第69話 宿屋にて

 「どこかお薦めの宿はあるかい?」


 市場をめぐり、装備品と食料を調達した松田は、かさばる保存食や水を宝石に変えると、商人にお薦めの宿を尋ねた。


 「お客さん、宝石化が使えるのか。どこか大手の隊商に雇われてるんじゃないのかい?」


 「いや、本業は探索者のほうでね」


 「エルフが女の子連れて探索者ねえ……まあ、詮索はしねえがせっかくいい能力を持ってるんだから、条件のいい隊商を見つけるのをお薦めするよ」


 買い物をしてもらったこともあるが、露天商の主人は純粋な親切心からそういった。


 名にしおうデファイアント大山脈を小さな子供の足で越えさせるのはさすがに気がとがめたのである。


 「隊商にもあてはあるが……そんなに山は険しいのかい?」


 「素人には緩やかに見える山道も、実は登ってみれば急なもんよ。足腰にかかる負担も思うと感じるでは天と地ほども違う。無理はせんことだ」


 「なるほど…………」


 これは本気であのアランの申し出を考えてみてもよいかもしれない。


 未知のものに対する備えというのは、念入りにしておくに越したことはないのだ。備えが無駄に終わればそれが一番良い。危険に対する安全保障とはもとよりそういうものであった。


 「お父様、私は大丈夫ですよ?」


 「ステラは山なんかへっちゃらのです。わふ」


 もっとも女性陣としては、松田と気兼ねなく接することのできる時間が減ることに抵抗を感じるらしい。


 期せずしてディアナとステラは自分が平気であることをアピールするのだった。


 「こんな可愛い娘に山を歩かせたりするんじゃないよ。それが男の甲斐性ってもんだろう……んっ? お父様?」


 ディアナの言葉に反応した主人に慌てて松田は言い訳した。


 「養子だよ、養子! ちょいと複雑な事情があってね。それより早く宿を教えてくれないか?」


 「お、おう、そうかい。余計なことを聞いちまったね。ほれ、あの路地を右に曲がって三つほど辻を過ぎたところに人魚の竪琴って宿がある。味と寝心地は保障するぞ?」


 「ありがとう。人魚の竪琴、ね」


 これ以上ぼろが出ないうちに、と松田達はそそくさと市場を後にしたのだった。




 人魚の竪琴は思ったよりもすぐに見つけられた。


 青く塗られた屋根は海をイメージしたものだろうか。竪琴の形をした看板には、見事な人魚のレリーフが彫り込まれていた。


 「――――三人だが、空いているかい?」


 「いらっしゃいませ。これは可愛らしいお客様ですね。ごいっしょで?」


 三十代になるかならないかほどの愛想のよい女将が笑顔で出迎えると、間髪おかずディアナとステラは断言した。


 「もちろんです!」


 「ご主人様といっしょです! わふ」


 「あらあら……」


 こころなしか女将が松田を見つめる目が冷たくなった気がする。幼児愛好者の疑惑をかけられていることを察した松田はわたわたと両手を振った。


 「断っておくが断じて俺は無実だ」


 「その言葉が真実であることを祈っておりますわ…………バレなければ犯罪じゃありませんものね(ボソッ)」


 「今聞き捨てならないことを言わなかったか?」


 「どうぞこちらへ。お嬢さんたちが小さいからダブルベッドで十分ですわね?」


 「スルーかよ!」


 なかなか豪胆な女将である。


 「夕食は十九時までです。お風呂は二十一時を過ぎたら火を落としますからね」


 「お風呂があるのですか!」


 「お風呂っ! お風呂っ! ご主人様! 一緒に入るです。わふ」


 「…………やっぱり、通報したほうがいいのかしら?」


 「天地神明に誓って疚しいことはしていない!」


 ステラのいっしょにお風呂発言で、女将の視線がさらに冷たく氷のような鋭さを帯びた。


 「女将、お父様を侮辱するとただでは置きませんよ?」


 「お父様?…………まさか、こんな小さい子にそんなプレイまで」


 「誰が父娘プレイをさせたと言ったああああああ!」


 濡れ衣どころか甚だしい名誉棄損である。


 「わふぅ……一緒に入ってくれないですか?」


 「まさかステラとだけ入るとか言いませんよね? お父様」


 「お、おう…………」


 残念ながら女将をも上回る二人の重圧に抵抗できる松田ではなかった。


 それでもおかげで、女将の疑惑の眼差しが緩和されたのは怪我の功名というやつであろう。


 「苦労してるんですね……」


 「あんたが俺に苦労させてるんじゃ!」


 姪のプレゼントを買うためにト○ザラスに連れて行っただけで、翌日社内でペド呼ばわりされた恨みを松田は決して忘れない。


 いつだって偏見は松田の敵であった。偏見で得をするのはごく一部のイケメンとセレブだけなのである。


 「エルフの貴方に人間の女の子がお父様とか言ってたら疑っても仕方ないと思うの」


 「おっしゃるとおりですよねっ!」






 夕食は女将が自ら腕を振るった、素朴だが温かみを感じさせるものであった。


 特に虹鱒の塩焼きや山菜のお浸し、山芋の煮物は元が日本人な松田の舌をひどく喜ばせた。


 「どんどんおかわりしてくださいね?」


 本当に良い宿を紹介してもらったものだ、と松田はのどに詰まる勢いで夕食を掻きこんだ。


 この世界に転生してからというもの、これほど和食に近い味わいを堪能したことはなかった。味噌汁がないのが非常に残念でならない。


 米はあるのに、味噌がないというのはどういう異世界仕様であろうか。


 いつか必ず味噌を錬金してくれる、と松田は心に誓うのであった。


 「――――ところで、お嬢ちゃんはさっきからどうして一口も食べないのかしら?」


 ゴフッ!


 思わぬ攻撃に松田は口から噴き出すのをかろうじてこらえた。


 先ほどから沈黙したまま松田とステラの暴食ぶりを見守り続けているディアナを、女将は気づかわし気に見つめていた。


 「ええ、私は食事の必よ…………」


 「ここにくる途中で私の目を盗んで買い食いしてたからです! 串焼きを二十本も!」


 「まあ、二十本も…………?」


 小さなディアナにしては食べすぎだと思ってくれたのか。


 女将は驚いたように目を見張る。楚々とした美少女であるディアナがそんな食いしん坊だったいうのも意外だったのかもしれない。


 「食事の必要はありません。ゴーレムですから」


 「これはひどい。さすがのステラでも空気を読むのです。わふ」


 柔らかい鳥の蒸し揚げを貪り食っていたステラがドン引きするほどの暴挙である。


 「ふふふ……お父様の魔力さえあれば、私は何も必要としません」


 「そうか、ならお風呂も必要ないな」


 「それとこれとは話が別……ふぎゃっ!」


 脳天に拳を落とされてディアナは涙目になって悶絶した。完全な五感を再現できているわけではないが、視覚や聴覚と同様、痛覚もある程度は再現されているのだ。


 がしっ、と女将の細い肩を掴んで松田は哀願するように女将の瞳を凝視した。


 「――――察してください」


 これ以上余計な工作は裏目に出る可能性が高い。


 判断を相手に委ねてしまう。危険だが効果もある手段であった。なんとなれば人というのは己の目線でしか物を見れない生き物であるからである。


 痛々しそうな松田の表情、あっけらかんと笑うディアナ。そしてディアナを可哀そうな子でも見るような目で見つめるステラ。


 女将は慈愛に満ちた笑顔で優しく松田の頭を撫でた。


 「――――苦労したのね」


 「こんなはずやなかったんや……! 新しい人生はもっと自由で、気ままなもんだと思ってたんや……!」


 「お父様可哀そう…………」


 「いっぺん勝手口の外に来い。なのです。わふ」


 だが幸いなことに、女将は松田の意図を誤解しなかった。


 厳密には都合よい方向に誤解した。


 「強く生きるんですよ……」


 「私お父様がいる限り最強ですよ? もう魔人でもどんとこいですね!」


 「うんうん、そうね……」


 こんな可愛い娘が腕利きの傭兵も真っ青の実力を持っているなど誰が考えるだろうか。当然のように女将はディアナが頭の可哀そうな子であると信じたのだった。


 「でも、言ってくれたらいつでも食べるものを出してあげますからね?」


 「いえ、ですから私は…………」


 「ありがとうございます! 女将さん!」


 ディアナの口を強引にふさいで松田は深々と女将に一礼した。


 「しゃ、釈然としないです…………」


 その後黙り込んでしまったディアナをよそに、松田とステラは再び美食を堪能したのだった。






 「――正座」


 「ど、どうしたのですか? お父様。もしかして怒ってらっしゃいます?」


 「これが怒らずにいられるかあああああ!」


 「ステラの忍耐力を褒めて欲しいのです。わふ」


 「あ、あら? あら?」


 ディアナは困惑したように頭を振った。


 どうも先日に006と融合してからというもの、どこか性格的に幼くなったように思われる。


 だがそれでも許されないものは許されない。


 断固として松田は宣言した。


 「……今日のお風呂はステラとだけ入るからそこで反省していなさい」


 「そんな殺生なああああああああ!」






 ちょうど松田とステラがゆっくりと湯船でくつろいでいるころ、関所ではときならぬ騒動が持ち上がっていた。


 「どうして守備隊が関所の審査に手を出すんだ? 越権行為だ!」


 「攫われた二人の幼女を助け出すためよ! このランカスターの治安に関する限り、守備隊には優先権が認められているわ!」


 「優先権があるから何をやってもいいわけじゃないだろ!」


 「貴方は二人の可愛い子供がどうなっても構わないというの?」


 正論そうに見えて、実は理不尽なへ理屈を堂々とまくしたて、リノアは関所で審査を待っている隊商たちの列へと割り込んでいく。


 彼女にはいささかの疑念も迷いもない。


 なぜなら自分が正しいと心から信じているからであった。


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