第4話 体力検定とプリン

 しばらく忙しくなるので、連絡が途切れ途切れになるかもしれません。


 分かりました。怪我をしないように頑張ってください。



 ◇



 ティラミスデートを過ごしてからすぐ、安達は忙しくなった。新たに資格を取るために様々な教育課程と訓練が待っているからだ。

 安達は衛生科へ進むべく、行動を開始したのだ。これは、見合いをする前から決めていた事だった。任期満了で自衛隊を去って行く仲間を見送りながら、安達はこれからの自分はどうすべきか、どうあるべきかを悩み決断した。

 こう見えても人に優しく、同僚や後輩に声をあげるなんてことが苦手なタイプなのだ。体も大きく、仏頂面と言われようが中身は全く異なる。向いているとすすめられ、なんとなくやってきた自衛官という仕事を真剣に見つめ直す時が来たのかもしれない。


「おまえが衛生隊員にねぇ。似合ってるちゃ、似合ってる気がするよ。その形相で訓練についてくるんだろ?」

「その形相でってなんだよ」

「怪我もおちおちできないって思うから、逆にいいかもしれんな」

「逆に……」

「それより、うまく行ってるのか? 彼女と」

「どうだろうな。よく分からん」

「分からんとは失礼なやつだな。おまえみたいなのと付き合ってくれているんだぞ。本当に奇特な人だよ。大事にしないと他の男から掻っ攫われるぞ」


 他の男に奪われる。

 同期の内田に言われた言葉は思いのほか安達の気持ちをえぐった。

 あんなに可愛らしい人なら誰だって好きになるに決まっている。柔らかい物腰、人を傷つけない思いやりのある彼女を、嫌いな男などいるはずがない。ましてや、マメに連絡ができない職務内容を口外することができない自分は、他の男に比べたらマイナスからのスタートだ。それに加えて、この強面である。


「ダメかもしれんな……」


 つい、口から弱音が出てしまう。


「バカやろう! いいかよく聞けっ。そんなおまえと付き合うってことは、よっぽどおまえのことが好きなんだよ! だから大事にしろよって言ってるんだ! 分からんなどとはもってのほかだ! 誠心誠意尽くせと言う意味だ!」

「誠心誠意尽くす」

「そうだ! このバカやろう!」

「まて、彼女は俺のことが好きなのか?」

「はぁぁぁぁぁぁあ!」


 安達の鈍感さにため息を通り越して叫んだ内田。すぐに上官の怒鳴り声が返ってきて、二人は速攻腕立てを100回行った。

 言われる前に体が動く、これまた悲しき性かな。


「貴様のせいで余計な体力使ったぞ」

「余計ではないぞ。その分逞しくなったのさ」

「おまえなぁ……」



 ◇



 若菜は自分からメールを打ってくることがなかった。自衛隊という特殊な環境に身を置く安達を気遣ってのことだろう。だから、時間と心に余裕ができた時は安達からメールを打っている。


 駐屯地の中にコンビニが入りました。


 他愛のない簡素な報告メールである。恋人と呼んでいいのか、それともお友達の範疇なのか、恋に疎い安達はまだ測りきれていない。


 そのコンビニに、スイーツはありますか?


 ただ甘いのは、スイーツという単語だけだ。それでも安達は嬉しかった。


 プリンやケーキ、アイスクリームもありました。


 そうなんですね。よかった。


 ただ文字を打ち数回往復したら、どちらからともなくお休みなさいで終わる。誰が見ても若い男女が交わすメールの内容ではなかった。

 ただ、若菜からのメールは彼女らしい温かみが垣間見えた。スイーツがあってよかった。たったそれだけなのに、その文章には安達を気遣う心で溢れていた。

 大変なお仕事だろうけれど、コンビニにあるスイーツを食べて乗り切ってね。そして、若菜のあの柔らかい笑みまで画面に浮かんでくるようだった。


「おい安達。明日は体力検定だ! なんとしても合格せんとな」

「ああ。勢いつけてレンジャー訓練を受ける資格も取るつもりだ」

「おまえ、マジでレンジャー受けるのか。ほんと、すげえよ。同期の鏡だ」

「褒めても何もやらんぞ」

「おまえからの褒美なんていらねえよ!」


 間もなく消灯の時間が来る。携帯をロッカーにしまい、ベッドに入った。


(よし、やってろうじゃないか)


 不思議と身体の底から力が湧いてくる。漠然と誰かのためにと鍛え抜いてきたこれまでの日々が、安達の中で少しずつ変わろうとしていた。しかし、それに本人はまだ気づかない。


 時刻は午前4時半を回った頃、それは突然やってきた。


 ―― ピィーーッ!!

「非常呼集!」


 就寝中の隊員たちはその笛の音で飛び起きた。まだ脳は覚醒していないにも関わらず、身体は勝手に動いていた。靴下を穿いて、ズボンを履いて、ベッドから飛び降りるとロッカーから上着をだして着る。


「45分までに、戦闘服に装具を装着し第二グラウンドに集合!」


 わずか5分。

 隊員たちはそれぞれが無駄のない所作で身支度を整えると、帽子をかぶって廊下に飛び出した。


「残ってるやついないか! ほら、急げー! 呼集だ、非常呼集! 走れー」


 班をまとめる班長は鬼の形相で班員たちをけしかける。とにかく、走れ! 走れと煽り倒す。

 前のめりにこけそうになりながら廊下を曲がり、全員が玄関から飛び出した。

 すぐに班ごとに整列し、班長が点呼をとる。


 いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち……


 同時に、装具がきちんと装着されているかも、確認される。


「時間、44分25秒!」


 心の中でほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、すぐに状況は開始された。


「これより、体力検定を行う!」


 洗顔も終わっていない当然朝食も口にしていないこの状態で、これから体力検定が行われるのだ。あまりにも、あまりである。

 しかし、誰も何も言わない。ただ、腹の底から声を出した。


「はい!」


(これも訓練か。訓練でよかったではないか。これが本物の非常呼集だったら、今ごろこの辺りは大変なことになっていたかもしれん)


 どんなに理不尽でも、どんなに不服を抱こうとも、最後は訓練でよかったと思うのだ。自衛官は退官するその日まで訓練で終わることがこの国にとって良いことであると信じている。出動命令が戦闘開始ではなく、災害派遣である方がまだいい。人を倒すよりも、人を救いたい。それが国を守ることであろうとも、戦争は絶対に避けねばならないと思っているのだ。


「超壕からはじめる!」


 いきなりの戦技から始まったのである。


 戦闘服、鉄帽、半長靴ブーツ、弾帯ベルト、小銃をを持ったフル装備の状態で助走をつけずに立ち幅跳びの要領で跳躍することだ。全身に負荷がかかって、かなりきつい運動である。


「がんばれー!」


 応援は問題ない。

 安達は負荷などなんのその、ひょいっと軽々と跳躍した。


「50メートル走を行う!」


 フル装備の状態で、短距離走が行われた。そのあと、立て続けに土嚢などの重量物を運搬。寝起きの空腹感満載の中、これらが行われた。

 終わった頃には全員が、グランドの中央で大の字になり息を整えていた。

 そうしていると、東の空から太陽が顔を出し隊員たちの干からびた身体を陽光が濡らした。


「はぁ、はぁ、はぁ……腹減った」

「マジかよー。俺は吐きそうだ」


 頬についた土が汗で流れて口に入る。吐き出すことさえ厭われるほどぐったりだ。


「よし! 顔洗って飯食ってから続きを行う。解散!」


 本当は、共通体力検定から行われるはずなのに。そんな愚痴を心の中で言ってみる。

 腕立て伏せ、腹筋をそれぞれ2分間。規定から外れるとカウントしてもらえない厳しいものである。そして、地獄の3000メートル走。これまで散々に体力を消耗してからのそれである。しかし、クリアしなければ昇任が見送られてしまう。昇任しないということは、給与も上がらないのである。


「おらぁ! 気合が足りんぞ! もっと行けるだろ! まだまだー!」


 上官の愛の鞭が大炸裂。


「全員合格!」

「うおー!」


 喜びもひとしおで、駐屯地のグランドからはゴリラのような男たちの雄叫びが響いた。



 ◇



「おい安達。おまえプリンなんか食ってるのか」

「ああ。コンビニのプリンがここまでうまいとは知らなかったよ。五臓六腑にしみる」

「いやいや、五臓六腑なら酒をしみこませろよ」

「うまい」

「まったく、おまえはいいな」


 疲れた身体に甘味がしみる。プリンを口に入れるたびに広がるのは、ほっとした気持ちと若菜の笑顔だった。


『四季さんて、美味しそうに食べるのね』


 訓練の後、一日の終わりに異性の顔が浮かぶなんて、こんな現象は今まで一度もなかったことだ。でも、嫌じゃない。

 安達はロッカーから携帯電話を出してメールを打った。


 今日の訓練はとても疲れましたが、プリンで救われました。


 しばらくすると、若菜から返信が来た。


 プリンあってよかったですね。甘味は脳の栄養です。ご褒美にちゃんと食べてくださいね。


 文字を読むだけで、若菜の顔が脳裏に浮かぶ。甘味が脳の栄養ならば、いったい君はなんだろう。


 あなたの笑顔は私の心に栄養をくれています。


 彼女のことを頭に思い浮かべただけで、勝手に指が動いた。なんの引っかかりもなく、驚くほど自然に送信ボタンを押した。

 そして、我に帰る。


「ああっ!」

「おい、どうした」

「いや。何でもない」

「何でもないなら、変な声だすな」

「すまん」

「寝るぞー! まさか明日も非常呼集なんてないだろうな。かんべんだぞマジで」


 安達の心臓は訓練では奏でないような音をたてていた。

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