chapter 9「もしも彼がソラに虹をかけることができたなら...」 Ⅰ
こうして「ノーネーム事件」は夕璃と白蘭学院生徒会によって解決した。事件関係者であり、真相に大きく関わっていた少女、二見若紫はこの一件で新たな生徒会メンバーとなり何もかもが丸く収まったはず…………なのだが。
「困りました。元の世界に帰れません」
照明が僅かに灯るばかりの中庭に少年の独り言が空しく響く。臨時休校なのでもちろん生徒の姿はないし、AOIの代表として蛍が学院側に事件の解決を伝えたため教職員も帰宅してしまっている。電源を止められた噴水の姿がいかにも寒々しい。
―――あ、あれー。おかしいですネー。
夕璃の中ではこちらの事件を解決したわけだし、あとは転送でも始まるものだと思っていた。ドアを開いた瞬間とか階段を駆け降りている最中だとかにてっきり光に包まれるものだとばかり。念のため、階段の踊り場から宙に向かって飛び降りてみたものの、危うく捻挫しかけた。
―――ま、まさかこれが正解じゃない、とかじゃないですよね…………?
サーっと血の気が引いた。不味い。これはとても不味い。そして、もう時間切れである。先ほどは悪くはないかなあと思ったが、男子デビューの正式内定に夕璃の視界はブラックアウトした。
「やっぱり男の子になるのはイヤです! 思ったほど臭くはないし、むしろキレイだし、人間関係も女子よりも除湿で爽やかだし、朝の準備も帰りのケアもすごく簡単で感動すら覚えました、身体だって国産車みたいに丈夫で素晴らしいですが、やっぱりイヤなものはイヤなんです!」
怒涛の褒め殺し作戦も空しく、心がぽきりと折れかけたときだった。
「―――おまえ、何してんの?」
「きゃああ!?」
突然、肩に手を置かれたので心臓麻痺で死ぬかと、いや、むしろ殺してくれと夕璃は思った。振り向くとやはりというか蛍が立っていた。今の今まで「ノーネーム」の後処理に追われていたせいで顔に限らず全身から疲労の色が滲みだしている。
「ほ、ホタル」
「中庭で喚いてる声が聞こえたら来てみたら、ユーリ、おまえか。どうした? 二見若紫とはうまくいかなかったか?」
噴水前のベンチに腰を下ろすと蛍は上着のポケットからレッドブルとジョージアを取り出した。自動販売機で買ったばかりなのかどちらも水滴がついていた。
「―――明日から二見さんも生徒会に加わるからよろしくね」
プルタブを引くと甘いコーヒーの味が口中に広がる。返事がないので目を上げると蛍が珍しくひどく驚いていて、メタルブルーの缶が空中に停まっていた。
「マジか」
「マジです。というか、そんなに驚くところ?」
「いや、驚くだろ。二見若紫に対する今までのおまえのヘタレさを思うとむしろ泣けるわ。ミカが知ったらヤツなら胴上げしかねないぞ。いや、するな。間違いなく。しかし、うまくいったというか、いきすぎたというか。あの二見若紫がまさかそうなるとはなあ」
「???」
―――ホタルは何を言っているのでしょうか?
「
蛍は缶を飲み干すと5メートル先のゴミ箱に放り投げる。銀色の灯火に照らされた軌道は寸分違わずにタッチダウンした。
「なあ、アンタ誰なんだ?」
その口調があまりに自然すぎて―――まるでコロッケの中身を尋ねるような気さくさだったので―――しばらく言葉の意味するところを理解できなかった。
「僕は……六条夕里」
「身体はな。でも、中身は違う」
「…………ホタルは気づいていたのですか?」
蛍は「まあな」と言うと肩をすくめる。その仕草には怒りとかそういう感情は見られない。どこまでも落ち着いていた。
「一昨日の夜はユーリだったから、代わったのはその夜から昨日の朝までの間か。もっとも最初は何かの事情でそうしているのかと思っていた。それとも正常に思考できないぐらいテンパっているかと。なにせ今回の事件には二見若紫の名前が出てきたからな」
「二見若紫の名前が出てきたらどうしてそうなるの?」
夕璃が尋ねると蛍は呆れたようにかぶりを振った。
「この二日間、俺たちとのやり取り以外でユーリのスマホやPCを開いたか?」
「ううん。開いていないけど」
するわけがない。なぜならそれらは夕里のものなのだから。いくらスーパーKYの夕璃でも他人がされてイヤなことはしていけないことぐらいはわかっている。
「…………アンタがいいヤツなのはよーくわかった」
「???」
「ちなみに確信したのは肉屋のコロッケを食べたときだ。俺たちはアメリカ横断旅行に行ったことなんてないからな」
「―――っ!?」
「ふふ、あんまりきれいに食いつくもんだから、逆に気づいていてあえてこっちの大法螺に乗っかっているのかと思ったぞ。アンタ、ノリがいいんだな」
全身が一気に熱くなる。恥ずかしい。まるでバカみたいだ。この2日間、必死に男の子を演じていたつもりが、面白半分に泳がされていたとは。これでは道化だ。
「…………ミカやかほるも気づいていたんでしょうか?」
「確認はしていないが、間違いなく気づいている」
断言ときた。少年たちの絆は炭素繊維よりも硬いというのか。
「なんか悔しいな、いろいろ」
口端をきゅっと噛みしめる夕璃の顔を横目で見て蛍はからからと笑った。
「何ですか、僕の顔がそんなに面白いですか!?」
「
「”一人称”だ。アンタは昨日からずっと自分のことを『僕』と言っているが、六条夕里は自分のことを絶対にそう呼ばない。必ず『オレ』と呼んでいる」
「はあ!?」思わず声が出てしまった。
あまりにも初歩的なミス。確かに夕璃は最初の一歩目から間違えていた。
「なんでですか?」
しかし―――
「この顔と容姿なら間違いなく『僕』でしょう!?」
「だよなあ。普通はそう思うよなあ」
蛍はあっさり夕璃の言いたいことを認めた。
「だが、残念なことにそれが俺たちのリーダーであり、六条夕里なんだ。アイツは自分のガーリーな容姿にコンプレックスを持っている。だから、他人が似合わないと思っても頑なに『僕』は使わない」
「どうして? こんなに可愛いのに(私には敵わないですけどね!)」
「さあな。ヤツにもいろいろ思うことがあるんだろう。俺はシンプルに自分の似合う恰好をすればいいと思うが、本人が嫌なら仕方がない」
「はあ……そうなんですか……」
こちらのセカイは全てがうまくいっているように見えるが、六条夕里には夕里なりの悩みがあるらしい。どんなセカイでも人生そう都合よくはいかないということか。
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