皇帝の手

 惑星エディンバラは混乱の渦中に叩き落されていた。

 セダン星系の戦いでの敗戦とモンモランシー提督の戦死という2つの凶報を、貴族連合執政官アーサル公爵はすぐに情報統制を布くも、逃げ帰った敗残兵や民間の商船などから情報が洩れてエディンバラの市民の耳へと伝わった。

 もうじき帝国軍の艦隊がこのエディンバラの空を覆う瞬間が訪れると思い込んだ市民は、パニック状態に陥って、治安警察が出動して実力行使で鎮圧するという事態まで起きていた。


「まったく。平民どもめ。まだウェルキン艦隊が残っているというのに、勝手に敗北したと思い込みおって」

 エディンバラ宮殿の執政官執務室でアーサル公は舌打ちをした後そう言った。

 貴族連合軍が構築した絶対国防圏は確かに致命的なダメージを受けたが、まだ崩壊したわけではない。モンモランシー艦隊を破った帝国軍艦隊も戦力の大半を失っており、ウェルキン艦隊が迎撃に向かえばほぼ確実に勝利できるだろう。にも関わらず、民衆は既に敗戦ムードに陥ってパニックを起こしている。


「仕方ありますまい。絶対国防圏の要を担うウェルキン艦隊とモンモランシー艦隊の内の1つが壊滅したのです」

 そう言うのは財務官コルベール。貴族連合軍の財政を預かる彼としては、エディンバラで起きているパニックが連合領全体に拡大して各地で暴動が発生し、連合の経済活動の停滞が起きないかが不安でならなかった。しかし、エディンバラの混乱も治安警察の活躍で終息に向かっている今となっては落ち着いたものである。


「仕方ないで済まされるか。それにしてもモンモランシーめ。ロドスの死神が聞いて呆れるわ!」


「それを言っても、それこそ仕方が無いでしょう。問題はこれからどうするかです。ひとまずモンモランシー提督を破った敵軍への対処はウェルキン侯爵に任せるとして、各地に侵攻を開始した帝国軍艦隊をどうするかです」


 ジュリアスの連合領侵攻に先立って、帝国軍の4つの総力艦隊は連合領にそれぞれ侵攻を開始。各地で連合軍の防衛線を圧迫していた。しかし、絶対国防圏形成によって再編成された防衛線は強固であり、今も一進一退の攻防が繰り広げられている。今の状態でも防衛線を維持する事は可能だろう。だが、だからと言ってこのままでは消耗戦に陥る。戦力的に劣勢に陥っている戦況での消耗戦は連合軍にとって分が悪いと言わざるを得ない。


「分かっている。増援を差し向けてさっさと蹴散らした方が良いだろう」


 アーサルとコルベールが今後の方針について語り合う中。外が妙に騒がしくなっている事に気付いたその時、執務室に慌てた様子の下級官吏が駆け込んできた。


「何事か?」


「そ、それが、武装した治安警察が突然押し寄せてきました!」


「な、何!? まさかクーデターか!?」

 今のような不安定な情勢下で、武装勢力が政庁に乗り込んでくる。それはもう十中八九クーデターと見て間違いないだろう。アーサルがそんな事を考えていると、執務室にも武装した警官達が現れて、アーサルとコルベールに向けて銃を向けた。


「くう。貴様等、一体誰の指示でこんな真似を?」


 アーサルの疑問に答えるかのように、治安警察を動かした黒幕は自らその場へと姿を現した。

「エディンバラの治安維持能力は穴だらけ過ぎる。こうも簡単に宮殿を制圧できてしまうとは。まあ、私が意図して穴を空けておいたのだがな」

 拳銃を握りながら、そう言って姿を現したのは、内務官ジュール・ベルナドット伯爵だった。


「な! べ、ベルナドット伯?一体どういうつもりだ?」


「見ての通りだ。エディンバラ貴族連合は今日で終わりなのだよ」


「……まさかそれを手土産に自分だけ保身を図るとでも?」


 アーサルの言葉を聞いたベルナドットは小さく笑みを浮かべる。

「私はただ陛下の勅命に従っているに過ぎん」


「陛下だと? 貴様は、ジェームズ皇子のご意志を無碍にして、リヴァエルめの風下に立つというのか!」


「ジェームズ皇子の意志を無視して、か。50年もこの戦いに身を投じていると言うのに、何も分かっていないな」


「何? どういう事だ?」


「貴公が知る必要の無い」


 ベルナドットはこれ以上話す事は何も無いとして、警官達にアーサルとコルベールを手頃な部屋に監禁しておくよう指示を出す。



─────────────



 エディンバラ宮殿及び連合の主要施設を治安警察の制圧下に置いたベルナドットは、宮殿の一室にて1人切りになる。

 左手首のブレスレット端末を操作すると、彼の前に横長の3Dディスプレイが表示された。それを見るやベルナドットは、その場へと跪く。


 3Dディスプレイに映し出されたのは、銀河帝国皇帝リヴァエル帝の姿だった。

「ベルナドット伯爵、長きに渡る任務、実にご苦労であった」


「勿体なきお言葉。この身は今も昔も陛下の忠実なるしもべに御座います」


「貴族連合の役目は終わった。古道具は早々に始末して、余の下へ戻って来るが良い」


「はい、大帝陛下」

 ベルナドットにとって主君は、87年の人生の中でたった1人しか存在しないのだ。彼は主君の命令に従って50年もの長きに渡って貴族連合の重鎮を務めてきたに過ぎなかった。


 この後、ベルナドットは貴族連合の要人を全員拘束。そして銀河系の各地で戦う連合軍に対しては停戦命令を発した。



─────────────



 ベルナドットによる停戦命令を、ウェルキン侯爵は突撃機甲艦隊ストライク・イーグル迎撃に向かう途上で聞く事になった。

「停戦命令だと!? どういう事だ!!」

 旗艦ヴァンガードの艦橋にウェルキンの怒声が鳴り響く。


「わ、分かりません。しかし、貴族連合軍全部隊は、直ちに全ての作戦行動を中止して、帝国軍に投降せよ、との事です」

 副官ウィリマース大尉も詳細は把握しておらず、困惑している様子である。


「……その通信は本当にエディンバラから発せられたものなのか?よもや帝国軍の罠という事は?」


「その可能性は無いかと。これは間違いなくエディンバラからの通信文です」


「ではエディンバラで何かあったのか?」

 様々な事に思いを馳せるも、ここで考えても結論が出るはずもない。

 ウェルキンがしばらく沈黙を続けた後、ウィリマースが恐る恐る声を掛ける。

「提督、どうなさいますか?」


「……しばらく状況を観察したい。惑星マジノの補給基地へ向かおう。あそこの方が、少なくともここよりは正確な情報が届いているだろう」


 ここは一旦エディンバラに引き返して事情を確認した方が良いのではとも考えた。

 しかし、それでは帝国軍の侵攻に対してあまりに無防備になってしまう。もしこれが帝国軍の策略だとしたら、エディンバラへの撤退は敵の思う壺。であれば、近隣の補給基地に立ち寄り、そこから情報収集を行うなり連絡艇を差し向けるなりした方が良いとウェルキンは結論付けたのだ。


 だが、この判断は結局後手に回ってしまい、ベルナドットによるエディンバラの支配体制の強化、つまり帝国への降伏の準備を進める時間を与えてしまう結果となった。

 また、エディンバラから発せられた停戦命令に素直に従った連合軍部隊も数多く存在しており、帝国軍の多くは何の抵抗も受けないまま連合領に進軍を始めた。


 これにより、貴族連合は武装勢力としてはほぼ無力化され、国家としてもベルナドットによる暫定政権が辛うじて残っているのみという状態になり果ててしまった。

 こうなってはもはやウェルキンに打てる手は存在しない。止むを得ず彼は指揮下の艦隊と共に身を潜める事を決意した。



─────────────



 銀河帝国軍統合艦隊司令長官ジュリアス・シザーランド元帥が、惑星エディンバラの土を踏んだ。

 この報を受けた帝国総統ローエングリン公爵は、すぐにアヴァロン宮殿へと参上して皇帝リヴァエル帝に謁見を求めた。


「1つの時代が終わりました、大帝陛下」


 玉座に座る皇帝の前に跪き、ローエングリンはまずそう口にした。


「分かっておる。だが、少し語弊があるな。1つの時代が終わったのではない。始まったのだ。新たな時代。そして新たな帝国がな」


「御意。しかしながら、ベルナドット伯爵の件は事前にお伝え頂きたく御座いました。あんな切り札を隠し持っておられたとは。どうやら私は陛下からあまりご信用頂いていないようで」


「ふん。それも間違っている。信用しているからこそ些細な事を一々知らせる必要は無いと判断したのだ、コーネリアス・ビスマルク・ローエングリンよ」


「50年にも渡る任務を押し付けておいて些細な事とはよく言います」


「ベルナドット伯もよく働いてくれたが、あやつもしょせんは我が駒の1つに過ぎん」


「私と同じように、ですか?」


「そなたは特別だ。何しろそなたも余の血を継いでいるのだからな。あの者と同じように」

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