レベル3 勇者を選ぼう その3

レベル3


 ヨシカツは武道家である。普通に考えれば俺たち三人の中で一番腕っぷしは強いし、反乱を起こすなら彼しかいない。しかし、そんなヨシカツをもってしてもブリ子の与える威圧感や圧迫感は抗いようのない恐怖として、目の前に存在している。

 お姉さんが脇に避けると、箱の中身が見えて、俺はさらにぎょっとした。馬糞とどちらがいいかと言われれば、ひょっとしたら馬糞の方がマシかもしれないからだ。

 その赤い物体は、カサカサとせわしなく動き回りながら時折尻尾を上げ、両腕のハサミを振りかざして威嚇している。


 サソリだ。


 どこで採ってきたのかは皆目見当もつかないし、知りたくもないが、どうやら今回は本当に危険なものを入れてきたようだ。いや、危険すぎる。

 俺は咄嗟にヨシカツに声をかけようとしたが、副村長に「だまれ」とジェスチャーされ、ブリ子にメンチを切られ、お姉さんが凄い形相でにらんできたので黙るしかなかった。副村長はともかく、ブリ子とお姉さんは、このサソリを俺の口に入れることなどたやすくやってのけるだろう。聞くところによると、サソリを口に入れると電撃が走り、毒で顔が三倍に膨れ上がるという。まだ顔を三倍に膨れ上がらせてもいい年頃ではない。

 ヨシカツはというと、もちろんコッチ系の危険が身に及んでいるとは知らず、先ほどと同様、汚物系だと思っているようだ。お姉さんが言うように「卑シイ豚ノ」それだと思っているのかしれない。

 突然ブリ子が動いた。なかなか触ろうとしないヨシカツにイライラしたのかと思い、俺もヨシカツも肩をビクつかせたが、ブリ子はそのまま俺の方へと歩いてきた。ヨシカツが安心し、俺は怯えた。


 「こんなはカバチ垂れとらんで、黙って見とりゃええんじゃ」


 俺の耳元でささやいたかと思うと、俺の肩をむんずと掴み、そのまま地面に座らせた。俺がへたり込むと足を蹴って無理やり体育座りの姿勢を取らせ、「逃げたらいけん、逃げたらぁ」と言った。

 確かに逃げるという選択肢はあったし、俺の頭にもよぎった。だが、これは俺の想像にすぎないのだが、おそらくブリ子はめっちゃ速い。逃げようものなら猛スピードで追いかけてきて、「わりゃ、どこ行くんじゃあ!」などと脅され、想像を絶するような目に遭わされるに違いないのだ。場合によってはオトシマエをつけなければならない。

 これが勇気の試練なのだとしたら、さわってさわって何でしょうゲームよりも、ブリ子と対峙する方がよほど試練のような気がするのだが。


 「こんなもさっさと触ったらんかい!」


 ブリ子がヨシカツに向かって叫んだ。

 ヨシカツはおそらく、馬糞はないにしても何らかの、素手では触りたくない、何やら汚らしいものがあると考えている。実際は素手だろうがなんだろうが触りたくない、とっても危険なものが入っているだが。

 ヨシカツは意を決し、目をつむって一気に手を突っ込んだ。いきなり出てきた手にびっくりしたのだろう、サソリは大きくのけぞると、両手をさらに高く掲げて、今日一番の威嚇ポーズを披露した。見ている方が怖い。

 何も触れなかったことで、ヨシカツは安心したような、それと同時に不安が増したような複雑な表情を作った。


 ウンコじゃないかもしれない。


 人生においてそうそう抱くことのない疑問を胸に、ヨシカツは手を動かし続ける。サソリはその手を警戒するように体を動かしては威嚇し、触ろうとする。見ていて心臓が縮み上がる光景だ。

 ふいに、ヨシカツの手がサソリに触れた。ヨシカツは眉間にしわを寄せたものの、ようやく対象に触れて、少し安堵の表情を浮かべた。


 その時。


 「あぁぁぁああああぁぁぁああああぁぁああ!」


 「オーホッホッホッホッホ!」


 ヨシカツの断末魔の叫びと、ホクロのお姉さんの高笑いが鳴り響いた。

 ヨシカツは直立姿勢のまま後ろに倒れこんで泡を吹いてしまった。


 「なんじゃあ。泡なんか吹いて、こいつもカニなんか」


 ブリ子が言った。何でもカニに結び付けようとするな。いや、そうじゃない。今はそういう場合じゃない。さわってさわって何でしょうゲームでサソリを入れ、男がひとり昏倒したのだ。カニ扱いしている場合じゃないし、お姉さんみたいに高笑いしている場合でもない。

 副村長にとっても不測の事態だったようで、慌てふためいている。


 「と、とにかく医者を」


 たぶん、副村長はサソリに刺されたところで、電撃が走って顔が三倍に膨れ上がるだけだと思っていたに違いない。アシスタントふたりは手伝ってくれそうにないので、俺と副村長のふたりで医者のところまで運ぶことにした。

 幸いこの町唯一の医者は村長宅の隣だ。一見して村長宅に隣接している物置小屋かと思うほどのボロ屋だが、腕は確からしい。


 「アイダ先生、ちょっと診てくれ!」


 するとドアがギーッと音を立てて開いた。中から人が出てくる様子はない。俺はここの医者に会ったことはないが噂は聞いている。腕は立つがとっつきにくい人物ともっぱらの噂だ。


 「そんな所に突っ立ってないで入りなよ」


 心地いいバリトンボイスが中から聞こえてきた。

 俺と副村長は、泡を吹いているヨシカツを運び込み、診察台の上に寝かせた。

 アイダ先生と呼ばれた医者は思っていたよりも大柄な人物だった。腕のいい偏屈な医者というだけで、俺はてっきりじいさんを想像していたのだが、ガッチリした体躯の三十代くらいの男だ。しかし、髪は一部を除いて白髪になっており、おでこに大きな縫い目がある。イケメンの部類ではあるものの、その傷が不気味さを演出している。


 「これは、何かに刺されたな」


 ヨシカツの手を取って言った。鋭い眼差しが副村長と俺に投げかけられる。


 「サソリに刺されたんだ」


 副村長が言うと、アイダ先生は眉間にしわを寄せた。


 「おまえさん、どういう訳か説明してくれ」


 俺と副村長が代わる代わるこれまでの出来事を説明したが、勇者選抜試験における認識がふたりとも全く違っている為、アイダ先生も訳が分からないと言いたそうにしている。


 「まあいいさ。どんな事情だろうが、サソリに刺されたってことは変わらないんだ。治療法が変わることもないさ。それよりも」


 アイダ先生が副村長に顔を近づけた。


 「高くつくぜ」


 「いくらくらいだ」


 「そうだな。一千万、いや、三千万貰おう」


 とんだぼったくりだ。サソリの解毒剤がどれほど高価なものかは知らないが、これはつまり毒虫に刺されただけなのだ。どう考えても三千万は高すぎる。


 「三千万か。分かった。ヨシカツの両親に伝えよう」


 払うのが自分じゃないからか、副村長は即答した。今まで悪人ではないと思っていたが、悪人ではないにせよ、はい、完全にクソ野郎です。


 「いや、お前さんが払うんだ」


 アイダ先生がニヤリと笑って言い放った。


 「そ、そんな」


 「払えないなら治療はできない。しかし」


 アイダ先生は胸を逸らした。


 「私なら、母親の為ならどんな大金でも払うがね」


 ???

 ヨシカツは副村長の母親でもなければ縁者でもない。どちらかといえば他人だ。副村長の母親は今頃自宅でテレビの前にかじりついている。いや、いつもかじりついて離れない。しかし、アイダ先生は「キマった」というようなドヤ顔を作ると、副村長の返答も聞かずに「フィノコ!」と助手を呼んだ。

 奥の部屋からおかっぱ頭の真ん中に大きなリボンを付けたぽっちゃり少女が入ってきた。このぽっちゃり少女が助手だとでも言うのだろうか。不安しかない。不安以外にあるとすれば恐怖だ。だが、ここは名医と噂のアイダ先生を信じるしかない。

 助手の少女は、副村長の顔を見るなり血走った目を大きく見開いて言った。


 「頭?頭が悪いの?」


 言葉に抑揚がないし、瞳孔が開いてキマりまくった眼をしている。


 「いや、違う・・・」


 呆気にとられた副村長は、なんとか言葉を絞り出したが、少女はそんなことはお構いなしと副村長の顔を食い入るように眺めたあと、俺に顔を近づけて言った。


 「顔?顔が悪いの?」


 くっつきそうなほど近い。本来なら腹が立つところだが、すげえ怖い。


 「フィノコ、患者を病室へ運ぶんだ」


 アイダ先生が静かに言った。少女は俺と副村長の顔を交互に食い入るように見つめながら、ヨシカツをズルズルと引っ張って行った。視線は最後まで俺たちに注がれたままだった。すげえ怖い・・・。

 俺は今しがた起こったことを整理できず、無言のまま村長宅に向かった。副村長も理解が追いついていないらしく、俺と同じように黙ったまま歩いていた。

 庭に戻ると、アシスタントのふたりが俺たちを待っていた。ブリ子とお姉さんの姿を確認した俺は、戻るんじゃなったと後悔したが、時すでに遅し。俺はブリ子に首根っこを押さえられた。


 「おう、もうこんなが旅、打てや」


 「な、何のことっすか・・・」


 俺は精一杯の抵抗を試みたが、ブリ子は面倒臭そうに首筋をボリボリとかきながら言った。


 「こんなら、魔王んとこのシマ荒そう思うて、鉄砲玉選らんどるんじゃろうが」


 「そういう訳じゃ・・・」


 「今の状況よう見いよ。こんなしかおらんじゃろうが」


 ちょっと待て。ヨシカツはともかく、ゴサクは手を洗っているだけだし、ヨシカツも治療が済めばもう一度試験を受けられる。ふたりとも受けたくはないだろうが、ブリ子を動員すれば無理やりにでも受けさせることは出来るだろう。いや、そのふたりじゃなくても、村に若者はまだいるのだ。

 それ以前に。魔王討伐など、ブリ子が行けばいいではないか。副村長が言うような「頭に躊躇なく剣を振り下ろせる」人材に違いないし、その際「何かが頭をよぎるほどの倫理観や理性」なんか持ち合わせていないに違いない。副村長だって、そのことに気づいているはずだ。

 だが、ブリ子に「お前が行け」と言える勇気を、俺は持ち合わせていない。行ったらいいのにな、と思うことは出来ても「行」の字も言えない。


 「なあ、副村長。何か言ってくれよ」


 俺は、薄い望みと知りつつも副村長を見た。猫の手も借りたいとはこのことだ。副村長は神妙な表情で一言、言った。


 「達者でな」


 違うわ!


 違う違う、そうじゃない。ブリ子に一言「お前が行け」と言ってほしいのだ。見送ってほしいのではない。


 「タロー。もうお前しか残っていないんだ」


 「ゴサクがいるじゃないか!手ェ洗ってるだけだろう!」


 「時間がないんだ!」


 「だから早く連れてきてくれよ!他のヤツでもいいよ!」


 副村長は、ブリ子に押さえつけられ身動きが取れない俺の肩に手を置いて「分かってくれ」と言った。


 「ゴサクは、この村で唯一の店の跡取りだ。危険な目に遭わす訳にはいかない。ヨシカツは、今日はちょっとあんな感じだが、農業にも詳しくて力もある。この村から出す訳にはいかない。もうお前しかいないんだ」


 唖然とした。俺なら出していいという訳か。

 確かに哲学者は田舎の村では役に立たない。親父がどうやって日々生活費を稼いでいるのかも分からないし、イデアやらアガペーやらがどう役に立つのかも分からない。でもエロスは需要があるはずだ。副村長、お前だってそうだろう。現にアシスタントのひとりはなんだかとてもエロスに精通していそうではないか。少しいがんだエロスではあるが。

 俺が思わずお姉さんの方に視線を向けると、「何見テルンダヨ、コノ汚ラワシイ腐リカケノ靴下ガ!」と、屈辱的かつ独創的な悪口を言われてしまった。


 「もう一回、もう一回選び直そう!今日で分かったろ?俺は勇気なんかないし、勇者にも向いていない」


 「時間がないと言ったろう」


 「明日でもいいじゃないか。若者だって他にいるだろ」


 副村長は、すこしはにかんだような笑みを浮かべると、言い放った。


 「明日から、ワイハーなんだよね」


 「は?」


 「ワイハーだよ。ワイハー。ハ・ワ・イ。オアフ島六泊八日の旅、当たったんだよねー」


 俺が呆気にとられていると、ブリ子が俺の耳元で言った。


 「往生際が悪い男が生きていい世界なんぞ、あらぁせんので」


 「オ前、役ニ立ッテナイ!村ニイラナイネ!」


 「よく見たら、勇者っぽいよ、うん」


 「魔王退治に行くんかあの世に逝くんか、はっきりせえよ」


 「もんすたーニ喰ワレテ死ヌ、オ似合イネ!」


 「あー、どこから見ても勇者だわー」


 三人が交互に畳み掛けてくる。


 「行くんじゃろうが。行きたい言わんかい」


 ブリ子は俺の頭を鷲掴みにし、無理やり頷かせた。物凄い力だ。俺は抵抗したつもりだったが、それも気のせいかもしれないと思うほど、抗うことはできなかった。すると副村長が俺の手を取って、言った。


 「おめでとう。やはり私の思った通り、君は伝説の勇者の子孫のようだ」


 「早ク消エチマイナ、コノ腐リ散ラカシタにわとりノ足メ!」


 勇者と言えば聞こえはいいが、言ったように住所不定無職であり、あくまで称号だから「自称・勇者」である。得たものに比べて失ったものがあまりにも大きいような気もするが、ブリ子に脅され、お姉さんに罵倒され力を全て失った俺に、選択肢は残されていなかった。


 こうして俺は、勇者になったのだった。

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