第90話 88事件
日が暮れて、後輩たちも帰っていった。
夕食後、精神的な疲労で眠くなった。
けれど、まだ自分の作業がある。ここで休んだら、明日以降のスケジュールに影響が出る。
どうにか仕事をやっつけようとするものの、集中力が切れている。
(今日は終わりにしようかな)
21時から推しの配信もあるし。
(推しといっても、僕のカノジョなんだけどね)
というか、配信の時間になっていた。
オープニング動画を2分ほど見た後。
『こんあかつき。こんばんは。バーチャル魔法少女萌黄あかつきです』
おなじみの挨拶が元気よかった。
僕以上に疲れていると思ったが、うまく切り替えられている。安心した。
『最近、あたし、リンゴフィットを買ったの』
リンゴフィット。リンゴ農園で農作業をしながら、フィットネスをするゲームだ。農作業がハードで、ダイエット効果があるらしい。
『というわけで、今日はリンゴフィットをしていきます』
ゲームの画面がワイチューブに表示される。初めてプレイするみたいで設定からだった。
『なになに、年齢を入れるの?』
:リアルの年齢じゃないとダメだよ
:ウソだとダイエット効果がない
:運動負荷が上がって危険なケースもあるよ
『うーん、そうなんだ。2億歳とかできないんだぁ。あたし、14歳の魔法少女なんだけど、年齢は誤魔化したくなるでしょ』
萌黄あかつきとしての設定年齢は、14歳だ。詩楽は16歳。本物の情報をバラすわけにはいかない。
そのため、あかつきさんは使い魔の猫を画面上に召喚。猫で年齢欄を隠した。
『年齢は終わったよ。今度は身長ね。身長はプロフにも書いてるし、そのままでいいね』
149センチ。詩楽の身長だ。うちの事務所では、リアルと同じ設定の人が多い。
『次は体重ね。これもホントじゃないとマズいんでしょ。あかん奴じゃん』
猫によって体重も秘密になった。
『って、あたし知ってるよ。左下のBMIから体重がバレるって。他のVTuberさんの切り抜きで見たし』
BMI=体重÷(身長×身長)。つまり、身長とBMIがわかれば、体重も計算できる。おまけに、BMIはリンゴフィットが自動で計算して表示する。
なので、体重を伏せても、意味がない。
:残念、知ってたか
:いろんな人が放送事故起こしてるよね
:44.5事件な
:『44.5』でゴゴるとVTuberが一番上に来る件
:あかつきちゃんならポンで伝説作ってくれるはず
いくらポンのあかつきさんとはいえ、罠を知っていて、やらかす子ではない。BMIはマントで隠した。
『ふぅ、あたしがポンコツ魔法少女だからって、ミスはしないよ』
得意げに語っていたあかつきさんだったが。
『なになに、今度は体脂肪率測定』
リンゴフィット専用のコントローラでは、体脂肪率も測定できる。
リアルな測定結果が表示された。
23%だった。成人女性の平均が25%ぐらいなので、少し低い。胸の脂肪が一般より多いことを考えると、痩せているかも。
『まあまあ、問題ないない。このまま勢いでやるよ』
あかつきさんはサクサク入力していって――。
「くしゅん」
くしゃみが出て、少しだけ画面から目がそれる。
次に、視界に映ったのはコメント欄だった。
:88⁉
:88だとよ
:大きい
:夢が守られた!
コメントの勢いが時速100キロを超えるぐらい。
『うわぁぁぁっ、やっちまったぁぁ』
あかつきさんの叫び声がする。PCのスピーカーと、壁の向こうから。
(なにが起きた?)
配信画面に目をこらす。
「あっ!」
手で口を押さえた。隣の部屋で配信している。万が一、はにーの声が聞かれたら放送事故になってしまう。
「詩楽さん、やっちまったな」
88とは胸囲のことでした。いや、スリーサイズを全部書いていた。
『みんなにバレちゃったよぉぉ。マジでどうすんのさ』
VTuberはバーチャルの存在。生身を感じさせる情報を出すのは、よくない。
くしゃみのように誰もがする生理現象ならともかく、キャラと魂とのギャップを感じさせるのはNGだ。
VTuberが料理やカードゲームの開封をしている配信を見たことがある。みんな、手が映らないように細心の注意を払っていた。
詩楽とは別の意味で、僕も複雑な気分だった。
カノジョのスリーサイズが不特定多数の人に明かされたわけだし。
(さて、このままじゃマズいし、なんとかリカバリーしないと)
先のことを考えてみたら、動揺しすぎることでもないと気づいた。
僕はディスコーダーで詩楽にDMを送る。
『落ち着いて。あかつきさんのアバター、詩楽に体型が似ているから、違和感ないはず』
彼氏の僕が保証する。あかつきさんの推測胸囲と、詩楽の胸囲は同じぐらいだと。
『あっ、はにーちゃんからDM来て、ちょっと落ち着いた。はにーちゃんの目視どおりだったって』
:はにー、女体検定初段持ちとか?
:プリムラじゃないんだし
:裏でフォローするはにー、さすが
『スリーサイズがバレたけど、あたし気にしない』
僕のDMを使って、ネタとして処理したようだ。
:ポン助かる
:88は末広がりって言うしね
:88とは縁起がいい
『あたし、ラッキーな魔法少女。リンゴの育成に励む』
事故はあったものの、ようやくゲームが始まる。
まずは、剪定。ゲーム内のキャラがハサミを持ち、木の形を整える。
『けっこう、疲れるね。つま先だちじゃないと届かないし。ずっと腕を上げて、ハサミを使うのも握力いる』
つぎに、キャラが中腰になって鎌を持った。草刈りだ。
『草刈りもしんどい。明日、腰が痛くなりそう』
農作業の大変さを体感したらしい。
他にも農薬をまいたり、授粉をしたり。
時間は流れ、収穫へ。
ハサミを使って、リンゴをとっていく。
『ふう~収穫も疲れるけど、充実感あるね』
収穫も終わる。
生産したリンゴの個数がスコア化され、消費カロリーとともに表示される。
『というわけで、今日はこのぐらいで。事故もあったしね』
:事故助かる
:これからは88と呼ぶね
『呼ばなくていいから!』
あかつきさんはオーバー気味に反応したあと。
『今日は農家さんの苦労も少しは実感したし、これからはリンゴを大切にいただこうと思います』
まとめに入った。
とりあえず、どうにかなったけど、詩楽のメンタルが心配だ。
(今日は一緒に寝ようかな)
ここ数日は気温も上がって、彼女のパジャマも薄くなった。
添い寝していると、88様が当たるわけで。
「これからは、僕も88様を大切にいただこうと思います」
って、僕が変なことするみたいじゃないですか。
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