風のシルフィス 第二話さみしがり屋の皇女様
そこはもう女子寮の敷地内である。
シルフィスは男子寮の外庭に出て、一人で剣の稽古をしていたのだ。
「邪魔でなければ、そちらに行ってもかまわぬか? 少し話がしたい」
そう言いながらも、すでに皇女様は男子寮と女子寮を隔てる植え込みの間を越えていた。
男子生徒のシルフィスがそちらへ行くのは問題だろうが、女性である皇女様がこちら側、つまり男子寮の庭に入ってくるのは問題がないのかもしれない。
と、そんなことを思っていると、なぜか何もない芝生の上で皇女様が転倒した。
「ふぎゃっ!」
シルフィスは慌てて手を差しのべる。
どちらにせよ、断るわけにもいかないので、シルフィスは庭に置いてある景観用の岩に腰を下ろし、その隣にルミナ皇女を座らせた。
今夜は月が明るいので、とくに蝋燭などの明かりは必要ないだろう。
「……そなたには、命を救ってもらった時の礼をまだ言っておらなんだな」
昼間の軍服姿とはちがい、白いドレスに身を包んだルミナ皇女はなんだか普段よりもさらに可憐に見えて、心臓の鼓動が否応もなく早められる。
あいかわらず十数名の兵士がすぐ近くに待機しているようだが、その姿は見えなかった。
ただ、その気配がするだけである。
やがてシルフィスは少し考えてから慎重に口を開いた。
「まだ皇女様が狙われたと決まったわけではないのでは……?」
「いや、東西の和睦がなろうとしているこの次期じゃ。まず狙われるとすれば余であろうな。戦争を継続させたいと思っている者が、どこぞで暗躍しているのかもしれん。まぁ、よくあることじゃ。もうすっかり慣れた。皇女ともなれば安穏と生きることは許されぬ。じゃが護衛役に囲まれての暮らしはいささか息苦しいのぉ……」
「ご心中、お察しいたします」
「うむ。しかし、余は帝位継承権第一位にある。これも、そのための試練じゃな。それに、これしきのこと、母上の抱える重責や孤独にくらべればなんのこともない」
「えっと、女帝陛下様は孤独でいらっしゃるのですか?」
「なにしろ国家運営の頂点に立っておられるからの。心許せる友などはおらぬであろう。しかし、そのことを考えると余は切なくなる。余もいずれ帝位に就かねばならぬからな。できれば今のうちに『青春』というものを謳歌しておきたいと思うのじゃが……」
そこで皇女様はいったん言葉を切り、唐突に口調をやわらげた。
「と、ところでだ。話は変わるが、シルフィスよ。学校が始まってそろそろ一週間が経つが、と、友達などはできたのかな?」
シルフィスは首をかしげた。
「……ト、トモダチ?」
「そう、ここには同じ年頃の者が大勢いよう。よ、余もふくめてな……」
そう言いながら皇女様は視線を彷徨わせるかのように、なぜか夜空を見あげていた。
同じようにシルフィスも夜空を見あげながら少しばかり過去をふり返ってみる。
そういや、まだ家族がいた頃は、同じ年頃の近習が一人だけいたっけな。
一緒に剣の修行をしたり、いろんな学問をしたりした思い出がある。
だけど、それは、どちらかというと家来のようなもので、心から友と呼べるような間柄ではなかった。もう少し長く付き合っていれば、そういう関係になれたかもしれないが、セメンテス子爵の反乱を期に生き別れてしまい、それいらい会っていない。その後すぐに、エルファイド伯爵家に引き取られてしまったからだ。それからはずっとヘルムスタットの城で暮らしている。とはいえ、その城下にも友と呼べる者など一人もいなかった。
街の人たちは、なにかと「若君様」とチヤホヤしてくれるが、とくに親しくしたいと思う者などついぞ現れなかった。かろうじて辺境の三強騎士と呼ばれる三人とは仲よくやっていたが、それは単なる剣や魔法の師と言ったほうが正解であろう。
そういえば、同じ年頃の少年や少女と接するのは久しぶりのことのように思える。
あえて意識はしていなかったが、そう言われると少し気にもなる。
となると、自分が学校の中でどのような存在なのか、にわかに心配にもなってきた。
ためしに今日の一日をふり返ってみる。
朝起きて歯を磨き、それから学生食堂にて一人で朝食。
午前の授業は呪文学、魔法学、帝国史、戦術論。すべてしっかり勉強した。
授業態度は皇女様も知ってのとおり、きわめて真面目であったはずだ。
そして学生食堂にて一人で昼食。
午後からの授業は数学、剣術、魔法実技。すべて完璧にこなした。
そして学生食堂にて一人で夕食。
さっさと部屋に帰って予習復習をし、そして一人で剣の稽古――……
――ん、んん、あれれ?
思わず愕然とした。
同じ学年の級友たち中に自分が解けこめているという実感がまるでわいてこない。
「………………………」
「ふふふふ……。そのぶんじゃと、まだ友達などはできておらぬようじゃな? といっても余も他人のことは言えぬな。シルフィスと同じくらい余もまたひとりぽっちじゃからの」
「え? いつも、あんなにたくさんの級友たちに囲まれているのにですか?」
それでも寂しいのだろうかと、少し不思議に思った。
さすがは『寂しがり屋の皇女様』である。
「うむ、余の場合は、ただ単に皇女という立場が、皆を寄せ集めておるだけであろうな。余はまずその垣根を越えねばならん。これは、なかなかの試練じゃぞ。シルフィスよ。友達が欲しければ、まずは自分から飛び込んでいかねばならん時もあるそうだ」
「えーと、こういう時、どうしたらよいのか、自分にはよく分かりません……」
「む、それは余に聞かれても困るぞ。なにしろ余にも友達はおらんのだ。余は今までほとんどカルデルナ宮殿から外に出たことがなかった。通っていた大学も宮殿の隣にあったし、そこにいた学生たちも年上ばかりじゃった。皆、余に遠慮もあってか、なかなか親しくはしてくれなかったしな……」
「それで、この士官学校に入学したと?」
「まさか、それだけの理由で入学したりするものか――ただし、女子寮に余の居室を造らせたりして、なるべく同じように過ごせる工夫はさせてもらったがな。いや、しかし、友を作るというのは、なかなか難しいな。それぞれの立場もあろうしの」
「立場ですか? そうですよね」
シルフィスの場合、立場というよりも自分が人とはちがうと思っている部分が大きいのかもしれなかった。その身に精霊を宿すシルフィスは、その身体そのものが魔法と化しており、それによって生命が維持されていると言われている。
精霊教会の祠祭士たちが、そう判断したのだからまちがいない。
すなわち、自分は今でも人間なんだろうかという疑問が、その事によって常につきまとうのである。そして、そういう不安の存在が、知らず知らずのうちに他者との間に距離や壁を作りだし、自分を孤独の檻に閉じこめてしまっているのだろう。
普段は人としてなんら異常のない姿をしているが、その身に宿る精霊と完全に融合すると、その姿は一変してしまう。
その姿を知っているのは辺境の三強騎士と、養父オーエンくらいのものである。
そんな異形の姿を、それ以外の人が見たらどう思うだろうか?
きっと恐れ、怖がるにちがいない。誰かと出会うたびに、そんな不安に悩まされる。
はたして、せっかく親しくなれたのに、自分のそういう姿を隠さなければならないのは辛いことだし、かといって異形の姿をさらし、奇異の目で見られるのはもっと辛い。
「ふむ……。さては、おぬし、もしかすると、『魔人』であること意識しすぎて、自分は人ではないと、そんな風に思っているのではないか?」
唐突にシルフィスの思考を中断させたのは、そんな皇女様の鋭い指摘だった。
「なんとなく、見ていてそう思ったぞ。……なにしろ、まるで魔法のように、そのうち消えてしまうのではないかと思うくらい、普段のそなたは気配が希薄なのじゃ。
そう、まるで命のない何かになってしまったかのように、ひっそりとそこにある。じゃがな、余の目には、どう見ても、そなたは人にしか見えぬぞ」
そう云いおき、ようやくシルフィスへと視線をもどした皇女様は、その表情にいささか憂いの色を浮かべていた。一方、その胸のど真ん中を言い当てられてしまったシルフィスは逆に心が少し軽くなったような気さえした。
「ぼくは自分がいったい何者であるのかが、よく分かっていません。分かりたくないのかもしれません。だから他者と深く関わることを、ひどく怖れているのかもしれません」
日頃、最も気にしている悩みを指摘されたことで、かえって吐露しやすくなったのかもしれない。思わずぽつりと正直な気持ちがあふれ出た。
「ふむ。じゃがな、シルフィスよ。自分が何者なのかを正確に分かっている者など、そういるものではないぞ。そもそも、そんな風に悩むことが、すでに立派に人間であろうが。
心配するな。おぬしはただ少しばかり魔法への順応力が高いというだけの人間じゃ。それを証拠に、そなたと余はこうして会話もできるし、手を握りあうこともできる。二人の間には何も問題はない。ということは、他の者との間にも問題はなかろう」
いきなり左の手に別人の手の感触がしてシルフィスは飛びあがりそうになった。
されど、そこにはもはや人としての手は付いていないのだ。血の通っていない魔法の手が付いているだけである。これも『魔人』になった影響だと言われているが、不思議なことに、ちゃんと熱や重さを感じることだってできるのだ。
今も黒い手袋をはめて隠しているのに、ちゃんと皇女様の指先を感じることもできる。
その絡まった指先はすぐにもほどけてしまったが、手にはまだその感触が残っているような気がしてならず、まるでそこに新たな血が通っていくかのように、なんとなく心が温かくなっていくのだった。そんなシルフィスの耳に思いもよらぬ言葉が飛びこんできた。
「うむ、そうじゃ。よいことを思いついたぞ。今日からおぬしは余の友達になるがよい。余の最初の友達はおぬしじゃ。余も、おぬしの最初の友達になろう」
「え、えぇぇっ!」
いきなり切り出された思いもよらぬ言葉にシルフィスは少しばかり狼狽えた。
「なんじゃ嫌か? 余とは友達になれぬと言うのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……。友達関係って、そんな風にできあがるのかなって少し疑問に思ってしまって……」
「えーい、いちいち小難しい事を考えるでないわ。経緯などどうでもよいではないか。互いに互いのことを大事に思えるようになった瞬間から、その二人はもう友達であろうが!」
強引に言い切られてしまった。
でも、なんとなくだが納得させられてしまう。
「そ、そうですよね。そう言われると、なんか、すごく心強い気分になってきます」
「で、あろう。……ならば今日から、余と、おぬしは友達なのじゃ……。
いや、それだけでは生ぬるい。余は、この士官学校の生徒すべてと友達になる。そのくらいの高い目標を持たねばならんのだ。よいかシルフィスよ。聞いてあきれるなよ。余はの、いずれ戦場へ赴くであろう、そなたたち全員と友達になりたいと思っている。
不可能かもしれぬが、戦場で戦う者、すべてと友達になりたいと思っている。そして、ゆくゆくは国民のすべてと友達になり、その苦楽を共にしたいと願っている。
それが、どれほど辛い道のりであろうとも、そう願わずにはいられない」
「どうして、そんなことを願うのですか?」
「うむ、戦となれば戦死者も出よう。そして二度と帰って来ぬ父や兄や友を思い、多くの者が悲しむであろう。国民にそのような悲惨な思いをさせておいて余だけが心安らかに暮らせるものか。国家の頂点に立つ者こそ最も悲しまねばならんのだ。
だから、余は戦へ赴くすべての命に責任を持ちたいと思っている。その命のすべてを大切にしたいと思っている。その命のすべてとつながり、その命が失われることがあれば、その一つ一つに余は涙を流したい。長年の戦に疲弊したこの国の皇女であるがゆえ、余はそのような世界で最も悲しき女皇になりたいのじゃ」
その瞬間、シルフィスは、まるで全身の血が熱く滾るような、そんな心地がしたのだった。と同時に、皇女様とこうして話し合えた事に自然と喜びが感じられ、または自分の国の皇女様がそのような考え方を持っていた事に少なからずも驚かされた。その驚きは、やがて少なからぬ感動と、かすかな希望へとつながっていった。もしかすると、この皇女様なら、いつか、この世から戦争というものを無くしてくれるかもしれない。
いや、少なくとも、その努力を惜しまず平和への道筋を考えてくださるだろう。
きっと、そんな女帝陛下になってくださるにちがいない。
「……それにな。友達がたくさんできれば、それはやはり、とても幸せなことであろう。敵国の中にもそうやって友達が増えていけば、いずれ戦争など無くなるやもしれないな。
ん、どうしたシルフィスよ? なにをそんなにニコニコしておるのじゃ。なんか気持ちが悪いぞ。さては、おぬしも本当は友達がたくさん欲しいと思っているのではないのか?」
「はい。それはもう」
自分でも意外と思えるほど、それは屈託のない清々しい気分だった。
ずっと曇っていた心の中に一筋の晴れ間が現れたような、そんな気分である。
なのに、いきなり雲行きが怪しくなった。
「そうか。やはりそうか…。シルフィスも友達がたくさん欲しいか……」
低く唸るような皇女様の声になぜか鳥肌が立った。
「……は、はい?」
「ならば、ここは余にまかせておくがよい。我が友のために『友達獲得大作戦』なるものを作成立案してくれようぞ。友の友はすべからく余の友達である。これは余のためにもなることじゃ。うむ、ここはやはり大きな切っ掛けが必要であろうな」
口角を持ち上げた唇からそんな独白を紡ぎだし、嫣然と微笑む皇女様である。
「……あ、あのぅ『友達獲得大作戦』って、いったい何をなさるおつもりですか?」
恐る恐る訊いてみたが、興奮さめやらぬ皇女様は完全に自分の世界に突入していた。
「うむ、そうと決まれば善は急げじゃ!」
そして勢いよく立ちあがり、またしても何もないところで派手にすっ転んでしまう。
シルフィスは一抹の不安を抱えながら、そんな皇女様に手を差しのべたのだった。
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