上から目線

エリー.ファー

上から目線

 幸せになるという、時間が必要だ。

 人間は、皆、幸せを目指している。

 神になりたいとのたまう者もいるだろう。その本質は、その核は、すべて幸せである。

 不幸から遠ざかり、できる限り自分の不運について考える暇もないほどの幸福を抱えたまま死にたい。

 これ以上の望みがあるだろうか。

 私は神である。神様である。

 私は人のことを見つめてきた。この場所から、あの場所から、同時に観察してきた。たった一つしかないこの肉体でそれ以上の目と思考をもって生きているのだ。およそ人間の考え方で測ることのできる存在ではないことは分かっただろう。本来、神というのはこの世の中に存在していない。空想と言ってもいい。しかし、存在もしている。空想と、空想の外、いわゆる現実というやつだが、その間を行き来できる存在と言える。いなくてもいいし、いてもいいのだ。どちらであっても、神と名乗るにはふさわしいし、人はその姿を尊敬してきた。神が人の姿をしているのは、人間が神を作り出したためだ。多くの人は、神というものに自分の想像の限界を見る。それは、その神というものが、神という概念が、神という現象が、神という生き様が、尊いものであると言い切ることができないためだ。よく考えてほしい。尊いかどうかというのは、所詮は上からの考えである。下から尊いなどという感情は間違えている。下から上に向けるものに感情などない。感情がなくなっても、思考が残りそうなものだが、それさえもない。神に向ける視線は常に純粋でなければならない。それは人と神が取り交わした約束なのだ。破ることが許されないのは、神にとってではない。人間にとってである。人間にとって、神はある種の依り代なのである。そして、犠牲そのものなのだ。何か害悪なるものを取り出して欲しい時に神を使うのだ。一つの社会的な機工と言っていいだろう。故に、それらは常に繁栄とともに存在する必要があり、定期的なメンテナンスを重要な要素とする。分からないまでも、人は神に近づこうとしたのだ。そして、そのすべてを自分たちの理解の中に押し込んだのである。およそ、まともではない発想ではある。しかし、時間が足りないばかりに神は歪になってしまった。これは、神の問題ではない。人間の問題である。神が人間に手を伸ばし、その結果人間と神との間に、何か別のものを噛ませてしまったことによって発生する、一つの邪魔、いや、文明そのものなのだ。人間は神に近づくために、積み上げたつもりだったのだ。だが、それは大きく違う。認識を改めるべきなのだ。神は積み上げたりしないのだ。最初から持っているものを、大切に使って、ただ証明するだけなのである。そこに文脈は存在しない。ありふれた解釈では理解できない、外の世界で起こる、灰色の哲学。後生大事に抱えたところで、何も見えてこないのは、神の高さではなく人間の低さなのである。高尚という言葉一つとっても理解できないまま使うことは罪深く、いつか神以上の存在がやってくることを示唆している。

「分かりません。神よ」

「分からぬだろう。その気持ちは分かるが、こちらが歩みを止めることはないぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

上から目線 エリー.ファー @eri-far-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ