運び鳥と飛べない天使
田中凸丸
第1話
何故ソレが空から降ってきたのかはわからない。本当に前触れもなく、いきなり空から家の屋根を突き破って自分の寝床へと落ちてきた。
ソレの存在は知っていて、普段は空高く浮かんでいる島に住んでいるはずっだ。ソレが何故空から落ちてきたのか、幸い落下の衝撃で怪我はしていないソレは人間の少女だった。
衣服は身に纏っておらず、白い陶器のような美しい肌が晒されている。腰どころか膝まで伸びた髪は太陽を反射する青が混じった銀髪で、銀髪によって豊かな胸部や下半身は隠されている。
閉じている目は若干たれ目がちで、小顔と相まって幼い印象を受ける。寝ているのか時折、「ムニャ。」と寝言が聞こえる。
そして少女は普通の人間と異なっている箇所が一点だけあった。それは彼女の背中から生えている白い羽。鳥類を思わせる身の丈程の巨大な一対の翼が少女の背中から生えていたのだ。
「・・・・・・天使か?」
余りにもその神秘的な光景に、家の主であるトール=フリーダムはそう呟くことしかできなかった。
夜明け直前、地平線の海から太陽が顔を出そうかという時刻、倉庫では鉄と鉄が小さくぶつかる音が響いていた。
海沿いのある小さな家、そこに併設された小屋には一つの飛行機があり、それを一人の十代半ばの青年がレンチ片手に整備を行っていた。
車輪の代わりに浮き(フロート)を取り付けた複座式の単葉機、解放式の操縦席。色はオーシャンブルーに塗られており、外見から長年使われているが、こまめに整備されている事が分かる。
そうして整備を続ける事、十数分。太陽があがると同時に何処かの家で飼っている鶏が鳴くと青年は一旦整備を辞め、手に着いたオイルを肩に掛けたタオルで拭う。
「ーーーっ!」
腰に手を当て、大きく伸びをしていると”カンッカンッカンッ!”と甲高い音が聞こえてきて、倉庫の扉が開いて、一人の少女が入ってくる。
エプロンを着けた少女の手には金属製のフライ返しとフライパンが握られており、それらを叩いて音を出していたらしい。
「トール、ご飯できた。冷めるから早く。」
「はいよ、着替えるからちょっと待ってな。」
青が混じった銀髪を膝辺りまで伸ばした少女の背中には普通の人間にはあり得ない部位、羽が生えていた。
長年戦争をしてきた東にある国デュラスと西にある国アルバス、複数の海に囲まれた島国で成り立っている二国が終戦してから十五年、海を挟んで丁度境目にある島、通称”運び鳥島”と呼ばれる島の海沿いの一角にトールは住居を持っていた。
育ての親である祖父が死んでからは一人暮らしだったのだが、今は同居人が一人増えてしまっている。
「「いただきます」」
料理が置かれている机を挟んで互いに朝食を食べ始める。メニューはベーコンエッグにサラダ、黒パンといった一般的な物だ。
「ふふふ、今日のベーコンエッグは、自信作。何故なら、昨日女将さんから、ちょっといいベーコンを貰ったから。」
抑揚のない、感情が上手く読み取れない声で少女が朝食を自慢する。
「この前が透けて見えるのがベーコンか?」
「高級品だから、沢山使うのに、躊躇した。」
「それは仕方ねえな。」
悲しいかな、これが貧乏人の性である。
「んで、少しは慣れたか?こっちの生活に?」
「ん、落ちてから二週間、もう完璧にこっちの生活はマスターした。」
「そうか、そうか、だったら一つ聞きたい事があるんだが、リーア?」
「何?」
リーアと呼ばれた少女が首を可愛らしく、コテンッと傾ける。
「何で、未だにまともな服を着ねえんだ?」
「服?ちゃんと着てる?」
「下着にエプロンだけは服とは言わねえ。」
トールの鋭いツッコミが入る。今のリーアの恰好なのだが、この格好を服を着ていると判断するのは無理だろう。
今の彼女の恰好は、下半身はドロワーズ、上半身はエプロンのみなのだ。下半身を着ている分、エプロンだけよりはまだ真面なのだが、露出が半端なく、少し動いただけで胸がエプロンから零れ落ちそうで、男としては嬉しいと同時に困ってしまう。
「むう、だって仕方ない。こっちの服は皆背中があって、翼が窮屈。その点このエプロンは背中が開いていて素晴らしい。エプロンを普段着にするのは正しい判断だと思う。」
「だから俺がやったお古の背中を破いて良いって言っただろ。後下半身が下着だけな理由にもなってねえ。」
「むう。」
確かにリーアの言う通り、背中が開いていない服は翼がある彼女にとっては不便だろう。だから破いてもいいお古を渡したのだが、未だに外出する時以外は袖を通してくれない。後何故か下半身はドロワーズのみだ。
「「ごちそうさまでした」」
この場合、朝食を作ったリーアはお粗末様なのだが。
「それじゃ、俺は一旦組合に行って、今日の郵便物を貰ってくるよ。」
「ん、私は今日も、飛ぶ練習。頑張る。」
「分かったから、此処で翼を広げんなよ。」
両手の拳を握り、気合を入れると同時にリーアの背中の翼が左右に広がる。
「ごめん、張り切りすぎた。」
シュンとリーアが落ち込むと翼も畳まれる。犬猫は尻尾で感情を表現すると言うが彼女の場合は翼で感情を表現するらしい。
実に分かりやすい。
「それじゃ、行ってくるぜ。」
「行ってらっしゃい、ア・ナ・タ。」
片手をあげて、玄関から出ていこうとするトールを見送るリーアだが、彼女の妙な見送りに思わず転びかける。
「何だよ貴方って?」
「新婚さんみたいで喜ぶって、女将さんが教えてくれた。」
「女将さんの言う事は、大抵タメにならないから聞き逃しとけよ。」
「じゃあ、行ってきますのチューも嘘?」
「それは新婚になってからやるヤツだな。」
しょうもない事をリーアに教えた女将に呆れながらも、トールは自分の仕事場、デュラスとアルバス、両方の国へと配達物を送り届ける飛行機乗り、通称運び鳥と呼ばれる者達が集まる宿屋兼酒場兼組合の建物である”梟の止まり木”へと自転車を走らせた。
戦争を終えたデュラスとアルバス、この二国は終戦を機に国交を結ぶ事と軍縮をする事を決定したのだが、一つ問題が発生した。
それは軍縮によって、職を失った者達をどうするかだ。何も保証をしなければ、彼らが空賊や海賊に落ちぶれる可能性があり、終戦直後にそう言った火種は抱えたくなかった。
そして職を無くした軍人の受け入れ先として、新たに作られた職業が運び鳥と呼ばれる運び屋だ。元々国交を結ぶ以上、物の移動は戦争をしていた時よりも盛んになり、海に囲まれた複数の島国で成り立っている両国において、自由に島を移動できる飛行機乗りの確保は重要事項だった。
こうして運び鳥となった軍の元飛行機乗り達は、両国の境目にある中立地帯の島に拠点を作り、日々の収入を得ることとなった。
トールが”梟の止まり木”の扉を潜った瞬間、内部から大声が複数人分聞こえてくるが、特に驚きはしない、郵便物を受け取る際はいつもこのように大騒ぎなのだ。
「おら静かにしろお前ら、今から今日の郵便物を割り当てるから、名前呼ばれた奴は俺から番号札を受け取れ!先ずは普通便の奴からだ!」
その中でも、とりわけ大きな声を出している六十歳位の男の指示に従って、他の運び鳥達が番号札を受け取っていく。
「おはようございます、女将さん。」
「おや、トール、おはようさん。」
酒場でもある”梟の止まり木”のカウンターにトールが座ると胸元が大きく開いたディアンドルに身を包んだブラウンの長い髪の女性が出迎える。
豊満な身体つきと服装が相まって、男なら嫌でも胸元に目がいってしまう。
彼女はナディア、”梟の止まり木”にて酒場と宿屋を経営している女主人だ。見た目は女将というには些か若いが、彼女自身は名前で呼ばれることよりも”女将”と呼ばれることを好む。
「女将さん、昨日リーアから聞いたんすけど、結構高いベーコンを貰ったみたいで、わるかったっすね。給料日前だから助かりました。」
「いいんだよ、そんな頭下げなくて、アンタ達若いんだし、栄養があるモン食っときな。」
「それはそれとして女将さん、昨日リーアに何か変な事教えませんでしたかね?」
「変な事?教えてないけどね。」
「今日、家出る時、貴方って呼ばれたんだけど?」
「新婚さんで、旦那が家を出る時には定番の挨拶さね。別に変な事じゃないだろう。」
「いや、だから俺達はそんな関係じゃなくて、、、」
リーアとの関係を否定しようとするが、ナディアは「分かってる、分かってる、皆まで言わなくてもね」と言って、トールの背中をバシバシ叩く。
何度も否定しているというのに、この女将、完全に勘違いをしている。トール自身は唯リーアが実家に帰れるまで居候させてあげてるだけだというのに。
「おい次!トール、おめえだ、早く来い!」
名前を呼ばれカウンターを離れる。運び鳥の殆どは年齢を理由に退役させられた者で、十五歳のトールは彼らの中では目立っていたが、彼に絡むような人間はいない。
「ほら、今日のお前の荷物が割り当てられた番号札だ。それ持って受付に行け。」
「あいよ、おやっさん。」
26番と書かれた番号札を受付に渡すと、目の前に手紙の束とその手紙を送り届けるデュラスに属する島の地図が渡される。
彼の今日の仕事はこの手紙の束を、宛先である島の各家に届けることらしい。地図を見る限り、島自体は割と小さく、一人でも何とかなりそうだ。
「おうっし、全員行き渡ったな。そんじゃ各々荷物を送り届けろ!普通便の奴は三日以内、特別便の奴は二日以内で届けろ!解散!」
運び鳥達がそれぞれ受け取った荷物を鞄に入れたりしながら、”梟の止まり木”から出ていく。トールも自転車の荷台に手紙の束を括り付けると”梟の止まり木”を後にした。
「ただいま、って言っても直ぐに出かけるけどな。」
「お帰り、お昼の弁当はもうできてる。」
再び自転車で家に帰ると、今朝から着替えていないリーアが金属で出来た弁当箱をトールに渡す。
「それで、今日は遅くなる?帰りは明日?」
「いや、多分、今日の夕方前には終わるだろ。」
「そう、頑張って。」
そう言って、飛行機がある倉庫へと向かうトール、二人のそのやり取りは傍から見れば夫婦のようであり、女将が勘違いするのも仕方ないのかもしれない。
「うし、そんじゃ今日も頼むぜ、相棒。」
飛行服に着替え、風よけのゴーグルをつけると飛行機の後ろの席に追加したハーネスで手紙の束を固定する。
倉庫の扉を開ると日光を反射する青い海がキラキラと輝く。
自衛用のレバーアクションピストルとカンプピストルを腰のガンベルトに携え、飛行機の始動前点検を終えるとエンジンのクランク部分にスターティング・ハンドルを差し込み回す。
最新型のスターターが内蔵されている水上飛行機とは異なり、トールが所持している物は祖父が戦時中に使っていた旧式であるため、手動で起動させる必要がある。
そうやって、ハンドルを何回転かさせると、”ブルルルルッ!”とエンジンが音を鳴らしながら始動する。
「んじゃ、行くぜえええ!」
コクピットに座り込み、操縦桿を握ってスラストレバーを操作し、スロットルをあげていく。プロペラが激しく回転し、海面を切りながら、倉庫から発進、操縦桿とラダーペダルを操作し空へと飛んでいく。
空へ飛びあがり、家の方を眺めるとリーアが両手を大きく降りながら、見送っているので、トールもサムズアップを返す。
距離的に見える訳は無いのだが、そこは気持ちの問題だろう。家を後にするとトールは地図を眺めながら、今日の荷物を目的のデュラスにある島へと運ぶべく舵を切った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます