第19話 花冠と、好意




 私を探している人間をこちらが逆に探す。そうは決まったが、短期間で何度もホームを空けるのは不自然だ。いままで王都への買い出しに行くのは月に一度程度で、それ以外は近くの村へ定期的に訪れる行商人などと訪ねていたというので、その習慣から大きく外れない方がいいという意見で一致した。

 村への買い出しは往復四時間程度。その時間でできることは少ないし、何かあった時に対処ができないかもしれない。王都へ出かける用事ができるまでの間はホームでのんびりと過ごすことになった。……焦る気持ちがない訳ではないが。



(ユーリさんが心配なんだよね……精神的に)



 ユーリから伝わってくる好意は日に日に大きくなっていく。彼自身もそれに戸惑い、困っている様子だ。私が応えられないから、私の迷惑になってはいけないと必死に抑えようとしていることまで分かってしまう。

 そういう事情もあるからか、魔石の治療も朝と夜で一日二回行うようになった。もし尋ね人の依頼人の方が外れたとしても、城の禁書庫に入れるようにと。……私のために無理をしているようで心配になる。ユーリがよく「私のためになるからと無理をしないでくれ」と考えていた気持ちが分かるようになった。



「ハルカ、ぼんやりしてない? 大丈夫?」


「……だいじょうぶ」



 天気がいいから外で日光浴をしようとセルカに誘われてホームの庭に出たのはいいけれど、ついついユーリの事ばかり考えてしまっていた。無表情でぼーっと地面を見つめていたに違いない。私がセルカに心配されてどうする。

 大丈夫だから心配しなくていい、と手を軽く振って応えたらセルカはぱっと明るい顔になり、そして少し恥ずかしそうにしはじめた。後ろ手に何かを持っている。それが何であるか、何をするつもりなのか、精神感応と未来予知で見た光景で理解した私は固まった。



「あのね、ハルカ……これ、あげる」



 頬を赤く染めたセルカが小さな紫の花で編んだ花冠を差し出した。それをどうするべきか分からず動けないままでいる私に、彼が言葉を続ける。



「大人になったら僕と結婚してよ、ハルカ。ずっとホームにいるんだし、みんな家族みたいなものだけど……僕はハルカと本当の家族になりたいんだ」



 私は元の世界へ帰るつもりで、ずっとここにはいない。もしこの世界に残ることになったとしても、このホームで暮らし続けるとしても、彼と結婚する将来は訪れないだろう。

 だって私は異世界人だ。この世界の人間とは身体構造から違うし、おそらく子供もできない。その秘密を打ち明けないままそんな関係になれるはずがない。この申し出を受けることはできない。



「できない、ごめん」


「……なんで? 僕の色が薄いから?」



 色は関係ない。私の素性が問題なのであってセルカの色について思うことなどなにもない。けれど、彼はそう思わなかったようだ。

 くしゃりと顔を歪めたセルカから流れ込んでくる意思が、悲しさと寂しさと苦しさにあふれている。過去のいろんな出来事が思考に巡っていて、私もそれを知ってしまう。

 彼は薄色であることから家族にも蔑まれていた。色が薄いくせに口答えするな、と親や兄弟から虐げられてきた。その過去で頭がいっぱいになり、彼の好意を拒絶する私と家族の姿が重なっている。色が薄いから自分は否定されるのだと。



「でも、ハルカなんて透明じゃないか!……あっ…………ご、ごめ……っ!!」



 それは思わず口から出た言葉で、本心ではない。でも心のどこかにある、彼の“色”に対する意識から生まれた言葉。

 口にした瞬間顔色を悪くし、震える声で謝ろうとする彼の心は乱れに乱れて。それをどうしてやればいいのか、私には分からない。私にはこの世界のその価値観がないから、彼が怖がっていても、泣きそうになっていても、どんな言葉をかけるのが正解なのか分からないのだ。



『ユーリさん、聞こえますか? どうしたらいいか分かりません、どうしましょう……』


『……そちらに行くから、少し待っていてくれ』



 慌ててユーリに精神感応で助けを求めてしまった。しかし彼が来るまで青い顔で震えながら桔梗のような色の目に涙を溜めるセルカを放っても置けず、とりあえずぐしゃぐしゃになるほど花冠を握りしめる手をそっと触り、力が籠りすぎている指を一本ずつ解く。このままでは爪が食い込んで傷になるかもしれない。超能力のない普通の人は弱くて、直ぐ怪我をするから。



「だいじょうぶ。セルカ、悪い、ない」



 彼は悪くない。拙い言葉しか使えないが、それだけは確かだ。

 悪いのはこの世界の構造から出来上がった色で差別する価値観と、それによって彼を虐げた人たちだろう。……いや、その人達も色によって差別し、差別され、その中で生きていくしかないのだから悪いのはやはり世界だ。つまりこの世界の神が悪い。



「…………僕は」


「ハルカ、話がある。少しいいか?」



 セルカが何かを言いかけた時、ユーリが到着して私を呼んだ。セルカには落ち着く時間が必要だから、一度離れた方がいいと考えているらしい。

 またあとで、という気持ちを込めてセルカに手を振って別れを告げ、ユーリについてホームの中へと戻った。私たちと入れ替わるようにイリヤが外に出て、セルカの元に向かっていく。彼の様子がおかしいのでフォローしようと思ってくれているようだ。さすがイリヤ、気遣いのできる素晴らしい人である。



「何があってあんな状態になったんだ?」


「セルカ、花、もらった。結婚、断った」


『……今は誰もないから、異能で話そう。詳しく聞かないと分からない』



 精神感応を使わなくても会話ができるようになろうとこちらの言葉で話そうと頑張ってはいるのだが、私の言葉はまだまだ拙い。説明が必要になれば精神感応に頼らざるを得ないし、聞き取りも怪しいので「意思を読む」力は依然使いっぱなしの状態である。……ユーリの恋心を読んでしまうので、出来るだけ使わないでいたいのだけど。

 セルカとイリヤは庭、ダリアードは厨房にいる。いつものようにユーリだけが話し、私が精神感応で受け答えをしたとしても見られることはないが、一応声を出さずに意思のやり取りで会話することにした。……傍から見たらユーリは長々と独り言を漏らし続ける怪しい人になってしまう。



『セルカさんに結婚したいと花冠を渡されて、断ったんですが……自分の色が薄いからか、ハルカなんて透明なのに、と言われまして……あの、大丈夫ですか?』


『……すまない。気にしないで続けてくれ』



 ユーリの複雑な感情が伝わってきて、つい尋ねると彼は申し訳なさそうな顔をした。私に対して、セルカに対して色々と思うところがあるようなのだが、この感情を私に言語化することはできない。複雑、としか言いようがなかった。



『セルカさんは自分の言葉を後悔している、といいますか……そんなこと言いたかった訳じゃないのに、という感じで傷ついていました』



 過去のこともあって、色が薄いことが理由で断られているのだと思い込んでしまった。でもその相手は自分よりも色がない、無色透明の人間で。自分より色がないのになんで、と一瞬考えてしまったのだ。

 そして自分が放った言葉が相手の色を蔑む内容だったことにショックを受け、震えていた。自分が嫌だったことを、相手にしてしまったという事実。自分がなりたくないものになってしまったという事実。それが恐ろしくてたまらないという感情が伝わってきた。



『どうしてあげたらいいのか分からなくて……透明だと言われたことにも何とも思っていませんし……』


『……君が気にしていないのが救いだろう。酷い侮蔑の言葉だからな』


『……ユーリさんの方が怒ってますね』



 私は本当に全く気にしていない。しかしユーリは今、セルカに怒りを抱いている。なんて酷いことを言うのだ、とそう思っている。先ほど複雑な感情の中にも混ざっていた怒りが、はっきりと表面に浮かんできた感じだ。本人もそれは自覚していて困ったような顔をしていた。



『セルカの過去は知っているし、悪気がないのも分かっている。……でも、君が侮辱されたと思うと何故か……子供に対して、大人げないな。みっともなくてすまない……』



 不思議だ。自分のことではなく、他人を侮辱されて怒るのが。侮辱されたはずの当人が全く気にしてなくても、大人げないと思っていても、苛立ってしまうのが。……それもまた、私への想いがそうさせるのだろうか。



『あんまり怒らないであげてください』


『ああ、分かっている。私の身勝手な感情だ、あの子に何か言うつもりはない。……それに、こういうのはイリヤが上手いからな。セルカのことは心配しなくても大丈夫だろう』


『それなら、ちょっと安心しました。笑って戻ってきてくれるといいんですが』



 イリヤはこのホームのカウンセラー的存在らしい。といっても、主に世話になるのは心が不安定なセルカだ。彼女がよくフォローしてくれるので、セルカはあそこまで明るくなったのだと言う。元々はかなり臆病で、なにもかもを怖がっていたのだとか。明るい少年にしか見えない今の姿からは想像も出来な――いや、そういえば初対面の時には怯えられていた。

 それがよく懐いてくれるようになって、近所の子供に好かれたような気分だったのだけど。まさか好意を持たれていたとは思わなかった。


 だって、セルカが持っている好意はユーリのそれとは比べ物にならないものだったから。同じ感情だとは思えなかったのだ。



(セルカさんのはただふわふわしてて……ユーリさんのは、なんだか、引きずり込まれるような)



 恋という感情には、人それぞれに形があるのだろうか。セルカもユーリも私を好きらしいが、彼らの感情は全く別のものだ。……ユーリの感情はあまりにも揺れ動くので、恋をしている人間は皆大変そうだなと思っていたのだけれど。セルカは私に断られるまでずっと幸せそうだった。まあ、断った瞬間不幸に真っ逆さまだった訳だが。



『……幸せそうなセルカさんの気持ちを壊したのが申し訳なくなってきましたね』


『君は元の世界に帰るから、結婚を承諾できないのは仕方がない。あまり気にしなくていい』


『まあ、それがなくてもセルカさんとは結婚できませんし断るしかないんですけど……』



 それが理由じゃないのか、とユーリが不思議そうに思っていたので説明した。通常の異世界人はこの世界へやってくる際、神に体を作り変えられこの世界の人間と同じものになる。しかし、私の場合は超能力者で念動力のバリアを張っていたせいでそれがなかった。おそらく、人種というか生物として別物なのだ。



『子供もできないでしょうし、それを説明するために異世界人で超能力者であることを明かす必要がありますからね……そんな大事なことを教えてない相手と結婚、できる訳ないじゃないですか?』



 結婚とは生涯を共にすることを誓うものだ。さすがに、重大な秘密を抱えたままそれはできない。これを隠したまま生涯を誓うのは不誠実だと思う。

 例えるなら普通に好きになって結婚した相手が宇宙人だった、というような話だ。騙されたと感じても仕方ないだろう、これは。さすがの超能力者でもそれはやってはいけないと分かる。



『それもそう、だな』



 同意したユーリがふと『なら、私はどうなのだろう』と考えたのが伝わってきた。そしてすぐに慌てて『考えなくていいし、答えなくていい』という意思も飛んできた。……ユーリだったら、どうか。考えなくていいと言われても、考えてしまった。

 ユーリはすべて知っている。すべて知った上で、私を好きだと思ってくれている。だから、彼の場合はセルカのように断る理由がない。問題は、私が彼と結婚したいと思うかどうかくらいで。



(友達でいいっていうけど、ユーリさんはやっぱり……先を考えちゃうんだね。私がもし、帰れなかったら……)



 もし、元の世界に帰れなければ、ユーリとの先の関係を考えられるだろうか。それを考え始めたところで、玄関の扉が開く音がしてそちらに視線を向けた。目を赤くしたセルカと、優しい顔で笑うイリヤが入ってくるのが見える。

 二人はそのままソファに座る私のところまでやってきて、イリヤがそっとセルカの背中を押した。



「あ、あのね、ハルカ。……さっきは、本当に……ごめんね」


「うん」


「僕のこと、嫌いになってない? これからも、仲良くしてくれる?」



 不安そうに、体の前でぎゅっと自分の手を握っている。私は別にセルカに対して怒ってもいないし、あれくらいで嫌いになったりもしない。彼のように恋愛感情は持っていないが、このホームの仲間として大事だと思うようにもなっている。

 たしか、人に好意を伝える時の言葉も習った。物事の“好き”と人に言う“好き”は別の言葉なので、間違わないようにしなければならない。好きな物には「アディア」と言って、人には確か――。

 



「セルカ、エシディ好き



 言うなればセルカは可愛い弟分のようなものだ。ちゃんと好意を持っているのだと伝えたくてそう言ったのだが、セルカは一気に真っ赤になったし、イリヤは口元を押さえながらユーリに視線を流し、そしてユーリは目元を覆っていた。……ユーリの心の中がとても複雑だ。私が何か失敗をしたのはよく分かった。



「ハルカ、音が違う。友好を伝えるなら“好きアシディ”だ。……“愛してるエシディ”は、恋愛的な好意の方だぞ。お前、さっき断ったんだろう」



 その発音は「限りなくエに近いア」と「ぼやけたエ」くらいの違いしかなく、よく聞かないと分からないレベルでほぼ同じ音に聞こえるのだが、微妙に違うその一音だけで意味が大きく変わるようだ。

 異世界語は難しい。なんでそんなに近い音で発音するのだろう、ややこしすぎる。……同音異義語が大量にある日本語を母国語とする私が言えた義理ではないかもしれないが。



「……まちがった。セルカ、すきアシディ


「う、うん……ありがとう、ハルカ」



 とりあえずセルカとは仲直りができたようなのでよかった。終わり良ければ総て良し、である。

 そのあと暫く微妙な空気が漂い続けていたけれど、ダリアードが昼食ができたと呼びにきてくれて本当に助かった。


 ダリアードと美味しいご飯、万歳。私は逃げるように食堂へと向かった。



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