幻想夢物語立志伝

幻想夢物語立志伝

「筆の力で世界を創造したくはないか?」

 一人の身なりの貧しい、ところどころ破けた衣を着て、頭はつるつる、無精ひげをはやしたいかにもみすぼらしい坊さんがお堂にて二人の子供に語りかける。朱ノ助という名の少年、ぼさぼさの髪を一つにしばり天に突き出している、これまたごわごわの古びた着物を着ている。もう一人は少女だった。少女の名は草葉。年頃の少女にも関わらずごわごわの髪を一つに束ねている。顔には墨でいっぱいよごれていた。少年少女の目の前には机と筆とすずりがおかれていた。実は今習字の授業中なのである。

「おっさん、そんなこと出来たらみんなやってるって。いつものほらが出てるよ」

 朱ノ助ははははと笑い飛ばす。草葉も同じく笑ってる。

 坊さんはそうかなとつぶやき、

「文字に心を込め、文章に心を込め、出てくる登場人物に心を込め、命を吹き込む。出来ないことはない」

 坊さんはそう言うと長い半紙を取り出し、そこに絵巻物語りを書き始めた。蛙の相撲、猪のかけっこ、人里に降りると、稲刈り、田植え、物売り、そういったものをどんどんと書いていく。まるで妖術である。坊さんはひたすら書いていく。時々筆でさらさらと和歌も書いていく。


いつの間にか村にいた。威勢のいいかけ声が聞こえてくる

「のこった、のこった! 小兵の蛙の里が後ろに回って土俵の外まで押し出す。押し出せるか、押し出した! 蛙の里の大勝利!」

 蛙の里と呼ばれた人、いや、蛙、目がぎょろりとして出ていて上半身裸でまわしをつけていて緑色の皮膚をもった蛙が観客におじぎをする。

「いいぞ、蛙の里」

 やんや、やんやと威勢のいいかけ声が響きわたる。隣の人を見ると、猪だった。二足歩行をする猪だった。猪がこちらを見るとぎんと目を光らせた。

「なんじゃ、俺に喧嘩でも売ってるんか?」

 猪の牙がぎらりと光る。思わずひいと思う。何だ。この世界? 夢? 夢? 思わずうわーと叫んで逃げ出した。


 走る。走る。


 と後ろから声がした。かまわず走る。とぐいと襟首を捕まれて引き戻される。

「待っててば」

 思わず化け物かと思い、食われると思ってそこにへたり込んで座ってしまう。

「私、私よ。草葉よ」

後ろを振り向くとやっぱり草葉だった。少ししか経っていないのに懐かしくなって思わず涙ぐんでしまう。

「いつまでめそめそしてんのよ。ともかくここどこよ? 周り歩いているの化け物ばっかじゃない」

 勇気を振り絞って周りを見渡すと、二足で歩く馬や鶏、狸に猪、みんな動物ばっかりだった。

「知らない。知らない」

 朱ノ助は周りが目に入らないように真下を向いて考えるのをやめた。周りにいる化け物たちが怖くなったのだった。対人恐怖症ならぬ対化け物恐怖症になってしまったか。その時、どしんと突き飛ばされた。

「どこ歩いているんじゃ!」

 目を血ばらせて肩をいからせて大柄の朱ノ助よりもかなり大きい鶏がこっちをにらんでいた。朱ノ助は思わずすくんでしまう。

「逃げよう!」

 草葉が朱ノ助の手を引っ張り駆け出す。そうしてとある草庵についた。その草庵には書物がたくさん積んであった。そおっと中をのぞき込む。

 薄桜色の羽織を背負い、中に紺の着物を着た一匹の子狸が墨をすりすり半紙に字を書いている。草葉がそおっと近づいて後ろから眺め始めた。

「やめようよ」

「いいからついてきなさい」

 いやいやながらも朱ノ助はついていく。そこには幻想絵巻夢物語と書いてあった。そこには蛙の相撲や猿のかけっこ、里の野菜売りに刀を研ぐ職人たちが見事に描かれていた。

ふと狸の子がこっちをみる。つぶらな瞳であった。その瞳を見た瞬間に記憶が流れ込んでくる。庄屋のおっきな家を見ながら草むしり、土蔵の品の片付け、庄屋の子に「お前何で生きてんの」と言われ泣きながら帰って、いつか見てろよと誓ったあの日。お祭りの日に男女の一対を見て、けっって思いながらも笑顔で肉まんを売ったあの日。すべての自分の至らないところの情けなさ、喜び、悲しみ、苦しみ、憎しみ、怒りの感情を筆に昇華させ、一つの物語を描ききる。そうしていくつもの物語をつむぎ床に伏せって灯火が消えた。


現実に引き戻される。その時、


きみは、きみは……君の人生はこれでおしまい。短かったね。狸の子はいつのまにか刀を朱ノ助に突き刺していた。思わずうずくまる。本当に死んじまうのか。ふっと意識が消える瞬間にいくつもの記憶が交差する。


祈るように筆を取る。声が聞こえる。君の命が尽きてしまうとしたら何がしたかったかい。狸の子が空中に絵を描く。カラス、猫、狸、龍。それらが描かれると同時に世界が広がった。稲刈りの歌が響きわたり、小川の流れが優しくとくとくとせせらぎ、きらめき過ぎていく。時々魚のジャンプ。朱ノ助はそこで草葉と釣りをしていた。草葉が語る。

「なかなか釣れないね」

「うん」

「きれいだね。この景色」

「そうだね」

「こんなきれいな景色が筆で描いた世界なんだよ」

「うん」

「これはうたかたの夢の幻なんだよ」

「だから見たいな。朱ノ助の描いた夢幻(ゆめまぼろし)の世界の続きを」

 雲の切れ間から太陽がのぞく。心の中でつぶやく。うん。描きたい。ものすごく。俺だって描きたい。けど何もできないんだ。文字も分からないし。

 ふと狸の子の言葉が聞こえる。

「だからあきらめるの?」

「しょうがないじゃん。それが人生だよ」

 狸の子はじっと朱ノ助の目を見つめる。

「そんな目で見るなよ」

やっぱり狸の子は見つめている。ふと狸の子はつぶやく。

「かっこわるいなあ」

その時朱ノ助のこころに火がぶわっと点った。

「かっこわるいって何が? 何がかっこわるいって?」

狸の子はふっと笑って

「何がしたい?」


朱ノ助はぷつりと理性が飛ぶ。

和尚のさらさらと世界を筆で描く世界がちらついた。そしてほんのちょっぴり姉御肌の草葉に認めてすごいって言ってもらいたかった。

叫ぶ、そして、狸の子の襟を掴んだ。

「やっぱり描きたいんだよ。俺だって描きたいんだよ。世界を描きたいんだよ。熱くなりたいんだよ」

「熱くなりゃ良いじゃん。描きたかったら描く。それだけじゃない?」

「だったら描きたい。何年かかっても描きたい。世界をつくり出したい。この手でこの筆で。いや、だったらつくり出してやるよ。見てろよ。狸公」

狸の子は消えながら「やれるもんならやってみな」そういうとふっと消えた。

すると、朱ノ助は息が出来なくなり、血を吐き倒れ込む。意識が遠のく。

遠くでお祭りのお囃子が聞こえる。稲刈りの唄声が聞こえる。

気がつくと机の上でよだれを垂らして寝ていた。


「お前よく寝ていたなあ」

「そうよ。牛になるわよ」

 隣にはにかっと笑う草葉の姿。思わず涙ぐんでしまう。そうしてつぶやく。

「俺にいろんなこと教えてくれ。俺何も分からねえ。だけど書きてえんだ。無性に筆で世界をつくり出したいんだ」

 和尚と草葉はぽかんとした顔で朱ノ助を眺めていた。その時、草葉がそっとつぶやく。

「約束だからね。朱ノ助の夢幻(ゆめまぼろし)の世界を見せてくれるって約束したからね」

 今度は朱ノ助がぽかんとする番だった。草葉はふっと笑った。その様子を見て和尚はお堂の奥に行くと半紙をたくさん抱えてきた。

「じゃあ今から字の勉強!」

「え~」

「物語を描きたくはないのか?」

「うん」

「まあ」


こうして今日も和尚と弟子二人の日は過ぎていった。

遠くでカラスがカーカーカーとなき、風がさあっと吹き抜けた。

(了)

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