箱の中のディストピア《ショートショート》

T-Akagi

箱の中のディストピア

 窓から入ってくる光と空気は、ヒトを殺傷するのに十分過ぎるほど鋭く、全身を黒のマントのような布で覆ったその男を、今にもギザギザに切り刻もうとしていた。轟々と鳴っている風切り音が壁に打ち付けられていて、もうここから1ミリも動く事は出来なくなっている。

 石造りの古い家屋は隙間が出来ていて、既に床は水浸し。そこに転がっている黒焦げになった物体は、床に広がる雨水を吸い込んでいるようだった。


 それをただただ眺めるしかない。目を開けている時間も、徐々に少なくなっては来ている。まぶたを瞑る必要さえないのに、開けている間中、現実を直視しなければならない。ふと視線を窓に向ける。窓にはビッシリと砂埃が張り付いていた。


 ー ゴンゴンゴン!ゴンゴンゴン! ー


 突然、扉をノックする音が聞こえる。こんな砂嵐の中で、ここまで来られるのはあの人間しかいない。それでもノックしている。今、中から扉を開ける事すら出来ないのに。


 すると、極めて瞬間的な間隔で、扉を開け閉めする音が聞こえた。鍵は閉まっていなかっただろうから、勝手に入ってきたのだろう。


「大丈夫か。兄弟。」

 入って来た少し声の太い男は、黒マントに馴れ馴れしく声を掛けた。このボロボロの建物に勝手に入ってくる人物など他にはいない。それはいつもの光景だ。手にはいつもの通り、くしゃくしゃの紙袋を掴み持っていた。


「やっぱり、ほとんど残してるんじゃないか。あんまり要らないのか?ま、でもそうは行かないだろう。」

 無言で黒マントに包まれている男に声を掛けても、当然のように応答はない。それでも、声は掛け続けるし、差し入れは続けなければいけない。そう決まっている。止める事は許されない。


「前のは回収しとくぞ。新しいの置いておくから。何か必要なものはないのか?」

 いつも通り、返答があると思えないが質問は欠かさない。もし万が一、何かあってからでは取り返しがつかない。それが全人類の為だ。命運はこのやり取りに掛かっている。その使命を平然とこなす事が、この仕事の唯一の必須条件だ。


「...。」

 その時だった。差し入れを置き直していると、驚く事に予想もしない反応が返って来た。座り込んでいる黒マントの男が、ある方向を指差す。その先には小瓶があり、萎れてしまった花が差したまま放置されていた。こんな物、いつの間に。ここにこんな物があったのを初めて知った。

 もしかしたら、以前から置いてあったのかもしれないが、この空間がそれだけ異常で、とても神聖な空間だったからかもしれない。


「今度でいいか?」

 きっと花を差し替える必要があるのだろう、と受け取った。次回1ヶ月後でいいだろう、とそう思い答える。するとこれまた意外な反応が返ってきた。

 視線を感じて振り向くと、黒マントの中からこちらを見ている。視線をくれたのは初めてで、暗く重い雰囲気とは正反対のエメラルドの澄んだ瞳をこちらに向けていた。その瞳は、吸い込まれそうな奥行きを感じる。

 そうか。今すぐ...。砂嵐の中で探し出さなきゃならないんだな。そう悟った。


「わかった。今から摘みに行って来るよ。お願いされたのは初めてだからな。それに、、、、」

 男は言葉に詰まった。黒マントの中から、こちらに視線をくれているその人型は、人類に必要不可欠なシステムその物だったのだ。


 【 酸素供給システム O2-Z009 】


 世界はこの黒マントの中から支えられている。少しの補給で莫大な酸素を排出供給するシステム、そのものだ。

 酸素不足で危機に陥った世界を救うシステムが完成したのは150年ほど前の事だという。歴史の授業で学んだ。


 2000年代の100年で折り返すと思っていた地球人口は、増加を止める事が出来なくなったしまった。温暖化による自然災害などにも見舞われたが、それでも人口は減らない。人口増加と共に、砂漠化による植物減少は止められず、酸素が不足し、人が生存困難な地域は確実に広がっていった。


 2000年代終盤、とある科学者による世界的レポートが発表された。その発見は、酸素を意図的に作り出す研究結果であった。世界は酸素不足を解決できる事に沸いた。無限に酸素を排出供給できる。夢の科学だ。


 しかし、その発見で世界中が沸いたのも、ほんのひとときの事だった。

 そのシステムを開発するには、生きた人体を必要とするというシステムである、という追記がなされたのだ。


 人命を脅かすシステムであるという情報が一方的に広がり、人権団体や宗教団体による世界的暴動が巻き起こった。人間が尊重されない社会の構築だけは許してくれない。そういう意味では、人というものはわかりやすい。


 誰一人として、世界のために自分を犠牲には出来ないのだ。


 結局、その大きな発見は人権を尊重するという概念の下、蓋をされてしまった




...ように見えた。

 水面下で研究は続いていたのだ。その研究は発見したとある博士が生涯を掛けて続けていった。


 その後、どのような末路を辿ったのか。それを知る物は世界にたった一人しかいない。正確に言えば、後継者を見つけては語り告がれていった。今、私がその役目を人生を掛けて請け負っている。


 目の前にいる黒マントの男は、先代いわく、酸素供給システムの開発者の博士だという。正直声さえ聞いた事がないし、博士自身が記した書類やメモなどを残しているわけではないが、先代からそう伝え聞いている。150年前に画期的システムを開発した博士本人が、なぜ今もここにいるのかわからない。


 しかし、一つの事実と照らし合わせると合点がいく。


 150年前、発表した酸素供給システムの存在を、世界から無視され始め、影ながらの研究に入ったのち、地球の酸素量は劇的に改善して行った。

 世界が何かの力によって助けられたのは確かなのだ。それが黒マントの博士による物なのか、絶対とは言い切れないが、この場所はそれを説明するに十分な状況ではなかろうか。


 最後に、、、


 今も地球の酸素は保たれ続けている。

 人類は誰かに救われた。


 しかし、人というのはやはり愚かなものなのだろう。


 不足していた酸素量が安定するや否や、人類は開発の手を再び早めていった。

 結果として、世界がそれまで以上に荒廃したのは言うまでもない。



 黒マントの博士は、本当に声を失ったのだろうか。

 それとも自らが救った世界に絶望したのか。


 何も言ってはくれないが、命がけで救いの手を差し伸べた人類にどんな想いを感じているだろう。


  いつか聞いてみたい。


    私が生きているうちに。



        END

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