chapter 7 「もしも私が彼女に出会えていたら...(正)」 Ⅰ


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 物語の焦点は再びサーバー室へ戻る。


「『ノーネーム』は俺じゃない!」


 泡を食ったように叫ぶ津島夢呂栖めろすを蛍は冷ややかに見下ろした。


「警察でも同じことが言えますかね、先輩。別にこっちはデータの流れを警察に提出してもいいんですよ? それとも公安委員会の方がいいですかね? そっちだったら先輩のお父さんもさすがに庇えないんじゃないですか?」

「違う! あれはダミーだ。まさか、アレは本当にホンモノなのか…………?」


 無言の反応を肯定ととった津島はたちまち恐慌状態に陥った。


「クソッ! ハメられた! 俺はただ、いいネタがないかあのサイトを見ていただけなんだ。そうしたら漏洩情報の中に『ノーネーム』の管理者IDとPASSが表示されていたんだ。半信半疑でメモして入力したら本当に入れた。腹抱えて笑ったよ。漏洩サイトが自分の情報を漏らしていたら世話ねーな、て。まあそのうち向こうも気づくだろうから、取るもの取って遊べるうちに遊んでおこうと思ったんだ」


 しかし、『ノーネーム』がPASSを書き換えることはなかった。それどころかいつの間にか津島の運営するまとめサイトは『ノーネーム』のシステムの一部として乗っ取られてしまったのである。津島が商売のネタとして蒐集してきたスキャンダルを燃料にして『ノーネーム』は暴走。津島が気づいた頃には悪意の連鎖は彼の築き上げてきた”ネットワーク”を燃やし尽くそうとしていた。


「―――永井火風花かふかが飛び降りたときはさすがにマズいと思った。リアルに実害が出るだけでもヤバいのに奴の件にはよりにもよって俺の身内が関わっている。妹の存在が警察にバレたら捜査線上に必ず俺の名前が上がる…………クソ、クソ! アイツ一人死ぬならどうでもいいが、俺まで巻き込むとか」

「下衆め」蛍は吐き捨てるように言った。


 夕璃も気分が悪くて今にも吐きそうだった。実の妹が暴行されたというのにそれを金儲けの手段に使おうとした? この男はいったいそこまでして何が欲しいのだろうか? 理解できないし、理解したくもなかった。


「―――結局、津島先輩は真犯人じゃないということ?」


 黙っているとますます吐き気が強くなりそうなのであえて言葉にしたが、蛍は心底嫌そうにかぶりを振る。


「さあな。真犯人じゃないというのは言い過ぎだろ。ここ24時間の原因は間違いなくコイツのせいだからな。それに真犯人でも別に問題ないだろうさ。現状の証拠は全てこの男であることを示している。津島夢呂栖めろすという男によほど思い入れがなければ一気落着だ」

「そんな!? 助けてくれ!」


 先ほど鈍器で殴りつけようとしたことをすっかり棚に上げて津島は泣き喚いた。見るに堪えなくて蛍の顔を伺うと目顔で肩をすくめている。どうやら本気で津島を犯人に仕立てる気はないらしい。夕璃はほんの少しだけホッとした。


「『ノーネーム』の管理者IDとPASSを教えろ。それとアンタのサーバーの方もだ。何とかすると約束はできないが、やれるだけはやってやる」

「ありがとう…………ありがとう…………」


 津島が口頭でIDとPASSを伝えると夕璃はスマホにメモした。


「よし、ユーリ。それをミカたちにも伝えてくれ…………ユーリ?」


 夕璃はメモしたばかりの画面をじっと見つめていた。血の気が引いた顔で何かを考え込んでいる。


「ユーリ?」

 

 ―――N0Nam|Ξ


 それこそが『ノーネーム』の管理者用IDだった。


 ―――私は……これを……知っている。


 綴りなどそもそもない。単にそう読めるから学院生はそのスパムメールを「ノーネーム」と呼んでいたに過ぎなかった。でも、それは夕璃の世界の話。夕里の世界の裏サイトではこういう記述ではなく普通に「NO NAME」になっていた。


「どうした? そのIDに何か引っかかるものがあるのか?」

「…………ううん、別に何でもない」


 答えられない。並行世界で知りえた情報だと言えるはずがない。

 蛍は尚も訝しげであったが、サーバーに持ってきたPCを繋ぐと作業を始めた。多摩でもミカたちが同じことをしているはずだ。

 時間はもうあまり残されていない。かほるの情報によれば、津島のサーバーに浸食したのと同じように多数の外部サーバーが攻撃に晒されているらしい。それらが陥落し、第二、第三の「ノーネーム」になってしまえば止めることはもはや不可能だ。

 「ノーネーム」の内部を解析しつつ、そのネットワークの全てを完膚なきまで焼き尽くなければならない。


「よし! ミカ、同時に潜るぞ」

『OK、こっちも「ノーネーム」の内部に潜入できたよ…………こ、これは……』


 ヘッドセットの奥でミカの呻き声が漏れる。


『ホタル、これって…………!?』

「…………ああ、わかっている」


 監視も兼ねて津島から聞き取りをしていた夕璃が振り向くと真っ青になった蛍の顔が飛び込んできた。いつだって尊大だった態度は今はどこにもない。両肩は力なく落ち、小さくため息をつくと呆然と天井を見上げた。


『ホタル、これは』

「だから、わかっている!…………すまん、本当に状況は理解できているんだ。まあ、なぜこういう状況になっているかはまるでわからないけどな」


 はは、と乾いた声が狭い室内に響いた。


「ホタル、どうしたの?」

「うん? ああ、日本の警察は案外優秀だったってことだよ」

「ホタル!」

「説明の言葉よりもこいつを見た方が早い」


 蛍はそう言うとPCに向かって話しかけた。


「―――FENA、起動スタンディング


 液晶の中に3D描写された美少女が”現れた”。白いワンピースを着たその少女は目を開くとまるで外の世界の夕璃たちを認識しているかのように見つめてくる。


「…………やっばりいたか。HELLO FENA。久しぶりだな」

「こんにちは、マスター。『久しぶり』という概念は一週間以内にも適用されるものなのでしょうか?もし適用されるのでしたら、お久しぶりです。マスター」

「これって…………REAちゃん?」

「そうだが、正確には違う。彼女はプロトタイプだ」

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