忍法・仰ぎ蝉

朽尾明核

前篇


【一】


 蝉が鳴いていた。

 

 山道を、ひとりの女が歩いている。

 若い女だった。年の頃は、まだ二十にもなっていない。

 黒く、長い切り下げ髪が、歩みに合わせて揺れている。

 紅藤色の着物に身を包み、薪を背負う女。


 夏の盛りである。

 木々に遮られ、直射日光は当たらないとはいえ、暑いことに変わりはない。

 女は、時折額から大粒の汗が流れ落ちるのを、そのままにしていた。


 多くの木が密集する山の中では、四方八方から蝉たちの鳴き声が重なっている。そこを歩いていると、なにか巨大な生き物の中にいるかのような錯覚すら憶える。


 女が、ふと何かに気づいたように立ち止まる。

 彼女の視線の先には、蝉の死骸が落ちていた。


 山道の、真ん中だった。

 仰向けになった蝉が、天を眺めている。ぴくりとも動かない。

 狭い道だ。

 踏みたくは無い。しかし、わざわざ避けるほどのものでもない。


 そう思い、女が蝉の横に足をおいた瞬間。


 ――じじじっ


 蝉は、弾かれたように鳴き声をあげた。

 驚いた女が、一歩飛びすさる。背中に背負った薪の重みで、転びそうになった。


(生きていたの――)


 声は出さずとも、その驚きようはすさまじいものだった。

 女は、今度は慎重に、忍び足で蝉の横を通り過ぎた。


 山道を進む――。


 女の息が上がり、太陽が傾きかけた頃、一件の家が見えてきた。

 家とは名ばかりのあばら屋である。山小屋のような小さなものだ。


 女は、足を止めた。

 その顔が、警戒の色を帯びる。


 家の前に、見知らぬ男がいた。


 男も、近づいてきた女に気づく。片手をあげ、軽い調子で口を開いた。

「いやあ、どうも。ここの家の方ですかい?」


 女は、答えない。

 突如現れた男に対し、露骨に不信感を抱いている。


 足を止め、むしろ家から遠ざかるように、一歩後ろに踏み出した。


 男は、そんな女の様子を見て、慌てて弁明する。

「失敬。俺は怪しい者ではありません」

 


 怪しい者に「怪しい者では無い」などと言われ、それを信じる者はいない。

 女も、警戒を解く様子はなかった。


 まいったな。

 そう言って、男は被っていた三度笠を外す。素顔があらわになった。

 若い男だった。墨色の着物の上に、灰色の引き廻し合羽(外套)を羽織っている。髷も結っていない。

 無造作に伸ばされた髪は、跳ね癖がついていた。

 飄々とした雰囲気の美丈夫だ。

 しかし、その髪の色は、老人のように真っ白であった。

 白い髪に白い肌。

 人間離れした雰囲気を、男は身に纏っていた。


「あなたは」女が口を開いた。「あなたは、誰ですか」

「俺は、玖嶄くざんといいます。旅人です」

「……何をしにここへいらしたのですか?」

「貴女は?」

「え?」

「名前、なんていうんです?」

「は、え、私ですか?」

「そうです」

「……ゆら、といいます」

「ゆら、か。いい名ですねぇ」


 玖嶄、と名乗った男は、ごそごそと、自らの懐をさぐり始める。

「ここへ来たわけですが……、下の村で聞きまして。ちょっと待ってくださいよ、ほら――」


 懐から小さな袋を取り出す。

 さらに袋から『何か』を取り出し、掲げてみせた。


 玖嶄が見せたのは、金属片と、宝石がない交ぜになったような、奇妙な物体だった。

 彼の手の中で、夕日を反射し、赫く輝いている。

 指の先ほどの大きさの石を、玖嶄は手のひらで転がして見せた。


「これは〈青生生魂アポイタカラ〉と言いまして。俺は理由わけあってこれを集めております」


 不思議な輝きを放つ石――青生生魂アポイタカラを元通りにしまった玖嶄は、話を続ける。

「この家に住む娘さんが、この石を持っていると、麓の方の村で耳にしましてね。そうして、ここまでやってきた、ということです」

「そう、なのですね」

「わかってもらえましたか」


 玖嶄は、ゆらに歩み寄る。

 身を竦ませるゆらに対し、玖嶄は安心するよう手を差し出す。


「そう、怯えないでくだせぇ。俺は、石を譲って欲しいだけなんです。無論、ただでとは言いません」

 玖嶄の手には、小さな包みが乗っていた。

 ゆっくりと包みを開くと、現れたのは小判だった。何枚も重なって、包まれていたのだ。


 驚きに、ゆらは目を丸くする。

 しばらくの間、小判に目を奪われていたが、しかし――ややあって、玖嶄の方へ視線をあわせると。ふるふると首を横へ振った。

 玖嶄は、口をとがらせる。


「なんと、足りませんか。上積みもやぶさかではありませんが、しかし、生憎と今は持ち合わせが……」

「いいえ。そうではありません」


 きっぱりとゆらが言った。


「そうではなく、もう、すでに、私はその石を持っていません。だから、お譲りすることができないのです――」




【二】


 ゆらと玖嶄くざんは、囲炉裏を挟み、向かい合って座っていた。

 女性が初めてあった男を家の中に招く――というのは少々不用心である。

 しかし、会話をしているうちに、いつの間にか、そういう流れになってしまっていたのだ。


 ごく自然と、招かれた客人かのように、玖嶄は囲炉裏の傍で胡座をかいている。

 煙管を咥えたまま、先端を、足下に置かれているたばこ盆の火入れに突っ込む。

 少しして、煙草に火が付くと、うまそうに煙を吐き出した。


 ゆらは、そんな玖嶄の様子を、じっと見つめていた。

「失敬、ゆら殿もどうです?」

「結構です。私は、吸いませんので」

「おや、するとこれは……」


 玖嶄はたばこ盆にちらりと目をやる。

 たばこ盆とは名前の通り、煙草を吸うための道具(が一式そろった物)であり、煙草を吸わないのであれば無用の長物だ。


「父のものです」

「ははあ」玖嶄は得心がいったように頷いた。「俺も、職業柄――最近まで煙草は禁じられていましてなぁ。よく隠れて吸っては、残り香がバレて上に怒られたもんです」

「……最近まで?」

稼業しごとを辞めまして」

「――――」

「辞めてよかったこと、悪かったこと、諸々ありますが、まあ、こうして堂々と煙草を吸えるようになったのは、嬉しいですよ」


 玖嶄は、深く煙を吸い、目を細めて吐き出した。


「と……、すみません。それで、石が手元にないというのは」

「あ、はい」ゆらが姿勢を正す。「玖嶄様が見せてくださったあの石――アポイタカラですか――は、前はたしかに私が持っていました。もともと、小さな頃に父がくれたものなんです」

「お父上が」

「ええ。私が産まれる前に、父は母とともに都にいたことがあるらしく。そこで買ったのだと、言っていました」

「産まれる前とすると、お母様に贈られたのですか」

「そうですね。元々はそうだったらしいです。母は、私を産んだときに死んだので……」


 受け継ぐ――ような形で、父親から渡されたのだ。と、ゆらは言った。

 彼女は、訥々とした口調で話すと、一度、ため息を吐き出した。膝の上で握られた拳に少し力が入る。


「いつもひもを付けて、首から提げていました。不思議な物で、小さい頃はどんなに泣いていても、その石を見ると泣き止んだそうです」

「へぇ……、まあ、見た目は・・・・綺麗ですからねぇ」

「もっともその頃のことは、もう憶えていませんけれど。それでも、物心ついたときから、ずっと持っていた物です」

「そんな大事なものを、どうして無くしちまったんですかい」


 ゆらが、ぎゅっと目をつむった。

 沈黙。

 玖嶄は、急かすこと無く紫煙をくゆらせる。

 しばらくして、ゆらは口を開いた。

 その声は、震えていた。


「……二年前、です」

「…………」

「畑を耕しにいくとき、私は石を外して出かけます。父はそのとき、足を悪くして、家にいました、だから……」


 消え入りそうな声。

 玖嶄は、彼女の言葉を引き取るように呟く。

 

「――石は、無くしたんじゃあなく、奪われたんですね」


 首肯。


「畑仕事から戻ったら、家は荒らされ、父は……、殺されていました。そのとき、石も無くなっていたんです」

「そう、ですか」


 玖嶄は目を細めた。


「下手人が誰かは、わかっているんですかい?」

「……布里原ふりはら拾坐じゅうざ


 ゆらの口調は、はっきりとしていた。


「このあたりを縄張りにしている、盗賊です」

「なるほど」


 玖嶄は煙管の中の灰を、叩いて落とす。


「その盗賊の居所は?」

「以前村で、西の砦跡をすみかにしていると聞いたことはありますが……」

「ああ、あそこか……」


 何かを考えている様子の玖嶄に、ゆらが声をかける。

「あの、いったい……」

「ゆら殿、こういうのはどうですか?」玖嶄が煙管に新たな煙草を詰める。火入れの炭から着火し、煙を吐いた。「これから、俺がその布里原なにがしを倒し、親父さんの仇を討ちます。代わりに、その盗賊が奪った青生生魂アポイタカラを譲ってくれませんか」


 ゆらは、玖嶄のことをじっと見つめる。

 しばらく考えてから口を開いた。


「なぜ、そんなことを訊くんですか?」

「はい?」

「あれは盗られたものです。もう、私の手元にはありません。私では取りかえすこともできません。許しなど得なくても、黙って持っていけばいいのではないですか?」

「俺は、こういう筋を気にする性分たちなんですよ」

「石が盗られたのは二年前です。もう、売り払われているかもしれません」

「ですな。まあ、それはそれで仕方がありません」

「……布里原拾坐は、かなりの強者と聞きます。仲間の数も多く、腕利き揃いだとか。危険です」

「問題ありません」


 自信たっぷりに玖嶄は言い放った。

 ゆらはその様子をしばらく眺めていたが、やがて、絞り出すような小さな声で言った。


「わかりました。石はお譲りします……なので、斬って下さい。憎い――布里原拾坐を」

「承知しました。お任せください」

 玖嶄は紫煙と共に返事を吐いた。




【三】


 玖嶄は旅の疲れがあるため、今日はゆらの家に泊まることとなった。

 玖嶄はすぐ出発しようとしたのだが、ゆらがそれを止めたのである。


 ただでさえ多勢に無勢。

 今日は休み、身体を休めてからにしたほうがいい――と。


 夕餉は、粉団子の汁と、芋の根を煮たものだった。

 食べながら、ゆらは、玖嶄のことについて質問をした。


 稼業しごととは何をしていたのか。

 これまでの旅はどういうものだったのか。

 そして何より、彼の実力について――。


「もしかして、俺のことを心配してます?」

 玖嶄は食後の茶を飲みながら、ゆらに質問を返す。


「私は、玖嶄様の腕は知りません。しかし、さすがに、相手が悪いかと」

「布里原拾坐ってのは、そこまで強いんですかい?」

「私も、村の方から話を聞いただけで、直接見たわけではありませんが……なんでも、力が強く、さからったした村人を、頭からつま先まで、一太刀でまっぷたつにしたこともあるそうです」

「ふむん」

「それに、盗賊たちは徒党を組んでいます。十人以上いるという噂です。やはり、やめた方がよろしいのではありませんか?」

「ま、野盗ってのは自分が襲うことには慣れていても、襲われる事には存外不慣れなもんです」

「――――」

「俺は侍ではないですからねぇ。卑怯な手でも何でも使わせていただきやす。なんで、ええ、そう、不安にならずとも、大丈夫です」


 日が暮れ、夜になる。

 ゆらは、桶に水を溜め、手拭いを入れたものを、玖嶄に差し出す。

 行水をするためのものだ。


「どうぞ、お使いください」

「ああ、ありがとうございます」


 玖嶄はそういうと、上着を脱いだ。

 鍛えられた上半身が晒される。


「……ッ」

「おっと、失礼しました」


 目を丸くしたゆらに、玖嶄は謝る。


「…………」

「ゆら殿?」


 反応がない。

 玖嶄がゆらの方を見ると、彼女は顔を赤くし、手で目を隠しつつも、その指の間から玖嶄の身体を覗き見ていた。


 玖嶄は、立ち上がり、ゆらの元へ近づく。


「え、あの……」

「大丈夫です」

 玖嶄は微笑んだ。


 玖嶄が手を伸ばし、ゆらの頬に添える。

 そして、彼女の顔を、近くからじっと見つめる。


 美しい女だった。

 切れ長の瞳。すらりと通った鼻筋に、厚い唇。

 顎に指を這わせると、すべすべとした感触が、玖嶄の指先に伝わった。


「…………」


 ゆらは、何も言わなかった。

 玖嶄は彼女の頭をなでる。

 鴉の濡れ羽色の長い髪が、さらさらと揺れた。

 そのまま、彼女の着ているものを脱がした。

 

 着物が、するりとはだける。

 白い肌が露わになった。

 彼女の肌を、玖嶄の指がなぞる。


「――――ッ」

 くすぐったさからか、ゆらがわずかに身じろぎする。


 玖嶄は、その反応を楽しむかのように指を動かした。

 ほっそらとした首筋から、浮き出た鎖骨。

 その下にある、豊かな乳房。

 アバラの浮いた、筋肉質な腹。


 その感触を確かめるように動いていた指が、ぴたりと止まった。


 玖嶄は、ゆらの瞳を見つめる。

 彼女の目は、緊張に震えていた。

 身体も、強張っている。


 玖嶄は、脱がせた彼女の着物をもとに戻してやってから、口を開いた。

「もし、俺が貴方の父親の仇を討てたときは――」囁くような声色だった。「貴女を抱いてもよろしいですか?」


 ゆらが答える。

「なぜ、そんなことを訊くのですか?」その声は微かに震えていた。「私に、抗う術はありません。好きにすればよろしいでしょう?」

「そういう筋を気にする性分たちなので」

「…………」


 しばらく、ゆらは黙ったままだった。

 そして、一度、わずかに頷いた。

「わかりました。その時は、貴方のものになると、お約束します」


 玖嶄は、満足そうにうなずいた。 

「それでは、善は急げと言いますし、そろそろ向かうこととしましょう――朝には戻ります」


 男は、自分が使っていた傘だけを残すと、そのまま戸をあけて歩き去ってしまっていた。

 まるで、少し夜風に当たってくるとでもいうような、あっさりとした態度であった。


 ひとり残されたゆらは、すこしの間、玖嶄の出て行った扉を見ていたが、やがて、力が抜けたようにずるずるとその場にへたり込むと、大きく、長く息を吐き出した。


 

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