第3話 俺のほっぺに火がついた
「安達、どんな顔だよ。いつもに増して鬼の顔になってるぞ。何かあったのか」
「いや、別に」
「同期に隠し事するなよ。訓練に影響するぞ」
「どんな影響だ」
「まあいいから、いいから。言ってみろよ」
昼休みのわずかな休憩時間に、隊舎の裏にある芝生に座り込んで携帯をイジっているところを同期の内田に見つかった。
「まさか安達おまえ!」
「内田は声がでかいな」
安達は素早く携帯を迷彩制服のポケットに押し込んだ。誰もこないと思っていたのにと心の中でため息をひとつ。
「彼女できたのか⁉︎ 水臭えやつ。ははぁん、盆休みだな。同級会で幼馴染ゲットか! 羨ましいやつ。くっそー、その顔でありかよー」
「おまえはめでたい奴だな」
頭を抱えて項垂れる内田、かなりひどいことを言われているのに安達はそんなことで怒りはしない。
「違うのかよ。さっき彼女とメールしてたんだろ? コソコソすんなよ。で、なに子ちゃん?」
「名前は……言うわけないだろ。おい、そろそろ時間だ。午後は射撃訓練だったろ、行くぞ」
「やっぱり彼女できたんかー。うおぉぉ」
午後の課業に向かう途中も内田はうんうん唸っていた。こんな風に訓練に影響しまくりなのは考えものだ。安達は内田の背中を思い切り叩いた。
「うほっ、ゲハッ! なにするんだ!」
「こんな影響の仕方があるかよ。こんなんじゃ、内田には相談できないな」
「そっ! 相談してくれるのか」
「だから今のおまえでは無理だろう」
「ばっかやろう。俺は恋愛の先輩なんだからな! 夜の自由時間に、部屋の前で!」
「頼む」
(まったく困った奴だな。なんで俺があいつに相談しなきゃならんのだ)
内田があの状態で午後の課業に入っていたら、集中力のなさに間違いなく班長にコテンパにやられるだろう。それは同期として回避してやりたかった。きっと、風呂から上がったあとに内田は安達に質問の嵐を浴びせるだろう。
想像しただけでげんなりしそうだが、わりとメンタルの強い安達は気持ちを切り替えて午後の訓練に向かったのだった。
「で、その悩みってなんだ」
悩んでいるなど一言も言っていないが、内田は安達の相談に乗る気満々だ。
夕食を済ませ、風呂に入り、自主学習の後は自由時間だ。とはいえ、明日使う
安達たちは部屋の前の廊下に座り込み、ひたすらにブーツを磨いていた。
「特にないな」
「何が特にないなだ。手は握ったのか? キスはしたか? あーその顔だもんな、泣かれでもしたか」
「おまえ……」
「怒んなって! だったらさっさと言えよ」
「強いて言うならだ。次に食べるスイーツをなににするか、だな」
「・・・」
内田はブーツを磨く手を止めて安達の顔を見ていた。ぽかんと口を開けて呆れた顔だ。
「もういい。先に寝る」
「おい待てよ。悪かったよ。アレだ、何年か前に流行ったやつ。ホテルとか行かないと食べられなかったイタリアンのナニだ。えっとぉ……ティラミスだ!」
「ティラミス?」
「俺たちの給料でも食えるようになったって話さ。コンビニにだってある。姉ちゃんが言ってたんだよ。駅の屋上のカフェで食ったら美味かったって」
「なるほど。悪くはないな」
街でショッピングをしたあとに、駅の屋上のカフェで休憩をすればいいのだ。疲れたらそのまま帰ればいい。
『美味しいですね。四季さん』
若菜の綻ぶ顔が目の前に浮かんだ。目尻を下げながら本当に美味しそうに食べるのだ。自分とは比べようもないほど小さくて可愛い口に、上手に綺麗に収める。
「だろ? 楽しんでこいよ!」
「うむ」
日帰りでかまわない。電車に一時間揺られれば会える距離が、今はありがたい。
就寝間際に、安達はメールを打った。
若菜さん、今度の休みにティラミスを食べましょう。
◇
待ち合わせは、10時にライオン広場のライオンの前で。
時刻は9時45分。安達はすでにライオンの前に立っていた。
道行く人が振り返る。大きないかつい男がライオンと変わらない表情で仁王立ちしているからだ。若者が着るカジュアルな服装をしていても、目立ってしまうのはティシャツから現れた黒く焼けた太い腕のせいかもしれない。
本当は5分前に到着する電車があった。しかし、万が一遅れてはならないと一本前の特急に乗った。思った以上に早くつき、時間をつぶしての15分前の到着だった。
(早く来すぎたな)
5分前行動は、自衛官であればあたりまえ。階級が下であればあるほどその時間は前倒しになるものだ。
「四季さんっ。お待たせしました」
「若菜さん。待っていませんよ。今、10時ですから」
「そう? よかった」
今日の若菜は白いブラウスに、足首が見えるパンツスタイル。少しヒールのあるサンダルを履いていた。小さな足には水色のペディキュアが、安達の目を釘付けにした。
(尊すぎるだろ!)
「若菜さん、どこに行きますか? 買い物はあまりしないので店を知りません」
「じゃあ、通りを流しながら気になるお店があったら入りません?」
「そうしましょう」
休日の市街地は人で溢れていた。とくにカップルは多かった。狭い通りに沢山のショップが並び、若者たちが次から次へと入っては出て行く。
こんなに人が多いのに、車も普通に走るのだ。
人と人がすれ違う時、歩道に降りて避けるたびに、後ろからくる車がクラクションを鳴らしながらスレスレな距離を進む。
(接触事故に遭うのも時間の問題だな)
「若菜さん大丈夫ですか」
「はい。人、多いですね」
小柄な若菜はすれ違う人と肩を掠めただけでよろけてしまう。それでも、なんでもない顔をして安達の隣を一生懸命に歩いている。
(これは、ダメだ)
「若菜さん」
「はい」
「手を繋ぎましょう。いいですか?」
「はい! 嬉しい」
安達が手を出すと、若菜は嬉しそうに自分の手を重ねた。小さくて柔らかい若菜の手の感触に、安達は心臓に痛みを覚えてしまう。いわゆる、胸がドキンとしたのだ。
「小さいな……」
「そうですか? 四季さんの手、硬くて大きいのね」
「すみません。痛くないですか? ガサガサしてるから」
「ううん、ちっとも。働く人の手ですよ。わたしは好きです。この手がわたしたちを守ってくれるんですもん。感謝しています」
「若菜さん」
とりあえずの見合いはどこに行った。向こうから断られることを望んで受けた見合いが、今は断られたくないものになっている。
こんなに近くで安達に笑顔を向けてくれる女性が、他にどこにいようか。
「あっ、このお店入ってもいいですか? 前から気になっていたの」
「もちろん」
繋ぐ手に力を入れらないのは、彼女の手を壊してしまいそうで怖いから。
◇
「わぁ、四季さん。ここ、眺めがいいですねぇ。街全体が見えちゃう。晴れていてよかった」
「雨の日もいいかもしれない。傘をさす人を上から見られる」
「あはは、確かに。雨の日もきてみましょう?」
「ええ」
若菜の口から未来のことを紡がれると安達の心は踊り出しそうだ。期待してもいいのだろうかと淡い未来を思い浮かべる。
席についてすぐに目的のティラミスを注文したので、すぐにそれは運ばれてきた。大きな白い皿に四角いティラミスが目の前に置かれる。
「けっこう大きいのね」
「写真より大きいなんて、いい店だ」
「本当ね。いただきます」
ナイフのような平らなスプーンでティラミスを食す。横から見ると五層くらいの代物で、縦にスプーンを入れて五層のまんまゆっくりと口の中に運んだ。スポンジとチーズとクリームとココアが見事に口の中で混ざり合う。
「うまい……」
「美味しいですね。四季さん!」
「はい」
少し渋めの紅茶を口に含むと、先程の甘味が中和されてまた食べたくなる。ティラミスひとつでこんなに幸せな気持ちになれるとは思わなかった。
「四季さんてば、そこ、ココアの粉がついてるわ」
「えっ、ここかな?」
「うーん、ちょっと違うかな。あのね、ここです」
安達の口からはみ出して、頬についてしまったココアの粉を、若菜は人差し指の腹で軽く払った。
安達は初めて女性から顔を触れられて、驚きと興奮とで目の前が霞んでしまう。ほんの一瞬の出来事だったのに、安達の頬にいつまでも残る感触はまるで火がついたように熱い。
「お腹いっぱいになっちゃった。次は何にしようかな? 今度はわたしが考えておきますね。楽しみが増えちゃった」
嬉しそうに微笑む若菜と硬直したままの安達の横を、「コーヒーのお代わりはいかがですか」と店員が通り過ぎて行った。
ティラミス。イタリア語で私を元気付けて。
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