【小話あり】ありがとう

これは夢か・・・。

そう思った・・・そう思うのも当然だ。

私の目の前には、若かりし頃の・・・高校時代の妻が立っているのだから。


彼女の服装を見ると、間違いない・・・あの時の服装・・・初めてデートした時の格好だ。初めて彼女の私服姿を見て、胸がドキドキしたことを思い出す。


しかし、残念ながらも時間は日暮れ時・・・せっかくのデートも終わりのようだ。


若かりし頃の妻は、夕日でその顔を紅く染めながら、優しい笑み・・・どこか切なげであるが・・・を浮かべ、私に話しかけてきた。


・・・・


あなた

わたし 行かなくちゃ 

もう 時間なの


あなた

わたし 行かなくちゃ 

いままで いままで ありがとう


そんなに悲しい顔しないでよ

笑顔で わたしのこと 見送ってよ

寂しいからって 追いかけてきちゃダメよ

わたしが いつの日か 迎えに行くから


あなた

わたし もう 行くわ

やさしく 愛してくれて ありがとう


あなたを

そらから 見守るわ

そらから そらから 見守るわ


あなた ありがとう


ありがとう・・・ありがとう・・・


・・・・


誰かに優しく手を握られていた。

目をゆっくりと開けると、妻が私の手を握っていた。


こんなこと・・・ありえない。妻は、昏睡状態だったはずだ。

私がつい、うつらうつらしている間に、妻は渾身の力を振り絞り、私の手を握ったのか・・・それとも神の導きというやつか・・・しかし、そんなことはどうでもいい。


私は、安らかな顔をした妻の、冷たくなった手をそっと握り返した。

今にも溢れだしそうな涙をこらえつつ、笑顔を作り、彼女に話しかける。


「ボクのほうこそ、今までありがとう。キミの迎えを待っているよ。」


気のせいかもしれない。

妻の口元がほころび、どこからか・・・妻のコロコロとした笑い声が聞こえたような気がした。

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