第3話 商人

 史実の葛西大崎一揆は木村吉清の悪政が原因であった。旧葛西、大崎家臣を登用せず帰農させたり、新たに召し抱えた浪人が乱暴狼藉を働いたり、検地を行い厳しい税を課したりと、数々の失政を繰り返してきた。


 だが、それ以外にも深刻な問題があった。


 当時、転封の際は出ていく大名は年貢を徴収せず、入国する大名のために年貢を残しておき、入国先で年貢を徴収するのが一般的であった。


 しかし、元々改易されると思っていなかった葛西大崎氏が年貢を残しているはずもなく、既に徴収された後となっていた。


 一応、蔵米としてある程度は残されていたが、予想していたよりも少ない。


 それゆえ、ここへ来る前に秀吉から1万貫を借り受けたが、調べるにつれ深刻な問題が発覚した。


 この年、葛西、大崎領では凶作となっており、民の元に残る食料が大幅に少なかったのだ。


 冬を越せるのかさえ不安な状況では、一揆が起こるのも無理はないというものだ。


 事態を重く見た吉清は、解決に乗り出した。


 秀吉から融通してもらった金があるが、それに手をつけるのは最終手段だ。これがなくなれば、いよいよ打つ手がなくなるのだから。


 とはいえ、その金が使えないのであれば打つ手にも限りがあるわけで。


 問題を解消するべく、吉清は近江商人の目加田屋長兵衛を呼び寄せた。


 現れた長兵衛が吉清の前に平伏した。


「目加田屋長兵衛と申します。本日はどのようなご用件でしょう」


「そなたに銭を都合してもらいたい」


 予想通りな要求に、長兵衛は密かに失望した。


 寺池の状況は他の商人から聞いていた。新たに5000石の旗本が治めることになったことや、凶作であったこと。民草が貧しさに喘いでいること。


 他の商人からはきな臭い匂いがすると言われ、その上で足を運んだのだが。


 ……ああ、やっぱりそうか。この男もそこいらの武士と変わらなかったのか。商いのなんたるかを理解せず、農民同様に搾り取るものだと思っているのか。


 努めて平静を装い、長兵衛が考える仕草をした。


「そうですな……木村様の場合ですと、1000貫ほど都合できますが」


「それでは足りぬな」


「では、いかほどご所望で?」


「見積もりを出したところ、2万貫は必要だ」


 2万貫ほどの大金を、おいそれと貸せるはずはない。長兵衛が渋い顔をするのもお構いなしに、吉清が続けた。


「利息も年五分(5%)ほどでお願いしたい」


「…………ご冗談を。我らは商いで身を立てておりますゆえ、そのようなことをしては、我らが干上がってしまいます」


「2万貫を貸して貰えるのであれば、目加田屋殿にも必ずや益をもたらすであろう」


 益、という言葉に、長兵衛の眉がぴくりと動いた。


 果たしてどのような利益をもたらしてくれるのか。これで「当家と今後良い関係が築ける」などと戯けたことを言おうものなら、木村吉清もそれまでの男だったということ。こちらも傷を負う前に引き上げなくてはならないが。


 値踏みするように吉清を眺め、静かに頷いた。


「聞かせていただきましょう」


 長兵衛の言葉を待ってましたとばかりに、吉清は地図を広げた。


 地図の中にはこれは寺池の城下と付近の海岸が収まっていた。吉清の指が、海岸線をつつつとなぞった。


「この辺りは海岸が入り組んでおり、古来より漁業が盛んな土地だ。また水深が深く、喫水の深い大きな船もつけれることから、天然の良港でもある。ゆえにこの地に港を作ろうと思っておるのだ。そのための銭を、目加田屋殿に都合してもらいたい」


 ふむ、と頭の中頷く。


 吉清の指した場所は石巻と書かれており、沿岸部には平野がある。見たところ、発展できる条件は揃っているように感じた。


 一瞬考えると、簡単な見積もりを算出した。


「それでしたら、2万貫も必要ございません。付近の山から取れる木材を使い、民に賦役を申し付ければ、もっと安く造ることができましょう」


「それでは駄目なのだ」


 吉清の言葉に、長兵衛は耳を疑った。


 誰であれ、買い物をするなら少しでも安く抑えたいと思うのが人情だ。金欠に喘いでいる大名であれば、なおのことだ。それが、いったいなぜわざわざ銭のかかる方を選ぶというのか。


 わからない。この男は、何を考えているのだ。


「……はて、何が駄目だったのでしょうか」


「儂とて銭がないゆえ、民に賦役を申しつけ、安く造りたいと思うておる。だが、冬を越せるかも不安な状況では、仕事どころか安心して暮らせぬであろう。ゆえに、民を銭で雇うことで、冬を越せる備えを与えようと思っておるのだ」


「……なるほど、そのための銭でございますか」


 長兵衛が「ほう」と頷いた。


 吉清の言葉は筋が通っている。ただ与えるのではなく、仕事の対価として与えることで領内の安定も実現できる。領民のことを第一に考えなくては、出てこない発想だ。自分のことばかり考えている武将では、まず思いつかないだろう。だが──


「なるほど、銭を都合すれば、木村様はこの地に大きな港を手に入れられ、民もこの冬を安らかに越せましょうな。

 されど、私にはどのような利益がございましょうか。2万貫を失う危険を背負い、そうでなくとも雀の涙ほどの利息では、大した儲けになりますまい」


「新たに作った港は、目加田屋殿が優先して使えるようにする。波止場も倉庫も上方に米を送る際や、北海の俵物を蓄えるのに役に立つであろう。また、目加田屋殿が陸奥での商いに関心がござらぬのなら、他の商人に又貸しし、銭を儲けることもできるであろう」


 吉清の話は、たしかに長兵衛にとっても得となるものだった。豊臣の天下が決定づけられた今、奥州に販路を見出してここまで足を運んだのだ。自分の自由に使える港と倉庫が手に入るのなら、旨味としては十二分にあると言えよう。


 吉清の話を吟味して、長兵衛は静かに頷いた。


「我ら近江商人は三方良しを旨としております。『売り手良し、買い手良し、世間良し』木村様のお話は、まさしく三方良しでございますな」


「それでは……」


「ええ、快くお引き受けしましょう」


 長兵衛が深々と頭を下げた。


「木村様とは、今後もよいお付き合いがしたいものですな」


「儂もよい縁を築けたと思うておる。今後も頼りにさせてもらうぞ」

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