第99話 悪女

 吉清が淀殿の不貞行為の調査にあたり、数週間が経過した。


 そろそろ秀吉に何らかの成果を提示したいところだが、淀殿と不義に及んだ者として自分の首を差し出すわけにもいかない。


 適当な者を生贄に差し出して、秀吉を納得させようか。


 そう思い立つと、吉清は報告書をまとめて秀吉の元に参上した。


 頭を伏す吉清に、秀吉が扇子を向けた。


「どうじゃ、茶々の密通相手は見つかったか?」


「それが、密通の確たる証拠は、未だ見つけられずにおります」


「何をしておるか!」


 秀吉が声を荒らげる。


「…………されど、これ以上淀殿に近づく悪い虫を追い払う手を考えてございます」


「申せ」


 乗り気になった秀吉に、吉清は報告書に書かれた小姓の名を挙げた。


 伝右衛門なる小姓は庄屋の生まれで、徳川や前田のような後ろ盾を持ってはいない。


 それでいて旺盛な野心を持っているようだった。淀殿に近づいているのも、おそらく自身が出世するための踏み台の一つなのだろう。


 彼一人がいなくなったところで、誰も気にはすまい。


「この伝右衛門なる者を、磔にしてはいかがかと」


「この者が茶々に密通しておるのか?」


「そこまではわかりかねます……。されど、頻繁に顔を合わせているようなので、なくはないかと……」


 秀吉が扇子をあごにあて、考えるように唸った。


「この男を惨殺し、見せしめとして磔にするのです。さすれば、淀殿に寄り付こうなどと妙な気を起こす者も居なくなることでしょう」


「…………よかろう。委細そちに任せる」


 秀吉の許可が得られたことで、吉清は晴れて伝右衛門を処断した。


 これで、あの晩に吉清が置いていった膳については、彼に罪を着せることができるようになったのだった。






 死体の始末や、淀殿の元に男が寄り付かないよう噂を流布し、ようやく一段落つくと、吉清は淀殿のところへ報告に上がっていた。


 仮にも、吉清は淀殿と親しい者を処断してしまったのだ。


 これは、吉清なりのケジメであった。


 吉清から事の顛末を聞かされると、淀殿の声が沈んだ。


「…………そうですか。伝右衛門が……」


 妙だ、と思った。吉清は未だに名前を覚えられていないが、伝右衛門は名前を覚えられている。


 大名である自分より、一小姓である伝右衛門の名の方が記憶に残っているというのか。


「わたくしの父も母も、皆わたくしを残して逝きました。……きっと、わたくしと深く関わった者は、皆死ぬ運命にあるのでしょう」


「……………………淀殿は、太閤殿下を憎んでらっしゃるのですか?」


「さあ? そのようなこと、とうの昔に忘れてしまいました」


 淀殿の能面のような顔からは表情を読み取れない。


 不気味さと美しさの中に、ふと憂いをたたえるようにまつ毛が揺れた。


「ただ、時折思うのです。父も、母も、義父も、わたくしと関わった者が死ぬ運命にあるのなら、殿下は……豊臣家は、いったいどうなるのでしょうね……?」


 ……どう、とは、どのようなことを指しているのか。何を言っているのか。


 わからないわけではないが、豊臣家の跡取りの生母にまで登り詰めた女性とは思えない考え。破滅願望的思考。


 やはり、淀殿に関わるのは危うい。


 神妙な顔をする吉清に、淀殿がくすりと笑った。


「…………なんて、冗談です」


「じょ、冗談……!?」


 吉清の声が裏返った。


 冗談にしては、かなり悪質な話だったが。


 冷や汗を流す吉清に、淀殿が世間話でもするように尋ねた。


「殿下には、わたくしの不義を伝えましたか?」


「…………いえ、確たる証拠はないとしか……」


 吉清の返答に、淀殿は満足そうに笑みを浮かべた。


「…………殿下も、薄々気づいているのでしょう。わたくしが他の男と繋がっていることを。

 ……ですが、殿下は認めたくないのです。認めてしまえば、拾は自分の子ではなくなってしまう。関白殿下に腹を切らせてまで守った拾が、実は自分の子ではなかったなど、殿下にとって悪夢でしかないでしょうから」


 嘲笑か。あるいは憐憫か。


 かすかに口元を綻ばせた淀殿は、いつにも増して機嫌が良さそうに見える。


「もし殿下が本気でわたくしの不義を疑っているのなら、あなたに調べさせるなどと回りくどいことをせずとも、いくらでもやりようはあったはず……。

 そうしなかったのは、真実が明らかになることを誰より恐れたのが、他ならぬ殿下だったからです」


 秀吉の内面を土足で踏み荒らし、白日のもとに晒していく淀殿に、吉清は息を呑んだ。


 悪女だ、と思った。


 秀吉を恨み、憎み、秀吉が最も苦しむ方法で痛めつけている。


 天下人となり、この世のすべてをほしいままにする秀吉も、淀殿にかかれば哀れな老人に変わってしまうのか。


 顔を背けたくなるのをぐっと堪え、淀殿の目をまっすぐに見つめた。


「…………なぜ、この話それがしにするのですか?」


「あなたを共犯にしたいから、と言ったら、どうしますか?」


「…………それがしは、太閤殿下に忠誠を誓った身。殿下を裏切ることなど出来ませぬ」


 拒絶する吉清に、どこか落胆した様子で淀殿が息をついた。


「……そうですか。では、今の話をすべて包み隠さず殿下に伝えてみてはいかがですか?」


「そ、それは……」


 言えるわけがない。淀殿が嬉々として秀吉を苦しめ、悩ませているなどと、どの口で報告すればよいというのか。


 狼狽える吉清を見て、淀殿がイタズラに成功した子供のような笑みを浮かべた。


「…………なんて、冗談です」


 子供のような無邪気な笑みを浮かべる淀殿を見て、吉清はどっと力が抜けた。


 彼女の話は、いったいどこからどこまで冗談だったというのか。


 自分は少なからず弁が立つものと思っていたが、淀殿には敵わない。


 本心もわからず、何が本当なのか見えてこない。それでいて、利で動かない者となると、吉清のもっとも苦手とする相手である。


 淀殿には極力関わらないようにしようと、心に誓うのだった。

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