第二章 護衛協会
[11]
収容所脱出の四日後 7.46am
その着信音は結果を知らせるものと同時に、彼女の目覚ましとしても機能を果たした。
紗耶は枕元に置いたスマートフォンの着信音で目が覚めると、すぐに飛び起きて画面を確認した。画面には赤渕尚樹の名が表示されている。紗耶はすぐに通話ボタンをタップすると耳に当てた。
「もしもし、冬島です」
『赤渕です、朝早く申し訳ありません。会議の最終結果が出ましたので、報告の為に連絡致しました。いま、お時間は大丈夫でしょうか?』
「はい、大丈夫です」
紗耶は寝巻き姿のままベッドから立ち上がると、横目でまだベッドで眠っている奏を一瞥して、窓際の椅子に座った。
赤渕から語られた話の内容は至極単純なものであった。諏訪は条件付きであるが、冬島紗耶の元に引き取られる事が決定されたのだ。
話によると秘匿会議に参加した各軍の大将と参謀長、次官級の将校達や、その他関係者の意見はほぼ真っ二つに分かれていた様だ。
中には即時処刑を望む者も存在した様で、茂木大将や彼の軍閥に所属する者達がそれを抑え込み、強引に意見を通したらしい。軍内部の事情を知らない紗耶は話を聞きながら、よく可決できたものだと感心していた。
『そのため彼を引き取りに来て下さい。今からお伝えする指定の時刻に迎えをお送りします』
「分かりました、ありがとうございます。はい、失礼します」
紗耶は通話を切ってスマホを円机に置いて一息つくと、未だベッドで小さく寝息を立てている奏に歩み寄った。
「奏、奏起きて」
紗耶は奏を揺すると、奏は小さく声を漏らしてゆっくりと両瞼を開けた。
「んぁ…あ、お嬢様……おはようございます」
「おはよう」
奏は起き上がると、伸びをしながら大きなあくびを漏らした。
「さっきね、赤渕少佐から連絡がきたの」
「えっ、結果がきたのですか?」
紗耶の言葉に奏はサッと顔を向けると、紗耶は微笑みながら頷いた。
「ええ、それに迎えが来るから早めに準備を始めましょう」
そうして紗耶は奏を半ば強引に叩き起こし、朝食や着替えを済ませて身なりを整え終えた。約一時間後、二人はホテルの入り口で、荷物を脇に置きながら迎えを待っていた。
「ふふ、楽しみね」
「……はぁ、何も楽しみではないですよ」
奏はどこか意気揚々としている紗耶の言葉に答えてから、左手首に巻いた小型ウォッチで時間を確認していると、一台の黒のセダンがホテルの入り口に近づいて来た。
「あれじゃないかしら?」
「ですね……お、凄い。予定通りの時間だ」
迎えの車はきっちり予定通りに到着し、二人の前に停車すると、スーツ姿の運転手が降りてきた。
「お待たせしました、国家警備局の柳田です。お荷物を積み込みますので車内でお待ちください」
車内で待つ様に促され、奏は後部座席のドアを開けて先に紗耶を車内に乗車させると、自身も車内に乗り込んだ。後部座席のドアを閉めて、シートベルトを装着していると、トランクに荷物を入れていた職員が運転席に戻ってきた。
「それでは発車いたします、宜しいですか?」
「はい、お願いします」
そうして、紗耶と奏を乗せたセダンは諏訪の身柄が置かれている国家警備局の収容施設に向けて進路を取り始めた。
◆◆◆◆
紗耶と奏は諏訪が移送された国家警備局の収容施に着くと、施設の入り口で待っていた赤渕少佐に連れられ、応接室に向けて長い廊下を歩いていた。
「そういえば──」
応接室への道中、先頭を歩く赤渕は肩越しに紗耶へ振り返ると、笑みを浮かべて話し始めた。
「茂木大将から伝言を預かっています」
「どの様な内容の伝言ですか?」
「もうこんな難題は懲り懲りだ、らしいです」
それを聞いた紗耶は小さく笑うと、ここには居ない壮年の陸軍大将の苦労顔を思い浮かべて、心の中でお礼の文章を思い浮かべた。今度会う機会があれば差し入れでも送ろう、紗耶はその様なことを考えていると、赤渕少佐はある部屋の前で止まった。
扉の上には第二応接室と書かれており、ドアノブには【立ち入り禁止】の札が掛かっていた。
赤渕は二回ほど扉をノックすると、扉を開いて紗耶を室内へと促した。奏は秘密規定により同席を認められないので、赤渕少佐と共に扉の外で待機することとなっている。
「失礼します」
紗耶は扉口で一礼してから部屋に入ると眼鏡を掛けたスーツ姿の若い女性が、手前のいるスーツに着替えた少年と向かい合う様に座っていた。
「どうも、こちらにお掛けください」
スーツ姿の女性は少年の隣に空いている席を示すと、紗耶は少年の隣に座った。
「久しぶり」
「ああ……久しぶり」
紗耶は着席すると同時に、隣の席に座る諏訪匡臣に声を掛けると、諏訪は何処か気の抜けた返事をこちらに返してきた。収容所で出会った時よりも黒髪を短く散髪し、濃い眉毛を整え、伸び放題であった無精髭を綺麗に剃っていた。
鋭い目つきと彫りの深い顔立ちで、言うなれば強面であるが、その顔を見つめていると、どこか拭い切れない優しそうな印象も伺えた。
「冬島さん、宜しいでしょうか?」
「あっ、はい」
紗耶は、その言葉にハッと意識を諏訪の顔からスーツ姿の女性に視線を戻すと、相手側は鞄から一つのファイルを取り出していた。
「初めまして、国家警備局保安部より参りました、代行官の瀬戸と申します」
瀬戸代行官は簡単な自己紹介を済ませると、ファイルから一枚の用紙を取り出し、紗耶の手元に差し出してきた。
「今回ご説明する内容は、そちらの用紙に沿って進みますので、よければご覧ください」
差し出された用紙には、諏訪の釈放後の制約が四項目ほど箇条書きで長々と記載されていた。瀬戸代行官の説明もこの用紙に沿っており、殆ど同じ事なので特筆すべき事はなかった。
紗耶に渡された用紙に記載されている四項目の制約を短く省略すると、以下の通りとなる。
一,人目のある所では不用意な特異能力の使用は、
例外を含め一切禁止とする。
二,特異能力の行使は敵対する特異体質者に襲撃、
または生命の危機に陥った時にのみ許可する。
三,特異能力を使い、一般人に危害等を加えること
は許されざる行為であり、この行為自体は厳禁
である。
四,自身がブラックリストであることを他者に明か
す事は許されない。もし、他人に漏れた場合は
国家警備局保安部に速やかに連絡を入れること
──上記の制約を一つでも破れば、即座に国家警備局の特殊収容センターへと収容され、直ちに処分を下される。
要は「お前安全区域で不用意に能力使うなよ」と国家警備局と国防軍から鍵を刺されているという事である。大体この解釈で間違ってはないだろう。
「以上が、釈放後の制約となります。何かご不明な点はございますか?」
瀬戸代行官からの一通りの説明を受けた紗耶は、微笑を浮かべながら首を横に振った。
「いえ、ありません」
「では、こちらをお受け取りください」
瀬戸代行官は、ファイルからまた何かが記載されているA5サイズの用紙を取り出した。それは、ブラックリストの釈放が厳正な審査を通り許可が下りている内容の特別許可証であった。
「そちらの許可証をお持ちの間、当局は諏訪匡臣に対して不当な干渉は一切致しません。そちらに記載されているように安全区域内の自由行動も保障されています」
紗耶は許可証を二つに折りたたんでガウンの内ポケットに入れると、席からゆっくりと立ち上がって瀬戸代行官に軽く一礼をした。
「ありがとうございました、それでは……」
そうして紗耶は諏訪に視線を向けると、彼の肩を優しく叩いた。
「行くわよ、諏訪君」
「ああ、分かったよ」
諏訪もゆっくりと立ち上がって瀬戸代行官に軽く一礼しようと目線を向けると、偶然瀬戸代行官との視線がぶつかった。その視線には、上手く隠しきれていないブラックリストへの畏怖や嫌悪の感情が含まれていた。
その様な感情を持つのは無理もない。
諏訪は心の中でそう考えると、わざと礼をせずに踵を返して、既に部屋の外に出た紗耶の後を追って応接室を出た。紗耶は部屋の外にいた二人となんらかの話をしていたが、諏訪が出てくると振り返ってきた。
「諏訪君、お疲れさま」
紗耶はそう言うと、まるで聖母の様な優しい笑みを浮かべて近づいてきた。しかし、諏訪の顔色を見ると瞬時に心配そうな表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「いや、少し疲れているだけだよ。留置所の簡易ベットは硬くて寝心地が悪いからね」
諏訪は紗耶と話をしていると、なんとも複雑な心境に陥った。目の前でホッとしている少女の悲惨な過去を見てしまったからである。悟られてはならない、自分の口から伝えるのは胸糞が悪いし、なんならわざわざ彼女が傷付く事を言いたくはない。
「そうなのね、でも大丈夫。今日からあなたもしっかりとしたベットで寝られるわよ」
紗耶は胸を撫で下ろすと同時に、笑みを浮かべながら諏訪の肩を優しく叩いた。
「それはありがたい。もう留置所はうんざりだ」
諏訪がそう言った時、紗耶の後ろで控えていた奏がスマホを見てからこちらに近づいてきた。
「お嬢様、迎えが来ました」
「分かったわ、じゃあ行きましょうか」
「それでは、エントランスまでお送りします」
赤渕少佐はそう言うと歩き始め、その後ろに紗耶と奏が続いて歩き始めた。
「諏訪君、行くわよ」
「ああ」
諏訪は紗耶の言葉に頷き、後について行こうと一歩を踏み出した。その時であった。
《出所おめでとう》
諏訪の後ろからその様な声が聞こえ、少しばかり肩を震わせて振り向くと、三つ編みに髪を結んだ、民兵装備の少女がすぐ後ろに立っていた。
「……ッ!?」
諏訪は予想外の人物の登場に驚くと、声にならない様な呻き声を出して半歩後ろに下がった。
それと同時に視線を周囲に向けると、辺りはほんのり白く光っており、自分と少女以外の誰も居なくなっていた。
まるで、この少女と自分だけが隔絶された世界へと閉じ込められている様な感覚である。
諏訪はほんの少し上昇した心拍数を下げる様にゆっくりと呼吸を整えると、背中に両手を回してこちらを見つめる少女に声を掛けた。
「一体いつからそこにいたんだ?」
すると、三つ編みの少女は少し嬉しそうに口角を少し上げて短く嘆息した。
《ずっと、君は気づいていないみたいだけどね》
「一体君はなんなんだ……よもや霊じゃあるまい」
《んー……まぁ、それに近いかもね》
思えば、この少女と言葉を交わすのはこれが初めてである。しかし、何故だか初めて言葉を交わしたという気はしなかった。
そのように感じていると、三つ編みの少女は真剣でどこか神妙な面持ちへと変わっており、こちらを見つめながら話し始めた。
《本当にいきなりで悪いけど時間がない。この不完全な干渉がいつ終わるか分からないから、今のうちに君に言っておきたい事があるの》
そう言う少女の体は現在進行形で少しずつ透けてきており、それと同時に周りで発光する淡い光も消えてきている。
少女も自分の手を一瞥して、いまの状態を確認するとすぐに話し始めた。
《君は、これから収容所で戦ったような特異体質者に襲撃されることがあるかも知れない。でも、君はいま特異能力を使えない》
「ああ、そうだな」と、諏訪は小さく頷いた。
《だからね…もしもそのような状況に陥ったら、私の名前を呼ん──》
三つ編みの少女がその様に話している途中、いきなり諏訪の頭の中に強力な静電気が流れる様な痺れと痛みが走り、諏訪は顔を顰めて頭を押さえた。
「くそっ、なんなんだ……」
《ああ、もう限界か…》
諏訪は顔を顰めながら、もう一度少女に視線を向けると、周りの景色に合わせて急速に透明化し始めていた。
「おい、君の体の方が限界じゃないのか?」
諏訪の言葉に少女も自分の透明化していく手を見ると、苦い顔をして諏訪の方を見ると慌てた様に早口で話し始めた。
《もし、特異体質者に襲われて手に負えなくなったら私の名前を呼んで!》
「分かったから、早く君の名前を教えてくれ」
既に少女は体の大部分が透明化されていたが、幸いまだ顔は消えていない。そうして、その口で少女は真剣な表情で発した。
《私の名前は、仁藤紗奈。いい、絶対に覚え──》
三つ編みの少女──仁藤紗奈は、自分の名を諏訪に教えるとそのまま全身が透明化した。それと同時に、諏訪を取り巻いていた淡い光の世界が鋭く発光し始め、諏訪を飲み込んだ。
諏訪は鋭い光を浴びて思わず目を瞑った。そうして、数秒が経っただろうか。
いきなり左肩が掴まれ、諏訪は目を開けるとビクッと小さく体を震わせて振り返った。そこには、諏訪の肩を掴んだ奏がおり、怪訝そうな顔つきでこちらを見上げていた。
「ねぇ、何ぼんやりしてるの?」
諏訪は視線を辺りに向けると、淡い光は消え失せ、また現実の世界へと戻っていた。
「いや、なんでもない」
「目の焦点も合ってないけど、本当に大丈夫なの?倒れたりしたら面倒なんだけど……」
「自分の身体のことは良く分かっている、いきなり倒れることはないから心配するな」
諏訪の言葉に、奏は小さく嘆息すると紗耶達の方に立てた親指を向けた。
「なら早く行こうよ。これ以上迎えの人を待たせるのも悪いし、お嬢様も待たせてるから」
「ああ、悪い。行こう」
諏訪は歩き出した奏の後ろ姿を見つめ、もう一度背後を一瞥してから、小走りで紗耶達にあとについて行った。
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