第86話 ラッキーフード
ゲーセンを出ると、空がすっかり赤くなっていた。
「夕ご飯、外で食べていく?」
僕の問いに詩楽がうなずいたときだった。
「でしたら、いいお店にご案内しますわ」
後ろから聞きなじみのある声がしたのは。
「
「仕事の気分転換に歩いていましたら、おふたりを見かけましたの」
「それとも、わたくしが一緒ではお邪魔かしら?」
「いいえ、僕はかまいませんが」
「べ、べつに」
詩楽は塩対応だけれど、僕にはわかる。嫌がっていないと。
僕は理事長に話したいこともあったので、詩楽の態度は助かった。
理事長に連れられてきたのは、ジンギスカンの店だった。
ジンギスカンは
(そういえば、今日のラッキーフードはラムだったな)
理事長がおーぶさんの占いを知っているはずもない。たんなる偶然だろう。
理事長は恰幅のいい男性コックに挨拶をする。コック服のネームプレートに店長と書いてあった。
僕たちは店長の案内で、個室へ。
「ここのお店、元横綱が経営してますのよ」
「横綱って、相撲のですか?」
「ええ。もちろんですわ」
元力士が経営するお店と聞くと、美味しいイメージしかない。
「元横綱さんとは経営者の会合で知り合ったのですわ」
20代半ばにして、複数の会社を立ち上げているだけに僕たちと住む世界がちがう。
注文した料理が運ばれてくる。
丸い鉄板に、生のラムと野菜が豪快に乗っている。
理事長の前には赤ワインが入ったワイングラスが置かれている。ワインが似合いすぎている。
「理事長もお酒を飲まれるんですね?」
「ワインは教養ですわ。パーティーでいただくことも多いですし」
貴族が参加するパーティーでもおかしくない人だ。
しばらくして、鍋に火が通る。
申し訳ないことに、理事長が僕たちの分も皿に取り分けてくれた。
みんなで食べる。
ラムは臭みもなく、柔らかい。野菜に肉汁の旨みが移っていて、野菜もメチャクチャ美味しい。
「わたくしたち、普段は仕事や学校に追われてますでしょ?」
「ええ」
「時間もありませんし、どうしても健康管理がおろそかになりがちです」
グサリと刺さった。できるだけ自炊しているけれど、忙しい日はムリ。
「ラム肉は栄養豊富で、低カロリーですの。働く女性の見方ですわ」
「ん。ラムちゃんで精をつける」
頬を赤らめた理事長が、微笑を浮かべる。
ワインのせいだと思いたい。立派な大人だし、『精』という言葉に反応しないはず。
ところで、理事長の上半身が動くたびに、テーブルの上に乗っかった、ふたつのお椀が揺れる。火を使っているためか、上着を脱いでいる。ブラウスがはちきれそう。
「甘音ちゃん、あーんして」
「へっ?」
「罰だから」
詩楽に視線がバレていたようだ。
(詩楽のお姉さんがいる前で、あーんだって⁉)
戸惑っていたら、詩楽が口を開けて、僕の方に身を寄せてくる。
理事長の視線も気になるが、僕が悪い。
怒られるの覚悟で。
「はい、あーん」
詩楽の口にラムを運ぶ。
「あらあら、おふたりさん。あいかわらず、てぇてぇですわね」
優しい声が怖い。『てぇてぇを守ってくださいまし』とけん制された気がする。
「てぇてぇの掟は守ります」
それだけ言うのが精一杯だった。
しばらくして、料理も減ってきた。3人とも食べるペースは落ちている。
そろそろ頃合いか。
「理事長、質問よろしいですか?」
「なんでも聞いてくださいまし。ただし、スリーサイズは秘密でしてよ」
僕は苦笑いをする。
(理事長、お酒を飲むと、キャラ変わる?)
「4期生の件なんですけど……」
「その件でしたら、先ほど報告を受けましたわ」
正式には理事長は運営企業のオーナーである。社長は別にいて、きちんと仕事もしている。なのに、一部の仕事には理事長自ら関わっていると聞く。
「なら、話が早いです」
「詩楽ちゃんを結城さん担当にしたのは、わたくしの案ですの」
「「えっ?」」
詩楽と声が揃った。
理事長は詩楽を大事に扱っている。詩楽が僕の実家に外泊したときには、朝一の新幹線で出張先から戻ったぐらいだ。
そんな人が相性が悪い後輩の面倒を見させようとしている。さすがに驚いた。
「もちろん、意図はありますわ」
「恐縮ですが、教えていただけますか?」
「わたくしがVTuberの運営を始めたのは、みなさんの成長を願ってのことですの」
理事長は真剣な目で語る。
「おふたりとも成長した実感はありませんか?」
じっくり考える。詩楽と出会って、7ヶ月。ずいぶん、変わった気がする。
けれど、自分の口から成長したと言い切るのも傲慢だと思う。
僕たちが無言でいたら。
「おふたりとも、自分たちのこと、お仲間のこと……さまざまな問題に真剣に悩んで、なんとかしようとあがきました。その結果、ふたりとも立派になりましたわ」
理事長に認めてもらえて、うれしくなる。
と同時に、理事長の意図が飲み込めた。
「それで、後輩の面倒を見たら、僕たちがもっと成長すると?」
「結論から言いますと、そうですわ」
「でも、成長って言葉……意識高い人が唱えてるだけじゃないの?」
反論できるのが詩楽のすごいところだ。
「おっしゃるとおりよ。成長ハラスメントになっては本末転倒ですわね」
「成長ハラスメント?」
「『成長するのが正義。誰もが成長すべきだ』みたいな成長を押しつける行為ですの」
「たしかに、ハラスメントですね」
成長は自分がしたいからする。もしくは、意図せず結果的に成長するものだ。
他人に命じられて、無理やりするものではない。
「納得しないで引き受けてもらっても、あなたたちも後輩も不幸になります」
「あくまでも、僕たちの意思なんですね?」
「おっしゃるとおりです」
とはいえ。
VTuberの世界は競争が激しい。大手企業勢で、チャンネル登録者数100万人を超えているからといって、あぐらをかいていたら転落するだろう。
成長しないと生きていけない。
「わたくし個人の意見もよろしいですか?」
「ええ」
「詩楽ちゃんに自立してほしいと思ってますの」
「あたしに……なんで?」
「もちろん、わたくしと猪熊さんで詩楽ちゃんを支えるつもりですわ。ですが、一生、詩楽ちゃんの面倒を見るわけにもいきませんわよ」
その言葉が刺さった。
僕は詩楽が好き。一生愛し続けたい。
僕たちの関係がずっと続いたとしても、僕が先に死ぬ可能性もある。
そのとき、詩楽が衝動的な行動に走ってしまったら?
未来を想像したら、背筋が凍りつきそうになった。
僕は詩楽とどう接するのが正解なんだろうか?
これまでは、無条件に守ろうとしてきた。
が、本当に彼女のためになったのか?
かといって、詩楽に自立を促して、放置するのもちがう。
だったら――。
「詩楽。後輩への責任で悩んでいるんだったら、僕も一緒に背負うから」
詩楽の自立を助けつつ、彼女を守ればいい。
「わたくしもですわ。失敗したら、わたくしの力をもって、解決しますから」
手段を聞いたらいけない気がする。
けれど、妹を思う理事長の温かさは本物で、僕の覚悟もいっそう強くなる。
「僕は詩楽を信じる」
詩楽の琥珀色の瞳が揺れた。
「……甘音ちゃんに信じられたら、やるしかないでしょ」
「自分の意思じゃないの⁉」
「だって、あたしは甘音ちゃんと一生離れないつもりだからね」
遠回しなプロポーズなのだろうか?
「とにかく、やると決めたからには、奴の根性を叩き直してやる」
「まさかの鬼軍曹⁉」
「どんとこい」
詩楽は自分の胸を叩く。
屈託のない笑みがまぶしかった。
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