第10話 第一階層(4)

 ダンジョンの探索においてまず念頭に置くべきは武器でも魔法でも薬でもない。

 食料と水である。

 冒険者を志す魔術師の多く(数は少ないが)が水魔法を習得していることからも、その重要さが伺える。

 とはいえ探索にトラブルはつきもの。水と食料の現地調達も当然視野に入れるべきだ。天井から垂れてくる雨水、岩等に群生する植物、幸運の女神フォルトゥーナが微笑んでくれれば湧き水を見つけられる場合さえある。ただしこういった場所には魔物も集まってきやすいため注意が必要だ。

 ああ、食料についてだが実はあまり心配いらない。

 ダンジョンにはチューチュー鳴く四本足の御馳走がそこら中にいるからね。

 『探索のススメ』R・ローズ著

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 おろした荷物から野営の準備。座り込んで中身を出す。

 水筒、乾パン、干し肉、チーズ、ビスケット。なけなしの金をはたいて手に入れた食料だ。お世辞にも豪勢とは言えないがな。

 乾パンに着いたごみを払った時、ふと店主と値段でずいぶんやり合ったのを思い出した。最近パンの値が随分と上がってたな……。

「おお、重畳重畳。旨そうだ」

 アニモが満足そうに喉を鳴らした。リザードマンは見るからに顎が丈夫そうだしな。俺としては新鮮な肉がいいんだが。

 後は古木と火炎石を用意すればいい。火を起こして、と考えていると肩に水滴が落ちてきた。なんだ?

「うおぉ!」

 水滴の元を追っていくとそこには銀髪の顔。生肉を前にしたワーウルフみたいな表情をしている。ちょっとまて、さっき垂れてきたのは涎かこれ?

「おいしそう」

「いや……食べる、というか食べられるのか?」

 アニモが俺の心の声をそのまま代弁してくれた。こいつ食えるのか? そもそも食う必要あるのか?

「食べ方は教わっている。問題ない」

 そういう問題じゃないんだが……期待に満ち溢れた瞳を見るとなんとも聞きずらい。

「そ、そうか」

 リザードマンも同じ気持ちだったみたいだ。まあ、唯一の楽しみは奪えんな。食料での分配で自滅するパーティーも多いと本にあった。ここは平等に分けるべきだろう。

 それよりさっきからこの辺りには旨そうな影が見え隠れしている。まずはそいつを捕まえよう。

「おい、あそこが見えるか?」

 俺が指さした先に銀髪が目を向ける。灼眼が右へ左へと揺れ、一点をとらえた。

「見つけたな? あれが旨いんだ。ちょっとばかし小骨はあるが火であぶってやると肉汁が口に溢れてくる」

 キラキラと瞳が輝いている。狙いをつけた猫みたいだ。

「よし、いけ! 取ってきたらお前に腹の旨い部分をやる」

 駆け出す所も猫みたいだった。姿勢を低くして広場の隅に突進していく。

 ふと、隣を見るとアニモが何とも言えないような顔でこちらを見つめている。

「ふーむ、これは」

 リザードマンが渋い顔をしていた。なんだ? ちゃんとこいつの分の鼠もいるのに。

 しばしの後、口角を吊り上げる。洞窟内にアニモの笑い声が響き渡った。

「アッハッハッハッハ! ケイタ! これは一本取られたぞ! ケッサクだ。ハハハハハ」

 膝をたたいて大笑いしている。どうしたんだ? 冗談なんて言ってないんだが。

「いや、しかし。四本足の御馳走とは! あんなもの食べられるはずなかろう!」

「え?」

 何言ってんだ? 贅沢品だぞ? 俺の疑問の声がダンジョンの空間に残される。

「え?」

 まったく同じ響きがアニモの口から流れ落ちていく。魂が抜けたような顔してやがるな。

 沈黙の時間が流れる。どちらからも声を発しない。

 なにか、とんでもない行き違いがある気がする。

 沈黙を破ったのは甲高い怒鳴り声だった。

「ヒャーッハッハハハ! おいテメエら! 動くなぁ!」

 声の方向に首を回す。

 銀髪と見たことのない男がいた。男は銀髪の後ろから首に半円状のナイフを押し付けている。銀髪の様子は……キョロキョロとせわしなく瞳を動かしてた。ありゃ四本足の飯を探してるな。

 緊張感は見受けられない。ナイフじゃ死にそうにない(もう死んでるし)もんな。

 細い指先は男の腕にしっかりと巻き付いていた。先の干からびたグールが脳裏に浮かぶ。

 かわいそうに。あの男は御愁傷様だ。アニモもそれを目にしたのだろう。すっかり男から興味をなくし俺に怯えた視線を向けている。

「ケイタ、吾輩の聞き間違えか? あのように四本足で走り回る不浄な生き物を食べるなど正気の沙汰ではない」

 俺も男の方へは背を向けてアニモに向きなおる。

「アニモ。初めはみんなそう言うんだ。だがな――」

「テメエら状況が分かってねえようだな……!」

 猛烈な怒気。男はぎらついた眼でこちらを睨みつけていた。男はナイフを持ちながら器用に懐へ手を突っ込む。引っ張り出した手には数珠のようにつながれた頭蓋骨。様々な種類がある。

「こいつが何か分かるか?」

「あー、家を飾るのにはちょっと使えそうにないな」

 男は苛立ちを抑えきれないように右足を踏み鳴らした。大きな傷の入った顔に皺が寄る。

「こいつはお前らみたいな冒険者と魔物の成れの果てだよ! え? これからお前らもこうなるんだ」

 銀髪の目が妖しく光りだした。グールを”吸い取った”時と同じだ。

「あー、その。なんだ女は離したほうがいいと思うぞ」

 俺の言葉を聞いて男は狂ったように笑い始めた。甲高い哄笑が無機質な壁に跳ね返る。

「おいおいおい! 今になってビビっても遅いぜ剣士サマよう!」

 お前のために言ってるんだが……。何を勘違いしたのか機嫌をよくした男は銀髪の腕にナイフを押し当て滑らせた。

「このカワイ子ちゃんからこんなに綺麗な血が……え?」

 ナイフを見た男の表情が固まる。刃先はまっさらなまま。血の一滴もついていない。

 続いてナイフがぱたりと地面に落ち、男の体も崩れ落ちた。生命力を吸い取り終わったらしい。

「お、おまえ……何者…………?」

 息も絶え絶えで顔は土気色。どう見ても長くない。

 男に近づき刀を首元に突きつける。こいつが死ぬ前に聞いておかなきゃならないことがある。

「誰に雇われた? ギルベルトか?」

 返事はない。男の弱い呼吸音だけが残された。

 装備に目を向けると精巧な鎖帷子に二振りのナイフ。足を守る上等な防護靴までしてやがる。肩から腰にかけられたベルトには様々な色の小瓶がつけられていた。

 この高価な装備はどう見ても普通の冒険者じゃない。

 だが、男が何かを答えることはなかった。大きく体を震わせた後、まったく動かなくなる。

「夕飯を探してくる」

 銀髪は既に興味を無くしたようで広場の奥へと足を向けた。アニモが進み出て男の荷物を物色し始める。

「紫の小瓶は毒だな。緑は回復薬……ここは魔物が出なかったがこやつが片付けたのだろう。装備も上等なものだ。ただの野盗ではない」

 大きく頷く。とりあえず使えそうなものを頂くとするか。

 鎖帷子・防護靴・ナイフ二振り・魔法薬が少々・なにかの紋章。こんなところか。

「こいつの正体は地上で調べてやろう。アニモ、この紋章見たことあるか?」

 鎖帷子の内側に縫い込んであった布を広げる。そこには赤い龍と禍々しいオーブが描かれていた。

「吾輩も覚えがない。貴殿の言うように地上で調査するのが賢明だ」

 予期せぬ侵入者はあったがこれで解決。ようやく飯にできる。俺も銀髪を手伝うべく広間の隅に向かっていった。

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