすぐ目の前には、豪華なドレスを身に纏った可愛らしい女の子が微笑んでいた。
それはもうコスプレ云々ではなく、マジモンのお姫様オーラが半端じゃない。
淡い色の金髪と、蒼い大きな瞳。
そんでもって、私じゃ絶対作れなそうな可愛らしいフリルが散りばめられた青いドレス。
目を奪われるって、多分こういう事を言うのだろう。
なんて感想が漏れてしまうくらいに、“美しい”と“可愛らしい”を両立したお姫様がこちらを覗き込んでいた。
「えーっと、あの? ご注文、ということで?」
「えぇ、是非! 私は猫が好きなので、猫のぬいぐるみなど作って頂けると」
天使の微笑みかとばかりに、ニコッと笑う少女はアラサーに近づいた私にはとんでもなく眩しい物だった。
クッ、直視できない……! て程に。
すげぇ、こんな可愛い子が居るんだ。
とか事を思いながら、ひたすらにチクチク。
「あの、注文が結構溜まっちゃってて……数か月後とかになるかもしれないんですけど、良いですか?」
「えぇ、いくらでも待ちますわ。 それにしても、器用なんですね? 針一本でコレが作れるんですか? 凄い……想像もつきませんわ」
「あはは、慣れですよ慣れ」
やけに見栄えの良い女の子に、何故か敬語で喋りながら私はひたすらに作業を続けた。
とにかく“コレ”を終わらせないと。
小物作りは副業なんだ、本来の仕事も待っているのだから早く、とにかく早く……っていうか今何時!?
既に結構日が登ってるんですけど!?
もしかして副業どころか、本業の会社に遅刻確定!?
今更ながらそんな事を慌てだした私に、先ほどの美少女が微笑み掛けてくる。
「えっと、申し訳ない……と言ってよろしいのか。 貴女は“貴女にとっての異世界”に召喚されました。 だからその、納期とか予約は全部パーというか……えっと、その。 ごめんなさい」
ペコッと頭を下げる少女が、なんだかよく分からない事を言っている。
うん、うん?
「異世界?」
「はい、貴女が暮らしていたのとは別の世界です。 なのでその……商品を送る事は出来ないかと。 すみません、急に呼びつけてしまって」
あ、はい。
小説とかでは読んだことありますけど。
「ご説明させて頂いてもよろしいですか?」
「あ、出来れば作品が終わった後に……いや、異世界から発送できるのか?」
「出来ませんね」
「あ、そうですか。 ならやる必要ないのか? あれ? だとすれば今日私会社行く必要もない?」
「カイシャというのは職場の事ですよね? だとしたら、ありませんね。 貴女は異世界へと呼ばれた身ですから」
「……寝ても、よろしいですか?」
「お疲れの様でしたら、起きた後に事情説明をいたしますわ」
その言葉を聞いた瞬間、私は気絶する様に横になった。
そりゃもうぶっ倒れるくらいの勢いで。
「ちょ、え!? 誰か! 衛生兵! 召喚者様が倒れましたわ!」
やけにガヤガヤと騒がしくなる室内で、私は瞳を閉じた。
あぁ、何かこのカーペットすんごい柔らかい。
とかなんとか、とてもどうでも良い事を考えながら。
「か、鑑定もまだ終わっていないというのに……」
「お父様! そんな事は後でいくらでも出来ます! 今すぐ彼女を医務室へ!」
あぁ、可愛い子の声は慌てている時でも可愛いんだなぁ……なんて事を思いながら。
私は完全に意識を手放した。
なんたって、今日は会社に行かなくて良いと言われたのだから。
そんでもって、納期は無いと言われたのだから。
例えコレが夢だったとしても、私は眠る事を選ぼう。
だって、とても幸せな夢なのだから。
眠れる、眠れるのだ。
現代社会人としては、眠れる時に眠る。
それが鉄則。
そして今は、眠れる時。
であれば、眠りましょう。
ホトトギス……鳴かぬなら、静かで良いじゃない、おやすみなさい。
そんな訳で、私は完全に意識を手放したのであった。
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