素直じゃない彼女と素直な彼

吉田勉

第1話 晴れときどき雨



 前日までの雨が降ったり止んだりを繰り返していた空模様から打って変わり、朝から夏の日差しがサンサンと降り注いで気温が高くなっていくにつれて、肌にまとわりつくような湿気が不快度を上げていく。そんな梅雨の晴れ間となった六月のある日、午後の授業が終わっても不快さは変わりなく、部活動が始まる頃でも蒸し暑さは健在であった。

 放課後となり校内が騒がしくなるなか、高校一年生の早川美波はやかわみなみは昇降口で靴に履き替えて、陸上部部室がある部室棟に向かおうとしていた。そんな彼女はこの高校でも異彩を放つ存在である。なぜなら彼女の長い髪の毛は金髪であり、遠目から見ても目立つ。それに加えて端正な顔立ちに漆黒な黒い瞳をしていて、多くの人が彼女の事を美人だと認識している。

「はぁ、蒸し暑ぅ」

 美波がうな垂れて、金色の長い髪の毛を揺らしながら歩いていると、誰かに後ろからのし掛かれた。

「あっちーよ。アイスが食べたいよー、みなみぃ」

「だからって、抱きついてくるなっ。暑苦しい、この日本人形が」

 綾瀬香菜あやせかなに後ろから抱きつかれて美波は鬱陶しさを隠すことはしない。中学から一緒に陸上を続けてきている友人の香菜は、美波が素の自分を出せる人間である。そんな香菜の外見としては、少し丸みを帯びた輪郭にボブカットの黒髪、クリッとした丸い瞳が特徴的。

「誰が日本人形だぁー。あんたは孤高の美少女のくせにー」

「誰が超絶に美しい女子高生だって?」

 クラスの内外において、孤高の美少女や、少し扱いづらい人間だのと揶揄やゆされる美波ではあるが、それは特定のグループに属する事が面倒に思っているだけで美波本人は人付き合いが不得手とは思っていない。

「はい、はい、確かに美波は誰が見ても美人ですよぉ。だけどさ、中学では色んな意味で中心的な存在だったのに、今やはクラスでぼっち街道まっしぐら。未だにこの変わりようは信じられないものがあるよ」

「数ヶ月前までの私は背伸びし過ぎていた感じだったからね、無理をやめたのかも。でも正直に言えば、クラスの女子と少し距離を置くことに不安がないと言えば嘘になるけど、私は今の状態が楽でいいんだよねぇ。香菜は前の私の方がよかった?」

「どっちでもいいよ、そんなの。私の前にいるあんたは早川美波である事は変わりようがないんだし、あんたが今のほうが楽ならそれでいいじゃないの」

 香菜は軽い感じに言うと、美波を解放して部室棟に向けて歩き出す。

「まあね、自分が好きなようにやりますよ」

 美波は香菜の後を追う。

 敷地内に運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏が響いていくなか、美波たちが所属している陸上部もまた部員が集まると準備ストレッチが始まり、本日の部活動が開始された。ちなみに美波の得意種目は短距離であるのに対して香菜の得意種目は中長距離であるから、練習時は別々に活動をしている。

 そんな陸上部の練習中は、時折あちらこちらから注目を集めることがある。それはナチュラルな金髪美少女である美波が短距離を駆ける時で、金色の髪の毛を太陽のキャラクターが付いたヘヤゴムでまとめ、そのまとめた髪をなびかせてグラウンドを一生懸命に走る姿は、少なからずの生徒の心を惹きつけているからだ。そんな風に部活中も周囲から一段と注目されてしまう美波であるが、しかし当の本人はといえば、自分が注目の的だという自覚が他者の認識と比べ薄かったりする。

 さて、部活開始から練習メニューの八割方を消化した頃、部活動が始まる時は強い日差しが照っていた太陽は、空一面を覆った灰色の雲に隠れてしまい、辺りは薄暗くなっていく。ゴロゴロと雷の音が近づいてくると、次第に冷えた風が吹いてきて、稲光が目視できるほどに雷雲が近づいてきていた。

「あー、涼しい風」

「美波、さっさと片付けちゃうよ。雨に降られて、ずぶ濡れなんて御免なんだから」

 美波と香菜はハードルを体育用具倉庫に運んでいる。学校側の判断で野外の部活動は普段よりも早く終わり、陸上部の二人も急いで後片付けの真っ最中であった。体育用具倉庫に到着すると二人はハードルを定位置に置こうとするけど、ハードルなどの陸上用具が乱雑に置かれていた。

「まったく、男子達めぇ。片付けるなら、ちゃんとやりなさいよ」

「いいよ、これくらいなら私一人でできるから。クラスの友達と約束があるんでしょ、香菜は先に戻って」

「そう? なんだか悪いね。この埋め合わせはちゃんとするから」

「うん、期待しないで待ってる」

 香菜を見送り、美波は練習道具の整理整頓を始めた。整理整頓をしている間に雨が降り始め、そんなに時間が掛からなかった整理整頓が終わった頃には、外は土砂降りで雷も近くで鳴り響くような状況で、到底濡れずに部室棟に向かうのは無理であった。

「夕立だし、すぐ通り過ぎるよね」

 雨宿りをしていてもする事がないから美波は地面に強く降り注ぐ雨を眺めていた。すると、いきなりカラーコーンを頭に被った男子が倉庫内に駆け込んできた。そのカラーコーン男子は美波のことを気にも留めずにカラーコーンを定位置に戻すと、大きく溜め息を吐いた。

「あーあ、靴も靴下もぐちょぐちょ。はぁ、先輩がもう少し早く練習を切り上げてくれたら」

目の前で愚痴をこぼしている男子がテニスウェアを着ていたので、彼がテニス部の人であろう事は美波にも分かった。

「あのー」

 美波はこの雨では一緒に雨宿りする事になるかもしれないと思い声を掛けると、その男子は驚いて振り返る。なにせ、その男子こと佐藤翔太さとうしょうたには駆け込んできた時に引き戸の影にいた美波の姿は見えていなかったのだから。

「テニス部の方ですか?」

「そうだけど」

「何年生ですか?」

「君と同じ一年」

「そうですか、私と同じ一年なんですか」

 駆け込んできた男子が同学年だと分かり、美波は幾分か気分が楽になる。しかし、自分は相手のことを知らないのに相手は自分のことを知っているらしいという事に、何だか不気味さも感じる美波であった。

「あのさ、雨が弱くなるまで僕もここで雨宿りさせてもらってもいい?」

「ええ、いいですよ」

 翔太は出入り口を挟んで美波とは反対側に立つ。

「あの、私とあなたって、どこかで会ったことある?」

「ん? 早川さんとは同じ一年だから廊下とかで何度かすれ違ったことはあるけど、まあ君は僕と面識がないから、君は覚えてはいないだろうけどね」

 美波の問いに翔太は雨が降り続く校庭を眺めながら答える。

「そうですか。じゃあ、あなたが私のことを知っているのはこの髪が目立つから?」

「金髪という珍しさもあるけど、君が美人だという事も印象に残るという要因としては大きいと思うけど。おそらく僕らと同じ一年に限れば、君を知らない人のほうが少ないんじゃないのかな」

 美波は自分の容姿に多少なりとも自信を持っているが、実は女子や家族以外の男性から直接美人だと言われた事がなかった為に、翔太の言葉に若干戸惑いも感じるところもあったけれど、一方で自分の容姿の良さを再認識する美波であった。

「私ってそんなに目立ちますかね?」

「どうだろ。たしかに入学した頃には、男女ともに君の噂話をしているのをよく聞い   たから、注目度は高かったと思うけど、今はあんまり君の噂話は聞かないからね。ああ、こういう事か。最初は物珍しかったけど、それは最初だけで、その物珍しさも日常になれば感心がなくなっていって、時の有名人みたく知名度だけが残ったって感じだな」

「解りやすくご説明いただき……ありがとうございました」

 翔太の直接的な物言いにはかんに障った美波ではあるが、できるだけ今までと変わらない雰囲気を醸(かも)し出そうとする。特段目立ちたいとは思っていない美波ではあるけれど、それでも翔太の言葉は自分が貶(けな)されている感じがして良い気分ではなかった。そんな美波の雰囲気の変わりように気づかずに、翔太は自分が余計なことを言ってしまったとは露程も思ってはいなかった。それでも、翔太はそんなに鈍感な奴という訳でもなく、程なくして自分が目の前の彼女に対して誤解を招くような言い方をしてしまった事に気づく。

「あの早川さん、誤解がないように一応言っておくけど、その金髪は目立っています。いや、それは君が学校に馴染んでいないとかという意味ではなくて、金髪である君の存在が日常の一部として当たり前のものになっていると言いたかった訳だけど」

「気を遣ってくれて、どうもありがとう。でもね、余計なお世話。あなたは私がこの髪のせいで、クラスの中で一人ぼっちで可哀想だと思っているのかもしれないけど、私は一人が楽なの。朝から晩までクラスの人達のSNSを気にする生活に疲れちゃっただけなの。お願いだから、私の外見を理由にそういう不憫そうな目で私を見ないでっ!」

 美波は一人でいることが楽ではあるが、決して周りから自分がどう見られているか気にならない訳ではない。クラスの女子達と距離を置くからは、その周囲の女子達の評価には細心の注意を払っているくらいには気にしている。一方で翔太は、フォローしたつもりが美波の思わぬ反論に驚きはしたものの、同時に美波に対して面倒くさい奴という印象を懐いた。

 この美波と翔太のすれ違いは、美波がただ単純に金髪である自分の存在が目立つかどうかを訊いていたのに対して、翔太は噂話を含めた情報から金髪などの外見のせいで一人ぼっちなのだろうと思っていた為、変な気の回し方をしてしまったせいなのでした。一方、見ず知らずの翔太に美波がなぜ本音をぶちまけたかと言えば、日頃耳に入ってくる自分に関する噂話が、自分では気に入っている金髪を含めた外見のせいで一人ぼっちだの何だのというものばかりでストレスが溜まっており、たまたま目の前でそういう事を口にした翔太に八つ当たりをしただけなのでした。

「そういうつもりはなかったんだけど、嫌な思いさせたなら謝る。ごめん」

 翔太は美波に頭を下げると、まだ雨が降り続けるなか外に逃げるようにして掛け出していった。そして、倉庫に取り残された美波は翔太への怒りが静まってくると、翔太にさっきの事を周りに言いふらしやしないかと心配になり始めていた。

「私のバカぁ。誰かも知らない相手に何やってるんだろー、私は」

 美波が途方に暮れてトボトボと部室棟に歩いて行く。その上空はといえば、さっきまで雷雨をもたらした積乱雲はどこかへ流れていき、雲の間から夕日が差し込めば薄らとした五色の虹が架かる。この美波と翔太の出会いがお互いにとって掛け替えのない日々となっていくのだけど、その道のりは順風満帆とはいかない。今日この日のように晴れていたかと思えば、突然雷雨となる事もあったりして、お互いに傷つくこともある。それでも美波と翔太はケンカと仲直りを幾重に繰り返しながら、時に周りの協力を得ながら二人の絆の糸を紡いていく。

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