第6話 人狼族の少女

「な、なんだあ?」


 マイナーな魔法であるゴーレム召喚を、野盗のガイアスが見たのは初めてであった。


 だが素人が見ただけでも勝ち目がないことははっきりとわかった。


 鈍く光る鋼鉄の体。幅の広い重厚なブロードソード。兜は虚ろな虚無に満たされており、人の意思の感じられない不気味さが漂う。


 こんな存在を相手に野盗ごときが勝てるはずがなかった。


 「やべえ! 逃げろ! 逃げろ!」


 全身の力を振り絞って急制動をかけると、彼らは身をひるがえして逃走に転じた。


 もちろんそれを黙ってみている松田ではない。


 「武装変化アームドトランス


 ブロードソードが、この世界では見たこともない異様な槍先を丸くしたような武器に変化した。


 『主様、これはなんですか? 』


 「この世界にはないのか? 刺又さすまたっていう非殺傷型武器さ」


 学校や公民館などの公共機関に普及している刺又は、もともとは江戸時代に考案された捕り物用の武器である。


 槍の穂先がU字型の金具になっており、釣り針のような返しがついている。


 リーチが長く、関節部を抑え込むことに適しており民間警備会社にも普及が進んでいた。


 松田もこの刺又の操法について早くから講習を受講して、生前は部下たちに教育する立場であった。


 膂力において勝るゴーレムはたちまち野盗を抑え込み、必死に逃げる野盗の足を返し部分にひっかけて転倒させていく。


 刺又に胴体を抑えつけられた彼らは、大地に縛りつけられたも同然であった。


 「うわっ! 気持ち悪ぅ!」


 百体のゴーレムを同時制御し、一体一体を並列思考で動かす異様な感覚に松田は顔を歪めた。


 例えるならば意思のある百体の分身の術を使っているような気分であった。


 「畜生! 放せ! 放せよお!」


 「くそっ! びくともしねえ! 力が違いすぎる!」


 ゴーレムの膂力はおよそ平均的な成人男性の五倍ほどに達する。


 正規の訓練を受けたことのない野盗では相手にならぬのも当然であった。


 『主様、十五名の捕縛を完了しました。残り八名』


 「そのままナビを頼む」


 松田は捕虜の監視に三十体のゴーレムを残し、七十体で逃げる野盗の追跡を開始した。


 「くそっ! どうして振り切れねえんだ?」


 討伐の騎士団でもそれほど森の奥深くまで追ってくるものではない。


 ガイアスの常識ではとうに追跡を諦め、引き上げるはずの距離である。


 慣れないものが森に入ると方向感覚を狂わされ容易く遭難してしまうからだ。


 ところが不気味な騎士――松田の操るゴーレム――は最初から帰ることなど考えていないかのように全速全身でガイアスたちを追っていた。


 しかも地の利があるはずのガイアスに全くひけをとらない、驚くべき素早さである。


 「冗談じゃねえ! こんなバカな話があるか!」


 ありえないのだそんな話は。騎士の全身鎧フルプレートアーマーはどんなに軽いものでも二十キロはくだらない。


 そんなものを着て複雑に草木がひしめく森を駆け回れるはずがないのだ。


 にもかかわらず三十分近くも疲れをみせず追いすがるあの騎士たちはいったい何者なのか。


 こういっては何だが、間違ってもわずかな凌ぎで生活するガイアスのような弱小野盗を相手にするには不釣り合いすぎた。


 「ひいいいっ! 来やがった!」


 バキバキ、とゴーレムの鎧に木々の枝がぶつかってへし折れる音が響いた。


 痛みを感じぬゴーレムだからこそできる、損傷無視の突撃は、遂にガイアスたちを本拠地の洞窟へと追い詰めたのである。


 「野郎ども! 立て籠もるぞ!」


 だが食料や武器を貯蔵した本拠地へと帰り着いたことで、ガイアスたちにもわずかな希望の光が見え始めたのも事実であった。


 もっともそれは、すぐに絶望に変わる程度のささやかなものにすぎないのだが。


 『私がファイアーボールでの打ち込みましょうか? 主様』


 「いや、せっかくだからこのまま訓練を続けよう」


 そう言って松田は十体のゴーレムの装甲を強化して洞窟の前に並ばせる。


 身体の八割が隠れてしまいそうな巨大なタワーシールドを掲げて、ゴーレムたちはゆっくりと前進を開始した。


 「感覚共有ジョイントセンス


 ゴーレムの疑似的な視覚を共有すると、松田の視界にちょうど監視カメラの管制室のような十個の画面が出現した。


 「ちょっと見づらいな。暗視ナイトヴィジョン


 薄暗かった洞窟内が、光を増幅され明るく映し出されると左右に隠れた窪みから同時に槍が突き出された。


 ボゴッ、という鈍い音とともにゴーレムの鎧が貫通された。


 剣による斬撃は跳ね返せても、槍のような一点突破の刺突武器は鎧だけでは防ぎきれないようだ。

 だがあくまでもそれは人間が中にいるからこそ効果がある。


 「――――修復リペア」


 松田が魔力を送ると、時計が逆回転するかのように穴の開いた鎧は一瞬で復元した。


 召喚者が魔力の供給を続けるかぎり、ゴーレムは吸血鬼やスペクターのような不死者アンデッドよりも性質の悪い完全イモータルなる者であった。


 「だ、だめだあああっ! こいつっ俺たちの攻撃なんか効きやしねえ!」


 伏撃が効かなかったことで、心が折れた野盗たちは次々と抵抗を諦めはじめた。


 「馬鹿野郎! てめえらっ! 諦めるんじゃねえ!」


 密かに部下を囮にして、自分だけが逃げることを考えていたガイアスはうろたえた。


 このままではあの不気味な騎士に捕まってしまう。余罪を考えればガイアスの人生は終了といってもいいだろう。


 「くそっ! くそっ!」


 あっという間に部下たちは制圧され、自分に向かって三体のゴーレムが近づいてくる。


 一対一でも敵わないのに、三体のゴーレムを相手にできるはずもない。


 「――――そうだ!」


 起死回生、助かる可能性がたったひとつだけあった。


 ガイアスは身をひるがえして洞窟の左奥へと続く狭い間道へと飛び込んだ。


 『マスター、間道の先にもうひとつ生命反応が』


 「まずいな。人質か?」


 『おそらく』


 その予想は当たっていた。ガイアスは脂ぎった顔をにやつかせて、一人の子供を腕に抱いて現れた。


 「餓鬼の命が惜しかったら道を開けろ!」


 腕に抱かれた子供はぐったりとして明らかに生気がない。


 この暗い洞窟のなかでどれほどのストレスを抱えていたのか、考えるだけで松田は目が眩みそうであった。


 「――召喚腕サモンアーム


 ゴーレムの影に隠れるようにして松田は小さく詠唱する。


 「早くどかねえとこの餓鬼をぶっ殺すぞ! それでもいいのか!」


 そう言葉では言っても、子供を殺してしまえばガイアスは抗う術を失うので、 実際に子供を殺すわけにはいかないところが問題であった。


 野盗の頭目とはいえガイアスは決して交渉能力の高い人間ではない。


 「三つ数えるうちに道を開けなきゃ、餓鬼の指を落とす! 次は耳だ! い~~ち! に……な、なんだぁ?」


 壁から伸びる複数の手、身体がないために一切物音を立てない腕がガイアスの肩と手をしっかりと掴んでいた。


 「畜生! 放せ! 卑怯だぞ!」


 あとからあとから伸びてきてガイアスを拘束する腕は、結局十二本にまで増えた。


 「子供を人質に取る奴に言われたくないな」


 『殺しますか?』


 「この世界の法律を確認してからだな。俺の世界では官憲以外が拘束以上のことをすると罰せられるからな」


 『盗賊と魔物は見つけ次第殲滅するものだと思っていましたが……』


 「どんだけバイオレンスな世界なんだよ」


 ディアナの言葉にがっくりと松田は肩を落とす。


 自分はこの世界ではたしてホワイトな生活を手に入れられるのだろうか?




 「うう…………っ」




 苦しそうなうめき声にはっとなった松田は、慌ててその声の主へと駆け寄った。


 「触るな! それは俺のだ!」


 「――黙れ」


 必死に身体をゆすって暴れるガイアスを一言のもとに切って捨てて、松田は子供を抱き上げる。


 抱き上げてみて、松田は子供の全身から発せられる熱気に驚いた。


 「ひどい熱だな」


 『どうやら人狼の幼体ですね。どうしてこんな場所にいるのかわかりませんが、ひどく衰弱しています。症状的には魔力枯渇に似ていますね』


 「魔力枯渇?」


 『人狼は通常の食事以外に魔力をも摂取する種族です。ある程度強力な魔物なら食事から十分な魔力が摂れますが、こんな洞窟で碌な食事も与えられなかったのでしょう』


 ディアナが解析したところでは、あと数時間で人狼の幼体の魔力は枯渇する。


 閉所に閉じ込められたストレス、空腹、非衛生的な環境で削り取られた体力は魔力の枯渇に耐えられまい。


 『魔法士であれば術を使えば済むことですが……人狼の幼体ですと血肉を与えるのが一番かと』


 「食べさせろってことか」


 『幸い材料には不自由していないと思われますが』


 ディアナはガイアスに責任を取らせ、腕の一本も与えるべきだと思っている。


 いや、ほとんど魔力を保有していないガイアスではその体全てを与えても足りるかどうか……。


 「痛いのは苦手なんだがな……」


 松田はディアナが予想もしなかった行動に出た。ナイフを錬金すると自分の手首に刃を入れたのである。


 『主様! いったい何を……!』


 「この子の意識がないんだから血を飲ませるしかないだろうが!」


 流れ落ちる真っ赤な血を子供の口元に運ぶと、人狼の本能か、むさぼるように子供が松田の血を嚥下しはじめた。


 ――もし松田の血でなかったら。

 魔法士の百倍、一般人の軽く数千倍の魔力量を持つ松田の血でなかったら、人狼の子供はやはりここで命を落としていたに違いなかった。


 だがありえないほどに高濃度の魔力を凝縮した松田の血は、あたかもエリクサーのように人狼の子供の失われた体力を回復させた。


 そればかりか、人狼が体内に魔力を蓄えることで発生する二次性徴――すなわち人狼化を成し遂げてしまった。


 「…………わふう」


 鈴が鳴るような可愛らしい声で、目覚めた子供は寝ぼけたように目をこすった。


 その様子がまるで子犬のようで松田は思わず眉尻を下げる。


 まだ意識ははっきりしないようだが、半ば本能に動かされるように人狼の子は口のまわりについた松田の血を舐め、スンスンと鼻を鳴らして松田の体臭を嗅いだ。


 「――ステラのご主人様!」


 「わ、ちょっと待て! 落ち着け!」


 ステラと名乗った子供にとびかかられたかと思うと、頬や鼻先をペロペロと舐められる。


 なんの羞恥プレイだとは思いながらも、まんざらではない松田であった。


 『主様、この無礼な犬ころ、お仕置きしましょうか』


 ディアナはいかにも不機嫌そうな声で言う。


 ディアナにとって、大事な大事な主が薄汚れた野良犬に舐められているというのは、存外に神経に障ることであった。


 「いやいや! そこで怒る理由がわからないよ? あと、君も落ち着きなさい!」


 「わふう?」


 ぐい、と顔を鷲掴みに離されたステラは、心底不思議そうに首を傾げた。


 畜生、可愛いじゃねえかっ!


 「か、返せ! 人狼だなんて聞いてねえぞ? そいつは俺のもんだ!」


 逃がした魚は大きいというが、先ほどまで殺そうとしていた人質が実は人狼であったことを知ってガイアスは惑乱した。


 亜人種でも上位の身体能力と魔力を持つ人狼は、奴隷となれば目が飛び出るような高値で取引されている。


 その稀少価値はエルフすら上回るだろう。


 目の前にお宝があったというのに、それを失ってしまったという現実をガイアスは受け入れることができなかった。


 「わふう……悪人なのです。ざまあみろなのです」


 とどめを刺すように、しゃがみこんでガイアスの頬をステラは楽しそうに指でツンツンとつつく。


 「この餓鬼があああああああっ!」


 「うるさい」


 激昂して叫ぶガイアスをゴーレムの手が情け容赦なく押し潰した。


 喉を抑えられてしばらくフガフガと悶えると、これ以上は酸欠になると理解してようやくガイアスは沈黙した。


 「それで、ステラ――名前からすると女の子か?」


 「わふう! 私はステラ! 人狼マフヨウ支族のステラです!」


 「そのマフヨウ支族のステラがどうしてこんなところにいるんだ?」


 堂々と胸を張って名乗りを上げたステラだったが、ガイアスに捕えられた理由を尋ねられると急に恥ずかし気に俯いた。


 ピンと天に伸びていた尻尾も、小さく丸まって心なしか震えているようである。


 「わふう……覚えてないのです。散歩していたら見たこともない美味しそうな木の実があったのです。悔しいのです。味も覚えていないのです」


 心底悔しそうにステラは唇を噛んだ。それは要するに食い物に目が眩んでさらわれてしまったということか。


 「気がついたときには馬車の中にいましたです。その馬車をそこに悪人が襲って、ステラをこの洞窟に閉じ込めたです」


 「――――なるほど、な」


 『ほとんど自業自得ではありませんか!』


 「まあそう言うな。子供は痛い目をみないと覚えないもんさ」


 改めて松田はステラを見た。


 身長は百二十センチ程度だろう。白銀の髪はボサボサでまとまりが悪く肩まで伸びている。


 その頭の上に、いろいろと自己主張の激しい狼耳がピコピコと揺れ動いていた。


 ここが日本であればようやく小学校の高学年というところだろうか。


 瞳の色は黒く、社畜として精神の汚れた松田にはなんとも眩しい純粋な輝きに満ちており、愛嬌のある顔立ちで、汚れを取りメイクでも頼めば美少女といえるだろう。


 「子供ではないです! ステラは一人前の狩人です! わふ」


 「誰かどう見ても子供だろうが!」


 松田の感覚では大人とは最低でも高校を卒業した存在であるべきだ。間違っても小学生あたりの少女が名乗ってよいものではなかった。


 「まあいい。それでマフヨウ支族とやらはどこに住んでいる?」


 「わふ?」


 「悪いが俺はこのあたりのことはよく知らないんだ。場合によっては知っている人間に道案内を頼んでもいい」


 「――帰りませんです。わふ」


 そんなどうして遊んでくれないの? みたいな子犬のような顔で見つめられても困る。松田は幼女誘拐犯になるつもりは毛頭ないのだから。


 「お父さんとお母さんが心配してるだろ? 多分今頃手分けして探してるんじゃないのか?」


 「わふう……きっと探していると思うです。でも、ステラを成人させてくれたのはご主人様ですから! わふ」


 「ちょちょ、人聞きの悪いことを言わないでくれるかな?」


 こんな幼女に手を出したと思われたら社会的に抹殺されるのは確実である。


 少なくとも松田が自覚しているかぎり、自分はそうした特殊な性癖には縁がないはずであった。多分…………。


 「人狼を成人させるのは村なら族長、外ならば群れの主の役割なのです。ご主人様がステラを成人させてくれたのですから、ご主人様はご主人様なのです! わふ」


 『人狼は支族のリーダーが成人の儀式をつかさどると聞いたことがあります。どうやら魔力を使った儀式だったようですね。主様の魔力に溢れた血が、この子を通常より早く覚醒させてしまったのでしょう』


 「不可抗力だよっ! 救急救命の人工呼吸はキスには入らないのが常識だろう?」


 無自覚に幼女のご主人様になっていたとか、犯罪の匂いしかしない。


 何より、ステラの両親になんと説明してよいかわからなかった。もし自分が娘にそんなことをされたら発狂して殴りかかる自信がある。


 『――私が止めるのを聞かなかった主様が悪いのです』


 「のおおおおおおおおおっ!」


 拗ねたようにディアナは言う。松田との二人きりの時間は、予想以上に早くステラという闖入者によって終わりを告げたようであった。


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