釣り

エリー.ファー

釣り

 釣りをした。

 暇だから。

 たいした理由はない。

 別に家に帰ってもやることはないし。

 釣りをする。

 昨日、駄菓子屋にいった帰り道、高校の同級生に会った。ニートだそうだ。なんとも面白くない人生を歩んでいる女である。

 ありふれた言葉をかけるとありふれた言葉が返ってきた。実につまらない。

 貧相な生き方をしていると思う。

 釣りをしてみたら、と言われた。

 つまらなそうな表情をしていたことがばれたようである。怒られなくてよかったと思いながら、中々気の利いたことを言えるではないかと思った。

 釣りは小学生の頃に少しだけやっていた。全く面白くなかったことだけは記憶にある。そもそも、魚の命を遊戯という形で消費するところが野蛮である。

 え。

 キャッチアンドリリースすれば問題ない。

 なるほど。

 そういうツッコミはいらない。

 とにかく釣りから遠ざかっている人生だった。

 私は釣りの道具が実家にあるかを確認した。納屋の中にはなく、地下室に母親の死体と一緒に置いてあった。

 いい釣り竿だった。明らかに手入れがされている。誰かが勝手に持ち出して使っているということだろう。私としては好都合である。

 釣りは案外楽しいものだった。

 風が心地いいし、波を見ていると自分の心が開いてくるのが分かる。自分の頭の中の思考の塊が、一つの線になっていくような感覚である。

 釣りにはまる人というのは、きっとこういうことなのだろうと思う。

 魚が釣れるとか釣れないとかそんな小さな問題などどうでもいいのだ。ただ、ここで釣りが行われて、自分が釣りというものの中に組み込まれた機工としてしか存在していないという、使い心地のいい孤独。

 目を瞑る。

 音だけである。

 手の中から釣り竿が消える。

 鼻はきかない。

 眠りそうになってしまう。

 魚の跳ねる音が聞こえてくる。後ろをバイクが走っていく。

 何故、私は釣り以外のことはやらなかったのだろう。別に、釣りというものに特別な思い入れがあるわけでもないのに。ただ、提案されただけでここまで楽しめるものなのか。

 季節は夏であるが、非常に涼しい。

 今年は冷夏であると言っていただろうか。思い出せない。思い出さなくともよい。

 魚に冷夏は関係あるのだろうか。自然は繋がっているというし、人間であるこの私でさえ影響を受けるものなのだから当然か。

 目を開く。

 世界が広がる。

 最初はここに存在していなかったかのような新鮮さである。いずれ、この場所を去ってしまうのは間違いないわけで、そのせいか寂しい気分にもなる。

 私は自分の幸せを願うのが余り上手くない。それは努力が下手であるということにもつながる。積み重ねてきたわけではなく、出たとこ勝負なのだ。

 友達にはそういう所が面白いと言われたが、納得できない。他者の視点をもってしても、面白いと思えない。

 私と友達は違い、そこには大きな壁がある。

 釣り人と魚の関係とよく似ている。近いし、なんとなくでも勝負をしているし、生きている。でも、密接ではないし、相手の立場になることはできない。

 賭けているものが違い過ぎるのだろう。

 魚は、何を思いながら釣り人の私を眺めているのだろうか。

「柏木隆太郎さんですね」

「はい」

 私は釣りの道具をしまう。

 よい日曜日であった。

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釣り エリー.ファー @eri-far-

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