(ロボットみたいに、何も考えず、地球の裏側にでもいるみたいに)
ノートの記述だけでは、本当にお父さんが人を殺したのかはわからなかった。その可能性のほうが低い気はしたけど、そのノートは小説みたいな手の込んだ創作物だということだってありえるのだ。
だからぼくは、実際にそのことについて調べてみることにした。
調べるのは、図書館にあるインターネット用のパソコンを使った。家のパソコンでそんなことを調べるわけにはいかない。ぼくは個人的な所有物としては、それを持っていないからだ。
被害者の名前で検索をかけると、行方不明者の捜索として、警察やいくつかのサイトに情報が載せられていた。少なくともそこにあった情報は、ノートに書かれていたそれと完全に一致している。日付にも問題はない。
――偶然としては、ありえない話だった。
死体は発見されていないので、はっきりした事件としては扱われていない。お父さんがノートに記したとおりなら、目撃者や犯行の証拠になるもの、遺体が見つけられることはないはずだった。ということは、その人たちはいつまでたっても行方不明者として処理されることになる。
でも、ノートによれば六人の人間がとっくの昔に殺害されているのだ。
それ以上のことは確認のしようがなかったけど、もちろんそれは確実なことだった。お父さんがくだらない妄想や、ただの酔狂で、あんなノートを作るはずがないのだ。そうであるには、お父さんは実際的すぎるし、現実的すぎる。
この世界では、少なくとも六人の人間がお父さんの手で殺されている。
そしてお父さんは、今日も普通にごはんを食べていた――
ぼくは登校途中、ぼんやりとそんなことを考えていた。ぼくがその事実を知ってから何週間かが過ぎようとしていたけど、その六人のことは相変わらず何のニュースにも記事にもなっていなかった。
被害者の家族や友人は、今も六人の帰りを待っているんだろうか?
けれど――
実のところそれは、ぼくにとってはどうでもいいことだった。
お父さんが連続殺人犯だろうと、殺された人が行方不明者として遺体も見つけられないでいようと、そんなことはどうでも。
それはぼく自身とは何の関わりもないことだったし、何の興味も湧かないことだった。それは世界の裏側で起こった、いくつかの不幸な出来事と同じだった。それらはぼくに何の変化ももたらさないし、強制もしない。
ぼくにはお父さんを告発するようなつもりもなかった。例のノートを提出すれば、それなりの証拠として扱われるはずだったけど、そんなつもりはない。
だって、そんなことをすれば、すごく面倒なことになるのはわかっていたからだ。
お父さんが逮捕されてしまえば、ぼくは親戚の誰かに預けられるか、施設に入れられるかしてしまうだろう。そして父親が殺人犯だというレッテルを貼られれば、同情されるにせよ軽蔑されるにせよ、ぼくとしてはあまり面白くない目にあわなくちゃならなくなってしまう。
だからぼくとしては、たいして意味のない正義感や、あやふやな社会の道徳や、いるかどうかもわからない神様への義理立てとして、それを行う気にはなれなかった。
今のところ、お父さんの犯行が露見する様子はないし、問題は何も起きていない。例え警察の捜査がお父さんにたどりついたとしても、別にぼくが証拠隠滅や何かの幇助を働いたというわけじゃない。
もしも問題があるとすれば、それはお父さんがぼくの盗み見に気づいていないか、ということだった。
――これについては、ぼくにも確証はない。
ノートも、机の引きだしも、南京錠も、部屋の扉も、全部きちんと元通りにしたつもりだったけど、思わぬ間違いがないとは言えなかった。そしてお父さんがちょっとでも違和感を覚えれば、疑われるのは必然的にぼくということになる。
でも今のところ、特に問題は起こっていなかった。お父さんはまったく気づいていないか、あるいは――気づいても、気づかないふりをしているのかもしれない。
前者に比べて後者の場合は、問題はいくらかややこしくなる。でも推測の話をいくらしたって仕方がない。それにどっちにせよ、ぼくにとってたいした違いはなかった。
厄介事さえ起きなければ、人倫に悖ろうが、社会正義に反しようが、そんなことはどうだっていいのだ。これまで世界がずっと、そうだったみたいに。
ぼくは習慣的、無意識的に学校までの道を歩いていた。まわりには同じ小学校の生徒がたくさんいた。もちろんその誰も、ぼくのお父さんが人殺しだなんてことは知らない。そんなこと、想像もしないだろう。
ロボットみたいに機械的に、自動的に、ぼくは歩いていく。そのほうが、ずっと楽だからだ。
しばらくして、ぼくは横断歩道の前で足をとめた。前にも言ったとおり、ぼくは二階からいきなり飛びおりるほど無鉄砲な人間じゃない。まずは、車が来ないか左右を確認した。
ちょうど向こうから、左折して歩道の前を通る車を発見する。車内では、年配の運転手が携帯電話を耳にあてていた。急げば渡れるだろうし、本当ならこっちが優先なんだけど、ぼくは念のために立ちどまって様子をうかがう。
それと同時に、低学年らしい子供が一人、ぼくの横を駆けぬけていった。どうやら、向こう側で友達が待っているらしい。
車の運転手は、その子供を見ていなかった。
走る子供は、その車を見ていなかった。
――ぼくは車も子供も見ていた。
車は危ないところで、ブレーキをかけて止まった。子供は猫がびっくりしたみたいに立ちどまって、すくんでしまう。運転手は窓を開けて、自分の不注意を棚にあげて口汚い罵声を浴びせた。子供はさっきまでの勢いを失って、呆然自失でただその言葉に傷つくだけだった。
やがて車は子供をよけて行ってしまう。子供はショックから立ち直ると、いくらか慎重になった足どりで友達のところへ向かった。
悪かったのは、他所見をしていた運転手だろうか。それとも、一方向しか見ていなかった子供だろうか。
ぼくは首をちょっと傾けて、右手の中指でこめかみのあたりを一定の間隔で、何度も、強めに叩いた。
そうしてその動作を繰り返しながら、前と同じように通学路を歩きはじめる。ロボットみたいに、何も考えず、地球の裏側にでもいるみたいに。
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