第37話 拾に目通り

 この日、秀吉と息子の拾に目通りするべく、豊臣恩顧の武将たちが参集していた。


 拾に目通りするのはこれが初めてであり、武将たちは土産に何かを献上するように申し付けられていた。


 まず、三成が部屋に入っていった。


「この度は太閤殿下、そして拾様にお目通りがかない、恐悦至極に存じます」


 三成が挨拶すると、秀吉がゴキゲンそうに頷いた。


「うむ、よく来たな。苦しゅうないぞ」


「つきましては、拾様にはこちらを献上いたしたく」


 三成が差し出したのは、書物であった。


「…………なんじゃこれは」


「朱子学の書にございます。これを読み、拾様にはよき君主となっていただきたく……」


 わなわなと書物を掴むと、三成に投げつけた。


「たわけ! 赤子に学問の書など読ませてどうするのだ!」


「も、申し訳ございません」


 普段の慇懃な態度はなりを潜め、三成はただひたすら頭を下げた。


 その様子を、中庭から聞き耳を立てていた福島正則や細川忠興が、笑いを堪えていた。


 次に、浅野長政が部屋に入っていった。


「拾様にはこちらを……」


 長政が献上したのは、短刀だった。


 当然、柄や鞘は最高級のものを用いてある。刀身に波打つ波紋が、この刀が並々ならぬ刀ではないことを教えてくれた。


 三成が献上したのはただの書物だったが、武士たるもの刀を贈られて喜ばない者など居まい。


 長政にはそんな思惑があった。


 長政からの献上品を見つめた秀吉が、ジロリと睨んだ。


「……拾に腹を切れということか?」


「い、いえ、そのようなことは決して……」


「たわけ! 下がれ!」


「は、ははぁ!」


 秀吉に怒鳴られ、浅野長政がすごすごと引き下がった。


 一連の様子を盗み聞きしていた諸将が戦慄した。


 ──こいつは一筋縄にはいかないぞ、と。




 豊臣配下の諸将が戦々恐々とする中、加藤清正が声をかけてきた。


「木村殿は拾様に何を献上するのだ?」


「儂は明で狩った虎の毛皮を献上しようかと」


 もちろん、吉清は虎狩りなどはしていない。


 安易に屏風に虎狩りの様子を描いてしまったため、吉清といえば虎狩りというイメージがついてしまったのだ。


 そのため、この時のために商人から虎の毛皮を買ったのだ。


 吉清の答えに、清正が申し訳なさそうに苦笑した。


「……それは悪いことをしたな。儂も虎の毛皮を献上するのだ」


 愕然とする吉清に、清正がトドメをさした。


「……おっと、そろそろ儂の番のようじゃな。木村殿もご武運を!」


 清正の背中を見送ると、吉清は急ぎ小姓の浅香庄次郎を呼びつけた。


「庄次郎! 庄次郎はおらぬか!」


「はっ、ここに」


「なんでもいい! 何か赤子の喜びそうな物を……拾様の喜びそうな物を買ってくるのじゃ!」


「はっ!」


 庄次郎の背中を見送り、吉清は祈るような気持ちでその場に座り込んだのだった。




 挨拶もそこそこに、加藤清正が献上品を差し出した。


「こちらが、明で狩りもうした虎の毛皮にございます」


「おお、虎の毛皮か!」


 広げられた虎の毛皮を手に取り、秀吉がニコニコと拾に差し出した。


「どうじゃ拾、これが虎の毛皮じゃ。気に入ったか?」


 拾が笑うと、秀吉も笑顔になった。


 清正はほっと胸を撫で下ろした。これで秀吉の雷は回避できたようだ。


「せっかくなので、拾様に虎の毛皮を着せてみてはいかがでしょう。虎のように強くなることを願って」


「おお、そうじゃな!」


 清正の提案を受け、秀吉は拾を虎の毛皮で包んだ。


 その姿は、まるで小さな虎のようで、見ていて微笑ましい。


 清正と目が合うと、拾がニヤリと笑った。


 シャァァァァ。


 清正の献上した虎の毛皮に包まれ、秀吉の腕に包まれていた拾が、盛大に小便を漏らした。


「おわ、こら、拾め~」


 腕を濡らしながら秀吉が拾をあやしつつ、小姓を呼びつけ始末をさせる。


「すまんな。拾が粗相をしてしまったわ」


「い、いえ、お気になさらず……」


 秀吉や拾に怒るわけにもいかず、清正は顔を引きつらせて部屋を出たのだった。




 そうして、とうとう吉清の番が回ってきた。


「拾様にはこちらを献上したく……」


「……なんじゃ、それは?」


「お、おきあがりこぼしにございます」


 差し出された人形──おきあがりこぼしを見て、秀吉の表情が消えた。


 嵐の前兆のような、不気味な静けさ。


 庄次郎に良さそうなものを買いに行かせたが、これは失敗だったかもしれない。


 他の者が短刀や虎の毛皮など、貴重なものや高価なものを献上する中、町に売ってる子供のおもちゃでは、やはり弱かったか……。


 しかし、既に献上してしまったからには、これで通すしかない。


「た、倒れても倒れても起き上がる様が面白く、また、子供の成長を祈願しており、縁起物とされています」


 人形を指でつつくと、倒れては起き上がる。


「ほら、こうすると、人形が起き上がりましょう?」


 見ていて痛々しくなるほど必死に実演する吉清を、秀吉はシラけた顔で眺めていた。


 やがて、秀吉が大きく息を吸い込んだ刹那、腕の中で拾が笑った。


「キャッキャッ!」


 拾が笑い出すと、一転して秀吉の機嫌が良くなった。


「拾~、そうか、これが気に入ったか! よーしよし。

 吉清、そなたにはあとで褒美をとらすからな!」


「は、ははぁ!」


 平伏しつつ、秀吉の雷が落ちなかったことに安堵するのだった。




 諸将からの献上品を片付けさせつつ、秀吉はふとあることに気がついた。


「……三成、たしか、長政は秀次と懇意にしていたな」


「はっ。そのように聞いております」


「あの短刀、長政を介して秀次から拾へ贈られたものとは考えられぬか?」


「……考えすぎではないかと……」


 秀吉は答えず、長政から献上された短刀をじっと見つめた。


 ……なんだろうか。この嫌な胸騒ぎは。


 三成には、豊臣家凋落の歯車が回りだした気がしてならなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る