第33話 地雷

「そっかぁ、らぶちゃん、ユメパイセンの地雷を踏んじゃったのにゃ」

「ん。土足で踏みにじってきた」


 数ヶ月前、美咲さんが詩楽の地雷を踏み抜いたのが判明し、なんとも言えない空気になった。

 当時は無関係だった僕が間に入ろう。


「夏休みの話を蒸し返すのも、荒療治なんですか?」

「そうにゃ。だから、地雷を踏んで、ごめんにゃ」

「べつに、かまわない」


 僕は詩楽の言葉に安心した。

 ところが。

 詩楽は湿気を帯びた銀髪をいじりながら、


「あたし、色ボケした母親が大嫌いなの」


 怒りをにじませた。


 詩楽が抱える問題のひとつである母親。

 このタイミングで、母の話題を持ち出してきたことに意味を感じる。


 そういえば。遊園地で観覧車に乗ったときの会話を思い出す。

『真面目な話。僕、演じてるときは自分が自分じゃなくなるから。男に媚びを売るとか気にならないかな』

『……そう。甘音ちゃんは強いんだね。あたしとちがって』


 あのとき、地雷だと見破っていたら、もっと詩楽に寄り添えたのに。

 いや、悔やんでも仕方がない。


 本人も問題と向き合う覚悟を決めているのだ。

 僕も気を引き締めて、フォローしないと。


「だって、あたしの存在を無視して、色恋ばかり。中学生のときなんか、男を家に連れ込むために、夜9時にあたしを外に追い出したのよ。そのせいで、警察に補導されたんだから」


 僕は詩楽に共感しつつも、冷静さを保つ。僕まで怒ったら、詩楽を癒やせないから。

 少しでも恋人を安心させようと、手を握った。


「そっか……ユメパイセン大変だったんだね」


 美咲さんは普段の話し方を捨てて、神妙な顔でつぶやく。


「『男に媚びを売ってて、楽しいにゃ?』って、美咲に言われたとき、あたしは大嫌いな母親を思い出した」


『男に媚びを売る』行為が、母親を連想させたのだろう。


「リスナーさんに喜んでもらうのがVTuberの仕事だと、あたしは思ってる」

「うん、僕も同じ」

「あたしのファンは男性が多いから、男性に好かれないといけない。そう思って、努力した。ただ、それだけ。でも――」


 琥珀色の瞳から透明な液体が流れて、座卓に落ちる。

 僕はハンカチで、詩楽の頬を拭く。


「収入の多くはウルチャでしょ?」

「ああ、そうみたいだな」

「あたしのしてることは、男に生活の面倒を見てもらってた母と同じかもしれない。美咲に言われて、気づいちゃって……」


 男に媚びを売る?

 不登校だったとき、僕を救ったのは、詩楽の配信だ。


(男に媚びを売って、なにが悪い? むしろ、お礼したいぐらいなのに)


 そう言いたいが、僕を代表とした男性リスナー視点での意見だ。

 詩楽自身の捉え方が問題なわけで。


「勘違いしないで。地雷だけど、美咲を恨んではないから」

「でも、らぶちゃんも言い方に配慮は足らなかったし」

「ううん。あたし、美咲の指摘に納得できたの」


 そう答える詩楽の顔は晴れやかだった。


「悔しくて、あたしは本当の自分探しをしてみた。限界に挑戦するとか。それで、16時間耐久ゲーム配信をやってみた」


 まだ暑い頃だった。萌黄あかつきさんが16時間もOpax-Legendaryを配信し続けたことがある。

 FPSでランキングを目指しての戦い。相当激しい配信だった。


(ただならぬものを感じて、あかつきさんにガチ恋したんだよなぁ)


 貧乏人の僕が人生初ウルチャを送ったのは、その日である。


「でも、その結果、夏バテで倒れちゃって。奏からは配信を休むよう言われて、エアリータグまで持たされた」

「ごめん。完全に、らぶちゃんがプレッシャーを与えちゃった」

「ううん、あたしが勝手にしたことだから」


 美咲さんを責めようとしない詩楽がたまらなく愛おしくなる。


「体調を崩して、みんなに迷惑をかけた自分が許せなかった」


 僕は黙って、彼女の指を撫でる。

 それぐらいしか、僕にできなくて、もどかしかった。


「配信と学校を休んで、ぼんやりと考えたの」


 倒れた後というタイミングが今と重なるのもあり、複雑な思いで耳を傾ける。


「結局、あたしには何もないの……心が空っぽだから」

「心が空っぽ?」


 黙って見守っていようとしていたのに、つい口を挟んでしまった。


「そう。ゲームや歌が好き。リスナーさんに喜んでもらえる配信がしたい。そう思っていたけど、美咲が指摘したとおり。あたしという存在は、どこまでも空虚なの」


 自己否定する彼女の姿は、僕と出会った頃みたいで。

 僕は直感してしまった。


「空っぽなあたしが配信を続けても、化けの皮が剥がれるかもしれない。そう思ったら……同時接続数が0人で配信してる夢を見るようになって……。あたし、怖くなったの」


 僕の不安を裏づけるかのように、詩楽は虚ろな目をして。


「あの日、気づいたら寮を飛び出していた。橋の上で、何時間も川面を見つめていた」

「……詩楽」

「あたし、逃げたくて、逃げたくて」

「わかったから、なにも言わなくていいよ」


 僕は彼女を抱きしめる。


 飛び降り未遂の原因は、思いも寄らぬものだった。


 川に飛び込もうとするなんて、よほどの事件があるはず。いじめ、失恋、成績の低下、親の虐待、経済的な理由などなど。


 詩楽の過去を聞いたかぎり、家庭環境に問題がある。母親関係で致命的な出来事が起きたのだろうとばかり。


 しかし、なにが地雷になるかは当事者にしかわからない。

 現実問題、10代の自殺は原因不明が多いと言われている。


 あらためて、詩楽の気持ちを整理する。


 もともと、『男に媚びを売る』母親に嫌悪感を抱いていた。

 VTuberになって人気が出たけど、男性ファンのウルチャが多い。母親と同じ。

 自分を見つけようと限界に挑んだ。

 倒れて、心が空っぽだと思い込む。

 失う恐怖から逃げ出したくなった。


 複雑な家庭環境という背景に、自虐的な性格が重なったわけだ。


 詩楽の問題を俯瞰ふかん的に捉えたうえで。


「ありがとう。よく話してくれた」


 僕は彼氏として彼女を肯定する。

 すると。


「……つらいの話して、少しは楽になったかも」


 弱い声なりに、気持ちは回復しているようだった。

 僕は詩楽の背中を撫でる。


「お兄ちゃん、カノジョを慰めてね」


 美咲さんは立ち上がると、僕の耳元でささやく。


「いまは弱音を吐き出させてあげるの」

「……」

「彼氏の胸で泣くのも、メンタルの回復薬だから」


 それだけ言い残すと、小悪魔なマネージャは部屋を出て行く。


 もしかして、最初から狙っていた?

 詩楽が心の問題と向き合うために。

 思わぬ策士っぷりに感心するとともに、僕は自分の役割を思い出す。


 旅館の人が夕ご飯を持ってくるまで、僕はひたすら詩楽を甘やかした。

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