第12話 用心棒がご挨拶?

 若菜から病院ではあれだから、とりあえず退院の準備をしませんかと言われ、安達は素直に荷物をまとめ始めた。とはいえ昨日運び込まれたので大した荷物はない。売店で着替えのシャツなどを買ったくらいで、病室のロッカーには同部屋の隊員が持ってきてくれた制服がかかっているだけだ。もちろん、戦闘服ではなく滅多に着ることのない方の深緑色の制服だ。

 その制服の袖に腕を通しながら安達は気づいた。


(若菜さんのご両親は知っているのだろうか。こんな恐ろしい形相をした俺がお邪魔するのはまずいだろう。それに、ケジメもきちんとつけていない!)


 実はまだ、安達は若菜にお付き合いしてくださいと正式に伝えていなかったのだ。


「あの! 若菜さん」

「はい。あら、やっぱり制服がお似合いね」

「自分が若菜さんのご自宅にお邪魔することを、若菜さんのご両親は」

「知っています。大丈夫ですよ」

「そ、そうですか。それならば尚更きちんとしなければ。あの、こんなところで、こんなツラして大変申し訳ないですが」

「はい」


 安達は袖から覗く手をぎゅっと握りしめた。一か八か、ダメ元で、ダメな場合は潔く諦めろ! そんなことを己に言い聞かせた。そして、決心をする。


「若菜さん。こんな顔で、こんな仕事をしており、気もきかない仕方のない男ですが……正式にお付き合いをしていただけませんでしょうか」


 安達は言い終わると頭を下げた。まるでいつか観たテレビ番組のようである。頭を下げているので若菜の表情は分からない。無言の時間はほんの数秒だったはずだが、とても長く感じていた。


「四季さんたら! お受けするに決まっているじゃないですか。わたしは初めからあなたとお付き合いしたかったんですよ。わたしでよければ是非お願いします」


 若菜がそう答えた瞬間、安達よりも先に反応した人物が複数名。

 今まで気配を消して音もさせなかった残りの5つのベッドから喜びの声が沸いた。そして一斉に仕切っていたカーテンが開いた。

 点滴に繋がれたまま、足を吊ったままなどそれぞれの状態で拳を天井に突き上げるという異様な光景だった。特に、安達に救助された偵察小隊の真鍋二曹は今にも泣きそうな顔をして「よかった」と安堵の色を濃くしていた。


「よっしゃー!」

「やったぜ!」

「よかったぁぁ……」


 若菜はにこにこと微笑みながら、隊員たちに頭を下げている。安達はただ驚きにぽかんと立ち尽くすだけであった。まさに、思考停止の状態である。



 ◇



 若菜はタクシー運転手に道順を伝えた。


「萌木醤油店の裏にあるあのマンションです。わかりますか?」

「はい、承知いたしました」


 自衛隊病院から若菜の自宅まではタクシーで移動した。傷は浅いとはいえ制服姿で顔にガーゼはさすがに注目の的となってしまう。若菜にも申し訳ないと安達はタクシーを選んだ。

 本来ならば手土産を持参したいところだが、病院から直行のため泣く泣く諦めた。


「到着いたしました。こちらでよろしいでしょうか」

「支払いは自分がしますので、若菜さんは先に降りてください」

「では、甘えますね」


 安達の心臓はバクバクのバクだ。まさかこんな形で若菜の自宅にやってくるとは思いもしなかった。選択肢のない連隊長命令はとてつもないプレッシャーを与えてくれる。


(まずい……心臓が痛い。いいのか? こんな形でご両親に会っても。やはり迷惑だろう)


「四季さん? 大丈夫ですか」

「いえ。恥ずかしながら大丈夫ではないですね。ご両親にこんな顔を見せるなんて申し訳なくて」

「ああ、そのことだったら。わたし、実家暮らしじゃないんですよ。このマンションはわたし一人が借りて住んでいます。兄はすでに結婚していますしね」

「そうだったんですか。一人暮らしでしたか……え! 一人暮らし⁉︎」


 今度は違う意味で心臓がうるさくなった。なんと若菜は実家近くではあるが、一人暮らしをしていたのだ。


(なんと……いや待て。一人暮らしの家に邪魔をして、かつご両親は承知の上。だったらなおさらいかんだろ!)


「若菜さん。お願いがあります」

「なんでしょう」

「萌木醤油店に連れて行ってください。いくらご両親がご存知とはいえ、挨拶もなしに若菜さんの住まいにいくなんて自分が許せません」

「まあ。わたしは嬉しいですけど、いいんですか? 退院してすぐだから慌てなくてもいいのに」

「いえ。今、行きたいのです!」


 いくら怪我をしているからとはいえ、こそこそと若菜の家を出入りしたくない。男として、自衛官として、それは許すことができなかった。

 安達の決心は揺るぎない。それを感じとった若菜はにっこりと笑って「分かりました」と承諾した。


 通りをひとつ挟んだだけなので、数分もせずに醤油店の前に差し掛かった。大通りに面しているため、車の通りも人の通りも思ったより多い。

 安達は緊張した面持ちで若菜について歩いた。常連だろうかそれとも近所の人か、すれ違う人が若菜に声をかけていく。その流れで安達の顔を見る。

 あっ! と、驚いたような顔をしてすぐさま会釈して去っていく。その様子を見て反省をした。


(若菜さんが悪い男と歩いていると思われたかもしれない……)


 信号停車の車の窓から、自転車から控えめとはいえ明らかに安達を見る人々。塾帰りの小学生たちはあからさまで、安達の顔を振り返ってまでしてガン見してくるのだ。


「警察かなぁ」

「違うと思うよ。たぶん用心棒?」

「マジ! すげぇ……、用心棒てなに!」


 大きな男がどこかの組織の制服を着て、姿勢良く萌木醤油店の娘さんの後をついて歩いているのだ。

 それはまるで用心棒だ。


「四季さん。ここがわたしの実家、萌木醤油店です。さあ、どうぞ。あ、暖簾が当たると痛いかも。気をつけてね」

「はい!」


 怪我に暖簾が触れたら痛いだろうという若菜の気遣いも上の空で、見事に額に直撃してあたふたしてしまう。それを見た若菜は肩をすくめて笑った。


「うふふふ。もう、四季さんたら。しっかりして」

「すみません」


 店に入ると数名の客と店員がいた。若菜は愛想良く挨拶をしながら店の奥に入っていく。ときどき振り返りながら安達にこっちよと仕草で誘う。

 安達はお邪魔しますと頭を下げながら若菜の後をついて行った。


「お母さーん。ただいまー! あ、お兄ちゃん」

「おう、若菜。あれ? 彼氏どうした」

「はじめまして、お邪魔しております」

「うおわっ!」


 萌木家は小柄なのか安達が大きいだけなのか、若菜の兄は安達を見上げては大袈裟に驚いた。


「四季さんがご家族に挨拶なしでは部屋に入れないっていうものだから。先にこっちに寄ったの」

「気にしなくてもよかったのにー。あー、すみません。兄の浩介です」

「安達四季と申します。陸上自衛隊の自衛官をしております。突然申し訳ありません」

「いやいや、大変でしたね。その傷。なんというか、ど迫力で」

「お兄ちゃん!」

「怒るなよ。お前よかったなぁ。ずーっと安達さん、安達さん言ってたからさ、念願叶ったな」

「もー! いま言わないで!」


 兄の浩介はペロリと舌を出して、店頭に出て行った。安達に対しては好意的であると思われる。さて、問題は若菜の父である。


「若菜、帰ったの? あれ? 安達さんは?」

「挨拶を先にしたいって、一緒に来たの」


 若菜の母は奥の部屋から慌てて出てきて、顔を出した。


「え! あらまあ。こんにちはー。あー……痛そう。お父さん! お父さーんっ」

「あっ、あの」


 兄は安達の顔を見て一瞬驚いたが、若菜の母はあまり驚いた様子はない。若菜は母親譲りなのかもしれない。それはそうと、兄、母と顔を合わせたのだ。次はラスボス的存在である若菜の父。


「なにどうした。安達くんがきたの? おー、ようこ……そ」


 若菜の父は安達の顔を見て絵に描いたようなフリーズをしてしまった。安達は気を取り直して、口を開いた。


「こんな姿で大変申し訳ありません。本来はもっと早くにくるべきでした。若菜さんとお盆にお見合いをさせていただきました安達四季と申します。この度は若菜さんのご好意に甘え、週末の二日間をお世話になることになりました。お許しください」


 あんなに緊張していたのに、気をつけろと言われても暖簾に額をぶつけたのに。いざとなったら本番に強い男である。通る声で、ハッキリと噛むことなく言い切った。

 そんな安達の姿に若菜は胸の前で手を握って、ほうっと見惚れている。


「あ、ああ。それはもう気にしなさんな。若菜が選んだ人ならわたしらは何も言いません。楽しくやってください」

「お父さん。ありがと。じゃあまた今度ね。四季さんの傷が開いたらいけないから」

「そうだね。ゆっくりさせてあげなさい」

「はい」


 思っていたよりも、家族は安達に好意的であった。少し安達の肩の荷がおりる。


「傷が治りましたら、改めてご挨拶に伺います。本当に、ありがとうございます」

「いいのよ。わたしたちはこう見えても、安達さんのこと理解してるつもりよー。ねえ、お父さん」

「まあ、そういうことです。詳しくは若菜に聞いてください」


 兎にも角にも、第一関門突破である。


 そして、店に来る前にすれ違った小学生男子のせいで、萌木醤油店は用心棒を雇ったらしいという噂がたったのは嘘のようで本当の話。

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