桜桃忌から始まる、カミツキの戯言。
かみつき
一 まあ皆さま揃いも揃って暗さばかり議論なさって
昨日、傘をさして帰る途中で、足元に何かが見えた。蟹の死体だった。潰れた死体を更に踏みつける趣味はないので避けて歩いた。可哀想に、自転車にでも轢かれたのかしら。
いや、そんなことは関係ない。蟹じゃなくて太宰治の話をしよう。そう、蟹の話をしたのは単に、昨夜「あー明日桜桃忌やん」と思いながらぼんやりと歩いていたからにすぎない。別に蟹に喩えたとか、そういうことでもない。深い意味はない。
好きな作家を聞かれて、私が「太宰治」と答えると、「暗い」とか「一度はハマるよね」とか「中二病じゃん」とか言われることが往々にしてある。書籍にてそう書かれていることもある。( ゚д゚)ウム。別に「暗い」ってことは否定しない。否定しないが、その一言だけで済まされてしまうのは寂しいし、つまらない。青少年の心酔とか大人になれとか、そういう、暗さについての賛否ばかり議論したって、つまらない。もう少し彼の、技量とかレトリックとか、他のところにも目を向けてほしいものだ。暗い暗いと論じるのは太宰に関しての新参ばかりじゃないかしら。……と私なんぞが言い切ってしまうのも如何なものか、って話だが。
さておき、彼のM・C(マイ・コメデアン)としての力、これがエグいなと、皆に目を向けてほしいなと、私は思った。ただそれが言いたかっただけだ。
今日は、桜桃忌。
太宰治の死について触れた文章の中では、『不良少年とキリスト』が最も好きだ。実は私、『堕落論』よりも小説よりも先に、『不良少年とキリスト』を読んだ。中学生の頃だったか、初めて読んで、「超魅力的」と思ったことを記憶している。以降、フロイトの話を聞けば『不良少年とキリスト』を思い出し、何か他人の意見を聞けば「そういえば坂口安吾も……」と思い出す。いつの間にか、この文章が自分の核の部分になってきやがる。
そして、坂口安吾、彼は太宰治の近くにいた人として、よく太宰を理解していたのだな、と思った。「よく理解」していても、あくまで他の人間のこと、「完全に理解」することは不可能だ。誰においても、自分の感じる辛さや喜びは、他の人の想像が及ばない。だからって想像するなとは言わないが……。
うまく言えない。
兎角、今日は桜桃忌。
私は『女生徒』を読もう。
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