外伝
江野先生と一日一生
僕が統合失調症を患ってからもう十何年と経つがいろんな病院の自分の病気を診てくれる先生に出会ってきた。小柄な若い茶色いポニーテールの髪をしていつも白衣を翻して歩いているS先生。身体が大柄で頭がもじゃもじゃしているK先生。K先生は自分たち患者に気持ち的にいつも寄り添ってくれる優しい先生だった。その後、大きな病院から地域に密着している個人病院に移った。
名は江野先生という。江谷先生は70歳くらいのご高齢である。身長が180センチくらいの大柄で頭の頭頂部ははげ上がっていた。糊のきいた白いワイシャツを着て黄土色っぽいズボンをはいている。黒っぽい眼鏡をかけその眼鏡から見える目は優しさに溢れる目だった。優しさに溢れる目というのはどういう目かというと、その目を見たら落ちつくのだ。そして目がきらきらと瞬いていてまるで子供みたいな目である。
江野先生に一度頭の禿げについて伺ったことがある。先生の禿げではなくて自分の禿げについてだが。僕の頭頂部の髪の毛が少しずつ無くなってきているのだった。
先生はいつもの通り深く椅子に腰掛けて僕の話を聞いてくれている。
「先生、一度も彼女出来たことがないのに頭頂部が禿げてきました」
「どれどれ」
そして先生は笑いながら言う。
「私なんか禿げてからの方が異性にもてるようになってきましたけどね」
僕は思わずへえ~という。
「禿げは勲章です。頑張って生きてきた証です。女性でも男性のことを中身で見てくれる人も多いよ」
こんな先生である。
初めて江野先生と出会ったとき、
「初めまして。江野と言います。よろしくお願いします」
「はい・・・・・・」
落ち着かない。緊張している。その後、目を光で追う検査。ペンライトで放たれた光が壁に当たってそこが光りそれをいろいろと先生が動かしていくのだがそれを目で追う検査である。そんな検査をやって改めて統合失調症だと告げられた。
そして改めて先生、
「これから一緒に病気を治していきましょうね」
それでも思うように病気が快方にむかわない。
ある日、先生との診察日。
「今日は少し薬を変えてみましょう」
「先生!」
「どうしたんですか? 急に改まって?」
「僕は将来どうなってしまうんですか?」
「どうなってしまうとは?」
「このまま一生、自分のことを観察する声が聞こえたり、馬鹿にする幻聴が聞こえたりするなどそのままなのでしょうか? 人から嫌われてうわさされているんじゃないかっていう妄想とかにも一生苦しまなきゃいけないのですか?」
江野先生は口をぎゅっと結んで目をぱちぱちと瞬きさせた。そして椅子から立ち上がるとそのままバタンと木製の茶色いドアを開け奥の部屋に入っていってしまった。奥の部屋で物音ががたがたする。
ドアがまた、ばたん、と開く。先生が半透明の分厚いファイルを持って勢いよく部屋入ってくる。そしてファイルを開く。そこにはいろんな種類の薬がファイルに入っていた。
「君、今の世の中に統合失調症の薬はこんなにたくさんあるんだ。きっと君に合う薬はある。それにたくさんの治療法がある。一緒に探し出していこう。君が治ろうとする努力をする限り僕も一生懸命に君のことを治していきます。分かりましたね」
真剣な先生のまなざしに思わずうなずく。先生の目がきらきらと瞬いていた。
そのまま帰り道、本屋に立ち寄る。統合失調症の本を何冊か買う。ノートも買い、家に帰って日記もつけ始める。病状日記。自分自身の最悪な状態を紙などにメモをして心の動き方を観察しようという方法である。いろんな発見があった。自分自身の症状なので他の人にあてはまるかはわからない。
心の叫びに幻の声が答えている。そんな気がした。自分の場合は幼稚園児のころから無視されたりしていたのでいつも寂しいって思いがあった。中学時代には地域から激しいいじめにもあった。いじめられていたとき心の中では自分の存在を認めて欲しい。自分もここにいていいんだって言って欲しい。そんな気持ちがあった。そんな幼少期のトラウマも障がいの統合失調症の病の原因かも知れないって思っている。
しっかりと薬も飲みつつ、とまあ少しずつ原因が見えてきた。ある本には耳に空耳のように入ってくる声はすべて幻の声だと割り切って無視をしたほうがいいと書いてあった。そうしている間にいつのまにか声が聞こえなくなった。江野先生もよかったよかったと言ってくれた。そうしてうれしそうにわっはっはと笑っていた。
幻聴が無くなっただけでもよかった。それからもあいかわらず闘病生活を続けていた。自分自身の心を見つめ続けて日記として記録し続けていた。そしてそれはいつしか小説を書くことに繋がっていった。
いつしか何年もの月日が過ぎ、先生がご高齢のため体力が持たなくなり病院を閉院することになった。最後の日
「今までどうもありがとう」
「先生もお元気で」
すると先生は黒いサインペンを取り出しホワイトボードにある言葉を書く。
一日一生
「この言葉は・・・」
先生はしばらく黙っていたが、やがて
「一日一生、この言葉を君に送るよ。僕が師匠から送られた言葉だ。この言葉をよく考えてみなさい。きっと君の役に立つ言葉だ」
そう言って先生は、ははっ、と力なさそうにほほえんだ。
その後、僕は染来先生のもとに通院し闘病生活をすることになったのだった。
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