挽歌

@yasnagano

挽歌

挽歌                  小田 晃

(1)

 午後10時近くになって、ようやく忘年会が終わろうという雰囲気が漂い始めたのはありがたいことだ。オレは大学を卒業して以来教師の世界しか知らないまま今日まで生きて来た。三年前に教頭試験に受かり、それ以来一度転勤はあったが50歳の現在まで、少なくとも外から見れば平凡な日々の連続に見えるのかも知れない。実際、オレが同じ職場の教師たちのウダウダ話を聞いていても、誰もが同じような生活をし、つまらない日常を生き、それなりの給与をもらって、裕福ではないにしろ、生活が成立する環境にいるのだ、と実感する。オレたち教師は、いまの日本では月給とりとしては恵まれた方だろう。とはいえ、オレがいま、教師という身分でこうしてグチっていられるような状況は、自分が恐らくこれから起こす事件と、自分に降りかかってきた不幸な出来事が明らかになれば、すべては終わることになるだろう。その内実は追々オレの告白として語られることになる。

 つまらないことを書いたついでに言っておくと、宴会でウダウダ言っている連中ほど、決して内面の苦悩など同僚にはめったに見せないのだ。宴も終焉近くになると、酒の勢いも手伝ってか、打ち解けた雰囲気になりそうな錯覚を抱くことがしばしばだが、翌朝職場で顔を合わせると、昨夜交わした言葉がすべて似非らごとで、何の意味もないことを証明したいかのように、教師たちは宴会のことは決して口にせず、宴会前日の状態にもどる。つまり、教師にとっての宴会は、職場の人間関係を円滑にするという名目のもと、現実には教師の世界を覆っている、建て前だけで成立している諸々のことの一つに過ぎないのである。皮肉なことに、そういう環境がこれまでオレを教師のまま居座らせてきた根源なのではないか、とも思うのである。

 山崎庸一の同期の中にはすでに校長に昇り詰めたり、教育委員会で教員とは違う出世街道をひた走っている者もいる。山崎は、その意味では少なくとも大した失敗もなく、表面上は上司に従順なタイプの人間として振舞ってきた。校長の推挙がなければ管理職試験は受けられないのが暗黙の諒解事項だ。管理職試験受験に推挙され、教頭になったという意味では、庸一の今日までの教師生活はまずまずの仕上がりだというのが自他ともに認める評価である。

 オレは30歳のときに5つ歳下の久美子と結婚した。何事にも億劫がるオレの背中を押してくれたのは、当時の上司だった中山吾郎だった。中山は学年主任で、オレより3歳上である。彼は結婚してすでに子どもを二人授かっていた。教師としてもなかなかのやり手で、同僚からの信頼も厚かった。面倒見のよかった中山の取り持ちで、いつまでも告白出来ないでいると見えたのだろうか、オレと久美子を引き合わせてくれたのが中山だったのである。オレと久美子は数か月の付き合いで結婚に立ち至り、仲人は中山が引き受けてくれた。

 オレと久美子の間に子どもは出来なかった。不妊治療の過程で、久美子の説明によれば、原因はオレにあったらしく、精子の数が異常に少ないことで妊娠しにくいと医師から聞かされたのだということらしかった。オレは所謂種無しだったのである。オレ自身は子どもが出来ないことにまったく拘らない人間だったし、むしろオレのDNAなど残したくはなかったので、子どもが出来ないことを幸運だとさえ思っていたのである。久美子も二人きりの生活に満足してくれていると、つい最近まで思い込んでいた。自分はどこまでもおめでたい人間だったのだといまにして思う。ところが数週間前の、久々の夫婦喧嘩で、久美子はオレのせいで子どもに恵まれなかったことを、結婚以来初めてオレを責めた。オレは困惑の極みにまで追い詰められたが今更ながら妻の気持ちにどれほど無頓着だったのかということを悔いた。そして同時に妻を愛してこなかったことに気がついた。オレは大学生のときに至福の愛と出会ってしまっていたからだろうか。あの時に抱いた感情にオレはずっと支配され続けていることに、驚愕に似た想いを抱かざるを得なかった。

(2)

 教師という仕事に辿り着くまでの山崎庸一は、どのような人生を歩んできたのだろうか?彼の足跡を辿る旅が必要なのかも知れない。庸一が生まれたのは瀬戸内海に浮かぶ風光明媚な島である。彼は祖父の三郎が築いた裕福な環境のもとで育てられたのだと、叔母の民子から、現実に虚飾を織り交ぜて教えられ続けてきた。というのも庸一があの島に居たのは三歳までで、その頃の記憶は全くない。庸一の祖父母や両親、民子自身の像は、極端に言うと、民子の虚栄心が生み出した全くの虚構なのかも知れない。定かなことは分からないが、何故淡路島から夜逃げ同然に神戸の下町に一家諸共移り住まねばならなかったのかという理由は、民子の語る内実から虚構と思われる要素を剥ぎ取ると、視えて来るものもある。

 祖父は島の貧しい漁村に生まれた。彼が町役場の収入役になりおおせた理由はまったく分からないが、民子の言によると戦前・戦中・戦後を通じて、公務員らしからぬ着物の着流しで押し通すような、反骨の精神の持ち主ということらしいが、庸一には、祖父は単なる変わり者だったような気がする。それを許す町長に祖父がどのような恩を売っていたのかは民子も知らないとみえて、むしろ不自然なほど、祖父の高潔さを強調するだけだった。これが庸一には祖父の高潔さの裏に隠されたドス黒いものを感じるようになったきっかけとも言える。

 人生とは残酷なもので、永年かけて築いてきたものも歯車が狂えば気泡のごとくに雲散霧消してしまう。その典型のように祖父の三郎はすべてを失った。彼は当時の地方新聞の一面を飾るような贈収賄事件の中心人物として報道され、民事訴訟の賠償請求に関わる弁済のために、少なからぬ財産をすべて処分して島を去ったと推察出来る。刑事訴訟はかの島を票田にしている代議士の働きかけで罪に問われることはなかったらしい。恐らくは三郎がこの代議士の関与を身を挺して否定した結果の見返りだったと思われる。

 両親は20歳どうしで結婚し、母の順子は潤一を21歳で産んだ。叔母の民子は祖父の所有する何棟もの長屋の一軒に住む、大人しく寡黙な男と結婚した。どちらかと云えば醜女と云える叔母が結婚出来たことを一番喜んだのは祖母の房江だった。

神戸で親の庇護から放逐された父親の達男は、安きに流れる個性の典型例だった。そのためか、どんな仕事も長続きせず、夫婦喧嘩が絶えなかった。庸一の個性や人生観は、多くの人々と出会う中で形成されたものではなく、両親のようには絶対になりたくないという、ただその一点だけからかたちづくられたと言っても過言ではない。

(3)

 庸一は神戸では公立高校のトップクラスの進学校に通い、目立たぬ生徒として三年間を過ごした。父の達男の二の舞にならないためには、ともかく大学には現役合格しなければならなかった。現役に拘ったのは、両親が子どもの教育に金を出すような価値観を持っていなかったことに加えて、実際貧困に喘いでいたからである。もう一つの理由は両親から離れ、神戸を出ることが庸一の強い大学受験の動機だった。

 庸一は、合格圏内にある国公立大学の二番手か三番手を受験目標にした。庸一にとっては合格の確率を少しでも高める方を選択したのである。そして、受験校は当然神戸以外でなければならなかった。これが彼自身が決めた大学進学に対する態度だった。庸一が進学したのは京都市内にある国立の教育大学だった。特に教育に興味も意味も見いだせなかったが、自分の当時の実力で確実に入れる大学がここだったのである。そして、京都なら両親や叔母夫婦とも距離がとれると思ったのである。

 国立大学と云えども、入学金、毎年の授業料、下宿や生活に関わる諸々の費用がかかる。それらをどのように捻出するかを庸一は受験前は考えないようにしてきた。そうすることで、自分の大学進学の不可能性が少しでも曖昧になり、現実的で過酷な問題から逃げられたからである。

 大学に合格したいま、まさに大学生として生きるためのリアルな課題が目の前に広がっていた。正直、庸一にはアルバイトと奨学金で何とか日々を乗り切るという発想しか思い浮かばなかった。やっていける自信はまるでなかったが、祖母の房江からの手紙が庸一を勇気づけた。房江は、祖父の三郎が脳溢血で倒れて以来、9年後に祖父が亡くなってからも、ずっとキリスト教系の福祉厚生施設で働いていた。祖母の少ない給与の中から毎月3万円を送金すると書き送ってくれたのである。

大学近くの伏見区域には安い下宿先が点在していたが、その中でも最も安いところを自分の棲家と決めた。アルバイトは、教育大学という肩書だけで、当時は家庭教師のバイト先が見つかる時代だった。庸一は家庭教師を二件掛け持ちし、授業料や新学期の教科書を購入するために、定期的に夜間の突貫工事で日銭を稼ぎ、それを貯めた。庸一にとっては、押し寄せる日々が闘いそのものだ、と思い定め、自分の精神と肉体にムチ打った。

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 庸一は大学では女子学生を避けていた。彼は高校の水泳部で鍛え上げた逆三角形のスラリとした体躯で、身長は175㎝以上あり、女遊びにあけくれた無骨にして端正な顔の造作は父の達男に生き写しだった。女の方が彼を放ってはおかなかった。何人もの同級生や上級生の女子学生につき合ってほしい、と声をかけられた。しかし、彼女たちとは表面的な付き合いしかしなかったし、決して深い関係にはならなかった。それでも庸一のまわりには女性が寄ってくる。それが彼には煩わしかったのである。この大学の男子学生は、女学生と深い関係になり、卒業したら結婚するというパターンが多かった。上級生たちは入学してきた女子学生に決め打ちをし、つき合ったら最後、アナコンダのように獲物を離さなかった。そして、結婚し、教師どうしの共稼ぎ夫婦になる。少なくとも庸一が在籍した教育大学の男女の交際は大抵がこういう付き合い方だった。

 庸一は、別に教師どうしの結婚に抵抗はなかったが、そもそも教育大学に入学してくる学生は、親が教師か公務員、大企業の重役クラス、あるいはどこかの中小企業の経営者たちの裕福な家庭育ちであることが多かった。少なくとも当時の庸一には、大学内の空気感に、それをカタチづくっている学生たちに、違和感というより嫌悪感を抱いていた。だからこそ、学生どうしの付き合いが結婚にまで発展するようなことになってたまるか、と心の底で固く決意していたのである。キャンパス内にいる学生たちと接する度に感じる怨念のような感情は、決して彼ら自身に責任はないにしても、自分に近づいてくる女子学生たちとは将来愛し合うことなど出来ないだろう、と感じていたことは確かな事実だった。

(5)

 庸一に女関係がなかったと云えば、そうではない。家庭教師として通っていた教え子の母親たちは、息子あるいは娘の家庭教師の先生に対する以上の接し方を、各々の個性に従って庸一にしてくることが多かった。彼が家庭教師として訪問する家庭の中で、母親たちは夫には示さなくなった微細で、それでいて確実に相手に伝わるしぐさの中に、庸一に対する自分たちの想いを込め、その感情を露わにすることが多かったのである。途中休憩にお茶を出す所作や、アルバイトの終わりには殆どの家庭で彼女たちの熱量の籠った夕食が振舞われた。彼女たちは一応に庸一がそれを食べる姿を見て、失った女を取り戻そうとでもしているかのような視線を感じながら庸一は出された料理を黙々と食するのが常だった。

 彼女たちの心の底に渦巻いている欲動のありようを、鋭敏な庸一の感性が見抜けないはずがなかった。そこに夫たちの姿はなく、彼らは仕事に追われていることを理由にし、彼女たちはそれを夫に愛を感じられなくなった解放感として受容しているのだと庸一には思われた。彼女たちの性に対する欲望と庸一のそれとが重ならない方が不思議であるような、性愛の磁場が自然に出来上がっていたのである。

 子どもがいない昼間に自宅に呼び出す母親もいれば、高級ホテルの部屋を指定してくる金持ちもいたが、庸一はそれを断ることはなかった。40代の美しいがかつての美貌が崩れかけ、崩壊しつつある危うい美の様相に庸一は惹かれた。熟した女たちの性に対する欲求を、水泳で鍛え上げた庸一が満たせないはずがなかった。庸一には彼女たち一人ひとりが、性の快楽の中で、何を求めているのかが分かっていた。彼女たちに共通している性的欲動には、愛に対する渇望感が色濃く反映されていた。むさぼるような性行為が、いっときの幻想的オアシスであることを彼女たちには分かっていながら、その欲動を抑えることが出来なかったという方が正確だろう。見方を変えれば、庸一は、彼女たちの満たされることのなかった性愛の伴奏者でもあったのである。彼女たちが何度目かのオルガスムスの果ての疲労の中に身を委ねたとき、性の虚しさを感じるどころか、むしろ性的充溢感で満たされていた。庸一は、性的関係性の中で、幻想的であれ、愛というものの本質を彼女たちに感得させることが出来たのだと想う一瞬だった。

 知らず知らずのうちに庸一の生活は豊かになっていった。少なくとも明日をも知れぬ日々からは解放されていたのである。交わった母親たちは、必ず庸一には過剰なほどの金を握らせたからだ。彼女たちの悦楽の過剰さが金銭に置き換わったのだ。また、大人の女としての愛の見返りとしての表現と、守るべき秘密の対価としての狡さとがないまぜになった金銭の放出だったのである。庸一は得た金によって、自分を冷静な立場から転げ落ちることのないようにと、肝に銘じた。

 同時に庸一にとってみれば、実母の房江からは決して得られなかった母性の暖かさと深さを、彼女たちとの濃密な交接を通じて取り戻せた、という夢想の中に身を浸せる絶好の機会であった。それがたとえ自分の勝手なつくりごとであっても、庸一と彼女たちとの隠微な性の悦楽を合理化するだけの理屈にはなった。その行為の中に金銭が絡むことで、この想いは若い庸一にも絶対に「明かせぬこと」に対する確固たる心情として血肉化していった。こうして庸一と複数の母親たちとの性の享楽が、互いの立場を危うくさせることは決してなかったのである。

(6)

 何が原因でそうなったのかは庸一には確かなところは分からないが、たぶん庸一に言い寄ってきた女学生の誰かが、自分が弄ばれ、相手にされなかった悔しさのあまり、庸一の学内での女遊びをスキャンダラスにでっち上げたのだろう。ある日、大学構内で数人の男子学生に囲まれたことがある。彼らは一応に庸一の倫理観のなさをなじった。女学生の嫉妬心が、男たちを動かしたのだろうと庸一は瞬時に諒解した。彼らの追及の言葉には事実に輪をかけた内実にすり替わっていたが、その様は庸一が耐えるには度を越えたものだった。相手は5人。しかし、幼い頃から喧嘩慣れしていた庸一は、こいつらなら、自分に手を出した一人をぶちのめしてやれば、それで勝負はつくと踏んだ。

 案の定、偽の情報にまんまと惑わされたと思われる、腕力に自信のありそうな男が庸一に殴りかかってきたのである。「おまえみたいな腐った奴に好き放題させておくか!」と怒鳴りながらパンチを繰り出してきた。庸一はそのパンチを自分の手のひらで受けて、その手を強くひねったら、相手は宙を舞って地面に転がった。タイマンならば、相手に一発くらいは殴らせておいて、喧嘩両成敗を狙うところだが、庸一1人に5人が相手だ。気を使ってやる必要などない。庸一は心を決めた。「おまえら、本気でやるんだな。喧嘩はその場限りだと思えよ。後々面倒な言いがかりをつけないなら、オレは相手になってやるよ。」と言う庸一の言葉がきっかけになって、三人が殴りかかって来た。地面に転がされた男と庸一の言葉に気おされたもう一人は、すでに戦意喪失状態だ。あとの三人のうちの最も力のありそうな一人を徹底的に潰してやろう、と庸一は闘い方を定めた。

 あとはスピードの問題だ。一人に的を絞ったら、そいつの顔面にストレートを強く入れる。鼻を狙った一撃で、鼻の軟骨が折れるはずだ。相手は鼻血が止まらず確実に戦意を失う。庸一は自分の喧嘩のテクニックに忠実に従った。一番鼻息の荒そうな、大柄な男の顔面にかなり強いストレートを入れたら、ぐちゃという音がして、男は前のめりに倒れた。受験勉強を素直にやってきただけの男たちだ。庸一が一人を片付けている最中に手を出してくるだけの勇気はない。庸一は、鼻を潰されて前のめりに鼻血を出して倒れ込んだ男の背中にまわり込み、相手の顎を両手で抱えて思い切り後ろに引いてやる。頸椎が折れる直前に、相手は息も出来ず泣き出した。勝負はついた、と庸一は確信した。残りの4人は泣きじゃくりながら鼻を抑えている男を抱えて庸一から逃げ去った。この事件以降、庸一が因縁をつけられることはなかったが、同時に庸一のまわりに寄って来る女も学内にはまったくいなくなった。あいつらが流した噂は、たぶん長い尾ひれがついて大学中に広がったのだろう。しかし庸一は自分のまわりに誰も関わって来ない自由さを享受した。卒業までこの大学ではつまらない付き合いなどしなくて済む。庸一に孤独感はなかった。

(7)

 「キレイだ!」と庸一は言い放って、その日の夜に呼び出されたホテルのスイートルームのベッドで、うねるように躰をくねらせて抱きしめてくれる冴子の舌と自分の舌とを粘りつくような唾液の中で絡めていた。庸一は相手にした母親たちの中では最も歳かさの行った冴子にだけは心を許していた。何より自分の躰がウソをつかなかったからである。冴子とのセックスは濃密さを極めていたが、庸一は自分の果てることなき欲望が、冴子をオルガスムスの頂点に向わせる瞬間に見せる冴子の歓びに満ち溢れた表情にある種の高貴さを感じずにはいられなかった。若い庸一にもこれが愛というものの原型なのか?と心の深いところで悟った唯一の女性だった。

 麗しき母に話すように、大学で襲われた出来事を詳細に庸一は冴子に話して聞かせた。

 「オレは大学では嫌われ者だよ」と呟くように言うと、冴子は「気にすることなんてないのよ。そんな男たちはあなたに嫉妬している人間に違いないんだから。庸一さんは堂々としてればいい!」と冴子がマジになるときに出る江戸弁に近い標準語で言った。庸一はそんな冴子がたまらなく好きだった。「なあ、冴子、オレと逃げへんか?」と何度か冗談めかして言ってきたが、その言葉はあながちウソではなかったのである。庸一が自分の生まれた環境から抜け出したい、という欲求をかなぐり捨てても構わないと唯一思えるのが冴子だったからだ。冴子に自分の本意が分からないはずがなかっただろうが、彼女は自己保身のためというよりも、庸一の未来を自分が壊かねないのだ、と自分に言い聞かせていたフシがある。彼女は決して庸一の呟きを無視はしなかったし、他の女性が口にするような保身の言葉は返しては来なかった。冴子はウン、ウンと頷いて庸一に優しい笑みを返して来るだけだった。庸一が言葉にならない人の暖かい真意を感じ取ったのは、冴子との深い繋がりからであり、このような体験をしたのは生まれて初めてだった。庸一が冴子から感じとったような愛を、大学を卒業し、冴子とも別れ、就職し、結婚してからも二度と再び味わうことはなかった。

(8)

 教師になろうとする人間は、大抵いくつかの都道府県の教員試験を受けるものだが、庸一は京都市の教員試験しか受けなかった。京都が好きなわけではなかったが、かつて通った大学近辺に冴子がいる、ということが庸一の京都市に拘る唯一の要因だった。会えば迷惑がかかるだけでもう二度と顔を見ることはない、と思いつつも、京都の街のどこかで彼女が歩く姿を垣間見ることが出来るかも知れない、という気持ちが庸一を京都に居座らせたのである。人生を決定づけることに重要な要件などない。人間が生きる道を決めるのは案外他者から見ればつまらない理由からだ。

 絶対に受かるという自信はなかったが、オレはこの地で生きるのだ、という決意だけは固かった。辛うじて(だろう、きっと)庸一は京都市教員試験に合格した。庸一は高校の国語教師として右京区の高校に配属された。転勤は多分少ない方だったと思う。庸一が学校を辞めるまで三度しか学校を換わっていない。二度目は伏見区だったので、冴子に偶然会うかも知れないと想像するだけで胸が高鳴った。それでも自分から会いに行かなかったのは、冴子を愛していたからではないだろうか。もうオレは冴子の人生に入り込むべきではないと、彼女と別れた学生の頃に誓ったことが冴子を愛した証明なのだと庸一は自分に言い聞かせていたのである。

(9)

 学年主任の中山から同僚の久美子を紹介された。庸一が久美子に惹かれているのは確かだったが、何故たいした交遊もなかった中山がわざわざ久美子を自分に紹介してくれたのか、この時はあまり深くは考えなかった。こういうことも人生にはあるのかも知れないと自分に言い聞かせて、久美子との結婚までの行程を庸一は受け入れた。中山にも感謝しようと努力もした。庸一という人間はこの種の一連の言動にかなり違和感を抱いてしまうタイプだったし、何より彼は人生における決まり事に属することが心底嫌いであった。結婚に至るまでの時間は庸一には忍耐の連続だったが、中山の媒酌で無事結婚式を済ませ、庸一の既婚者としての新生活がスタートしたのである。

 国語教師としての庸一は、あまり評判がよいとはお世辞にも言えなかった。大半の大学受験を控えた生徒たちは、彼の授業を敬遠していたからである。保護者からも校長や教頭にクレームがしばしば寄せられた。庸一にはその理由がよく分かっていた。その意味で彼はおおいなる確信犯だったとも言える。

 庸一は現代国語を主に担当していたが、現代文を読解する意味などあるものか、という想いが強かった。そもそも読解という言葉がウソくそかったし、読んで何を解するのか?という意味が分からなかった。いや、正確に言うと、庸一にとって、現代文を読解するとは、受験問題をつくる側の、能力のない問題作成者たちが求める答えに辿り着くためのエクササイズという類の読解力?のことにしか思えなかったのである。

 庸一に教育に関わる信念と呼べるものがあるとすれば、それは教育とは独学と同義語であり、もし、教師になすべきことがあるとすれば、それは生徒たちを独学に導く役割を背負うということだった。その意味で例えば現代文の教科書はアナロジーの典型であり、出来るだけ多くの小説家や評論家のごく一端を生徒たちが知る形式になっているにしても、こんなことが国語教育なのか?という深い疑問を抱いていたのである。毎年、文部省検定教科書の中の、庸一のお気に入りの作家の小説の断片に出会うと、その度に生徒たちにはその小説の全編を読破することを強いた。こうすることで、教科書が殆どカリキュラムどおりに消化出来なくても生徒たちが得るものはカリキュラムの消化以上に大きいという信念が庸一にはあった。しかし、こういうカリキュラム軽視の姿勢こそが、庸一が生徒や保護者に反発を喰らう主たる原因だったのである。

 結婚して数年後に庸一の態度が改まらないという理由で、転勤させられた。別に転勤させられること自体はどうということはなかったが、自分が冴子と伴にいるという幻想から遠ざけられることが一番堪えた。転勤のその日、学生のとき以来会うこともなかった冴子に、庸一は「君との二度目の別れだな。」と虚空に向かって呟いた。

(10)

 北区の市立高校に転任したときの校長とは不思議に気が合った。職場の環境は、庸一の自由奔放とも云える授業を受容するような校風でもあった。無論庸一も年相応に尖った性格を宥めるようにしていたせいかも知れないが、庸一の授業受けもよくなり、二年間の勤務の後に校長から教頭試験を受けてみないか、と声をかけられた。

 庸一は悩んだ。学校という場で管理職になるということは、平等主義に慣れきった、一般の教師たちが嫌がる命令も時には下さなければならない。上下関係を常時意識しなくてもよい人間ほど扱いづらい者はない。彼らはいつの間にか自分の意見を絶対視しがちなのだ。同時に彼らほど上昇志向の強い人間たちはいないのである。一方、庸一がこれまで平の教員でい続けたのは、上下関係というものを認識した上で、ある程度の自由度が欲しかったからである。「オレはこれから自己洞察から最も遠い人間たちを相手にしながら、学校という職場で生きて行くのか?」という自問から抜け出せないまま、妻の久美子に自分の心の裡にある煩悶を告げた。

久美子の応答は至極あっさりしたものだった。「あなたは確かに学校管理職には不向きな人ね。だから好きに決めたらいい。私はそれよりもあなたはどこかの時点で定年前に学校を辞めると感じているのよ。それがあなたから感じ取れる。だからいつ辞めても私は構わないと思っている。本当に気に入らなくなったらいつでも辞めればいいんだから、不謹慎かも知れないけれど、ノリで教頭職を経験しておくこともいまのあなたの特権なんじゃないの?」久美子の考えを聞いて、この時、オレは心底久美子に愛されていたのだと錯誤した。もっとも、久美子のオレに対する気持ちを錯誤だと認識したのは、ずっと後の出来事があったからだ。それまでオレはおめでたくも、久美子がそう言ってくれるなら教頭になってもいいか、と思い、教頭試験に臨んだ。

(11)

 教頭試験に合格してからも、慣例とは違って、オレは転勤することはなかった。詳しいことは分からないが、校長が、気が合うオレを配下に置いておきたかったからではないか、と思う。ある意味、これはありがたいことでもあるが、突然教頭になり上がったオレに対するこれまでの同僚たちの態度は激変した。それは単なる上司に対する反抗以外に、彼らの胸の内では「おまえは校長にひいきされてやっとなれた教頭だろう?えこひいきされたお前の命令なんか聞いてなんかやれないんだよ。」という言葉の実質的な反映だったと思う。己の人生に反抗し続けながら生きてきたオレだからこそ、彼らの心の声が直に聞こえるように感じられたのである。教頭になった当初は幾分彼らにすり寄った管理職業務に勤しんでいたが、自分に対する侮蔑の念がますます高まっていくのが手にとるように分かってからは、庸一はある決意を固めた。庸一は心の中で呟くのだった。「オレが大学時代に貫いた態度を教師になった途端に封印してしまった。オレは今日まで従順な教師として学校現場で働き続けてきたのだ。皮肉なことに自分に備わった自我を抑え込むことによって、今の学校の校長に気に入られ、教頭になり上がれたわけだが、その途端、オレはこれまで仮面をつけていた自分と決別し、過去の、そして本来の自己を取り戻さねばならないことに気づいたのだ。」と心の深いところで諒解したのであった。

 その時以来、庸一の言動は激変した。まったりした要素は姿を消し、特に言葉の切れ味は鋭く、威圧感を感じさせるような物言いになった。教職員組合の幹部連中は、力のある敵を見抜く人間たちだ。彼らは庸一の変化に過敏に反応し始めた。「早く、分かりやすいカタチで歯向かって来いよ。政党の下働きと自分たちの権利主張との区別もつかないお前たちにオレを懐柔出来るのか?オレはこれまで一人で誰の力も借りず生きてきたのだ。組合の人間たちが束になってかかってきたところで、オレはお前たちを潰してみせる。むしろオレはお前たちの挑発を待っているくらいだ。」と庸一は心の底で決意を固めた。

 それ以来、校長の意向を妥当性があるなしに関わりなく、庸一は職場に浸透させた。庸一にとっては、校長の意向に妥当性がないほど、それを職場に実現させることに暗い歓びさえ感じていたのである。しかし、校長の定年退職を機に、旧左翼の意向を受けた教職員組合の連中は、これまでの庸一の言葉をすべて録音し、メモにし、それらを捻じ曲げ、都合よく繋ぎ合わせて庸一のパワハラとして、教育委員会に摘発したのである。教職員組合にとって教育委員会とは自分たちの権利を奪う権力の中枢のはずだが、庸一を潰すことに彼らは手段を選ぶことなく、いかにも政治的に庸一潰しに利用したのである。教育委員会から呼び出しを喰らい、教職員組合の意向を遠回しに告げられたとき、庸一は小汚い政治のミニチュア版を見せられたように感じた。心の中で、こんなことは初めから分かっていたんだよ、と毒づいた。

(12)

 庸一は転勤を余儀なくされた。伏見区にある工業高校だった。苛立たしい転勤だったが、同時に込み上げてくる歓びを庸一は感じていた。「オレは冴子のいるこの地にもどれたのだ!」という声にならない呟きが、初めて転任先の校門をくぐる時の憂鬱さを吹き飛ばした。

 彼は、もう二度と妥協することなき教師生活を送ろうと心に誓っていた。教頭で終わる人間として、オレにしか出来ないことを思い切ってやり切ろうと思っていた。それが何であれ、みんなの腰が引けて延び延びになっている事案を積極的に片づけてやろうと誓った。オレは恐らく教頭で終わるどころか、久美子が言ったとおりの定年退職さえ迎えられない人間なのかも知れない。定年までゆるゆると走るようなマネなど二度とすまい。オレは冴子の住む町にもどって来れたのだから。冴子にオレがいまも自分に正直に生きていることをいつか知ってもらえる機会が訪れるかも知れない。オレはあてのない目標に向かってひた走って行った。

(13)

 前任校を既成左翼政党と紐付きの教職員組合の汚い手口で追放されたも同然だった。しかし、そんなことに気を揉むよりも赴任校が伏見区と知って庸一はむしろ冴子の近くにいられる歓びを感じることだけに神経を集中させることが出来た。教師として働き通すこともすでに諦めていた。自分の素地だけでやれるところまでやるのがオレらしいのだ、と庸一は思った。教頭職でありながら、赴任先の人事構成にすら目を通していなかった。彼はかつて愛した人がいる町に帰郷する人間特有の高揚感だけを抱いていたのだった。

 庸一はまず校長室のドアをノックした。転勤先の校長に挨拶に向かうのが教師にとってお決まりの不可欠事項だったからだ。校長室に設えられた不必要に大きなテーブルの向こうに、入り口に向かって座っている校長の顔を見て、庸一は驚いた。まったくの不意打ちを喰らったかのような再会だったからである。

 「山崎君、久しぶりじゃないか。こんなかたちで再会するとは君も思わなかっただろう?君がこちらに赴任して来ることを聞いたときは、懐かしさと同時にまた一緒に仕事が出来るのを楽しみにしていたわけだ。ドアを開いた途端、君が驚いた顔をしたのは、山崎君、君の悪い癖だな。自分の転任校の人事には興味もへったくれもなかったのだろう?私が、こんなふうに君と再会することなんて考えてもいなかったのだろう?そうだよな、君は過去のことなどに興味がない人間だからね。君にとっての過去は一体どういうものなんだろうかね?興味深いよ、私は。ともあれ、今日からまた同じ職場だ。どうかよろしく頼みますよ。」

赴任先の人事などに興味を持たない人間だというのは、中山がそれほど鋭敏な精神を持たない人間であっても、極端に言えば当てずっぽうでも言えることだ。それにかつてのオレの上司でもあった。学年主任として、オレと久美子とを引き合わせてもくれた。公私ともにオレと付き合いが少しだけ深かったのかも知れない。しかし、中山はオレたち夫婦の仲人まで買って出てくれた人間だが、それにしても、中山の言葉の中には、何か自分の心の中に深く棘を刺しこむような強い怨念のような感情が混じっているように感じたのは、庸一の鋭敏過ぎる感覚に過ぎなかったのだろうか?未消化な感情に支配されながら、とりあえず、形式どおりの着任の挨拶を済ませて庸一はその日は校長室を後にした。

(14)

 48歳で再び中山を上司として、庸一の教師生活としての三度目のスタートであった。中山はかつての学年主任であり、庸一と久美子との仲人になってくれた人間とは別人ではないか?と思われるほど激変していた。もともと狭隘過ぎていじましいところに庸一が中山を嫌悪していたことを思い出したが、校長になり上がった彼は、学校の中の暴君と化していたのには驚いた。何が彼をこうも変えてしまったのか?自分が出世コースに乗ったことで、教育委員会に分かりやすい成果を見せてやろうという類の野心に燃え滾っているのだろうか?しかし、そんなことはもはや庸一にとってみればどうでもよかった。要は庸一には他者に対する関心が徐々に薄れ、いまや失せ切っていると言っても言い過ぎではなかったからである。だからこそ彼は凡庸という名の安寧の中に身を置くことが出来てきたのかも知れない。

 自分を凡庸の只中に放り込むことで、タイトロープのような生き方をし、退屈感を紛らわしたい自分本来の個性を封じ込めてきた。久美子との二人だけの生活も、視ようとすれば深い大きな陥穽がぽっかりと空いていそうな気もするが、敢えてそういうものには目を背けて生きてきた。ただ、自分の本性を誤魔化そうとすることが庸一の酒量を増やし、少しずつ心を蝕んでいたことも否定し難い事実だった。歳を増すごとに庸一の酒量は増え続けていた。酒で自分を見失うことが多くなり、これでは両親のようにはなりたくない、という根底が崩れるのではないか、と内心で怖れた。

 父親は庸一の結婚後時を待たず、深酒をして、ふらふらと道路に彷徨い出て、車に轢かれて亡くなっていた。父が轢死してまもなく母親の居所が掴めなくなった。もはや今となっては母親の名前が順子だったということすら思い出すのが困難なくらいだ。自分とか細い糸で繋がっていたかに見えた血縁という要素が庸一の心の中ではいつの間にか消失していた。祖父母も既に亡くなっていたので、庸一には改めて血縁という、良くも悪くも幻想的な絆すら自分には抱けないのだ、と認めざるを得なかった。自分にとって忌まわしく、反発すべき対象だった目標自体がなくなってしまってから、徐々に、特に父親の悪癖に深く染まりつつある自分を憎悪するようになった。同時にそのことに愕然とする自分がいた。オレはどこまで行っても、両親の強い痕跡と呪縛から逃れられないどころか、忌み嫌っていた彼らに近づいてさえいる自分の姿に愕然とさせられるのだった。庸一が救いを求めるのは冴子しかいなかったが、冴子への愛が、冴子に会いたいという、自分の身勝手な強い欲動を辛うじて抑えていたのである。

(15)

 赴任先の学校は、工業高校だったが、女子生徒も数は少ないが入学出来るようになっていた。そして、男女を問わず悪ぶった生徒が多かった。庸一から見れば、彼らの中に筋金入りのワルは殆どいなかったが、教頭としての庸一の役割は、主に警察沙汰になった事件処理と、グレた生徒たちに対するその後の対応だったのである。本物のワルになる奴らも少数いたにしても、大半のつっぱった生徒たちは、卒業後数年もすると平凡な社会人として、若すぎる父親や母親となり、庸一のもとに挨拶に来ることが多かった。

 校長の中山には、警察沙汰を起こすような生徒を立ち直らせるという発想はなかった。それどころか、中山の価値基準からすると彼らは更生不能な生徒に過ぎず、同時に自分の出世を阻む桎梏であった。当然の結果として、中山はつっぱった生徒たちを立ち直らせることよりも、教師に暴力を振るわせるままにしておくか、警察沙汰を起させて、退学させることを望んだ。自分を阻む者はすべて葬り去る。これが校長になり上がってからの中山のやり方だった。人間としても教育者としても失格者だったが、おかしなことに問題行動を起こした生徒をバッサリと切り捨てる中山を教育委員会は高く評価していたのである。中山にとっては邪魔者を自分の視界から消し去ることと、校長としての評価が高まることは同義語であった。庸一はこんなやつが社会的評価を受けてはならないのだ、というその一点で他の教師たちが嫌がり、避けることを率先して引き受けた。自分にとっては暴力を怖れる気持ちは全くなかった。むしろ庸一は、これまで安寧な生活の中で抑え込んでいた暴力と同化した本来の自分を解放させる充溢感を味わっていたのである。

 庸一は危険な場面に躊躇なく飛び込んで行き、ヤンチャな生徒たちに皮膚感覚で理解出来る怖れを抱かせることで、彼らの「怒り」を終息させるのだった。日本の教育には「怒れる若者たち」の怒りの本質を理解し得るだけの度量も受容力も、そもそもなかったことに庸一は改めて認識を新たにしたのである。

 しかし、中山には彼特有の損得勘定が働いたようであった。自分の価値観からすれば邪魔な生徒であっても、切り捨てるよりは彼らを結果的に卒業させるメリットの方を選んだのだった。いずれにせよ、自分が何を余分にやるわけではない。自分の評価が高まるという意味で、庸一の行動を放任し、遮ることはなかった。しかし、中山の庸一に対する憤怒の情にかられた表情は明らかにより厳しくなった。彼の庸一に対する嫌悪感は一体どこから来るものなのか、この時の庸一にはまだ分かってはいなかったのである。

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 この頃の庸一は、自分が深酒をし、酩酊する日々を送ることに父の達男の姿を重ねて考えることはすでになくなっていた。むしろ反面教師としての父の像をかなぐり棄てることが出来たと思い、気分がよかったくらいだった。それと同時に自分を抑えていた何ほどかの理性も消失してしまっていたのである。さすがに勤務中は我慢の糸を切らさずにいたが、いざ校門を出た途端に、カバンに忍ばせたウィスキーの小瓶を木陰に隠れて一気に飲み干すまでにアルコールへの依存度が高まっていた。そして、徐々に構内での飲酒を堪えることの苦痛に耐えられなくなっていった。

 ある日、堪らず、勤務中にトイレに駆け込んで、ジャケットの内ポケットに入れていたウィスキーのミニボトルを一気に飲み干した。こうして庸一の酒に対する依存度が高まるにつれ、勤務中の飲酒は常態化し、同僚や生徒たちにも酒のにおいを感づかれるようになった。

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 六カ月の停職処分。これが庸一に言い渡された処分だった。52歳を迎えようとする庸一は、自分の教師生命が尽きたという否定的な感慨よりもむしろ安堵感の方が大きかった。酒に溺れたのは、無論、父の家系の要素も強いが、庸一が父のようには絶対にならない、という決意を上回ることがあったからに他ならない。

 それは、庸一の中に渦巻く破天荒な個性と暴力の過激さというコアーを圧し込めることが困難な状況に追いやられ始めたからである。学校を去るとき、校長の中山は、「残念だよ。君が赴任してくれてからの本校の退学者数は激減したし、生徒たちも無事に卒業してくれるようになったというのになあ。停職が解けるときはまた転勤を強いられるので、君とは本校の校長と教頭としての関係性は切れる。だけどなあ、中山君、私のことを記憶の端にでも止めておいてほしい。私と君とは校長と教頭という関係以上の深い因縁があることを思い起こしてほしい。それが君に対する願いとたむけの言葉だよ。」中山の言葉を聞きながら、庸一の最も奥深いところに埋もれた記憶の断片が蘇って来るのを実感することになった。オレと久美子を引き合わせてくれたのも中山だった。そして、仲人も引き受けてくれた。オレが当時学年主任だった中山に特別目をかけられるようなことはなかったにも関わらずだ。もしそんなことがあったにしても、それはごく微細な問題で、学年所属の教員の誰もが果たしていることと大きな違いがあるとは思えなかった。それなのに中山はオレには必要以上に目をかけてくれた。当時から何かおかしい、と感じてはいたが、中山の目を赴任して以来、初めてまじかに、しっかりと見つめて、庸一は遠い過去の出来事にハタと気がついたのである。

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 オレは何故中山が同じ教育大学出身者だということに注意を向けなかったのだろうか?教師になるために同じ教育大学を卒業した同僚が、オレのまわりにはかなり居たことに慣れっこになっていた気がする。

 そうだ、中山こそが、大学時代に嫉妬心ゆえに5人でオレ一人を取り囲み、オレを痛めつけようとしたタチの悪い連中の一人だったのである。そして、オレは5人の中で最も屈強に見えた当時の中山を標的にし、彼を完膚なきまでに痛めつけた。その他の連中など怖れをなして何も出来ないだろうと踏み、中山の足を払って倒し、その上に馬乗りになって、何度も何度も中山の顔面を殴りつけた。中山の顔は血まみれだったが、最後の一発で多分鼻骨は折れたと庸一は理解した。中山がぶちのめされるのを茫然自失状態で眺めていた4人が、血まみれの中山を抱き起し連れ立って逃げていく様が、映像のようにはっきりと庸一の脳髄に蘇った。そうだったのか!中山はオレに復讐をするために近づいてきたのだ。オレが気づかないと悟ると、オレの私生活まで彼の似非モノの善意でつくり上げることに悪魔的な歓びを感じていたのだ。

 じゃあ、久美子はどういう女だったのだろうか?すでに妻子持ちだった中山の女だったのだろうか?

 52歳で6カ月の停職処分を食らったときから、久美子の態度が明らかに変わった。これまでの久美子はどちらかというと寡黙な女性だった。オレの方から語りかけない限り、自分の意見を積極的に露わにしない妻だったのである。オレに久美子に対する不満があるとすれば、彼女のこのような消極的な態度だったような気がする。

 停職後一転して、久美子はオレの酒量の多さを口うるさく非難するようになった。その言動は、勿論オレの身体を気遣ってのことではない。彼女の批判の内実は、オレがもう停職処分が解けても出世出来ないと踏んだためだ。この時になって初めて妻のリアルな姿を視た、と庸一は思った。そして、彼女の次の言葉に驚愕させられたのである。

 「あなたは、前任校で自分が正しいとは限らないのに、考えを曲げなかった。あなたの傍若無人な態度が、多くの同僚を敵にまわしてしまい、彼らに学校を追い出されたことを知って、私は仲人をしていただいた中山先生に相談に行ったのよ。その中で中山先生は、自分が庸一君を引き受けようと思っている、と言ってくださった。教育委員会に懇意にしている人たちが何人かいるから、彼らに働きかけてみる、とも言ってくださったのよ。それなのに、あなたはお酒に溺れて中山先生の立場を悪くしたし、結果的に中山先生を裏切ったのよ。そのことに対してあなたはどう思っているのよ?それにあなたは、停職が解けても、もう学校にはもどる気がないのは私には分っているの。あなたはすでに完全に仕事を自分の中から投げ棄てたのよ。」この言葉を聞いて、オレは言葉を失った。久美子は当然大学時代の中山がオレにやったことを知らない。プライドの高い中山が久美子にそんなことを告白するはずがないからだ。オレだって校長の中山の実像に気づいたのは、うかつにもあの学校を去る間際だった。久美子は中山という男の虚像だけを見ているに過ぎないという気持ちと、その底にはオレを根底から裏切る何かがあるに違いない、と庸一は確信を深めた。

 4年間一緒に仕事をして、中山は赴任した当初のオレのやり方に懐疑的だったのに、その態度も自分の実績として教育委員会が認めるような空気になると、一転して難しい案件は山崎君に任せておけば間違いないと節操なく褒めたたえたような人間だ。そんな男に相談に行くような久美子の気が知れなかったし、久美子の本質に初めて気づいたように思った。一つ一つの出来事の記憶はもはやないに等しいが、久美子に対する違和感を何度か感じたことは事実だったし、庸一はその違和感には自分の想像の域をはるかに超えたものが潜んでいると確信していたのである。久美子の話を聞きながら、今更ながら彼女との間には深い溝があったことを思い返し、庸一は己の人生を呪った。

 謹慎処分の二カ月目に入って、オレはさすがに家でおおっぴらに酒が呑めないことに苛立ちを覚えてきたのである。久美子の見下すような視線を浴びながら呑む酒のまずさを嫌と云うほど味わった、停職後の二カ月間で、ストレスのためか、オレの酒量はますます増えた。このところ、オレは朝から京都市内の、吹けば飛ぶような自宅を出て、ブラブラ散歩がてらに河原町から祇園あたりまで彷徨い歩くのが日課になった。庸一の日課は夕方に自宅を出て、街の灯りがともる頃、行きつけの飲み屋に通い詰めることだった。帰宅時は日付けもかわっていて、当然のことのように久美子と顔を合わすことはなかった。二人は、すでに家庭内別居状態だったが、その方が庸一にとって気が楽でもあった。

(19)

 同じような生活を続けながらも、謹慎期間が4カ月目に入った頃、真夜中に帰宅すると、家の中の様相が激変していたのにはさすがに戸惑った。家の中は殆ど何もない状態になっていたが、庸一はこのことに対して別に驚きはしなかった。こうなることは予測に難くなかったし、久美子ならこんな別れ方をするのだろうな、とも感じていたからである。辛うじてリビングのテーブルと粗末なソファ、それにテレビと冷蔵庫だけがうら寂しく残されていた。

 まあ、こんなところだろうな、と庸一は独りごちた。テレビをつけて足を投げ出し、ソファに座り込んだら、テーブルの上に久美子が署名捺印した離婚届けと、分厚い封筒が置かれているのに気がついた。それでも庸一は比較的冷静だった。が、封筒を開け、何枚あるのかも検討がつかないほど分厚い手紙を読み始めて、やっと事の重大さに身体が震えた。

 久美子は手紙の中で次のように語る。

―庸一さん、これからあなたにお伝えすることは、ずいぶんとあなたを傷つけてしまうことでもあり、同時に私にとってもあなたに対する深い罪悪感にかられることです。どうぞ、呆れることなく最後までご一読ください。これを書きながら、私があなたに対してどれだけひどいことをしたのかを改めて感じました。ほんとうにごめんなさい。―と、久美子の手紙はこのような書き出しで始まるのだが、ここまで読んで庸一は先を読もうかどうかを迷った。いずれにしても久美子とは離婚するのだ。いまとなっては、何も知らない方がよいのではないのだろうか?庸一は深い煩悶の中でもがいた。読み進める勇気がなかなか湧いて来なかった。

 すべてを知る権利と義務がオレにはある、と決意したのは明け方になってからのことだ。この時ほど自分がいかに弱い人間であるかを認識したことはなかった。恐怖感と対峙するのは庸一のような個性にはむしろ潔い、オトコらしい所作だと云う認識があったが、久美子の手紙の内実には邪悪な何ものかが潜んでいるのではないか、と彼は直感的に予測したのである。しかし、それでも庸一は読み進めはじめた。久美子の手紙は次のように綴られていた。

 ―私とあなたを引き合わせてくれたのは、当時学年主任だった中山先生でした。中山先生は庸一さんの気持ちが私に傾いている、と教えてくださいました。この話を聞いたとき、私は正直うろたえました。あなたとお付き合いすることに対してうろたえたのではありません。それは、中山先生の気持ちが理解出来なくなったからです。  ここまで書けば、察しのいいあなたなら、だいたいのことは推測出来るのではないでしょうか?そうです。あなたのご推察どおり、私は中山先生を愛していました。彼には奥様もお子さんもいらっしゃるのを承知で、私は教師になるとすぐに中山先生とお付き合いを始めました。あなたと出会うまで、私たちは男女の濃密な関係性の只中にいました。彼は私を激しく求め、私も徐々に彼以上に自分の中の欲情の虜になってしまいました。愛欲の虜になるのは男性の方で、女の私は愛しているなら、男性の激情を、躰を通して受け止めるものだろう、と勝手な思い込みをしていました。でも、実のところ激しく躰の関係を求め続けたのは私の方でした。

 そんな私にとっての幸福の絶頂期にあったとき、私は中山先生の子どもを身ごもりました。堕さなければならないことは覚悟しながら、彼に妊娠したことを伝えると、驚いたことに中山先生は泣きながら堕してくれないか、と懇願するのでした。こんなとき、男の人って泣くんだと私はむしろ白けた気分になりました。心のどこかで中山先生が家庭を棄てて私と一緒になる、と言ってくれるのではないか、と思っていた自分がバカみたいに思えました。そして、私はたった独りで産婦人科に行き、彼との子どもを堕しました。手術が終わった後に主治医から重苦しい表情で、手術はうまくいったが、あなたはたぶん今後妊娠出来ないだろうね、と告げられました。堕胎手術はだいたいその日のうちに帰宅出来ると聞いていましたが、私は数日入院を余儀なくされました。入院中に担当の看護婦さんから、あなたの手術は先生のミスかも知れないわ、と告げられショックを受けました。事実、担当医が堕胎手術をするのは私が初めてだったらしく、まだ医師に成りたての担当医に私は決して訴えたりしないから、本当のことを聞かせてほしい、と詰め寄りました。

 取り返しのつかないことを仕出かした医師の割には、とても素直に真実を私に告白してくれました。彼も涙を流しながら申し訳ないとうなだれていました。男の人ってこんなに簡単に泣くんだと、中山先生に堕してくれと頼まれたときのことを思い出しました。当時の私は中山先生も、この医師も許せませんでした。でも私は二人に対して何もしませんでした。それからも中山先生とは男女の関係が続きましたが、前のような歓喜の絶頂はついに私に訪れることはありませんでした。

 中山先生からあなたのことを紹介された時も、彼を恨むというよりも、庸一さん、あなたと幸せな家族をつくって中山先生を見返してやるんだ、と私は問題の本質をすり替えました。ほんとうにごめんなさい。あなたを愛しているかどうかも分からないまま、あなたと結婚することになってしまいました。そして、恥ずかしげもなく、中山先生は私たちの仲人にさえなりましたから、中山先生の精神構造には何か深い溝でもあるのかも知れないと思いました。自分のもとから棄てたくなった女が去ってくれた、ということ以上の、何ものかがあるのかも知れないと直感的に思いましたけれど、その時はそれが一体何なのかが分からず、庸一さんにすがって自分を取り戻そうという想いが、私自身が本当に知らねばならないことを自分の中で不問にしてしまいました。

 庸一さんと結婚してから数年間の新婚生活は、私に未来に対する希望を持たせてくれました。あなたを愛し始めてもいました。あなたを愛し始めていたからこそ、自分の気持ちも整理できないまま、あなたと結婚してしまうなんて!なんて残酷なことが出来たのかと思うと、自分の心の醜悪さを呪いたい気持ちでいっぱいなのです。いくら夫婦生活を続けても、あなたとの間には、前記した理由で子どもを授かることがないことを知っていましたから、私は不妊治療であなたに原因があるということにしたかったのです。私の堕胎手術に失敗した医師を担当医にして、事実とは異なる診断書を書かせました。それを私が医師を訴えない交換条件にしたのです。子どもを授からない理由を忘れたかったからだとは思いますが、これを書いているいま、つくづくあなたにひどいことをしてしまったことを後悔しています。心からお詫びします。ほんとにごめんなさい。

 あなたと愛し合うとき、心の底からあなたを愛おしく思えました。でも、残酷なことを告白しますが、いくら愛おしくなっても、あなたとの性の営みからは、私が中山さんから得たような悦楽で身もだえるような悦びを感じることがありませんでした。私はあなたとの性の深度を深めようと努力していましたが、前任校で過酷な立場に置かれたことが原因なのでしょう、あなたが徐々にお酒に呑まれるようになってからは、むしろあなたの私に対する気持ちが遠のいたように思えました。私には薄々ですが、あなたの心の中に、私以外の大切な誰かが棲み続けているのではないか、と感じ始めたのがこの頃です。

 繰り返しになりますが、あなたが前任校で教頭としてかなりの辣腕を振るったことで、部下から疎まれているのをあなたの言動からそれとなく知ったとき、私はあなたが転任させられる可能性が大きいと感じました。あなたのことが心配でもあったし、どんどんあなたとの肉体的距離感も遠のき、同時に精神的にも私はあなたのよき相談相手でもなくなっていたのを身に沁みて感じていました。私に出来ることは、あなたが少しでも働きやすい転任先に移ってもらうことでした。迷うことなく、私は中山さんが校長になっているとの情報を知り、いろいろなことがあったにせよ、中山さんならあなたのことを理解してくださるのではないか、と浅はかなことを考え、直接中山さんにお会いしに行ったのです。いま思い返してみてもほんとにバカなことをしたと思います。あのことが、あなたに教師として生きる虚しさを感じさせ、何より、私と中山さんとの深い関係性が再びはじまったことが、あなたと私との別れを決定づけたと思います。

 中山さんがご自分の出世にあなたを利用していることを、抱擁が終わると同時に彼から聞いたときに感じた違和感があなたに対する裏切りとは別に、どこから来るものなのかわかりませんでした。でも、自分がとんでもないことを仕出かしているのだろう、ということには自覚的でした。それにあなたを愛せず、あなたからも愛されずにいる自分にも嫌気がさしていました。私があなたとお別れするのは、あなたの謹慎処分やお酒に対する依存的な呑み方のせいではありません。どう考えても、あなたも私も生き方を狂わされたのは中山さんによってですが、私の躰の疼きは理性的判断を凌駕して憚らなくなっていました。もうこれ以上、あなたを騙すことは出来ません。私は中山さんの期待どおりの愛人として生きる決意を固めました。このような状態で彼を愛し続けることが出来るのか、躰の欲求がどれほど私を支配しているのか、私が彼を憎むことが出来るのかどうかを確かめるためにあなたと離れて生きていきます。

 もし、私が中山さんのことを心底軽蔑出来たときには、彼を無理やりにでも私自身の死に付き添ってもらおうと思っています。私の実像をその時、初めて中山という男性は知ることになるのかも知れません。庸一さん、あなたにはずいぶんひどいことをし、あなたが聞きたくもないことを長々と書いてしまいました。離婚届けに必要事項を書いておきました。むしろあなたの方が離婚したいと思っていることでしょう。お手数をおかけしますが、この届けをあなたに出していただかなければならなくなったことをお詫びして、私の告白の筆を置くことにします。庸一さん、どうぞお元気でお暮しください。私が言える立場にはありませんが、この先、酒量を減らし、謹慎が解けたら、次の赴任先でがんばってくださることを心より願っています。それでは庸一さん、永い間、本当にお世話になりました。こんな私と永年一緒にいていただいたことに心から感謝いたします。                 

久美子      

(20) 

 久美子の置手紙を読み終えて、庸一は嗚咽した。涙が止まらなかった。久美子とはいつかこうした別れが待っているのは庸一にも何となく分かってはいた。しかし、庸一が涙したのは、中山という下卑た男が、そもそも大学時代に何人も仲間を引き連れて、自分に因縁をつけた人物であることを久美子は知らないことに対してだ。そして、中山のおどろおどろしいほどの復讐の念は、庸一に仲間の前で殴り倒され、鼻を折られ、見るも無残な敗走をしたことから始まっているのである。

久美子は事のはじまりを知らない。久美子自身がオレに対する復讐の道具にされたことも本当のところは分かっていない。中山にとってみれば、久美子が自分の人生をかけるほど、男として惚れられるとは予想だにしなかっただろう。躰の相性も何の因果か、少なくとも久美子にとっては中山なしには女としての歓びを得ることが出来なくなってしまったのだ。中山がそのことに気づいたとき、オレに対する怨念を晴らすための入念な筋書が出来上がったのだろう。

 中山は最後には久美子は自分のもとにもどって来るものとタカを括っていたに違いない。予想をはるかに上回る年月がかかったとは云え、中山の復讐劇は、久美子の出奔で完結したのだ。今頃は久美子と寝ているのだろうが、オレと久美子との離婚に至るまでの自らの企みにより深い満足感を与えるほど、久美子は長きに渡ってオレとの結婚生活に耐えたのだ。中山には、彼の筋書どおりの、いや、筋書を遥かに越えた、申し分なきオレと久美子との終焉劇だったと思う。庸一には中山と久美子が互いの性をむさぼり尽くす様が目に見えるような気がしたが、そうであっても久美子を恨むどころかむしろ中山の怨念の深さに驚愕して、人間の醜悪さに晒されて身の毛がよだった。同時に、何故自分が中山ごときの企みに気づかずに生きてきたのかと思うと、久美子に申し訳なく思うのだった。すべてはオレの招いたことだったが、人の憎悪がこれほどまで深く、永続することに驚き、そして結果的に自分が屈したことを恥じた。

 中山に計算違いがあるとすれば、オレという人間がしてやられたまま敗北感に打ちひしがれ、人生を投げ出すと勝手に想像していることだろう。「中山、おまえの人間とは思えない度を越した復讐に久美子を巻き込み、操り、そしてオレとの関係性においてさらに彼女を傷つけたことの罪の大きさに気づかせてやると、暗黒の世界の中でオレが雄叫びを上げることには想いを馳せることはなかったのか?オレがこのまま人生を投げ出すとでも計算していたのか?

 オレはお前のように蛇のような執念深さを永続させる個性ではない。おまえに対する報復は時宜を待って手早く確実にやり抜く。その過程でオレの人生がどのように終焉するのかは、いまやオレには関係のないことだ。中山、オレはもう昔のように、おまえのバカな嫉妬心をおまえの鼻を折ったくらいで許しはしない。もし、オレが命を差し出すことが起こるときはおまえも道づれだ。中山、オレは退職などしない。それどころか、どのような屈辱的な道程を歩かされようと、その仕事をまったりやり過ごしながら、その時を待つ。完膚なきまでおまえを潰すまではな。」庸一は、声に出して虚空に語りかけるように、自分の決意を固めるのだった。

(21)

 停職処分が解けようとしていた時、教育委員会から受け取った通達を一読するや、庸一は思わず息を呑んだ。復帰校は、中山のいる同じ高校だった。通達を読んだ瞬間は驚きの方が先だったが、じっくりと考えを巡らせると、中山の思惑が透けて見えた。数か月後には中山はかねてより狙っていた教育委員会に格上げされて出向くことになっているようだ。彼は恐らく、こう考えたのだと庸一は推測する。久美子が書き残した手紙の内容は概ね聞き出したはずだ。そこから中山が察することが出来ることは、久美子が夫を捨ててまでも自分について来るという優越感に酔いしれたということだ。自分が大学生の頃にどんなことがあったのかは、久美子自身が分かっていない。それも都合がよかったのだろう。わざわざ何故あの事件が起き、中山の鼻の骨が折れるほどのパンチを入れたのかは、中山とオレとの間だけの了解事項だ。それに当時のオレが家庭教師先の生徒の複数の母親とねんごろになっていた事実を久美子に話すはずがない、とタカを括ってもいることだろう。

 教頭待遇のまま、復職したがオレにはまったく仕事らしきものがなくなっていた。オレは一日中自分の机に向かってどうということもない書類作成をするのが日課になった。勿論、中山と顔を合わすことはなかったが、中山は、オレが日々腐っていき、自分の復讐劇が完成するありさまを想像してはニヤついていることだろう。久美子はどこかに囲っていて、久美子を抱きながら、いまのオレの姿を誇張して語り聞かせているのが目に浮かぶ。久美子もそういう生活に慣れきっているはずだ。中山が勝ち誇り、出世街道をひた走る傍らで、久美子の躰を思う存分味わっているのだ。歳を重ねたとは云え、オレから見ても久美子は男の性を充分に満たせる女だった。中山はいま有頂天の只中にいるのは想像に難くない。

 それでよい。オレにとっての舞台は完璧なまでに整った。中山は自分が人生の階段を昇りつめていく段階で、オレが類まれな暴力性を持っている人間だということを忘れ去ってしまったのだ。上等である。中山のような粘着質な個性が行き着く果てのような復讐劇はオレの性分に合わない。ジワジワと相手の首を絞め、長時間かけて復讐し、相手の息の根を止めるような性根の悪さをオレは好まない。いまのオレには失うものはすでになくなった。というより、もともとそんな幻想すら持てなかった教師生活だった。過去に唯一深い喪失感に陥ったのは、冴子と別れたことだった。そして、自分の想像とは違い、冴子はいともあっさりとオレと別れて行ったのだ。オレと冴子との精神的、肉体的一体感の正体はこんなものだったのか?という深い疑問の中にオレは取り残された。冴子に対する負の感情はまったくないにしても、オレの心の中から人に心を赦す余地が冴子と別れてからは一切消失してしまったのである。冴子は当時の、そしていまとなっては幻想の、オレのすべてだったと言っても過言ではない。

 今日まで、冴子の生き方の邪魔を絶対にしてはならない、と固く心に誓ってきたが、中山が教育委員会に異動するその日が、オレの命がけの報復の日なのだ。その日までそれほど時間は残されていない。最後に冴子に会って、彼女の印象を目に焼き付けておきたい。いまや冴子も60歳を遥かに越えているだろうが、その冴子こそを目に焼き付けたいだ。彼女の60代の美しさを瞼の奥に刻み込めたら、オレは惜しむことなくこの世界から去ることが出来るだろう。

(22)

 勤務中に職場を抜けても、もはや誰も気にもしない。この立場を活用しない手はない。庸一は「決行のその日」までに必ず冴子をひと目みようと出来るだけ永く冴子の家の玄関から冴子が姿を現す機会を見つけようと、玄関がギリギリ見える場所に身を潜める日々が続いた。ついに1週間後にその日が来た。

 一日に何度も開く玄関から、冴子その人が姿を現した。しかし、庸一は、すぐにその女性は当時自分が教えていた冴子の娘だと気づいた。彼女は庸一ですら見間違うほど、冴子に生き写しだったのには嬉しさというより、何の根拠もないのにむしろ不吉なものが自分の身体中に電流のように流れるのを感じたのである。年恰好も、庸一がかつて認識していた冴子とほぼ同じかと思われる女性に、庸一は思い切って近づいた。女性は小学生くらいの男の子の手を引いていた。

 「あの~、私は、山崎庸一と申すものです。怪しい者ではございません。まことに失礼なのですが、城田冴子さんのことをご存じではないでしょうか?確かこちらは城田さんのお宅だったと記憶しておりますが。私は学生の頃に、城田冴子さんのお嬢様の家庭教師をしておりまして、何度もこちらに伺った者なのですが。」と、庸一がさらに話を続けようとすると、女性の方が言葉を発したのである。「懐かしいわ!先生ですね。山崎先生なのですね。私が先生の教え子の涼子です。お会い出来るのを私、心待ちにしておりました。先生はお変わりになりませんね。背が高くて、お顔立ちがよろしくて、ほんとに素敵な方でした。年月は経ちましたが、ひと目見て先生だと分かりましたもの。お元気そうでなによりです。」

「やはりあなたは涼子さんでしたか!私がこちらに伺っていた頃のお母さまと瓜二つの美しい女性に成長されました。ああ、これは失礼しました。何とも歳をとるとぶしつけな物言いになりまして。ご無礼があればどうかお許しください。手をつないでいらっしゃるお子さんはあなたのご子息?やはり、すばらしいご家族ですね。私は、こちらのお宅でお世話になった後に高校の教師になりまして、この地域の学校に赴任してきたものですから、何やら懐かしくなりまして、失礼を承知でこのように不躾な訪問になってしまいました。歳をとりますと、自分の衝動に抑えが効かなくなるようで、思い立ったら吉日、というわけでございます。そうですか、涼子さん、いや涼子ちゃんと当時はお呼びしていましたね。」短い間の家庭教師ごときが、懐かしさのあまり唐突に永すぎる時を経て、その家に訪問することの不自然さが、どのような理屈をつけてもつきまとうのを庸一は感じていた。身体中に嫌な汗が出ていたが、庸一は何とか取り繕ってみせた。城田涼子が、母親の冴子にそっくりの、気さくな個性でなければ自分のことなど無視されていたことだろう。涼子は一旦息子を家にもどし、もし、お時間があれば、私について来てくださいますか、と穏やかに涼子は言った。

(23)

 涼子の話は次のように続く。庸一は心を静めて彼女の話に耳を傾けることにした。焼きあがったパンと喫茶店を兼ねた静かな店の中に涼子は私を案内した。一組のカップルが奥の席に座っているだけで、店内は時折焼き立てのパンを買いに来る人を除けば、人の喋り声は殆どしなかった。静かに涼子は語り始めた。

 「先生がさきほどお話くださったような理由で、今日来ていただいたのではありませんね。先生がお越しくださったのはそれなりの理由があってのことではないか、と私は理解しています。もし、違ったら私が喋り終えたときにお伝えくだされば、と思います。私が先生にお伝えしなければならないことを、もっと以前にお伝え出来なかった私の到らなさを随分と感じていたものですから、今日、こうして先生と向き合ってお話出来ることがうれしいのです。

 先生と母は、少なくとも母は先生を愛していました。それは先生がいらした後の、あるいは私の想像ですけど、アルバイト以外のことで先生と母がお会いして帰宅した後の母は、ほんとうに幸せそうでした。私は高校生でしたが、母を軽蔑することよりも、そういう母の姿を見るのがとても好きでした。先生が私のことを気遣っていただいていたことはよく存じています。高校生の私に精神的な打撃を与えてはならない、という決意のような表情を、家に来ていただく度にいつもしていただいていましたね。でも、私はそういう先生が好きでしたし、先生と恋をしている母のことも大好きでした。決して嫌な気持ちにはなりませんでした。それに私も先生のことが好きでしたから。母に対する嫉妬より、母は気づいていなかったかも知れませんが、私の中では強い連帯感のようなものを母に感じていました。

 先生が大学を卒業されるとのことで、家庭教師をお止めになり、こちらに来られなくなってからも私はてっきり母は家の外で先生とお会いするのだろうと思っていました。でも、母は先生と出会うまでのように家から出ることがなくなりました。母の表情から私の好きな明るいあでやかさが消えました。子どもの私が感じることではないのでしょうが、先生が大学を卒業なさるなら、何故母は先生のもとに行かないのか、先生と新しい生き方をしないのかと深い疑問の中にいました。先生も母を奪ってしまえばいいのにと、じれったくて仕方がありませんでした。

 母が落ち込んでいるのを見かねて、私は決心して母に何故先生のところに行かないの?と尋ねたことがあります。私はそれでもいいとも伝えました。私にはお母さんと先生との恋のことは理解出来る、とも言いました。それを聞いた母はたじろいだ様子でしたし、気のせいかも知れませんが、少し後ずさりしたように感じたのです。私は、てっきり母が自分たちのことが知られていたことに驚いたのか、と思って母がどのように答えるのか、辛抱強く待ちました。母は長い、長すぎる沈黙の後で、静かにゆっくりと語り始めました。

(24)

 冴子は次にように娘の涼子に私たちのことを語ったのだという。

―私は、涼子、あなたが私たちのことを知っていると感じていたの。あなたを傷つけるかも知れないという怖れよりも、あなたも私と同様の感性を分かちもっているのが嬉しかった。母親としては失格かも知れないけれど、むしろ私の内面にある愛への激情と心の傾斜のあり方をあなたも理解出来る女性だということに歓びを感じたの。あなたが私に対して感じている想いはとても複雑でしょうが、雑多な感情の中から、最もいまの私たちの会話に必要なものだけを話題にしてくれているあなたの心の深さに感激しています。こういう感性は、年齢とはまったく無関係に存在するものだと改めて想いを新たにしました。涼子、あなたを心の底から誇りに想う。ありがとう。

 いい機会をあなたにもらったから、しっかりと私の考えをあなたに伝えます。あなたの推察どおり、ある状況が邪魔をしなければ、私は間違いなく庸一さんとこれからの人生をともにしたと思います。あなたを失望させるかも知れないけれど、いつかはあなたにも理解してもらえると信じて私は庸一さんという男性、庸一さんという人間について行きたかった、心から。

 本当に人生って残酷なものだと思うのだけれど、愛が深ければ深いほど、絶対に私は庸一さんについては行けないことが私に起こってしまった。これからは涼子、あなたへの告白でもあるからしっかりと聞いてくださいね。

 庸一さんと最後に会ったつい数日前に、私、癌宣告を受けてしまったの。脳腫瘍だって担当医に宣告された。ずっと頭痛が続いていて、私がいることで庸一さんの人生を台無しにするのではないか?と考え詰めていたので、ストレス性の頭痛だと思ってかかり付けのお医者様に診てもらったら、レントゲンを撮られて、その次に頭のMRI検査をされて、その日のうちに結果が出てお医者様から、あなたは脳腫瘍だと宣告された。手術で治るか、という問いかけに対して、ステージが進んでいるので手術は危険だし、それよりも残された日々を出来るだけ平穏に過ごせるようにされてはどうか、苦痛を出来る限りとる治療を、お薬を使いながらしていく方法を私個人としてはお勧めしたいのです、と静かにおっしゃったので、私はその場でその先生の療法を受け入れる決心をしました。余命は半年から長くて一年だと告げられて、私は家に留まろうと思いました。涼子にも哀しい想いをさせるのに、庸一さんにまで、未来に暗い影を落とさせたくはなかった。あなたのお父さんは、経営者として立派に成功していますし、外に愛する女性がいるようだから、私がいなくなってもあなたを立派に育ててくれると思いました。今日、あなたに真実を伝えることが出来てほんとによかった、と心から思っています。

 庸一さんと最後に会ったときはね、彼は私に家庭を壊すことになるけれど、自分とこれからの人生を伴に生きてくれないか!と言いたかったのだ、と私には分かる。彼は言葉にはしなかったけれど、私からの、彼が期待しているような言葉を待つ以外に彼のとるべき道はなかったからだと思う。私は敢えて淡白に私たちのとるべき道を庸一さんに伝えたの。その瞬間の庸一さんの歯を噛みしめる音が静かな部屋に小さく鳴り響いたのを私は聞き逃さなかった。彼の苦悩と無念さと絶望感がひしひしと伝わって来た。だからこそ、私に出来ることは、庸一さんに割り切りの関係性だったことを実感してもらえるように振舞うことしか選択の余地はなかったの。さすがに途中で私の置かれた状況を告白しそうになって、そんなことをしたらこの人を生涯苦しめることになる。私は恨まれてもいい、とずっと自分に言い聞かせていた。そして、別れる間際に思い切り軽く、「庸一さん、さようなら!」とだけ言ってホテルの部屋を出て来た。庸一さんが幸せになってくれることだけを願って。

(25)

 涼子の話を聞き終わった庸一は、ただただ嗚咽した。涙が溢れ出るというのは単なる比喩だろうと思っていたが、自分がこれだけ泣ける人間だということを彼は生まれて初めて知った。久美子の置き手紙を読んだときの感情とはまるで違った涙だった。少し冷静さを取り戻したとき、庸一は涼子に「お母さんは、苦しまずに逝かれましたか?」とだけ問いかけた。

「はい、先生のおかげだと思います。母は家で眠るように亡くなりました。お医者さまは6カ月から1年の命だと宣告されましたが、母は4カ月が終わる頃に眠るように逝きました。苦しむことなく、食事も控え目ですが、亡くなるその日までおいしくいただいていたように思います。1、2度痛み止めを呑んでいたようですが、静かに暮らしておりました。きっと先生のことを考えながら幸福な気持ちで残された日々を過ごしていたからだと思います。」

 涼子の話から、最後に会った日の冴子の気持ちを推し量ると、何故自分の気持ちと相反する言動を冴子が選んだのか?という永年抱き続けてきた庸一の心の奥底の疑問が氷解した。同時に心の奥底の棘がポキリと折れる音が聞こえた気がした。

冴子を恨んだことは一度もない。これまでの人生の折々で、何度も心の棘が自分を刺し貫くような瞬間があったのは、実人生で躓いたときに冴子さえ傍にいてくれたら、という、冴子の不在に対する慟哭そのものだった、と庸一は改めて諒解したのであった。庸一は、涼子に案内してもらった冴子の墓石の前に来ると、こうべを垂れ、号泣した。涙は枯れ果てることなく次から次へと湧いて出てくるのだった。

確かにリアルな冴子はいないが、この時こそが、さらに強烈な冴子のイメージが庸 一の心の中に棲みついた瞬間であった。もはや庸一にはなすべきことは一つしかなかった。きっと冴子がいたら、「そんなことはすべきじゃない。あなたは先生としてなすべきことがたくさんあるはずよ。」と自分を押し止めてくれたに違いない。しかし、庸一には自分の無念をはらし、死ぬこと以外に残された道はなかったのである。自分の命と引き換えに、中山の未来を封じる。それが庸一のいまを支える確固たる信念となった。中山が教師たちの頂点に立つことの弊害だけは遮断することが出来る。ひとから見れば、単にオレの復讐劇に見えるかも知れないが、そんなことは知ったことか、と思うのであった。

(26)

 庸一の内心では、中山が校長を退職するときの送迎会の飲み会を決行の日と定めていた。酔い潰れた中山が帰宅するときの、彼の自宅付近の、駅から自宅までの帰り道、彼は自転車を使う。庸一の腕力ならば、どこでも実行は出来たと思うが、中山が最期に見る光景がこの世に未練を残す死に様があいつのような卑劣な奴にはふさわしい死だと結論を出したのである。庸一の計画は固まった。この頃、中山の元の家族は家から去っていた。代わりに久美子が住んでいるのだ、という噂を同僚から聞いたことがある。離婚はしていないのだ、という。中山らしい。教育の頂点に行くつもりならば、離婚は大きなマイナス点だと計算したのだろう。

 中山が酔っぱらい、自転車で自宅に帰りつく寸前で、彼の目に自宅の玄関が見えたとき、久美子が迎えてくれるだろうと予測した、その瞬間に後ろから忍び寄って中山の喉をナイフで刺し貫くのだ。これが庸一の計画だった。あるいは、場合によっては家の中に入り込んで中山が息絶えるのを久美子に見せてもいい。その場から逃げるつもりはなかった。第1番目のシナリオ通りなら、玄関から顔を出した久美子が目の前で起こった惨劇で腰が抜け、四つん這いになって家の廊下から、電話にまで辿り着き、警察に電話するだろう。オレは中山の亡骸の傍で静かに座して、自分の頸動脈を掻っ切るか、あるいは警察に連行されるかはその時の気分で決めてやろう、と思った。いずれにしてもその現場から逃走する気持ちは一切なかった。

(27)

 中山の送迎会が二週間後に迫った真夜中、庸一は冴子の墓前にいた。彼は冴子の墓前で座し、冴子と短いながらも過ごした日々の、小さな出来事であってもその全て思い出しておきたかったからである。

 「冴子、君は自分の病気のためにオレが苦しまないように考えてくれたのだろう?オレとの関係性の中にわざと距離感をつくって、オレが寄り付かせることを遮ったのだね。君の優しさだし、それが君のオレに対する至上の愛の示し方だったこともよく理解出来る。君はどこまでもよく出来た女性、いや人間だったと心底思う。けれど、たとえ君がこの世界からいなくなるにしても、このオレは、あなたと別れたくない。病気で死んでいくのが怖い!と言ってくれたらよかったのにと、君の理知を超えた魂の叫びとして、そして君の言葉として聞きたかった。冴子、君は出来過ぎだよ。だからこそ、君に去られたと思い込んだその後のオレはまるで抜け殻同然だった。君の死と直面していたら、オレは中山ごときの執拗な復讐の企みなど見抜けた気がする。中山が久美子という存在を通して、オレをズタズタに出来たのは、オレが冴子、君を失くしてどこか呆けていたからだと思う。君のもとにすぐに行くのだから、これくらいのグチは言わせてもらうよ。」

 そう心の中で冴子に向かって呟いた後、庸一は52歳になった自分と年老いた冴子と想像の中で濃密に睦み合うのを感じ取った。庸一の想像はあまりにリアルに彼の脳髄の中で繰り広げられたのである。だからこそ、自分はもうこの世にはいないに等しいのだと悟った。

 オレの想像の中の冴子の姿は、若い頃に知った彼女ではなかった。冴子は老境に立ち至った女性としてオレの想像の中に現れた。そして、おれの現在の年齢のまま冴子と向き合い、冴子の躰に寄り添い、寄り添いながら徐々に自分の中の、長年忘れていた、痛いほどの勃起の感覚が蘇っていた。冴子の肌は、きめが細やかで、柔らかすぎるほどの感触では勿論なかった。庸一の想像の中の冴子の肌は、かつて、ピンと張りつめていたもち肌が萎み、肌の細胞から水分が抜け落ち、感触はざらついてさえいた。しかし、老いた冴子こそが庸一の求めている彼女であり、彼女の白いものが交じった陰部に顔を埋め、女陰の感触をまるで現実のように味わっていた。屹立した庸一の陰茎から、何の刺激を与えることなく、精液が迸り出た。真夜中に、君の墓前で、このような想像にふけり、それだけでなく君と交接し、射精したことを君なら許してくれるはずだ。少なくともオレはそう確信している。冴子、君はオレのすべてだったと今更ながら想う。これがオレには分からなかった愛の原型だったのだとも想う。冴子、オレもすぐにそちらに逝くよ。と言っても、オレは魂の存在は信じていないから、少なくともオレが死ぬ間際に、オレと知り合った頃の冴子、いま想像の世界で抱擁し合った冴子のことを想いながら逝く。それが君への最大の愛の証だからね。

(28)

 三月の山中の教育委員会への異動のために送迎会が開かれた。誰も本音のところでは中山と一緒の酒宴に行きたくはないと思っていることが、一人一人の顔の表情に現れている。大した役割もない幹事さえ決まらなかった。オレにとっては最高の出番である。すすんで幹事の役割を務めることにした。山中には、明らかにひどい扱いを受けている場面を何度も目にしている職場の仲間には、今回の庸一の復職さえ、中山が恩を着せるための嫌がらせなのではいか?と訝しがっているように見える。そうだろう、その通りだ。敢えて復職の場を自分がいる学校現場にしたのは、彼の嫌味な小細工だろう。みんな、オレにもちゃんと分かっているんだよ、と一人一人に説明したかったが、オレの真意は飲み会が終わり、数時間もすればみんなに伝わる。心の中で、現代社会というジャンルでは禁じ手だが、オレは自分の行為を通して、職場の出世したい人間にも、そうでない人間にもそれなりの気づきを与えたいと感じていたのだ。

 酒宴は誰もが思ってもいない賛辞を、挨拶の言葉に換えて中山の教育委員会への異動というか、出世に対する歯の浮くような言葉を順々に中山に投げかけた。誉め言葉ほど本音とは違う言葉が滑らかに出て来るものなのだ。小芝居だって、なかなかの質量のものになってしまうほどである。心ここに在らずというときにこそ、人は最大限のウソがつける。誰よりもそのことを身に沁みて知ってきたのは、この酒宴の幹事である庸一であった。彼は生涯に渡って中山に念の入った大ウソをつかれ、自分の人生さえ台無しにされてきたのである。どうだ、中山、今夜のオレはお前にも満足してもらえるだろう?と庸一は中山に対する歯の浮くような言葉を投げかけながら心の底でうそぶいた。

(29)

 送迎会は、通例主賓以外から参加費を徴収している。つまり、主賓は金を出さないことが慣例になってもいる。散会間際になって、余程気分がよかったとみえて、中山は幹事のオレに支払いの足しにしてくれ、と言って二万円をそっと握らせた。オレは大げさに中山校長先生からこの会のために二万円頂戴しました!と声を張り上げた。オオーという芝居がかった感嘆の言葉が宴会会場に響き渡った。さあ、酒宴はこれで終わり、だ。おまえの終わりへの旅の準備がこれで整ったな、とオレは独りごちた。

 和食が中心の小ぶりの畳張りの宴会場を出ると、誰からも二次会に行こうという言葉も出ないまま、散会となった。中山は不意を突かれたような表情に一瞬なったが、それでも機嫌よく帰路についた。参加者はクモの子を散らすようにパラパラと居なくなった。中山は帰宅するために京都東西線の電車乗り場に歩いて行った。庸一は気づかれぬように彼の後をつけた。降りる駅は西の果ての終着駅だ。それが中山にとっての人生の終着点でもある。

 中山の住む地域は大きな住宅地になり、電車は満員だったので、かえって庸一には都合がよかった。電車を降り、自転車置き場から古びた自転車に乗って、中山は自宅へと向かう。よろよろとした速度で自転車を走らせているだけなので、少し早足で追えば、中山が帰宅し、家の玄関を久美子が開けると同時に、オレは家の中に入ることが出来る。何度かシュミレーションしたとおりに現実は進行して行った。

 中山は玄関脇の、駐車場の隅に自転車を置いて玄関のベルを押した。庸一が思い描いていたような幸せそうな久美子の表情とはかけ離れた様子で、彼女は玄関を開けた。中山の真後ろに忍び寄った庸一は、当初の計画を即座に変更した。中山と伴に玄関から家に入ることにしたのである。久美子は瞬時に庸一の存在に気づいていたようだが、何にも気づいていない中山と庸一を迎え入れたという雰囲気であった。庸一はそのことに少したじろいだが、これから自分が成し遂げようとしていることの重大さに比べれば、ひと手間省いてくれた久美子に目くばせで挨拶してリビングに入った。さすがに中山も庸一の存在に気づいた様子で、得体の知れない恐怖感で中山の目は血走っていたのを庸一は見逃さなかった。

 庸一が口を開いた。

 「大学のときに中山、おまえがオレに因縁をつけてきて5人がかりでオレを殴り倒そうとしたことから、今日までの永年に渡るおまえの度し難いほどの嫉妬心と執念のために、オレはおまえに利用された久美子と結婚した。当時のおまえは不倫相手の久美子をオレに押し付けることで、大学時代のオレがおまえの鼻っぱしらを折った復讐が出来たと思って満足していたことだろう。おれはおまえがあのときの男だったことに、おまえから知らされるまでまったく思い至らなかった。オレもうかつだったが、むしろおまえの異常な執念に驚かされた。

 おまえの虚像ゆえに、そもそもダメな教師だったオレから久美子が去ることもおまえの周到な計算のうちだったのだろう?オレは久美子が離婚届けと長い手紙を残しておまえのもとに走ったことで、久美子に恨みを抱いたことはない。しかし、おまえの大学時代のオレにコテンパンにやられたことが発端になった、執念の塊のような復讐劇の全容を知らされずに、久美子はいまオレの前に座っている。中山、怖れることはない。オレはこの日が自分の最期の日と決めていた。おまえも覚悟してオレの死につき合え。もうこれでおまえも自分の醜悪なだけの人生と決別出来るのだ。おまえにもこれ以上教育界にいるのは人のためにならないことくらいは薄々感じてはいるだろう?おまえは教育者の資質のカケラもない男だ。オレも大して変わらない人間だ。オレとおまえがいなくなれば、少しは世の中の害悪が減るというものだ。おい、中山、この場に至って泣くな!」

 庸一はこの日のためにアメリカ軍用払い下げの中でも、最も強力なアーミーナイフを用意していた。カバンからずっしりと重いナイフを出した瞬時、視界の端に久美子がキッチンに駆け込み、キラリと光るものを手にしてソファに座りなおすのが見えた。中山も久美子の行動に気づいて、彼女の行為が自分を守るためのものだと確信を持っているのが、中山の表情から読み取れた。

久美子は勿論のことだが、中山もオレには敵わないのだ。そうであれば、オレが中山と久美子をナイフで刺し貫き、その後オレが自分の喉を掻っ切って三人が三様に失血死している姿が目に浮かぶ。その惨劇が理由も明かされぬまま、たぶんオレが中山に恨みを抱いた結果の出来事だと報じられることになるのか?

 庸一は久美子に向かって言った。「なあ、久美子、おまえが包丁を後ろ手にしていることは分かっている。久美子、おまえはそんなことをするな。確かにおまえと結婚するずっと以前から、オレの裡には別の誰かが棲みついている、と言ったな。よく覚えている。それがおまえをまんまと中山の悪だくみに組することになったことも承知している。オレを愛しきれなかったこともよくわかる。だから、正直に話す。

オレが愛していた女(ひと)がいたのは確かなのだ。彼女はオレが大学を卒業するときに、すんなりと別れて行った。あまりに意外で、オレには彼女の言動が理解出来なかった。彼女はオレよりずっと歳上だったし、家庭を捨ててまでオレと一緒になるというのはハードルが高すぎたのか?とオレは勝手に自分を納得させて、彼女のことを諦めた。しかし、彼女の幻影がオレの心の中にずっと棲みついていた。それは久美子、おまえがオレに言ったとおりだ。

 でもな、久美子、オレが中山と刺し違える覚悟を決めたときに、彼女の家に行ってみた。出会った頃の彼女にそっくりのお嬢さんに話を聞いた。そのお嬢さんはかつてのオレの家庭教師時代の教え子で、オレと自分の母親とのことを知っていたのだと聞かされた。そして、自分の母はオレと後の人生をやり直すのだと思っていた、と覚悟を決めていたのだ、とも告白された。むしろもう二度と戻っては来ないだろうと予測していた母親がすんなりと帰宅してきたことに驚いたのだとも告白してくれた。

その愛した女性が脳腫瘍の末期であることを医師に知らされ、オレに精神的な負担をかけさせないように、オレと別れてきたことを娘は聞かされ、母娘二人で泣いたのだそうだ。その女(ひと)はオレと別れて、4カ月後に静かに息をひきとった。オレは彼女の幻想を見て来たが、墓前で彼女の幻像を再度見て悟ったよ。もはや、いまとなっては幻想も抱けないほどにオレには何もない、ということを。久美子を弄び、オレを生涯に渡っていたぶり続けたこの中山というモンスターを亡き者にし、同時にオレもこの世界から去ることを決意した。これがいまここにオレがいる理由だよ、久美子。頼むからその包丁をオレに渡せ!」

 そう言った瞬間中山の顔がニンマリとしたのを庸一は見逃さなかった。久美子が自分を助けるためにオレを刺し殺すと思ったのだ。中山が考えていることは庸一には瞬時に分かった。オレが久美子に刺されれば、オレも久美子を即座に刺し殺すと中山は読んでいる。中山はオレと久美子の痴情のもつれの果ての結末として、自分を被害者として世間に声高に喧伝するのだろう。最期の最期まで許せない奴だ、と思った瞬間、目の前で繰り広げられた光景にオレは唖然とさせられたのである。

久美子は、庸一の話を聞き終わると、包丁を両手に抱えて中山の腹部を抉るように身体ごとぶつかりながら刺し貫いた。包丁を引き抜いては刺し、刺しては引き抜くという行為を止めさせたのは庸一だった。すでに中山は息絶えていた。中山の顔は、醜悪なほどに苦痛に歪み、目は見開かれたままだった。開いた目は死んだ魚のようだった。

 「久美子、何故なんだ?どうしてこうなった?」と思わず問うと、久美子は、「あなたをもとの学校にもどしてほしいと中山が指定したホテルの一室に頼みに行ったとき、この人は私をレイプ同然に自分のものにした。私を凌辱した後、中山は高笑いしたわ。庸一さんとの大学での出来事を晴らしてやったんだと自慢げに話しわ。久美子ならオレの恨みを晴らしてくれると思っていたよ。実際に、そうなったじゃあないか。なあ、久美子。」と平然と言ってのけた。私は、それを聞いたときから、中山にとって一番死にたくない日に殺して、自分も死ぬつもりだった。庸一さんにあんなひどい手紙と離婚届けを置いて家を出たのは、あなたに迷惑をかけないためでした。結局私もあなたを不幸にしたという点では中山と同罪。だから私がなすべき時を待っていた。今日がその日だった。まさか、庸一さんが現れるとは思わなかった。ごめんなさいね、ほんとうに。」と言った瞬時に、久美子は自分の喉に包丁を当てて、顔から床に倒れ込んだ。

 ぐちゃっという音とともに、うつぶせになった久美子の首から包丁の先が見えた。床は血の海だった。この光景を警察が目にすれば、二人を殺してオレが自首したとも受け取れるし、現実に目の前で起こったことの内実を詳細に聴取されるのかどうかは分からなかったが、庸一にとってはそんなことはどうでもよかったのである。これでオレの人生に一区切りがついたな、とパトカーのサイレンの音を聞きながら、警察に電話してから結構な時間を立ったまま過ごしたことに気づき、庸一は血に染まった床にゆっくりと腰を落とした。久美子の流された大量の血液を通して久美子の体温を感じたかったからだ。

【エピローグ】

 この事件はマスコミでも大きくとりあげられた。新聞でもテレビでも庸一は容疑者として報道された。予想に反して警察の取り調べは、厳しくはなかった。問われるがままに庸一はこれまでの中山との関わり、久美子との結婚と離婚に至る経緯等々について語り得る限りのことのすべてを取り調べの刑事に伝えたのである。冴子に纏わることだけは避け通した。オレはどうなってもいいが、冴子の名誉はオレが守り通す。他者に明かすものではない、と固く心に誓っていたからである。それが庸一の冴子に対する愛の証だった。

 中山に殺意を持って、計画的に中山の家に居た動機とその経緯から正確に伝えた。久美子が残していった手紙も庸一の自宅から押収され、当初は久美子も殺すつもりだったのだろう、と詰問されたが、庸一には隠すところもなく、ただ、そんなつもりはなかったという事実を淡々と語るばかりだった。庸一が中山を亡き者にするために持参した大型のサバイバルナイフが使われていないこと、また、現場検証から中山を刺した包丁には久美子の指紋しかついていなかったこと、その他すべての状況が庸一の中山に対する殺意と計画性は、庸一の供述によって明らかになった。また、事件の真相は庸一の説明どおりに解釈しなければ、あの場の状況を理解することが出来ないほどに明確だった。

 取り調べにあたった刑事は、「中山と云う男の執念は凄まじい。私は、これまで長年刑事をやってきたが、これほどまでの偏執的な執着心に遭遇したことがない。山崎さん、私はあんたに同情するつもりはないが、中山のあんたに対する執念を回避することは不可能だったのではなかったか、と思う。あんたは一応起訴されることになるが、おそらく起訴猶予になるだろう。まあ、私がこんなことを言う立場ではないが、間違いなくそうなる。簡単に言えば、罪には問われないということだな。しかし、あんたは確実に教師という職に止まることは出来ないだろうね。まあ、そういう覚悟をしていたのだろう?それに、元妻の久美子さんの行動がなければ、あんたは中山をサバイバルナイフで刺し殺し、自分も命を棄てる覚悟をしていたのだろう?どんな力が働いたのかは分からないが、あんたは確実に命を拾われたのだから、自殺なんかするなよ。」と諭すように語った。

 庸一は、刑事が言った、「どのような力が働いたのかは分からないが」という言葉で、冴子が自分を抱きしめてくれているのだ、と悟った。それも二人の冴子に。大学の頃に実際に深く交歓した彼女と、現実には見たこともない、美しく年老いた彼女の二人にオレは抱きしめられているのだと諒解したのである。

 

 あの事件からすでに何年もの年月が経つ。取り調べの刑事が言ったとおり、庸一は起訴猶予となり、罪に問われることはなかったが、教育委員会からは懲戒免職処分を受け、学校を辞めた。何より世間を騒がせるには恰好の材料となり、連日マスコミの尾ひれをつけた報道のためか、世の中の注目を永く浴びることになった。庸一の棲家は連日、主人公のいないテレビ放映を繰り返していた。庸一は警察拘置所から釈放されたその足で、かつて久美子と暮らした家を棄て、いっぱしの登山家きどりで山科の奥深い山中にテントを張った。教師時代に貯蓄した少額の蓄えを使い果たしたら、冴子の墓の前で犬のように身体をまるめるようにして命を絶つつもりだった。それにしても徐々に身体から体力や気力を剥ぎ取らなければならない。それが庸一が山籠もりを決めた理由である。体力も気力も萎え切った身体を、冴子の墓石まで引きずっていくための最低限の体力だけを残すために、庸一は徐々に食事の量と水分を減らしていった。緩慢な自死ほど難しい行為はないと思いながら、庸一は自分の身体と対話しながら日々を暮らした。急激な体力低下は奥深い山から冴子の待つ墓石まで辿り着けないので、じっくりと衰弱化させ、下山する日を待った。

 ある日の夕暮れ時にうとうとしていると、若い頃の冴子が夢の中に現れて、庸一さん、これからは一緒にいましょう、と耳もとで囁きかけた。「冴子、もう君はオレを遠ざけることはしないのだな。オレの意思を尊重してくれるのだな。その日が来たということなんだな。行くよ、冴子。君のもとに行く日がやっと来たんだな。」と庸一は呟きながら、下山の準備をし始めた。もはや足の筋肉は剥げ落ち、二足歩行がやっとのことだったが、それでも気力は充溢していた。もし、誰かが庸一の後ろ姿を目撃したとしたら、もはや生きている人間とは思わなかっただろう。庸一の心は高揚していた。一歩一歩山道を踏みしめるように、庸一は目的の地へと下っていった。

               完

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