64作品目

Nora

01話.[言いようがない]

「いらっしゃいませー」


 店員のそんな挨拶を余所に目的の場所を目指す。

 そして迷いなく包丁を買って退店。

 どこかに寄る必要なんてなかった。

 ただただ自宅を目指して、これを使うために歩けばいい。

 着いたら鍵を開けて中へ。

 どうやらリビングには誰もいないようだ。

 それなら好都合としか言いようがない。

 これを、


「うわ、買ってくるにしてもそれっ?」


 ……秘密裏に使おうとしたら見つかってしまった。

 仕方がない、こんなことをしたくはないが口封じをしなければならない。


「菓子があるから向こうへ行っておいてくれ」

「やだ」


 はは、なんとも俺にとっては無情な存在のようだった。


「普通のやつで大丈夫だよ」

「いや、……だって切れちゃうかもしれないだろ?」

「包丁なんだから切れた方がいいでしょ」


 無情な存在いもうとは分かっていない。

 初心者の人間にとって普通の包丁を利用するのは怖いんだ。

 実はこの素材でも手が切れることは事前に調べたことで知っているが……。


「それより電気を点けとけよ」

「こそこそしていたからね」

「……頑張って覚えないと四月から困るからな」


 他県の高校に通うにあたってこちらからだと不効率だからあっちで家を借りたんだ。

 他県を選んだ理由は学びたいことがあるからとかそういうことじゃない。

 とにかく近くの高校には通いたくなかったということだけ。


「それより……本当に行っちゃうの?」

「まあな、志望して試験を受けて合格したわけだし」

「なんか寂しいな」


 まあでもそれは仕方がないことだ。

 中学のときに一緒だった人間の大多数があそこに行くことを考えたらその時点で無理だ。


「それによく遊びに行ってこい、外で過ごせって言ってただろ? 俺の顔を見なくて済んで風花ふうか的には嬉しいだろ」


 よし、時間をかければ怪我をすることもなさそうだし大丈夫そうだ。

 ある程度のお金もくれるみたいだし……大丈夫。

 最悪の場合は茹でれば完成する袋麺とかそういうのに頼ればいい。

 洗濯や掃除は前々から自分でしてきているから問題はない。


「部屋に戻るわ、おやすみ」

「……おやすみ」


 そりゃもちろん寂しさはある。

 家族との仲はよかったから余計に影響を受けている。

 それでもこれからの時間を楽しく過ごすためにも必要なことだったんだ。

 部屋に入ったら電気を点けずにベッドに転んだ。

 荷物はもうまとめてあるから殺風景な部屋だと言ってもいい。

 寂しくなるから三年間が終わるまでは帰らない気持ちでいる。

 だから今日でこのベッドともお別れということになるわけで。


「頑張るしかないな」


 そう、そうするしかなかった。




「じゃ、行ってくるわ」

「うん、頑張ってね」

「ありがとな」


 最後に風花の頭を撫でて車に乗り込んだ。

 電車ではなく車で送ってもらえるのは感謝しかない。

 乗り慣れていないから正直怖いんだ。


「頼むわ」

「おう、任せておけ」


 走り出してから少しして後ろを見てみたらまだ風花が手を振っていた。

 それにちゃんと振り替えしてから前を向く。

 別に一生会えないというわけじゃないんだから気にしなくていい。

 母みたいにあっという間に家の中に戻る程度でいいんだ。


「なにかあったら連絡してこいよ?」

「おう」

「ただ、お前は相談とか全くしてこないからなあ」

「迷惑をかけたくないからな、ま、この時点でかけているんだけども」

「馬鹿、家族にぐらい甘えればいいんだよ」


 いや、俺は十分家族に甘えていた。

 中学時代はクソとしか言いようがなかったから大して会話もせずに即帰宅していたし。

 部活に強制入部イベントがなければもっとよかったんだが……。

 まあそこは皆同条件だから仕方がないと片付けるしかない。


「着いたな」

「さんきゅー」

「おう、俺はちょっと寄り道して帰るわ」

「気をつけてくれよ? 事故ったら母さんや風花が悲しむ」

「おいおい、お前は悲しんでくれないのか?」


 そんなわけがない。

 そのまま伝えたら「よかった」と言って笑っていた。

 車から降りて借りた家に目を向ける。

 そうしたら父が車を走らせ始めたからそっちを見て、見送って。


「入るか」


 いつまでも外でぼうっとしていても仕方がない。

 中に入って色々再度見てみたりもした。

 それから元から設置してあるベッドに座って休憩。

 荷物はいま自分が持ってきた物が全てだからばたばたしなくていいのはいい。

 最低限必要な物を揃えて持ってきてあるから部屋がごちゃごちゃになる心配はない。


「もしもし?」

「着いた?」

「おう、問題なく着いたぞ」


 実家に比べたら遥かに狭いけど悪くはない。

 ある程度狭い方が掃除とかも行き届きやすいだろうし。


「あのさ、本当に帰ってこないつもりなの?」

「本当に特別な事情でもない限りはそうだな」

「……なんで? 本当は私達とも離れられて嬉しいってこと?」

「そんなわけがあるかよ、寂しくなるからに決まっているだろ」


 兄ちゃんは意外と寂しがり屋なんだ。

 人と全く一緒にいなかったくせに常に求めていた。

 ま、クソなのは自分だった、という風に終わってしまう話だ。

 心機一転するために意地でこっちに来たことになる。

 そのせいで無駄に家賃とか生活費を払うことになって両親には苦労をかけるが……。


「私はお兄ちゃんといられなくて寂しいんだけど」

「まあ……そこは我慢してくれ」

「馬鹿」


 確かに馬鹿だとしか言いようがない。

 中学時代があれだったのに慣れない場所でなんて上手くいくわけがない。

 でも、逃げたくて仕方がなくて必死に入れそうな遠い場所の高校を探したんだ。


「風花はちゃんと考えて高校を選べよ」

「私はあそこに行くよ」

「おう、間違いなくその方がいいな」


 私立よりはマシだと考えてもらうしかない。

 残念ながらバイトは禁止だから返せるのは遠い話ではあるが、働けるようになったら一生懸命働いて少しずつ返していきたいと思う。


「お兄ちゃんの部屋も使っていい?」

「ああ、自由に使ってくれ」


 風花は小遣いを残る物に多く使っている。

 だから意外とごちゃごちゃしているわけで、俺の部屋も使えれば物の置き場がないという理由で買えなかった~みたいなことにはならないからいいだろう。

 間の壁をぶち抜いて一室にしてしまうのも面白いかもしれない。


「風花は受験生になるな」

「うん、まだまだ部活があるけどね」

「最後の大会、勝てるといいな」

「そうだね、一生懸命やってきたから少しでも勝ち進みたいな」


 部活にそこまで一生懸命になれるのはもはや才能だと言ってもいいかもしれない。

 みんな強制的にどこかの部活を選んだなりに頑張ろうとしていたが、残念ながら俺からすればそういう風にはできなかったわけだし。


「風花が勉強をしているところは……あんまり想像ができないな」

「えっ、酷いよっ」

「いやだって……家では菓子ばかり食べていたしな」


 ぱりぱりぽりぽりと常にむしゃむしゃしていた。

 学校ではむしゃくしゃするからそういうので発散させていたのかもしれない。

 学校のことで相談しないのは風花の方が酷いぐらいだった。


「高得点の答案用紙を何度も見せていたでしょっ」

「そうだったな」

「もうっ」


 なにも言わないから心配になるんだ。

 俺と違って多才だからなんでも上手くやってしまえるのは分かっているが。


「それこそなにか問題が起きたら電話をしてこいよ」

「寂しくなっちゃわない?」

「ああ、それでなら大丈夫だ、顔を見なければ帰らなくて済む」


 風花が母に呼ばれたから切ることになった。

 いまので結構力を貰えたからなんだかんだでいけるんじゃないかって気がしてきてよかった。




 入学式とHRが終わって教室に居残っていた。

 これから一年間世話になるわけだから少しでも早く慣れたいという気持ちが大きい。

 あとは単純に地元組と違って慣れない土地なのも影響している。


「平野君」

「えっ? あ……」


 まさか初日から話しかけられるとは思っていなかったから驚いた。

 しかも異性からなんて最悪だ。

 クソクソクソ中学時代のせいでいいイメージがない。

 もちろん、全ての異性がそれに該当するわけではないと分かっているが……。

 ……早く帰らなかったのが運の尽きってことか。


「どうした?」


 教室には確かに俺だけだったはずなのにどうしてこうなったのか。


「県外から来たって本当?」

「そりゃまあ……嘘はつかないだろ」


 そんなことで得になるようなことはないし。


「さっきは言わなかったけど実は私もなんだ」

「そう……なのか? まあ、そういう人間もいるよな」


 高校とか大学なら特に。

 小中は……あ、親がうるさいところなら受験とかでありえるかもしれない。


「初めてひとりで暮らすからちょっと緊張してて」

「慣れない場所はな」

「うん、でも、自分が決めたことなんだから頑張らないとって思っているよ」


 仕事とか学校とかの関係で家族を巻き込むのは無理だ。

 だから選んだ自分がひとりで頑張るしかない。

 両親が認めてくれたという事実だけで十分だろう。


「なにか学びたいこととかあるのか?」


 と、聞いてからかなり後悔した。

 早く終わらせようとすればいいのに自分から話を振ってどうする。

 これは小中学生時代からの悪い癖だった。

 無視を決め込めばいいのに嫌われたくなくてどうしても対応をしてしまう弱さが問題で。


「実は中学生のときに上手くいってなくて……」

「そうか」


 明るい学生生活を過ごせる人間ばかりじゃないことは自分で分かっている。

 学年に必ず複数人は輪に加われない人間がいたから。

 なんであんな差が出るのかは分からない。


「ははは、実は他県って言っても二十分ぐらい歩けば着いちゃうところなんだ。でも、そういう力を借りようかなと思って」

「それはすごいな、すぐに行き来し放題だな」

「うん、小さい頃はそれで遊んだことがあるよ」


 小学生時代は明るかった、ということなのか?

 多感な時期だから中学からは環境のせいで駄目になったのかもしれない。

 って、なんで長々会話をしているんだ。

 この女子の目的はなんなんだ……?


「悪い、そろそろ帰るわ」

「あっ、ごめんねっ、初日からいきなり馴れ馴れしかったよねっ」

「いや……それは別に気にしなくていい、それじゃあな」

「うん、また月曜日にね」


 気さくな感じの女子ほど怖い存在はない。

 関わらないで済むようにいまから願っておこうと決めた。


「春休みの内に色々回ったから普通に帰るか」


 買い物にも行ったから食材もあるし。


「ふぅ」


 とりあえず入学式を無難に終えることができたのは最高だ。

 だから次の目標は同性の友達を作ること、だろうか。

 ひとりでも友達を作ってしまえばそれで十分だと言える。


「もしもし?」

泰弘やすひろ、入学式はどうだったの?」

「普通だったよ」

「そうなの? それならよかったわね」


 ああ、その点はそうだとしか言えない。

 失敗だったのは残ってしまったことだ。

 まさか逆効果になるとは考えていなかった。


「それより急にどうしたんだ?」

「どうしたって……気になるに決まっているじゃない」

「あ、そうか。悪いな、心配をかけて」

「あなたはいつもそうよね」


 俺はいつもこうらしい。

 父が言っていたみたいに相談しない、なんてことはない。

 寧ろ早め早めから弱音を吐いて話し合った結果がこっちに住む、だったからさ。


「母さんこそ大丈夫なのか? 最近は忙しかったみたいだけど」

「ええ、こっちは大丈夫よ」

「母さん達こそ子どもに弱音を吐けないということで抱えそうだよな」

「なにかがあったら言うわ、でも、なにもないから言う必要がないのよ」

「そうか、それならよかった」


 なんか格好いいと思った。

 母も父もどちらも堂々としているからこそ余裕というのがあるんだと思う。

 なにかが起こるとすぐに平静ではいられなくなってしまう俺とは違う。

 だからその点、風花は悪いところは引き継がずにいいところだけを引き継いでいるからよかったとしか言いようがない。

 妹までこんな感じにならなくていいんだ。

 そりゃ悪いことだって起こるだろうけど楽しく過ごしてほしいから。


「いつでも帰ってきなさい、あなたは私の息子なんだから」

「おう、ありがとう」

「ええ、それじゃあね」


 とにかく俺にできることは頑張ることだけだ。

 そして、嫌われないようにすればいい。

 それができたら仮に友達ができなくても上手くやっていける。

 全ては俺の行動次第だった。

 上手くできるかどうかは分からないが、マイナス思考ばかりしていても意味はない。

 というか、中学のときと同じようにしたら駄目なんだ。


「三年間帰らないって言ったんだから守れるようにしないとな」


 そのためになら例え家で独り言が増えようと構わない。

 誰かに迷惑をかけているというわけでもないからいいだろう。




 月曜日。

 授業はまだまだ始まらないらしいからさっさと始まってほしいと思う。

 集団で行動することは苦手なことはないからだ。

 その点、勉強ならある程度はできると言えるし。


「平野君」

「お……」


 全部が終わって解散になったタイミングで彼女がやって来た。

 残念ながら自分の自己紹介を上手くやることだけに集中していた結果、クラスメイトの名字すら覚えられていないという状態だからそういう意味でも来ないでほしかった。

 だって知らないとか言ったら失礼……だろ?


「二日目……いや、今日が一日目なのかな? 無事に終わったね」

「そうだな」


 俺的には授業が始まってからだと思うがまあ細かいことはどうでもいい。

 とにかく広げないようにするのが俺にしなければならないことだから。


「あっちの県からこっちの県に来るのは近くていいんだけど、自宅から高校へ通うのは結構な距離があるから朝は遅れそうになっちゃってさ」

「自転車で来ればいいんじゃないのか?」

「それが自転車に乗れなくて……」


 えっ、おいおい、もしかして箱入りお嬢様かなにかか?

 あ、いや、小学生の頃にそれでも学校で練習するだろうからそれはないと思うが……。


「ん? というかその距離ならひとり暮らしを始める必要はないだろ?」

「あー……これまで甘えちゃっていたからなにもかもひとりで頑張ろうと思って……」

「形から入らないといけないタイプなんだな」

「あはは……お恥ずかしいけどそんな感じかな」


 いかん、余計なことを言うな。

 あと、広げようとするんじゃないと考えているくせに、


「練習してみたらどうだ?」


 なんて、すぐに余計なことをいい始める俺の脳と口。

 本当に勘弁してほしい。

 こういうところを嫌われてあんな酷い状態になっていたからここに逃げてきたというのに。


「え、あ、ひとりじゃ怖いかな……」

「そこは友達に頼むとかさ」


 俺と同じで友達がいないなんてことはないはずだ。

 女子には間違いなく最低ひとりは男子の友達がいると思う。

 容姿だけで判断すればまず放っておかないだろうから。


「……平野君でもいい?」

「えっ?」

「い、いやほら、友達とかいないから……」


 あ、そういえば中学のときに上手くいっていなかったと言っていたか。

 馬鹿だな、相手の名字すらも聞いていないし、学習能力だってない。


「それになんか平野君は話しやすいから……友達になれたらいいなって」

「寧ろ話しかけにくい存在だと思うけどな」

「そんなことないよ? それにいきなり馴れ馴れしく話しかけても平野君は普通に対応してくれたからいい子だなって偉そうだけど思ったんだ」


 い、いい子……だと?

 やっぱり彼女は相当世間知らずというか……人知らずというか。

 そりゃ最初から冷たくできるわけがないだろうよ。

 そういう風にできる人間ならここに逃げてきてなんかいない。

 ま、知らないんだから仕方がないと片付けられる話ではあるが。


「だ、駄目……かな?」

「いや……まあ、時間だけはいっぱいあるからな」

「そっかっ、じゃあ……今週の土曜日でいい?」

「おう、じゃあ約束な」


 というわけで……実に変なことになってしまった。

 風花に言ったら「嘘つきっ」と言われてしまうような感じだった。

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