時計仕掛けの手紙

時任時雨

「わたし、絶対に死にたくないんだよね」


「へぇ、そうなんだ」


「ちょっともう少し反応あってもよくない? ねぇねぇ、わたしの話聞いてよ~」


「いや聞こえてるけど」


 メガネをかけて髪の毛をうなじの辺りで一つにまとめた、如何にもオタク然とした目の前の少女は少し前から私に絡むようになったクラスメイトだ。体育の授業でいつも組んでいる人がお互い休みで、余り物同士でペアを組んだ仲。それ以上でもそれ以下でもない。それ以来なぜか妙に懐かれてしまい、今に至っている。


「わたしが本を好きなのは前に話したよね。それと関係があるんだ」


「そうだったかな」


「とにかく本を読みたいの。今出ている本の続きもだし、これから先出てくる本も。この世にあるすべての本を読みつくすまで、わたしは死なないよ。少なくとも自分からはね」


「あ、そう。そんな宣言を私にして何か意味があるの?」


「意味? や、特にそんなのはないよ。ただわたしはこう思ってるってだけ。高橋さんは? 死ぬってことに対して何か思うことある?」


「私は……別にいつ死んでもいいかなって。それなりに今の人生に満足してるし、何か生きてることに現実感がないっていうか」


 答える義理もないが答えない理由も特にない。端的に自分の考えを告げる。名前も知らない目の前の彼女は大仰に驚いて見せた。少しだけイラっとする。別に死のうが生きようが人の勝手だろ。


「だってだって、死んだら何もないんだよ? どうするの死んじゃったら!」


「何もないなら悔いもないってことでしょ。生きてないから当然本も読めない。至極当たり前のことじゃない」


「その当たり前がイヤなんだよ~。もし不老不死になれるなら絶対になるよ。そして本がなくなるまで本を読み続けるよ。どれだけヤバい薬使ってもなるよ! 意地汚く生にしがみつくよ」


「麻薬はやらないようにね。やるとしても捕まらないように」


 やらないよ~と間延びした声が響く。こんな話しがいのない私に絡んでくるのか、不思議だった。女子というのは話せれば誰でもいいとよく言うが、本当らしい。身を以って体験することになるとは思わなかったけれど。


 私も女子だけど話すことはあまり好きではない。聞く分には別に問題ないのでそういうところが彼女に気に入られたのかもしれないな、と勝手に思うことにした。別に友達でも家族でもないしどうでもいい。


「私は死んでもいいし、君は死にたくない。それでいいじゃん」


 休み時間も終わるので適当にあしらって話を終わらせた。


「待って待って、じゃあメールアドレス教えてよ。放課後も話したいからさ、連絡先あった方が便利じゃない?」


「別にいいけど……」


 LINEとかTwitterとかではないんだな、と疑問に思ったけれど、彼女はオタクっぽいところがあるから逆張りなのかもしれないと失礼なことを考えた。大して問題もないのでメールアドレスを交換し、お互いの席に着く。


 授業中、スマホがふるふると震える。親は学校があるときに連絡してこないし、LINE等の通知も切ってある。私が通知をONにしているのはアラームと電話、そしてメールだけだ。


 机の引き出しに隠しながら画面を覗き見る。


『これからよろしく』


 しゃべりすぎるくらいにしゃべる癖に、こういうところは簡潔に書くのか。何というかギャップを感じる。勝手に私が感じているだけだけど。知り合って二週間かそこらくらいだ。見えない面の方が多くて当然だろう。


『こちらこそよろしく』


 こちらも同じような文面を綴り、ついでに『授業中に送ってくるなバカ』と付け足したものを送った。同時にピロリンという音。ぴくんと震える前の席の背中。

 通知音くらい切っておけよ、とため息を吐きながら思った。


 放課後、本当に取り留めのない話を聞いた。本気で誘ってくるとは思っていなかったので面食らったが、別に放課後に予定があるわけでもない。誰もいない教室で、彼女の口からはこの本のここがいいのだ、この本は何冊しか刷られてない貴重な落丁本なのだ、と話が止まることを知らない。水が上から下に流れるように、私もまた大方の話を右から左に聞き流していた。感覚的にはラジオに相槌を打つのに近かったと思う。


 夕日が教室に差し込み、下校時刻を知らせるチャイムが鳴る。思ったよりも早く時間が経っていたようだ。興味深い話もいくつかあったし、無駄な時間ではなかったように思う。人生において無駄な時間というものが存在するかは怪しいけれど。


「じゃあまた明日ね」


「え、明日も?」


「え? そういうつもりだったけど……明日何か予定でもあるの? 帰宅部の高橋さんに」


「イヤな言い方するな……別にいいけどさ」


 帰宅部だって予定くらいあるだろって突っ込みたかったが、キャラじゃないので控えておいた。キャラじゃないことをすると逆に突っ込まれかねない。それはめんどうくさい。


「じゃーね、高橋さん。また明日」


「はいはい明日ね」


 一人で帰る道に一抹の寂しさを感じる。自分にとっての当たり前を乱されるのは嫌いだ。だから最初はあまり彼女のことを好きではなかったのに、いつの間にかするりと私の日常に入り込んでいた。


 ああいう手合いは苦手だと思う。だが付き合いを拒むほどではない。私に悪意があるわけではなさそうだし、話を聞いていても不愉快になることはない。なら別に一緒にいることを拒否する理由はない。そこまで考えてぽつりと呟く。


「ああ、やっぱり苦手だな」


 こうやってほだされていることに自覚的になる自分が苦手だ。


 〇


 次の日、彼女の自殺が担任の口から告げられた。


 やっぱりわからない。誰かの考えなんて。

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