第34話 命令

「「ギャアアアアアアァァァァーッ!」」

 ズドドドドドドォォォォーン!


 爆破された堤防から怒涛の勢いで流れ出た水は、凄まじい破壊力でドレスガルド帝国軍に襲い掛かる。それは、石造りの建物も粉砕する程の威力で、次々と人族を飲み込んでいった。


 街も兵士も装甲車も、全てをボロボロの粉々にしながら。



 アンテノーラに侵攻したドレスガルド帝国軍の戦線は崩壊し、先行して街に進軍した兵はほぼ全滅。後方の部隊も濁流だくりゅうに流され多くの被害を出していた。


 ギリギリで被害を免れた第12軍のマグダレス大将が、目の前で壊滅する自軍を見つめていた。


「閣下、先行していた部隊は全滅です。被害は計り知れません。およそ……10万、いや、20万以上かと」


 部下の報告も耳に入っているのかいないのか、マグダレスは茫然と目の前の地獄を見つめているだけだ。


「なんだこれは……我々は勝っていたはずだった。それが、一気に大打撃を……まさか、あのアケロン城を策略で奪還した魔族の司令官か?」


 マグダレスは、ジュデッカで危惧したことを思い出す。


「本当に魔族なのか……魔王に忠誠を誓い従う魔族が……魔王の所有物たる街や財産を破壊することもいとわぬ司令官だと……奴はいったい何者だ」


「閣下、ここは危険です」


「うむ、もはや勝敗は決した。ここは一旦引き、トロメーア、アケロン、ギリウスから攻め入った部隊と合流すべきだ」


 混乱により指揮系統が寸断された帝国軍は、マグダレスの命令で撤退を開始した。


 ――――――――




 高台に陣形を構えたアベル率いる魔王軍は、壊滅的打撃を受けながらも陣形を整え撤退を開始しようとするドレスガルド帝国軍に向け追撃を開始する。


「一斉射! 人族を逃がすな!」

 アベルが号令を出す。


 ダン! ダダダン! ダダダダダダダン! ダダダダダダダダン!


 魔装式歩兵銃による一斉射撃が始まる。

 完全に戦意を喪失した人族は、頭上から雨のように撃ち込まれる弾丸に、為すすべなく藻掻もがき苦しみながら次々と倒れてゆく。


「おおおっ! 凄い! 人族がゴミのように」

「みろよ! 奴ら逃げ惑っているぜ!」

「雪辱を果たしたぞ!」

「うおおおおおっ!」


 これまでアベルの策に懐疑的かいぎてきだったり街を破壊するのに反対していた将兵達も、目の前の大逆転に戦意を昂揚こうようさせ叫んでいる。



 ふふっ、報いを受けよ!

 愚かな人間共め!


 アベルも心の中で叫んだ。


 そう、これはアスモデウス流軍学『備中高松城水攻め盤蛇谷ばんだこくアレンジ』だ!


 ※アスモデウス流軍学『備中高松城水攻め盤蛇谷ばんだこくアレンジ』:秀吉による備中高松城水攻めを元にし、三国志演義における兀突骨ごつとつこつを盤蛇谷に誘い込み殲滅した諸葛孔明のアレンジを取り入れた作戦である。


 そう、まさに人族が兀突骨で魔王軍が魏延ぎえんと言ったところか。魏延が何度も負けたフリをし、敵を地雷原のある盤蛇谷に誘い込み一気に殲滅。

 まあ、魔王軍は負けたフリではなく、実際に負け続けたからこそ、人族が完全に油断していたのだがな。

 兀突骨の話は正史には登場しない創作らしいが、こんなに上手く行くのならまあ良しとしよう。


「撃てっ! 人族を逃すな!」


 そうだ、人類は滅亡なのだ。

 何を迷う必要があったんだ。

 ローラが転生者だと知り、俺の心に迷いが生じた。しかし、この世界で魔族を駆逐しようとする人族がいる限り、俺達に安寧あんねいは無いのだ!


 俺が全てを変えてやる!

 この世界のことわりも。そう、全てだ! ここで奴らに徹底的で壊滅的で回復不可能な程のダメージを与え、二度と魔族領へ侵略を行おうと思わないよう恐怖を叩きこんでやる。


「やめよ! やめるのじゃアベル」


 その時、後方から聞き覚えのある声が聞こえてくる。頼りなさげな少女の声。この世界で唯一無二の魔族の王。サタナキア=ルシフェルの声である。


「陛下! 何故ここに。危険です、下がっていてください」

 アベルがサタナキアを下げようとする。


 後方の安全な場所で待機させていたはずのサタナキアが、アベルのいる前線に出てきた。街を破壊する轟音と、人族の阿鼻叫喚あびきょうかんの叫びを聞き、黙ってはいられなかったようだ。


「ああ……街が、人が……」

「陛下、危険です!」

「や、やめよ……もうよい」


 呆然とした表情のサタナキアが、アベルに命令する。いや、命令というより懇願だろう。


「もう十分じゃ。これ以上の虐殺は不要じゃ。もう、たくさんじゃ……」


「しかし……陛下、お言葉ですが、ここで奴らを逃がせば、東部から我が国へ侵攻している大軍と合流を果たしてしまいます。再び大軍勢となって王都まで侵攻するのは自明の理。ここで少しでも減らしておくべきです」


「ならぬ! もう嫌なのじゃ。もう誰も死ぬところを見たくないのじゃ」


「しかし……」


 何を言っているんだ、この小娘は。

 やらなければやられる。

 死ぬのを見たくないと言って敵を救えば、次はこちらが死ぬ番になってしまうのだぞ! 直接は見ていないとはいえ、ジュデッカの街が焼かれ多くの市民が犠牲になったというのに。この魔王には、それが理解できぬのか!


「陛下、これは戦争です。今やらねば、次はこちらがやられます」


「敵のあの者達にも親や子供もいるはずじゃ。アベルよ、そなたも人族の街では、幼い子供を殺すのに躊躇ちゅうちょしたはずではないか」


「そ、それは……」


 くっ、また甘い考えを!

 そもそも、人族の子供も、幼い頃から徹底的に反魔族教育をしているではないか。魔族を敵だと洗脳し、徹底的に戦うよう仕向けている。この戦いは終わらない。人族に国が傾く程の大打撃を与え、しばらくの間は二度と魔族領への侵略を考えられないようにしなくては。


「陛下、ここは私に――」

「戦闘を中止し撤退せよ。命令じゃ」

「ぐっ…………わ、分かりました」


 アベルは魔王に従い、攻撃中止の命令を出す。


「攻撃中止! 今から我らは市民を守りつつ、王都デスザガートまで後退する」


「「「はっ!」」」


 魔王軍が戦闘を止め撤退を開始する。

 同時に、壊滅的ダメージを受けた帝国側も、ボロボロの体で撤退を開始した。魔族側からの銃撃が止んだのを不思議に思いながらも、また策略なのではと疑心暗鬼のまま。


 ――――――――




 アベル達は列車に乗り換え、王都を守る最終防衛ラインであるコキュートス絶対防衛線を越えた。

 この防衛線を越えると、王都デスザガートと豊富な水源を有するカシウス湖を臨む。つまり、ここを突破されたら王都は目の前である。


 サタナキアは、アンテノーラでの戦闘のショックからなのか寝込んでしまい、そのまま塞ぎ込んでしまった。血みどろの戦場を知らない彼女には、目の前の惨劇は衝撃的過ぎたのだろう。


 そしてアベルは、次の作戦を考えていた。


 マズいな……

 敵はまだ東側から侵攻している大軍がいるはずだ。通信が途絶えているが、アケロンやギリウスも陥落したはず。魔族領深部まで侵攻されたら、爆撃機を隠してあるゲヘナも危ない。


 アンテノーラへ侵攻した敵の大軍に大打撃を加えた事により、ゲヘナ方面へ侵攻している部隊が王都へ向けて転進する可能性もある。


 どのみち、王都デスザガートは何十万もの大軍に包囲されるのは間違いない。しかし、最深部まで侵攻した敵は、補給線が伸び物資が不足しているはず。そこを上手く突ければ良いのだが……。


「アベル様」


 その時、とても懐かしい気がする声が響いた。

 まだ一週間も経つかどうかなのに、その声はアベルの荒んだ気持ちに一服の清涼剤のような安らぎを与える。

 前は、あれほど淫らに聞こえていたその声が、今では愛おしくさえ思えてしまう。


 ローラ=ウアル

 前世での名は高坂直こうさかなお

 アベルにとって大切な存在となった女性。


「ローラ、まだ寝ていた方が……」

「アベル様、もう体は大丈夫です」


 二人の間に沈黙が流れる。

 ローラは、今際いまわの際……だと思えた時に、自分が転生者だと告白していた。これでお別れだと思ったからこそ全てを伝えたのだ。生きて再会となり、二人共ぎこちなくなってしまう。


「アベル様、私……」

「何も言うな。大丈夫だ」


 ガシッ!

 アベルがローラを抱きしめた。


 どうする?

 俺が同級生の佐々木透矢だと打ち明けるのは今なのか? しかし、今伝えてしまったら、俺の決心が緩んでしまうかもしれない。とにかく今は、この戦争を終結させ生き残らなくては。


 ぎゅぅぅ~っ!

「あ、あのっ、アベル様」

 強く抱きしめられて、ローラの顔が赤くなる。


「ローラ、この戦争が終わったら、二人でゆっくり話そう。それまで絶対に死ぬな。いいか、これは命令だ」


「アベル様が、急に積極的に……」

「う、うるさい」

「あと、フラグみたいなこと言わないでください」


 ふふっ、フラグか……

 同じ世界から転生しただけはあるな。フラグを知っているなんて、彼女もきっとオタク趣味があるのだろう。


 もっと早くこうしていれば。できれば前世の時に。そうしていれば、俺は人生に絶望することも無かったのかもしれない。


「あ、アベル様……私は専属メイド……求められるのなら毎晩でも……」


「ふふっ、ローラ。いつもの調子が出てきたじゃないか。そんな口がきけるのなら大丈夫か」


 暫くローラを抱きしめていたアベルが、名残惜しそうに体を離す。


 列車は王都へと入る。

 絶望的な戦いに向かうかのように。

 アベルが大元帥へと上り詰める時が迫っていた。


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