夜が昼に追いつく日

小泉毬藻

まどろみ

6月の今の時期は、夜半を過ぎても大気が底光りして眠れない。

 湿気た布団で、窓が薄青く光り始めるのを眺めながら微睡んでいると、窓に何かがぶつかる音が激しく響いた。

 何かが飛んでくるような強い風は吹いていない。ぶつかるとしたら鳥か何かだろう。弱っていたら可哀想だし、死骸を放置するわけにもいくまい。

 僕はのろのろ身を起こし、窓を開けた。


幅10㎝程の窓枠の所に、毛むくじゃらの何かが居た。大きさは片手に収まるくらいだろうか。僕はタオルを持ってきて、素手で触れないようにそれを拾い上げた。

 コウモリだ。実物を手にするのは初めてだが、図鑑で見た事はある。窓ガラスにぶつかって気絶しているのか、もう息絶えているのか定かでないが、茶色い毛がふさふさした胴体に触れてみると、まだ温かいような気がした。

 死んだことがはっきりしてから葬ってやれば良いと思った。僕はコウモリをタオルに包んで枕元に寝かせた。コウモリはもぞもぞとタオルの中へ身を埋めた。とりあえず安心している様子である。

 それを見届けてから、僕はまだ全身を満たしている眠気に負けて再び眠った。


二度目の微睡みから目が覚めた時、背中に誰かが寄り添っていた。人と思えないほど冷たいが、大きさからして人のようだ。

 恐ろしくて身を縮めていると、ほっそりした腕が絡みつき、首筋に息が吹きかかる。

「Excusez moi、Monsieur」

 柔らかく澄んだ少年の声が苦しげに囁く。僕は身震いした。

 同時に、唇がうなじを包んで吸いつく。鋭い歯がぷつぷつと肌に食い込む感触があり、痛みよりも痺れが骨と血管を通じて全身を駆ける。

 僕は思わず悶え呻いた。それに呼応するように、濡れた音を立てて唇が一層絡みつき、体から熱が抜けていく。


 一瞬視界が霞み気が遠くなった。

 これは夢か、それとも……


どうにか意識を取り戻した時、ようやく唇が離れる感覚があった。生暖かいものが首筋を流れている。

「C’était bon!生き返ったよ、Monsieur」

 流れたものを小さな手が拭う。冷たく湿った手だ。

 気怠さと恐ろしさで声の方を向くことも出来ずに何者かと尋ねると、しばらく沈黙があって返答があった。

「明け方、あんたが助けたコウモリだよ」

 ああ、窓にぶつかって落ちてたアレか。そう思うと恐ろしさが抜けた。まだ夢の中にいるらしい。


僕は体を捻って声の方に向き直った。例の小さなコウモリが、腹ばいになって鼻先にいる。ビーズのような黒い円な目が、よく見るとなかなかかわいらしい。

「おまえ、血を吸うのか?チスイコウモリってやつなのか?」

 話しかけてみたが、コウモリはただキーキーと耳障りな鳴き声をあげるだけだ。こいつの金切り声が、さっきの妙な夢を見せたのだろうか。


それにしても、野生動物に勝手に部屋の中を動き回られるのは厄介である。

 僕はティッシュの空き箱を利用して隠れ家を作り、湿したガーゼと一緒に入れてやった。さすがに虫は用意できなかったが、もう少し休めば元気になりそうに見えた。

 仕事の夜勤に出勤する時には、細く開けた窓辺に隠れ家ごと置いてやった。


翌朝帰って見ると、コウモリは姿を消していた。思った通り帰るだけの力はあったらしい。僕はほっとして隠れ家を片付けにかかった。

 箱を持ち上げた時、折りたたまれた紙片があるのに気づいた。

 広げてみると、細かく薄い文字で何やら書き付けてあった。

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