17 治癒と浄化
イネアルさんのいう「ヨイチに試してほしいこと」とは、穢れた泉の浄化だった。
「どうやって?」
突然浄化とか言われましても、僕聖女とかじゃないし。
「光属性持ってるよね? ならこう、イメージすればぱーってできるから」
イネアルさん、普段は落ち着いててしっかりしてるのに、時折語彙が家出してオーバーリアクションになってしまう。
今も「ぱーって」のところで両手を下からふわっと持ち上げて何かを表現していた。全然わからない。
「イネアルさん、もっと具体的に指示説明しないと」
ローズが助け舟を出してくれる。有名店の店員は有能だ。
「じゃあ、とりあえず光属性の魔法を何か使ってみてくれないかな。矢じゃなくて、光球を出す感じで」
光の矢を出す要領で、矢ではなくボールをイメージする。右手のひらに野球ボール大の光の玉が出現した。
「次はそれをもっと大きく。……そうそう。で、それを……」
イネアルさんに言われるまま、光の玉を大きくし、頭の上に浮かべるまではすんなりできた。
「光が辺りを浄化するイメージを思い浮かべて」
「……その、浄化って何ですか?」
いちばん重要そうな部分が、どうしても理解できない。
「元いた世界に浄化の概念はなかった?」
「単語はわかります。綺麗にするって意味ですよね。あとは、気分的な意味で爽快になるというか……」
「こちらでは綺麗にする方の意味だよ」
「綺麗にってのは掃除することで、この光の玉で掃除と言われても」
いっそ光の玉からビームでも放って、辺りを物理的に掃除することしか思いつかない。焼き払え! 的な。物騒だな、僕の思考。
「ああー、そういう考え方なのか……」
イネアルさんも考え込んでしまった。
ここで薬屋さんの有能店員、ローズが再び手を挙げた。
「ヨイチ、泉が怪我してるって考えてみて。治癒魔法を使う感じで良いと思うの」
ローズに治癒魔法と言われて、引っかかっていたものがするりと取れた感覚がした。
泉を改めて見る。魔物の死骸は取り除いたものの、流れ込んだ血や体液や泥、倒れて浸かっている木の枝葉はそのままだ。
こうなる前の泉の姿を目にしたことはないけど、グリオやベティの様子を思い返すと、元は綺麗な場所だったに違いない。
大工仕事をしている最中、釘の頭で肘を引っ掛けたツキコの傷跡は、痛くないと言われても信じられないほど痛々しかった。
泉の今の様子も、惨たらしい。
怪我をしたと考えることは……できそうだ。
ツキコのときと同じように、治れと強く念じた。
「おっ!?」
「ひゃ!」
目を閉じていても、周囲が眩しくなったのが解った。
僕は自然と手を泉に向け、光属性の魔力を注ぎ続けた。
光が収まった頃、そっと目を開けるとあの青い燐光がちらついていた。
僕と泉の間に幾筋もの青白い線が見える。
線と燐光は、数秒もしないうちに薄くなり、見えなくなった。
泉は、一番深い所の底まではっきり見えるほどの透明度を取り戻していた。
流れ込んでいた液体の類は全く見当たらない。浸かっていた木ですら消え失せている。
泉の回りの折れたり枯れたりしていた草木まで蘇り、青々と生い茂っていた。
「すごい、綺麗……」
ローズの呟きが遠くに聞こえる。
「成功だよ。いや、それ以上か。ありがとうヨイチ、本当に助かったよ」
自分のやったことが信じられなくて呆然としていたら、イネアルさんに肩を叩かれて、我に返った。
「ヨイチ、体調悪くない?」
ローズが僕を見上げて気遣ってくれた。
「平気。ちょっとお腹すいたかも」
体調は悪くない。
ただ、昼にはまだ少し早いけれど、お弁当を食べてしまおうかなと思うくらいには空いている。
「魔力をだいぶ消費しただろうからね。これをあげるよ」
イネアルさんが出したのは、小瓶に入った液体だ。蜂蜜を薄くしたような黄金色をしている。
「これは?」
「魔力回復薬。お店にも出しているから、怪しいものじゃないよ」
「ありがとうございます、頂きます」
きゅぽ、と小瓶の栓をあけて、一息に飲んだ。味は薄甘くて、喉にすっと染み込んだ。
「ぷは。美味しい……あれ? 空腹もおさまったような」
栄養ドリンクくらいの水分で、僕の空腹が紛れるはずがない。やっぱり、食欲は魔力と連動しているのかな。
「魔力は食事と睡眠で回復するのが一番良い方法だ。回復薬は緊急用だと思ってほしい。ちなみにこれは、この泉の水を使わないと作れないのだよ」
「困るって、そういうことでしたか」
「まあ他にも色々とね。ヨイチ、魔力は充分あるかい?」
「? はい」
全快ではないけど、空腹を感じないなら充分と言えるだろう。
「じゃあもうひと仕事頼むよ。家に帰るまでの間、護衛をお願いしたい」
泉の水に含まれる不思議な力は、人が扱えば薬の材料になるが、魔物にとっても魅力的なものらしい。
穢れた泉を僕が浄化したことによって、泉から離れていた魔物が早速戻りはじめていた。
帰りの道中、僕たちを見つけて襲ってくるやつに限り、僕が弓矢で倒し、死骸を回収しながら進んだ。
月に二回、泉の水を汲みに行くときは冒険者を護衛に雇い、時にはイネアルさん自身も攻撃魔法で身を守るのだとか。
「あまり得意じゃないし、魔力は薬を作るために取っておきたいからね」
魔物は全て僕が倒せたから、イネアルさんの出番はなかった。
泉を出て荷馬車で一時間ほどで、魔物の襲撃はおさまった。
気配察知にもひっかからない。
「ここまでくれば大丈夫だ。今のうちに食事を済ませておこう」
イネアルさんは荷馬車を止め、荷台でそれぞれお弁当を広げた。
「ほふぅ……」
ローズはお弁当を膝の上に広げたまま、ため息を付いた。なんだか食欲がなさそうだ。
「大丈夫? 酔った?」
「ううん。ローズ、生きてる魔物をたくさん見たのはじめて。ヨイチはいつも、あんなのと戦ってる?」
「そうだったのか。こんなに多いのはあまり無いけど」
魔物をじっと観察しているとは思っていたけれど、もしかして怖くて動けなかったのかな。
僕もこっちの世界へ来たばかりの頃、初めて魔物を見たときは盛大にビビった。
ほぼ人と似たような姿で頭は豚のオークという魔物だったのだけど、城の兵士はオークを一体一体縛り付けて動けなくし、ビビる僕らに剣を無理やり握らせ「さあ殺れ」と言い出した。
誰も動かなかったから、仕方なく僕が最初の一匹の喉元に剣を突き立てると、何かが吹っ切れた亜院が他のオークを殺し始め、それから不東が続き、土之井と椿木は魔法でどうにか一匹ずつ仕留めた。
この時にはじめてレベルアップした。
生き物を殺した感触がなかなか消えず、その後数日は食事がまともに喉を通らなかった。
一ヶ月もした頃にはすっかり慣れて……いや、今でも魔物を倒すときは心のなかで「ごめん」って言ってる。グリオを襲ったゴブリンの時は記憶がないから言ったかどうかわからないけど。
僕でさえこうなのだから、普段魔物とはあまり縁のないローズにはショックが大きかっただろう。
ローズをよく見ると体が小さく震えていて、手にしたサンドイッチを口に運びかけてはやめている。
少しでも気が紛れればと思って、ローズに治癒魔法をかけてみた。
いつもの治癒魔法は眩しいくらいに光るのに、今回はふわりと光ってローズに染み込むように消えていった。
「ふあ?」
「どうかな」
「……なんか、すっきりした。ありがと、ヨイチ」
ローズはシャキンと座り直し、サンドイッチに勢いよくかぶりついた。
「今の魔法なに? 治癒魔法? 怪我以外を癒やす治癒魔法なんて初めてみたよ?」
「えっ?」
イネアルさんが齧りかけのサンドイッチを手に持ったまま、こちらをまじまじと見ていた。
「普通に治癒魔法のつもりでしたが……イネアルさんにもかけましょうか」
「ああ、是非お願いするよ」
イネアルさんにも魔法をかけると、しばらく目を閉じて、それから大きく息を吐いた。
「なるほど、浄化魔法だ。完全にモノにしたね」
そう言って、ニッと笑う。
「どうでしょうか。治癒魔法をかけたつもりだったんですが……勝手に浄化魔法になってるなら、モノにしたとは言えないんじゃ」
イネアルさんはしばし首を傾げた。
「君が異世界出身であることが、魔法の効果に影響を及ぼしている気がするよ。君の治癒魔法は、対象によって浄化魔法に変わるんだ。浄化魔法は普通、人に対しては何の効果もないものだけど、ヨイチはローズや私を心から癒やしたいと思ってくれたから、効果が出たのだろうね。それは、今までの常識や概念がそうさせているのだと、私は推測するよ」
「……よくわからないです」
正直に言った。魔力は自然と扱えるようになっていたけど、魔法の仕組みは未だに理解不能だ。僕の思った通りの効果が出るなら、何でも有りになってしまうではないか。
「それでも良いと思うよ」
イネアルさんは手に残っていたサンドイッチをぱくぱくと平らげた。
「ヒスイのサンドイッチ美味しいねぇ。お金払うからまた作ってきてもらっていいかな」
「ヒスイに聞いてみる。多分、いいって言う」
今日のお弁当は、僕らが三人で出かけると聞いたヒスイが持たせてくれたものだ。
イネアルさんはサンドイッチが気に入ったらしい。
美味しいからね。仕方ない。
今、どうして僕は、ヒスイの料理をイネアルさんに渡したくないと考えてしまったのだろう。
浄化魔法に成功したり、ローズやイネアルさんに浄化魔法が効果があったことが吹き飛ぶ程、もやもやした気分になってしまった。
「どうしたの、ヨイチ? サンドイッチ食べないなら私が……」
イネアルさんが物欲しそうに僕のサンドイッチを見つめてくるので、急いで食べきった。
「冗談だよ、取らないよ」
「ヨイチ、ローズのひとつあげる」
「いいの? 遠慮なく貰っちゃうけど」
「うん」
「ちょ、ローズ? ローズさん?」
ローズがわざと黒い笑みでイネアルさんを見つめると、イネアルさんが吹き出した。
口の中にサンドイッチが入ったままだから、笑いを堪えるのが大変だった。
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