鷹目とシロ
@KKK_kkym
プロローグ
京都御所にほど近く、高額な家賃を払う割には狭いワンルームに住む彼は朝起きるとベランダの窓を開けた。今日は2月と思えないくらいに晴れて暖かい。窓から差し込む光に眩しそうな表情をして朝の支度を始めた。
彼の名前は進藤真司、友人や同僚からはシンシンというあだ名をつけられている。27才になった彼はプログラマーという職業に就き、6年目となる今年は仕事で多少なり任されるものが多くなっていた。平日は常に仕事の納期に追われている。仕事で疲れた体を、いや、体を動かす仕事ではないから頭を癒やしているのか。ともかく何かしらを癒やすために、休日は大体室内で過ごす。同僚は皆、口を揃えて彼をインドア派だと小馬鹿にする。たまにくらい同期同士で遊びに行くだとか、飲み会に行くだとかすればいいのに、そういうちょっとしたことにすら顔を出さず、定時になればさっさと家に帰る。きっと同僚はその淡白さに嫌味を込めているのだろう。
シンシンはプライベートを過剰に重んじる癖がある。そしてそのプライベートを誰かに聞かれることをものすごく嫌がる。決して自分の趣味を話そうとしない。かつて自分の趣味を誰かに打ち明けてバカにされたトラウマでもあるのだろう。まぁ私から見ても彼の趣味は所謂オタク的なものだから、あまり聞かれたくないというのも分かる気がする。
彼の職場での様子についてもなかなか尖ったものがある。仕事ぶりは至って真面目だけれど、任された以上の仕事は絶対にしない。たとえ同僚の人間が苦しそうに残業をしていても、「手伝おうか?」なんて言わない。自分の実力をあまりに超過する仕事も絶対に拒否する。上司はそんな彼を扱いづらいとボヤいているが、就職してから今まで大きな失敗もなく仕事をしているのは大したものなので、なんとも言いづらいらしい。
シンシンのプライベートも仕事の様子も、私には手に取るように分かる。私は一体何者か。
いや、私もよくわからないのだ。私がいつどこで何をしてこうなったのか、ちっとも分からない。気づいたときにはこのオタク系男子の住むワンルームにいて、私は彼の近くから離れられない。体はふわふわと宙を浮いていて、現実に置いてあるモノを触ることができない。つまりだ、おそらく私は幽霊で、彼に取り付いているという状態なのだろう。
なんとなく分かるのは私が女だということ。かろうじて鏡に写った自分の顔を確認はできて、可愛くもブサイクでもない、どこにでもいそうな有象無象の20代くらいの女性の1人だった。
ただただ彼の周りをフヨフヨと浮き、いつも彼を観察している。こんな事になってしまったのは3ヶ月ほど前だ。私がふと目を覚ましたとき、見覚えのない部屋にある小さな卓上カレンダーは12月になっていた。幽霊になった直後は困惑して、落ち着くまでに1日くらい掛かったが、泣いても叫んでも幽霊の私に気づく人はいない。誰に頼れることもない。精神的におかしくなりそうなものだが、意外と私は図太いタイプのようで今はこうして彼の観察をしている。悪趣味だと言われそうだが仕方ない。特にすることもないし、彼から離れる方法も不明。成仏できるものなら成仏したいけれど、生前の名前すら思い出せない私に未練を思い出せるはずもない。そうなると私にできることはシンシンの観察をすることぐらいで、今ならシンシンの研究結果で博士号を取れる自信がある。
そんなシンシン博士の私でも、彼のスマホは覗かないようにしていた。風呂やトイレは嫌でも連れて行かれてしまうけれど、最低限の礼儀としてスマホを覗くことだけはやめておこうと誓っていた。
彼はやけに活動的だった。窓を開けて、洗濯物をして、部屋の掃除や片付けを始めている。普段だったらこんなに動く人間じゃない。今日は誰か部屋に来るのだろう。私が見ていない間に誰かに連絡を取っていたのだろうか。一通りの片付けを終えると、ベッドに腰を掛けまたスマホを取り出し画面を見つめ始めた。休日にゆっくりしているはずのシンシンがやたらそれを気にしている今日だけはどうしても気になってしまい、つい彼のスマホを覗いてしまった。
どれどれ、もしや彼女だったりするのかしらと思って彼の後ろから私はスマホを覗いた。画面を見た瞬間、私は息が止まりそうになった。いや幽霊だからもとから息をしていない。そんな冗談を言っている場合じゃない。画面の左側の顔写真、アイコンに写っている女の顔は私の顔そのものだったのだ。
混乱する私にシンシンが気づくはずもなく幸せそうに返信している。のろけて鼻の下を伸ばしているこの顔、間違いなく彼女なのだろう。彼が恋愛をしているなど知らなかった。かれこれ3ヶ月、彼を観察していたのに初めて見る顔だ。なるほど、遠距離恋愛というわけか。ずっとスマホで連絡を取り合っていたというわけだ。
それにしてもこの女が一体何者なのかがわからない。姿形は間違いなく私自身。私の姉妹なのだろうか......。スマホの画面に返信が帰ってきた。
「今、駅についたしもうすぐ着くよ♡」
ゾッとした。こんなタイプが好みだったのか。3ヶ月生活を共にした、共にしたと言うよりかは一方的に観察してきたシンシンという男。風呂もトイレも常に一緒にいたが、もう少し硬派な男だと思っていた。男は皆こんな安っぽいハートマークに騙されるのだろうか。女性として嫌な気持ちになった部分もあるが、その反面彼にもそういう感情があって安心した。
と思っている場合じゃない!このままじゃまずい。何がまずいか。シンシンに彼女にいること自体は別になんとも思わない。私は別にシンシンのことを好きだとか嫌いだとかは特になにもない、ずっと一緒にいたがそんな感情は1つもわかなかった。幽霊になったせいなのか、私自身の性格なのかはわからないがとにかく彼に対する私の感情は『無』だ。街ですれ違う人と同レベルの感情しかない。
だが今回は違う。いわば私の姿をした女がこの狭いワンルームにやってくる。若い男女が同じ部屋にいてすることなど決まっている。いや流石に堪えられない。私が私の姿をした女のイチャイチャを外から見る?意味がわからない。
想像しただけで頭が痛くなりそうだ。今すぐこの部屋から逃げてしまいたい。でも私一人で外に出ることは不可能、私はシンシンに取り付いた幽霊なのだ。幸いこのワンルームマンションの部屋の中を動き回れるくらいの事はできる。今の私にできることは何処かに身を隠すことだけだ。私は慌ててトイレへ閉じこもることにした。
私が閉じこもって数分すると、ピンポーンとチャイムがなった。パタパタとスリッパの音を立ててシンシンが玄関に近づく。ガチャと扉が開く音と同時くらいに彼の声が聞こえた。
「いらっしゃい。ナミちゃん」
「おじゃましま~す。シン君。やっと会えたね!」
今まで聞いたこともないような上ずったシンシンの声だ。彼女の名前は「ナミ」というのか。『やっと会えたね』ということは本当に遠距離恋愛だったということだろう。
私はトイレで聞き耳をたてることにした。まさか来てすぐにイチャイチャするということはないだろう。シンシンはそんなタイプじゃないはず。草食系のはずだ。
壁の向こう側で2人は他愛もない会話しているように聞こえるが、トイレからではテレビの音が邪魔であまりうまく聞き取れない。5分くらいたっただろうか、幽霊とはいえこのままトイレでずっと過ごすのは辛い。でも彼らをみるのはちょっと嫌だ。どうするか迷ったあげく、私はトイレの壁をすり抜け、天井に張り付きこっそりとばれないように部屋に入った。天井を這うヤモリのように2人のいる部屋に入ると、私は声にならない叫び声をあげた。
おあ~っ!!!
タイミングは最悪、2人は抱き合いキスをしていた。そして見つめ合い、またキスをする。
私の姿をした彼女がシンシンにキスをしている!私はすぐに元のトイレへ逃げ込んだ。だめだ、ここに隠れていよう。すべて見なかったことにしてしまおう。私は耳をふさぎ目を閉じてトイレの天井でじっとしていた。
1時間位経ったのだろうか。天井でじっとしていたが、急に体が引っ張られた。シンシンが移動をし始めたということだ。どうやらちょうどお昼ごはん時で何処か腹ごしらえに行くのだろう。
私はシンシンと一緒に行動することを強いられている以上ついていくしかない。もし神様仏様がいるのであれば、どうか今だけお願いだ、私を成仏させてくれ。まぁ幽霊はいても神などいないのだ。私は諦めてシンシンの体に磁石のように惹きつけられながら、後ろ5メートルくらいのところにいた。
2人はカジュアルなパスタ屋に入るとテーブル席に腰掛け、パスタのメニューを仲良く2人で見ている。私は天井に張り付き頭をめぐらしていた。一体彼女は何者なのか。「なみ」という名前を聞いても何も思い出せない。私はそんな名前だっただろうか。いまいちピンとこない。
遅れて店員がやってきてグラスをテーブルに置くと、2人はすでに料理を決めていたようだ。店員が注文のメモを取り、厨房の方へ戻っていくとシンシンが彼女に「ちょっとトイレ行ってくるね」、と言って席を外した。私ももちろんそれについていく。彼の用を足すのも見慣れている。別に体を見てなんとも思わないようになってしまった。私が生きていたうちは、花も恥じらう乙女だったのかもしれないが......。
シンシンがトイレの扉を開け、私が男子トイレに吸い込まれていく瞬間、「ナミ」の顔色が変わったのを私は見逃さなかった。彼女は明らかにシンシンの頭より少し上、ちょうど私が漂っている場所を見て顔色を青くし、そして私を憎しみを込めた目で睨みつけたのだ。
シンシンがトイレから戻ると2人は楽しそうに会話をしている。それ以降彼女が私の方を見ることはなかった。でも、さっきのは明らかに私に気づいていた様子だった。私の思い違いや見間違いとは思えない。店員が料理を持ってくると、2人は楽しそうに会話をしながらスパゲッティを食べている。このあと何をしようかと話し合っているようだ。シンシンは見たい映画がある、「ナミ」はショッピングがしたいとかなんとか言っている。
ここからであれば市営地下鉄に乗って京都駅まで行けば大きなショッピングセンターがあり、その中に映画館があったはずだ。おそらく2人はそこに行くのだろう。予想通り2人は食事を終えて店を出ると地下鉄のホームへ降りた。地下鉄の中でも2人は手をつなぎ手を離そうとしない。呆れた熱いカップルだ。シンシンの普段の様子とかけ離れすぎて、正直シンシンのことを気持ち悪いなと私は思い始めていた。
「見たい映画って何なの?」
「ほら、最近テレビでCMやってる「長い夜がくる前に」っていうやつ」
「それ私も見たかった!」
シンシンはそれが見たかったのか。いやおそらく違う、彼女の趣味に合わせているのだろう。私もシンシンがテレビをボーッと見ている隣で、そのCMは見たことがある。端的に言うと彼女が不治の病で彼氏と会えなくなる前に旅をするというものだ。よくあるお涙頂戴映画だが、この映画の顛末は単純なエンドではないらしい。CMから得られる情報はここまでだった。
2人はまず最初に映画館へ向かうようだった。上映開始はちょうどよく20分前で、すぐにシアタールームへ移動した。幽霊の私はお金を払う必要はない、数少ないメリットだろう。せめてシンシンから離れることができたら私も幽霊生活を謳歌するのだが。シアタールームは徐々に暗くなりいよいよ映画は始まった。
映画の中盤になるとちらほらとすすり泣きが聞こえ始めた。残り60分程度だ。かくいう私も映画に熱中していた。映画の中の男女は世界中を旅し、日本に帰ってきた。空港から自分の家が近いからと彼女は彼氏を自分の家に連れていき、そこで彼女は自分の病を打ち明けるのだ。
「そんな...嘘だろ。今まで毎月毎月、いろんなところに旅行してたのって!」
「ごめんね。だって私、あなたとたくさん思い出つくりたかったの。できることならこれからもずっと、一緒にいたかったけど...私は余命1年ってお医者さんに言われてるの」
「そんな!俺も一緒に病院探したりするよ!だからさ!」
「ううん。もういいの、あと1年すれば私には長い長い夜が来るの。明けない夜が」
彼女はおもむろにキッチンに移動し彼に後ろを向け話し始める。
「すごく幸せだった。あなたと一緒で。でも私怖いの」
「......。よく、よくわからない。俺にはどうしようもないかもしれないけど、俺、これからもゆかとできるだけ一緒にいるよ!」
雄一が目に涙をためて叫んだ。
「違うの。怖いのは死ぬことじゃないの。あなたがいつか私のことを忘れて、違う人を好きになってしまうことが怖いの」
「そんな......そんなことないよ」
彼は、言いよどんでしまった。
「......そういう嘘が下手くそな、正直な雄一君が好きだよ。だからね......」
彼女は彼氏の方を振り向き、手を後ろに組んだまま、ゆっくりと彼に近づいた。
「あと1年じゃなくて、ずっと一緒にいようね」
その次の映像を見た瞬間、涙が引っ込んだ。おそらくこの映画を見ていた全員がそうだろう。数人からは「えっ」という声も聞こえた。
ゆかは雄一の背中にナイフを突き刺していたのだ。
「えぇ......」と私はつぶやいた。まだ映画は中盤だと言うのに画面が暗転しエンドロールが流れ始めた。悲しい音楽とともに知らない人の名前が下から上へ流れていく。どうもそういう映画のようだ。これは単純な恋愛映画ではないらしい、残り半分の時間は一体どうなるのか?私は俄然興味が湧いてきたがその時、ふと横を見ると「ナミ」が隣りにいた。私は熱中するあまり気づかないうちに、隣りに座ってしまっていたらしい。
私の顔が私を見つめていた。その顔に私は恐怖した。満面の笑みだが邪悪そのものだった。ついに復讐を果たす事ができることを喜ぶような、博物館で見た般若の面とも見間違えるような顔だった。
「こういう終わりが、私の理想。だって1人は辛いもの」
彼女は明らかに幽霊の私に向かって話しかけてきた。
「だから、私達を邪魔しないで」
強烈な憎悪を向けられた瞬間、ズンという今までに感じたことのない体の重みを感じた。幽霊なはずなのにこんな事あるのだろうか。体が重い、動けない、世界がグワンと歪み、地震が起こったのかと思うくらい地面が揺れる。エンドロールは下から上?それとも上から右?私は映画の真のエンドロールを見終わる前に気を失い、そのまま倒れてしまった。
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