前途多難

第2話 旅の始まり

 もう一度、確認をしておこう。

 ロバの胃で作られた水筒が三つ、木の皮みたいに硬い干し肉と味のしない乾パン、塩と香草、変な色したチーズ、木くずによく似た食感のビスケット、古木に火炎石の欠片、寝袋用の厚布、純度の高い消毒用蒸留酒、様々な効能を持つ薬草、大枚はたいて手に入れた低質な回復薬と解毒薬が三瓶ずつ。

 小さな背嚢に石と古木、厚布、食料、水類の順に突っ込んだ。余ったスペースに薬草を詰め込む。

 これで、準備は良い。必要なものは全てそろった。

 親父の形見の刀を握りしめる。

 黒ずんだ屋根の隙間から朝日が差し込み、俺が長年住んでいたスラム街に光が当たる。散乱したゴミとネズミ、違法魔法薬の空き瓶、汚れた土の上に体を横たえる痩せこけた老人。

 このスバラシキ故郷ともようやくおさらばだ。フードをかぶり荷物を肩に担ぐと、馬車が来ているであろう表通りへと足を向ける。

 去り際に振り向くこともなかった。見たいもんでもないしな。

 朝早いからか表通りに出ると人通りはまばらだった。こちらのほうがありがたい。”スラム暮らし”が来たとあっては中流サマが腹をすかしたグールみたいに騒ぐだろうしな。

 馬車は……あった。デカい教会の前で止まっている。俺は朝露が光る石畳を渡って小太りの御者に手を振った。

「帝都セントラルまで頼むよ」

 小太りはビクリと肩を震わせた。寝てやがったな。緊張した面持ちでこちらへ視線をくれるが、俺を見るなりすぐに胡散臭そうに顔をしかめた。

「……あんた、金は持ってんのか?」

「ああ、ちゃんとあるさ」

 答えを聞くなり小太りは鼻を鳴らす。エサを探す豚そっくりだ。

「へ~それはそれは! ”スラム暮らし”サマも裕福になったもんだ!」

 豚野郎が大げさに両手を広げる。こういった扱いは慣れているとはいえムカつく奴だ。

「ほら、これがそうだ」

「ハッ! なんだこの汚ねぇ紙切れ……」

 ピタリ、と動きが止まった。奴の顔から血の気が引いていく。

「で、馬車はいつ出るんだい? 御者サマ?」

 得も言われぬような表情でしばし俺を見つめた後、小さく「乗りな」という声。どっかで見たような目をしていた。どこだったっけか?

 ま、いいか。馬車に乗り込むとドアを閉めた。外は黒塗りの車体、中は赤くふかふかの絨毯。王様にでもなった気分だ。

「出してくれ」

 また豚がさっきと同じ表情でこっちを一瞥してきた。だが、すぐに前を向くと鞭を振り上げる。

 大きく車体が揺れ、馬車が走り出した。規則正しい馬の蹄の音と心地よい揺らぎが眠気を誘う。

 到着までひと眠りするとしよう。

 眠りにつく寸前になって過去の記憶がよみがえってきた。二月前、豚小屋掃除の仕事をした時。そうだ、あの御者の表情。

 屠殺場に送られる仲間を見るときの家畜の目そっくりだったんだ。


 気づけば俺は教会の中にいた。これは……夢。何回もこの光景は見てきた。

 見たくないと願っても。

 これは、子供のころの記憶。目の前には胸元まで布が掛けられた二つの遺体。周りの大人はハンカチを目に当てている。神父に促され遺体の前に。神父の服からは甘い匂いがした。香料だろうか? ゆっくりと胸元から布が取られていく。耳元で「最後の別れを」と囁かれる。布は首まで取り外されていた。傷も何もない。ここがベッドの上ならただ眠ってるだけのように見えるのに。そして、すべての布がとられる。

 心臓が金切り声を上げた。

 その遺体には顔がなかった。

 顔があるべき部分は真っ黒に塗りつぶされている。それは光を通さない洞穴。声にならない悲鳴を上げる俺の耳元。また、声が聞こえた。

「お前の両親だ」


 乱暴に窓を叩かれ飛び起きた。異常なリズムをで脈打つ心臓。全身が汗でびっしょりだ。窓の外は見慣れぬ街並み。目的地に着いたらしい。

 止まった馬車から降りるとまばゆい日差し。そして、前を向けば。

「これか……」

 両脇に立派な家々が立ち並ぶ大通りの先、ダンジョンがその大口を開けていた。通行人は慣れたものなのか、そこに何もなかったように通り過ぎていく。唯一足を止めたのは灰色のフードを被った旅人と思しき男だけ。アーチ状の口の前には検問所が設けられ兵士が立っている。近くにあるデカい建物が探索者の登録所か?

 あのダンジョン――莫大な懸賞金の掛けられた迷宮こそが目的地。このクソみたいな生活を変える唯一のチャンス。

 そして、両親の死の真相を知るための唯一の方法。

「なあ、あんた」

 上から御者の声が降ってくる。そういや代金がまだだったな。

「ああ、悪い。このまま検問所の前。そうだ、あのデカい建物のとこまで行ってくれ。俺を連れてきたっていえばたんまり金は受け取れる」

「あんた本当に……いや、何でもない」

 馬車とともにデカい建物の前へ。看板が出てる、やっぱりここが登録所か。ピカピカに磨かれたドアの前には大柄の兵士二人が守りを固めていた。馬車から降りた俺を見るなり兵士が槍を突き付けてくる。

「止まれ。何用だ」

 喉元に向けられた槍はピクリともしない。こいつは見せかけだけじゃなくちゃんとした腕利きらしい。俺は懐から招待状を取り出す。

「探索の希望者だ。招待状はここに」

 槍がどかされ、ひったくられるように紹介状を取られた。横にいた兵士に耳打ちするとオーブの光を俺の紹介状に当て始めた。真贋を確かめてるらしい。オーブを当てていた片割れが頷くと案内所のドアを開け、紹介状を返してくる。

「入れ」

「ああ……そうだ。後ろの御者に金を払ってやってくれ。テベス・ベイから来たんだ」

 兵士の一人が重そうな袋を持って馬車へと歩いていった。これで、大丈夫だろう。

 ドアの前で大きく深呼吸。スタートラインには立った。本当に重要なのはここから。

 この五年、両親の手掛かりと知ってからダンジョン探索についてあらゆる準備をしてきた。

 装備は何が必要か・探索中に気を付けること・どんな化け物が出るのか・対処法はどうするか。

 だが、なんといっても探索にとって最も重要なのはパーティーだ。

 まずは、仲間を見つけないと。

 意を決し、俺はドアをくぐった。

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