第18話 ちょっと、山へしばかりに



 桃から男の子が生まれる有名な日本昔話の冒頭で、登場人物のおじいさんが山へ“柴刈り”に向かうシーンがある。あれは要らない木を切ったり薪を集めたりして山を手入れするという、大事な仕事だ。

 そう、山の手入れはとても大事である。山を放置すると荒れるのだ。だから手入れは大事だし、私がちょっとそのあたりの山で“山賊狩しばかり”をしてきたのはとても大事な――。



「ハルカ。……説明してくれ、どうしてこうなった」



 目を覆うユーリから心底理解できないという気持ちで尋ねられる。私たちは今、近くの村へと軽い物資調達にやってきたところだったのだが、とあるものを目にして即刻引き返し、ホームには戻らず道中の雑木林の中で向かい合って話をしていた。



『これは不可抗力といいますか、その、仕方がなかったんです』



 言い訳をさせてほしい。私だって別に山賊を退治したくてやった訳ではないのだ。

 十日前の朝。異世界での生活に慣れてきて気が緩んだのか、ピンクの巨大な芋虫に猛スピードで追いかけられる夢を見たせいか、久々に寝ながら瞬間移動をしてしまったようで目が覚めたら知らない場所にいた。しかも起き上がったところでタイミング悪く現れたガラの悪い男たちに見つかってしまい、彼らの目の前から突然消える訳にもいかず、しばらくその場から動けなかったのである。


 男たちは私の黒髪を見て愛想笑いをしていて私に危害を加えることはなかったが、その意思から山に潜伏しながら悪事を働く賊の一味であることを知ってしまい、どこかの家から大事にされている宝物を盗み出したことや、密猟禁止の動物を捕らえたことや、色の薄い人間を罠にはめて金持ちに売り飛ばすところだったことなどが分かってしまって、つい。



『さすがにこれを見て見ぬフリをするのは人間としてどうなんだろうと思ったんですよ。この世界は魔法がありますし、超能力を使っても魔法だと思って貰えるのでいいかと思って』



 薄色の人間の人権はぞんざいに扱われる。色が薄ければ借金のカタに売り飛ばされて奴隷のような扱いになっても文句が言えない。しかし山賊たちに騙されて借金を背負い、返済のためにその身を売り飛ばすことになったというのは、道理が通っていないはずだ。それは詐欺なのだから。

 しかもその、売り飛ばされそうになっている被害者が水色の髪に赤紫の瞳を持った少年で、セルカよりは色が濃く瞳の色も微妙に違うがどことなく雰囲気が似ており、知り合いを彷彿とさせる容姿のその子供を放っておくというのは情の薄い超能力者でも寝覚めが悪いというか、なんというか。



(あれは放っておけなかったので、仕方がなかった。うん、仕方がない)



 そういう訳でつい、念動力を使って盗賊団を巻き上げて「なんだこの風の魔法は!?」と混乱する彼らを上空で振り回し気絶させた後は縛りあげ、捕まっていた少年の縄を切って逃がし、引き留めようとする少年を振り切って林の中に逃げ込み、誰にも見られていないことを確認してから瞬間移動でホームまで戻ってきた。



『そんな感じだったんですけど、仕方がなかったと思うんですよ』


「……それは、そうかもしれないが……先に言っておいてほしかった。情報紙を見て驚いたじゃないか……」



 ユーリはまだ目を覆っている。彼がこうなった原因は、彼が手に握っているこの世界の新聞のようなものだ。私はまだ文章を正確には読めないがそこには「黒髪、盗賊、討伐、英雄」といった単語が並ぶ見出しがある。……文章を読むことはできなくとも当事者なのでおおよその内容は分かった。

 黒髪の少女が突如現れ、強大な風の魔法で盗賊たちを打ちのめし、奴隷となるところだった薄色を救い、何の見返りも求めることなく颯爽と去っていった。と要約すればまあ、そのような内容で。華々しい謎の黒髪の偉大な魔法使いを称える脚色し誇張された物語的な何かだ。読む価値はないと思う。



『朝食の前だったので……ダリアードさんの美味しいご飯で忘れてましたね』


「……君は本当に大雑把だな」



 この一連の出来事は朝飯前だったのだ。それよりもその日の朝食に出てきた茸熊の背中に生えた茸で作ったスープと茸たっぷりピザのような焼き立てパンの方に意識を持っていかれてしまったのである。

 紫色の毒々しい物体とは思えない、甘味と塩味の素晴らしい共存を叶えたあの熊の肉も美味だったが、その背中に生えていた茸など香りと出汁が素晴らしく。香りマツタケ味シメジというがそのどちらも備えたような茸だったため、ほんとうに、切実に炊き込みご飯にしたかった。

 この世界に米はないのかと千里眼で王都中を探し回ってしまったではないか。……見つからなかったが。そして山賊のこともすっかり忘れてしまったが。



「このあたりの村まで伝わってきているということは王都ではこの話を知らない者はいないくらいの騒ぎだろう。……人探しの依頼まで出ている」


『え、私のですか?』


「ああ。黒髪で魔力の豊富な十代半ば程度の少女を探す依頼書があった。君のことだろうな」



 なんということだ。私はお尋ね者になってしまったらしい。……いや、犯罪者ではないけれど。懸賞金付きで探されているという。

 しかしユーリはその人探しの依頼を少し訝しんでいる様子だった。どうかしたのかと尋ねてみると、彼は難しい顔をしながら推測を話してくれる。



「君の瞳の色の情報がない。山賊から助けられた人間の証言を元に作られた依頼書なら、瞳の色の情報があるはずだ。黒髪は珍しいが、いない訳でもないからな」



 この世界は“色”にこだわる。人探しの依頼なら髪と目の色が詳しく書かれているのは当然で、魔力の色まで載っていてもおかしくはない。だがその依頼書は髪の色と性別、おおよその年齢と魔力が多いであろうことしか書いていない曖昧なもので、人相書きすらなかった。

 私は山賊から救い出した人間には顔を見られているし短い時間とはいえ目もあったので、その人間から聞き出した情報で作られた依頼書ではありえない。ならば、それは。



「人探しでありながら、探している相手の情報をほとんど知らない。瞳の色すら分からないとなると、顔すら見たことがないか――目を開けている姿を見たことがないか。どちらかだろう」


『それって……』


「ああ。……眠っている君を拉致し、瞳の色を見る前に逃げ出された者がいるからな」



 私を異世界から召喚した“誰か”が私を探しているのではないか。この依頼の元に、私が元の世界へと戻るための手がかりがあるかもしれない。

 ユーリはそう言って「よかった」と笑ったけれど、その気持ちは喜んでいるようでありながら、悲しそうでもあって、とても複雑だった。



(……人の感情って不思議だね。正反対なのに、どっちも持ってる)



 帰りたいという私の望みが叶う可能性が見つかって喜ぶ気持ちと、私が居なくなる未来を悲しむ気持ち。ユーリはどちらも併せ持っていて、どちらも嘘ではない。

 優しい人なので私のために自分の気持ちを抑えているような気がする。私は、本当は、どうするべきなのだろう。



(ここに残ってもいい気は、する。でも戻れるってわかったら、帰りたくなってしまうかもしれないから)



 十八年育った世界と、初めてで唯一の友人がいる世界。どちらも選べるとなったら、その時私がどうするのかよく分からない。今はここに残ってもいいと思っているけれど、それをユーリに伝えた後、実際に元の世界に戻れるとなった時に気が変わったら。彼を酷く傷つけ、悲しませることになるかもしれない。

 だから、結論を出すためにはやく結果がほしい。……そうすれば、ずっと彼を苦しめなくてすむはずだ。



「依頼元を探ってみるつもりだが、君が行動すると目立つからな。暫くは私一人で動こうと思う」


『それはユーリさんが心配です。私も行きたいんですが……』



 私がのこのこと出て行ったらどうなるか分からないので、ユーリが一人で依頼人を探すと言い出した。しかし、異世界人の召喚は違法行為。そんなことを平然とやる人間が相手なのだ。彼の身に何かあったらと思うと、落ち着かない。



「しかしな……そうだ。君の異能で姿を変えるようなことはできないか?」


『そんなことできたら人間じゃないですよ』


「……溶岩の中に飛び込む君がそれを言うか?」



 溶岩には飛び込めても肉体を変異させることはできないのである。それが出来たら生物として外れていると思ったのだが、ユーリからすると私はすでに人の範疇を超えたことをやっているらしい。

 それならば髪の色を変える染料がないか尋ねてみたが、髪色で人を判断する世界なのでそういったものは禁止されていて、あるとすれば闇ルートで高額取引されているものくらいで。それも色を濃くするものであって、薄くするものはないだろうという話だった。



『もうバッサリ切って印象変えてしまいましょうか』


『っだめだ……!!』



 反射的にそう思った、という感じで強い反対の意思が飛んできて驚いた。ユーリは少し気まずそうな、申し訳なさそうな顔をしながら「すまない」と小さな声で謝る。

 髪を切るのはこの世界だとおかしなことなのだろうか。ホームの三人は結構短いのだけれど、街の人は伸ばしている人が多い。そういえば、その理由はまだ尋ねていなかったと思いだして訊いてみる。



『……この世界、髪の長さについても何かあります? 髪が長い人、多いですよね』


「ああ。……魔力を最も含むのは体液、その次が髪だ。魔力が少ない者ほど貧困のために髪を売ったり、髪の魔力を使うことになるからな」



 つまり、髪の毛は魔石の代わりになるのだ。色が薄い者の髪は魔力も少ないが、それでも多少の魔力は籠っている。髪が短いのはそれすら使わなければ生き抜けないほど“魔力がない”証。だからある程度魔力のあるものは皆、髪を伸ばしたままでいる。



『ユーリさんも長いですもんね』


「……私の場合は王族だからだ。髪を切ったらもう、貴族ではいられなくなる」



 なるほど、そういう仕組みになっていたのか。本当に色で雁字搦がんじがらめになっている世界だ。様々な物の基準、根底に“色”がある。

 黒髪なのに髪が短かったら、一体どういうことだと余計に注目を集めてしまうのだろう。透明の黒髪がいる事も知られているし、それだと一目で分かってしまうのかもしれない。



『黒髪の私の髪が短かったらおかしいってことですね、分かりました』


「いや、それは……」



 言い淀んだ先の言葉は、心の内の声として私に届く。『君の美しい髪が好きだ。切ってほしくなかった』という言葉が、私への好意と共に。

 ユーリが赤くなりながら俯いてもう一度「すまない」と謝る。……謝らなくていいのだけど、なんというか、落ち着かない。なぜこんなに、足元がそわそわとした心地になるのだろう。



「君にこの世界の、私の価値観を押し付ける気はないんだ。……でも、つい、嫌だと思ってしまった。すまない」


『いえ、大丈夫です。……まあ、私もユーリさんの髪を綺麗だって思いますし、もし切るって言われたら止めちゃいそうなので、気にしないでください』



 ユーリの髪は綺麗だ。真っ白で、さらさらしていて、触ってみたくなる。貴族として髪を切れないらしいので彼が髪を切り落とすことはないだろうけれど、切ると言われたら勿体ないと感じそうだ。

 この世界の価値観がない私は彼の髪色に純粋な好意しか持っていない訳だが。精神感応で話しかけているのでそれらはしっかりと伝わって、ユーリは片手で目を覆っていた。……髪も肌も白いから、赤くなっている耳の色がよく分かる。



「君に褒められると、困る」


『嫌ではなさそうですが……』


「……今以上に好きになってしまう。やめてくれないか」



 そう言われたらやめるしかない。私は元の世界に帰る気持ちを捨てた訳じゃないし、いなくなるかもしれない人間だ。……いくら感情の起伏が少ないと言っても、直接彼の感情を受け取っているのだから分かる。それは残酷なことだと。



『ええと、じゃあ変装はできないので、近くに隠れて待機する感じでいきましょう。なんなら目視できないくらい上空にでも浮かんでいられますし』



 一応、千里眼と併用すればそれなりの距離でも念動力は操作できる。といっても火起こし器や箸を作った時のような細かな操作はできないし、私が力を伸ばせる範囲に限られるので力が使えるのはせいぜい半径1km圏内くらいだが、物を動かすことは可能だ。ユーリに何か危険が差し迫った時、何かしらの対処はできると思う。

 常にユーリの真上に浮いていればいいだけだ。それなら一緒に行っても構わないか、と訊いてみた。



「……本当に君は、常識外れだな」



 驚いて呆れながら、それでいて嬉しそうで楽しそうな感情と、眉尻を下げながら笑う顔。彼が恋心を自覚したあの日から、伝わってくる感情には常に好意が滲んでいる。ふとした瞬間溢れるように『好きだ』と伝わってくるし、それをふいに受け取ると落ち着かない気分になってしまうが、何故か嫌だとは全く思わない。



(なんだか、変な気分なんだよね)



 自分が抱く感情が、何なのか分からない。ユーリに好意を向けられたり、彼が笑ったり、悲しんだり、そういう時に自分の中の何かが反応する。……つい「帰るのやめましょうか」と言いたくなるような。ユーリが喜ぶと分かっていることを、したくなるような。


 だが、それをユーリ自身に尋ねるのはなんだか躊躇われて、結局いつか自分で理解するしかないと諦めた。


 ……私が元の世界へ帰るかどうか決める前に、分かるだろうか。


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