第186話 江戸沖

 家康により追加で大筒を持ってくるよう命じられたが、混乱の待った只中にある江戸ではそれどころではなかった。


 大坂を発った木村水軍が紀伊水道からしおの岬を回り、はるばる関東近海にまでやってきたとの知らせを受けたのだ。


 留守を預かる武将の一人である向井正綱は、三浦按針と共に徳川水軍を率いて木村水軍と向かい合っていた。


 互いに射程を測り、自分の有利な陣形に引き込もうと、あるいは相手の苦手な配置を取ろうと、イタチごっこのような戦いを続ける。


 そんな中、接近した木村水軍の船を見て、向井正綱が驚愕した。


「なっ、なぜ毛利と小早川の水軍が木村方についているのだ!」






 時は遡り、博多で補給略奪をしていた時のこと。


 毛利・小早川水軍との戦いで帆に損傷を受けてしまった船を直すべく、梶原景宗は修繕作業を行なっていたのだが。


「うーむ、こうも酷いんじゃあ、新しいものに張り替えた方がいいな」


「それは無理ってもんですぜ、お頭。あるわけないでしょう、こんなところに予備の帆なんて……」


「そうだよなあ……そうなんだが……」


 梶原景宗がチラリと鹵獲した小早川水軍の船を見やる。


「……あの船、船体がボロボロのわりに、綺麗な帆をしていると思ってな……」


「……………………」


 そうして、小早川の家紋の描かれた帆は、木村水軍の船につけられることとなった。


 また、木村の家紋の描かれた傷だらけの帆は小早川水軍の船につけかえられ、関門海峡の先遣隊として再利用されたのだった。






 そうとは露知らず、木村水軍と相対する向井正綱は動揺していた。


「いったいどういうことだ……」


 正綱の脳裏に最悪の想像がよぎる。


「まさか……」


 毛利と小早川は、木村方に寝返ったのではないだろうか。


 そう考えれば、木村水軍が関門海峡を通航せずに大坂へ来たことにも説明がつく。


 青ざめる向井正綱を見て、徳川家臣が制した。


「まだ、そうと決まったわけでは……」


「……しかし、現に毛利と小早川が敵方についておる……。関門海峡を通過せずやってきたというのなら、寝返ったとしか考えられぬではないか……!」


「Be cool.落ち着いてクダサーイ」


 声のする方を振り返る。


 現れたのは、異人の船乗りである三浦按針だった。


「いくら大きな船とはいえ、長期の航海をするのなら、必ず補給を必要としマース。時間を稼げは、敵は勝手に弱っていく……。それに対し、ワタシたちは江戸からすぐに補給ができマース!

 どんな敵でも食べ物がなくなれば、戦わずして勝てるというわけデース!」


 三浦按針の言い分はもっともであった。


 だが、どうにも拭えぬ不安が向井正綱を締め付けるのだった。






 木村水軍と相対して、数日が経過した。


 こちらが攻めようとすれば相手は守りの陣形を作り、相手の陣を崩そうとすれば逃げるように陣を変える。


 互いに視界に入りながらも、どちらも決め手に欠ける。


「まるで将棋だな……」


 両者共に相手の隙を覗いつつ、一つ手を間違えれば致命傷になりかねない応酬を繰り広げている。


 その様は、まるでお互いに入玉した状態で戦っているようであった。


 戦況は決して不利ではないものの、向井正綱は焦りに近い違和感を感じていた。


「あ奴らが最後に補給をしたのは大坂のはず……。いや、大坂では5万もの大軍を降ろしたという……。補給まで手は回らないだろう……」


 しかし、眼前の木村水軍は体力気力、共に十分なように見える。


「いったい、何が起きているのだ……」






 梶原景宗率いる木村水軍本隊が徳川水軍とイタチごっこをしている間、藤堂高虎率いる別働隊は付近の港で補給を行なっていた。


 旗艦にて指揮をとる藤堂高虎の元に、水夫が報告にやってきた。


「藤堂様、駿府での補給略奪が終わりました」


「ご苦労であった」


 報告をする水夫の傍らで、別の水夫が駿府から持ってきた物を広げた。


「見てくだせぇ、駿府にはたんまり金銀財宝が蓄えられてましたぜ!」


「食料と水だけ頂くよう命じたであろう!」


「しかし藤堂様、財宝が訴えてくるんですよ、俺たちに使われたいって……」


 食料と水だけにしては時間がかかっていると思っていたが、まさか財宝まで補給略奪していたとは……。


「まったく……戦となればよく働くのだが、困ったものよ……」






 それから時を同じくして、木村重茲領である甲斐に侵攻していた山内一豊の元に、信じられない報せが舞い込んだ。


「毛利・小早川水軍が駿府を襲っただと!?」


「その報せ、間違いないのか!?」


 信じられない様子で、山内家臣が問いただす。


「……船の帆に大きく毛利と小早川の家紋が描かれているのでは、見間違うはずがございませぬ。また、堀尾領の浜松も同様に襲撃を受けたとか……」


「なんと……」


 山内一豊が呆然と呟いた。


 これらの状況から導き出せる結論は、一豊にとって考えうる限り最悪なものであった。


「まさか、毛利や小早川が寝返ったというのか……?」


 もしそうだとすれば、このまま甲斐攻めをしている場合ではない。


 国元が脅かされているというのなら、何であれ領地に戻らなくては。


 そうして、山内軍、堀尾軍はただちに領地へ撤退を始めるのだった。

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