[23]
その爆発は突如として起きたので、諏訪とφは対処する事が出来なかった。二人は成す術なく爆風に攫われると、吹き飛んだ姿勢のまま壁や柱へと身体を強打して地面へと倒れ伏した。部屋の壁には大穴が開き、突っ込んだと思われるドローンの残骸、僅かに熱を持った様々な大きさのコンクリート片が部屋中に四散している。
諏訪は全体的に粉塵で汚れ、左腕の位置には裂創から溢れた鮮血で血溜まりが形成されている。加えて腹部の左側に飛来した瓦礫が直撃、肋骨が折れるという重症だ。こうもなれば意識を失うが、奇跡的に寸前で踏みとどまっている。
尚も暗く狭まる視界の中、聴覚を支配する不愉快な耳鳴りに顔を顰めた。脳震盪により動くことも考える事も出来ないので状況を把握出来ない。
体を蝕む痛みに呻いていると何者かが左横を歩いて、目の前に崩れる様に跪いた。眼玉のみを動かして視線を向けると、そこにいたのはαだった。
プレートキャリアに付いた小型ポーチからプラスチック製の小型注入器具を取り出し、咳き込んでからゆっくりと顔を近づけてきた。
「大丈夫、絶対に……死なせない」
耳元でその様に囁かれ、諏訪の首元に注入器具が当てられた。その瞬間、諏訪の意識はまるで糸が断ち切られたかの様に抵抗なく暗転した。
◆◆◆◆◆
αは諏訪が意識を失ったのを確認すると、血溜まりの発生源である左腕に視線を移した。失血死するほどの量ではないが、早めに効果が現れて欲しいと願わずにはいられない。
「ご無事…でしたか」
後方から力無い声が聞こえてきたのでαは振り返ると、壁を背に座っているφを発見した。額の皮膚を浅く裂いた縦長の裂創から血を流し、服の右側が僅かに焦げている。αは血を唾と共に吐き捨てている少女兵に駆け寄ると、正面に跪いて傷を確認し始めた。
「どこが痛む?」
「全身です。足に瓦礫が……酷く痛みます」
「処置をするから、じっとしていろ」
「はい……」
αは簡易的な応急処置を施しながら、痛みで呻きながら顔を顰めるφを一瞥すると、穏やかな声色で話し始めた。
「諏訪匡臣にIbisを注入した。彼はいま意識を失っているから、お前の治療を終わらせてすぐに離脱する。担ぐことになるが、大丈夫そうか?」
「はい、大丈夫です……すみません、あなたを援護するつもりが……こんな無様な姿になって」
「お前が悪い訳ではないから、謝らなくても大丈夫だ。気にする事は──」
αはいきなり何者かに襟首を掴まれると後ろに強く引っ張られ、咄嗟に反応できずに尻餅を付きそうになる。目の前でその光景を見ていたφは、αの背後に視線を向けると、小さく声を漏らした。
「───あっ」
φの声が聞こえた直後、αは抗えないほどの遠心力を受けながら空中に放り投げられた。いきなりの事で受け身を取れずに地面に衝突して転がると、うつ伏せに倒れながら低く呻いた。
「そ……そんな、なんで!」
φの怯えた様な大声と彼女が所持している拳銃の発砲音が連続して聞こえてきた。だが銃声はすぐに途切れ、φの悲鳴が聞こえた瞬間、何かがコンクリートに潰される音が響き渡った。αは立ち上がるとグロック22をホルスターから抜き取り、自身を投げ飛ばした相手に銃口を向けた。
視線の先にはφの頭をコンクリートへ何度も叩きつける少年がいた。周囲に血が飛び散り、既に死亡していると思われるφは衝撃で体を揺らしている。
φの頭を一心不乱に潰し続けているのは、他でも無い意識を失っていた筈の標的B──諏訪匡臣だ。
αは恐怖心を抑制し、相手の背中に向けて四十口径弾を二発叩き込んだ。被弾の衝撃で諏訪の体が揺れ、叩き付けていた相手の頭部を離す。地面に倒れたφの頭部は鮮血で紅く染まり、頭蓋骨の一部と脳が漏れ出したり傷口から露出していた。
「……こっちを向け!」
αは銃を握る手が無意識のうちに小刻みに震えていることに気付いた。背を向けたままの諏訪から今まで感じた事の無い気配を、狂気的なまでの殺意を感じ取っていたからだ。
この気配は絶対に仁藤紗奈ではい。
では、いま諏訪匡臣に憑依しているのは誰だ?
銃を握る両手に力が籠るのを感じながら、αは息を整えて再び口を開いた。
「その気配、諏訪匡臣でも仁藤紗奈でもないな。答えろ、お前は誰だ!」
応答無し、口を開こうともしていないだろう。
諏訪は振り向きざまに、左腕に深々と刺さっていたナイフを強引に引き抜いた。傷口から噴き出した鮮血は既に血で汚れた顔やシャツへと飛び散り、振り向き終わる頃には殺人鬼と呼ぶに相応しい容貌へと変化していた。
ナイフが引き抜かれた後の裂創はαが目を見張るほどの早さで塞がり始め、滝の様に溢れていた血を止めると共に傷跡を残さずに修復した。
「そんな……あの人よりも回復が早いなんて」
眼前の光景に呆然としているαの様子を見ながらも、何者かに憑依された諏訪は右腕で顔にこびり付いた血を拭き取り、そのままの姿勢から腰を捻って右手に握ったナイフを投げ飛ばしてきた。
αは突然の奇襲に反応が遅れたが、瞬時に体を捻って回避した。左頬をナイフが掠り、一直線に血が滲んでくる。再び諏訪の方向を向いて引き金を引こうとするが、既に間合いに詰めていた諏訪の右拳が腹部を貫かんとばかりにめり込んだ。
αの体が宙に浮くと諏訪の姿が揺らめき、今度は背後に現れた。右足による回し蹴りが少女兵の右脇腹を捉えて横方向へと吹き飛ばす。
全てが一瞬の事であり、αは訳が分からず地面を転がった。右脇腹を抑えて咳き込みながら、諏訪の方へと視線を向ける。
「は…早い……」
諏訪はαの方に視線を向けていた。左半身の焼かれた皮膚も元通りとなっており、完全に回復している様子である。更に驚くべき事に、諏訪の虹彩が微弱な青色に発光していた。特異体質者が能力を使用する際の特徴が現れている。
αは驚愕しながら目を見開くと、先程の出来事を思い返して全てを察した。
「……Ibis投与による暴走か」
αは痛みに耐えながらも立ち上がり、右手を突き出す姿勢の構えを取ると指を弾く。空間を刻む斬撃が放たれるが、諏訪は横へ跳躍して回避すると左手を握り短時間の内に再び開くと、掌を覆わんばかりの青炎を宿した。
右手で青い炎を掴むとそのまま腕を引き、青炎を引っ張る。その姿はまるで矢を射る直前、会の形を保つ弓士の姿を彷彿とさせた。そうして間を置かずに青く燃える炎の矢を放ち、目にも追えぬ速さでαの上半身に直撃した。
防御体勢に移せずに攻撃をまともに食らい、凄まじい衝撃で体勢を簡単に崩される。しかし、それでもαはなんとか踏みとどまり、諏訪の方へと再び体を向けて格闘の構えを取ろうとする。
だが既に飛び出して来ていた諏訪の強烈な右フックで頭部を殴られ、勢いそのままに回転した諏訪は硬く握った左手の甲でαの顔を殴り、連続して右の拳でαのこめかみ部分に拳がめり込んだ。
連続して頭部を殴られたので脳が揺れる。αがよろけた瞬間、諏訪に右肩を掴まれ、腹部を硬く握られた左拳で二度殴打されると、骨を折られそうな勢いと握力で首を掴まれた。
「ッ……あぁ!」
諏訪は苦痛の声を上げたαの首を掴んだまま足に力を込めると、コンクリートの壁へと突進して壁を破り、壁が崩落した解体途中の部屋へ突入した。
コンクリートの瓦礫や粉塵が舞う中、諏訪は回転するとαを勢い良く投げ飛ばす。αは受け身を取らずに地面を転がり、そのまま立ち上がっていると、間合いを詰めて来た諏訪が回し蹴りを繰り出してきた。αは体を反らしてギリギリで避けたが、再び諏訪は体を捻って彼女の斜め上から強烈な一撃を蹴り下ろした。
αは瞬時に対応して左腕で蹴りを防ぐが、威力は左腕は骨が軋むほどでαは地面に片膝を付いた。すぐに立ちあがろうとするが、諏訪の右拳が顔面を捉え、衝撃で背後に飛ばされると仰向けに倒れた。
「クソッ……強い」
αは両方の鼻の穴から吹き出した血を手で拭いながら、顔だけを上げて自身を殴り飛ばした相手へ視線を向ける。諏訪は無表情のままで立ち尽くしていた。だが一歩踏み込むと姿が揺らめき、次にはっきりと輪郭を得た時にはαの右足を持ち上げていた。
「……なにをっ!」
諏訪は瞠目した少女兵の足を掴んだまま崩れた箇所から空中へと飛び出し、体を捻ると瓦礫だらけの地上に向けてαを投げ落とした。αは悲鳴も上げることも出来ずに地上へと衝突すると、轟音と共にコンクリート片と粉塵、更に土煙が瞬間的に広範囲に舞い上がった。
諏訪はそのまま地上へと降り立つと、煙が立ち込めるの方向に顔を向ける。すると、煙の中から咳き込む音と辛そうな呻き声が聞こえてきた。目を凝らすと瓦礫の中で仰向けに倒れ、出血により頭の半分を鮮血で汚した少女兵の姿が見えた。
αは瓦礫の上で仰向けに倒れながら圧倒的な強さで蹂躙する存在に恐怖していた。諏訪匡臣と相対する前に決めていた筈の覚悟が打ち砕かれ、体が情けなく無意識に震えてしまう。
諏訪はαに目の前まで歩み寄り、止めを刺す為に右手を手刀の形にすると、上半身を捻って喉を穿つ為に力強く一歩を踏み込んだ。
まさに、その時であった。
突如、諏訪の動きが停止すると、いきなり鼻と口から大量の鮮血が吹き出した。
「ぅぐっ……!」
諏訪は瞠目すると、両手で鼻と口を覆ってその場に崩れ落ちる様に両膝を付いた。血は指の間から流れ出すと地面へ垂れていく。
αはその様子を瞠目しながら見つめていると、諏訪が纏っていた先ほどまでの気配が消え失せていることに気付いた。暴走の限界が来たのだ。
「な……なんだ、これ」
諏訪が困惑の声を発した。身体の限界は自身が考えているよりも深刻なもので、諏訪は跪いたまま立ち上がる事が出来ない。
αは今が好機と見ると、最後の力を振り絞って立ち上がる。相手を完全に行動不能とする為に手を開きながら諏訪に向かって手を伸ばす。
諏訪は体が動かせないので抵抗できない。
成す術なく迫り来る右手を睨んでいると、遠くから一発の銃声が鳴り響いた。
諏訪に迫っていた右腕を銃弾が貫き、二人は思わず瞠目する。αは撃たれた箇所を左手で抑え、諏訪は顔だけを銃声の轟いた方向へと顔を向けた。
顔を向けた先にあったのは、解体作業現場の第二入り口。その場所で銃を構えていたのは、諏訪が囮になって逃した筈の玖本枇代であった。
その背後からスーツの上着を脱ぎ捨てた董哉もグロックを構えながら飛び出して来た。
「俺達の仲間から離れろ、クソ野郎!」
董哉はαを睨みながらそう大声を上げると、枇代は間髪入れずに引き金に力を込めて発砲した。
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