第18話 妻のサプライズ、隊内仰天
「四季さん、いってらっしゃい」
「行ってくるよ。弁当、いつもありがとう」
「どういたしまして。わたしも同じものお昼に食べてるの。四季さんとお揃いです」
「でも、無理はしないでくれ。若菜だってしんどい朝はあるだろう?」
「そうですね。四季さんが元気すぎでしんどい朝もありますけどね」
「そっ、それは……申し訳ない」
「あはは。冗談ですよ。無理な時はちゃんと言いますから」
「ああ。では、行ってくる」
「いってらっしゃい!」
結婚して半年が過ぎた。
安達は駐屯地近くの官舎に住み、毎日若菜の見送りと出迎えを受けている。とても幸せだった。
安達の手には保冷バッグが下がっており、中には若菜が使った弁当が入っているのだ。毎朝早くに起きて、朝食と弁当を作る若菜に安達は頭が上がらない。
若菜の作るおかずは、どれも安達の口にあっていた。初めて食べる料理でもそれは同じだった。若菜の作るものに間違いはない。そう安達は思っていた。
そんなある日の昼休みのことだった。いつものように食堂の片隅で弁当箱を広げようとした時だった。
「安達先輩、ご一緒いいですか」
「佐野か。おう、座れ」
「ありがとうございます。うわ、先輩豪華っすねー。それ、奥様のお弁当ですか」
「ああ」
後輩の佐野が目を輝かせて安達の弁当を覗き込んだ。佐野は営内者なので食堂のトレーに本日の昼食が乗せられている。なぜがとても浮かない顔をしていた。
「佐野のその顔はなんだ。どうした」
「実は今日の担当が……」
佐野がチラリと目をやったのは、食堂のカウンターの奥の方。そこには数名の隊員が大鍋を囲んで、ああじゃない、こうじゃないと相談しているようだった。その姿を見て安達は納得した。
「ああ……」
「なんか今日の豚汁の味が、豚汁じゃないって。食うの怖いんですけど!」
自衛隊では栄養士がきちんと管理したメニューが出てくる。成人が1日に必要とする栄養素が計算されているのだ。それに従って給養員が作る。
この駐屯地では部隊がもちわまりで食事をつくっているので、同じメニューでも作る人によって味にばらつきが出てしまうのだ。
実は海上自衛隊や航空自衛隊には給養員という食事を作る専門の特技が存在するが、陸上自衛隊にはない。理由としては、いつでもどんな環境でも、誰であっても食事を作ることができなければならないと言われているからだ。そこで、付加特技として各駐屯地から男女問わず陸曹が集められ、およそ3ヶ月間調理の基礎を学ぶ過程がある。
教育の最後には演習場に展開し、3夜4日の野外訓練が行われる。訓練中は敵の戦闘機や大砲による攻撃があることを想定して、野外炊具1号という機材を用いて食事を作り続けるのだ。とにかく、ひたすら仲間のために食事を作るのだ。まさに命がけである。いかなる状況下であろうと、食事は欠かしてはならない。肉体が武器である陸上自衛隊ならば絶対だ。
それらの過程を終えた陸曹たちは、駐屯地や部隊に戻り後輩たちを教育する。
今では他の駐屯地の炊事班と競技会をしたり、陸上自衛隊の災害派遣でご飯や味噌汁を炊き出しとして被災者に提供するまでになった。
「自衛隊のご飯は衛生的で、かつ美味しい」そんなふうに言われるようになったのだ。
「この春からだったろ。そのうち腕をあげるさ」
「愛妻弁当の人から言われても、説得力ないですよ。これ、飲んでみてくださいよ」
「じゃ俺が毒見をしてやる。ちょっと貸せ」
安達はいわくつきの豚汁を一口すすった。佐野は飲んだ安達の反応を眉間に皺を寄せながらじっと待った。
「うむ……」
「どうなんです? やっぱり不味いですか」
安達の表情は良くも悪くも変わらない。額の傷痕も鋭い目つきも、いつも通りである。
「思ったほど悪くないぞ。少しばかり塩分が濃いが、午後の訓練ですぐに出てしまうだろう。飯が進むぞ」
「えっ、本当ですか?」
佐野は恐る恐る豚汁に手をつけた。何かあったらこのご飯をかき込めばいいと言い聞かせながら。
「どうだ」
「むっ……あ。大丈夫ですね。いやぁ、意外と飲めます。ちょっと人参が硬いのを除けば」
「だろ? なんとか彼らも調整つけたってとこだろ」
「確かに濃くてご飯が進みますね」
「とりあえず、これを分けてやるから許してやってくれ」
「卵焼きー!」
若菜が作った卵焼き。だしがきいていて、ふんわりと柔らかくて優しい味付けになっている。
その他のおかずは冷めても美味しいようにと少し濃いめだ。
「え、なんなんですか! この優しい味はっ。羨まし過ぎますよ」
今日も若菜に救われた。そんなことを安達は心の中で呟いていた。
それからも若菜は演習がある日以外は毎日お弁当を作ってくれた。一週間のメニューを考えているのか、卵焼き以外は滅多に被ることはない。
実は安達は卵焼きだけは毎日食べたいと若菜にリクエストをしたのだ。くたくたに疲れた後も、ハードな訓練の前も、卵焼きを食べれば気持ちが穏やかになるからだ。
安達にとって卵焼きは若菜の笑顔に匹敵するほどの力を持っていた。
そんなある朝、玄関での出来事。
「ねえ、四季さん。今日は少しだけ特別感あるお弁当になっているの」
「うん? 今日はなにかあったかな」
「四季さんにはきっと分からない記念日よ。正確には今日ではないけれど……お昼になったら分かると思うわ」
「お弁当を食べるときに分かるのか」
「そうよ! 喜んでもらえたらいいんだけど」
「若菜のすることに嬉しくないことはないさ。これを楽しみに励むよ」
安達はお弁当バッグを顔まで上げて笑ってみせた。
「はい……いってらっしゃい」
そんな若菜はすこし照れたような、もじもじしたようないつもとは違う雰囲気で安達を見送る。
(なんか、いつもと違うな。なんだろうな、この感覚は)
安達は若菜にかすかな疑問を抱えたまま家を出た。答えは昼の弁当にある。安達は弁当バッグの取っ手をしっかりと握り直して、仕事へ向かった。
◇
そして、昼休み。
「今日も変わらずに羨ましい愛妻弁当ですね」
後輩たちだけでなく、上司も覗きにくる安達の弁当は昼休みのちょっとしたイベントと化していた。その煮物は色がいい。その卵焼きはきれいな黄色だ。そのゆかりご飯は思いやりだなどと、みんなが感想を述べていくのだ。
よりによって今日はいつもより見学者が多い。
(若菜からのメッセージを読ませるわけにはいかんからな。もし手紙が出てきたら素早く内ポケットに)
人払いをすればいいのに、それもせずに安達はそんなことを頭の中で考えていた。
「うん?」
いつもよりも慎重に弁当の包みを広げ、蓋を開けた。安達が気にしているようなメモ紙は出てこなかった。
(見落としてはいないよな……)
念のため弁当箱の下も確認して箸を手に取った。二段になった弁当箱の上段はおかずで、特に変わった様子はない。ひとつ言うならば、卵焼きがハートの形になっている。斜めにカットした卵焼きを組み合わせればハートの形になるのである。
「うわっ、ハートの卵焼き……ラブラブすぎやしませんか!」
「なんだと! くっそ……あてられたな」
「うちの奥さんだってこれくらい……くっ」
悶える男たちをよそに安達は上段を下ろして、下段にあるご飯に目をやった。いつもはない中蓋がかぶさっていた。
(珍しいな。壊れてはいけないもの……手の込んだおにぎりだろうか)
安達は油断していた。若菜のメッセージはあの卵焼きで終わっていると思っていたのだ。無防備の状態で安達が中蓋を取った。その先にある若菜からのメッセージがあるということを疑いもせずに。
「二段弁当って大変らしいっすよ。安達先輩は感謝しないと……って、なんか書いてある」
後輩の言葉に散りかけた隊員たちが振り返り覗き込む。いわゆるキャラ弁とでもいおうか。いや、キャラなどそこには一つもない。ただ、可愛らしい文字をかたどった海苔が背景の白に黒々と浮き上がっているだけだ。
赤ちゃんが、できましたよ♡
「「っ――⁉︎」」
そこにいた全員が一瞬フリーズした。
そう、安達本人も含めてだ。
人生で一大事のひとつであるこのメッセージを、なんと上官や同僚、後輩たちと一緒に受け取ってしまったのだ。
安達の手に握られた箸が儚く落ちた。男たちは脳の処理能力が低下して誰も言葉を発することができない。
「安達二曹、先ほど処置した方の忘れ物が……あれ、皆さん何されてるんですか」
安達を訪ねてきてのは部下の山崎陸士だ。この春着隊した女性衛生隊員である。
「わー! 赤ちゃんできましたって。妊娠されたんですね! おめでとうございます!」
山崎陸士の言葉に我に返った男たちは目をぱちくりさせながら、山崎と安達を交互に見た。
「え! あっ、え! ああ、そうだ、そういうことだよな」
「おめでとう先輩!」
「安達! やったな! おめでとう!」
背中をバシバシ叩かれた安達の口からようやく出た言葉は驚くほどに頼りなく、誰も聞き取れなかった。
まさかの公開妊娠報告である。
「おまえ、今日は定時で上がれ! 残業はなしだ! いいな」
この日、安達は鬼神の如く駐屯地の門を走り抜けた。誰も近寄れないほどの形相だったと、門を守る隊員は語る。
◇
「若菜!」
「あら、早かったですね。おかえりなさい」
「君は、本当にっ……」
「どうかしました?」
安達は何もないように首を傾げる若菜をできるだけ優しく抱き寄せた。本当は思い切りぎゅうぎゅうと抱きしめたいのだ。
でも、若菜のお腹には赤ちゃんがいる。
「どうして弁当で知らせてきたんだ」
「あら、意味わかりました? ちょっとしたサプライズですよ。うふふ」
「驚かされたのは俺だけじゃなかったよ」
「えっ?」
「君には言ってなかったが、俺の弁当を毎日みんなが見にくるんだ。今日はどんなおかずかなって。隊内ですっかり君の弁当は有名になっていた」
「ってことは、四季さん!」
「ああ。みんなから祝福された。ありがとう! 若菜。もうこれからは無理するなよ。俺ももっと大事にする。若菜とお腹にいる俺たちの子を」
「四季さん、ありがとう」
この日から安達は何かにつけて若菜について回った。洗濯物の取り込みも、掃除も、できることはなんでも代わってやった。
「あの、四季さん。ちょっと付き纏いすぎですよ」
「だめなのか」
「だめではないですけど、甘やかし過ぎていません?」
「若菜を甘やかすのは俺の役目だ。取り上げないでくれ」
「もう、四季さんたら」
「すまん」
「大好きですよ」
若菜の笑顔に支えられて、安達は今日も精進するのであった。
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