第22話 間話 聖森国の城【前編】
雨季。
雨が増え、湿度が上がる。
それ自体に問題はないが、崖の国は湿度上昇と気温の低下で免疫が下がる。
元々体の弱い人間が住む国だ。
それゆえに一ヶ月の雨季が終わると一気に暑くなり、弱った免疫のところに斑点熱が流行る。
斑点熱——その名の通り高熱と身体中に青紫の斑点が出る病。
見た目と高熱で不死の病と思われたが、初期に解熱の薬草や解熱薬で熱を下げれば斑点も残らず完治する。
現代では治療法の確立した、治る病だ。
だからだろう、崖の国の民はその恐怖を——忘れていた。
「解熱薬が足りない?」
「はい。故郷崖の国より“薬師の聖女”スティリア様へ、救援要請が来ております。早急に解熱薬を十万本、作って送ってほしいとのことです」
場所は聖森国、王城の一室。
白を基調とした豪勢なその部屋で、大きな宝石が並ぶ装飾品をふんだんに身につけた美女はギロリと使者を睨む。
「嫌よ。薬品庫に薬ならたくさんあったでしょう。足りないなら城の薬師たちが作ればいいじゃない。なんで聖森国にいるわたくしが薬を作らなければならないの?」
「薬品庫の解熱薬はすべて王族と貴族に配られました。足りないのは国民の分です。正直なところ、十万本でも国民全員分に足りません。お願いいたします、薬師の聖女! このまま蔓延が続けば、崖の国の民は半分になってしまう!」
使者の女が頭を下げる。
周囲の侍女たちも故郷、崖の国に家族を置いてきた。
縋るような眼差しでスティリアを見ている。
しかしスティリアはあからさまに不機嫌な顔をした。
美しい顔を歪ませ、面倒だ、なんでわたくしが、とぶちぶち文句を言っている。
「解熱薬がなければ解熱の薬草を使えばいいではないの。あれはその辺に生えてるんでしょう?」
「な……!? く、薬師の聖女ともあろうお方が、解熱の薬草の使い方をご存じないのですか? 薬草では足りません!」
解熱の薬草は[ソランの花]のこと。
使い方は数日乾燥させた[ソランの花]を煎じて飲む。
解熱薬に比べて効きも弱く、また乾燥させる時間を考えると手遅れになる者も出かねない。
斑点熱は
(面倒くさい)
スティリアは使者を見下ろして、心底そう思った。
聖森国に来れば、民草に“聖女面”で接することもなくなると思っていたのに。
そもそも、“薬師の聖女”として貴族以外の民草に薬を配るのは人気取りのためだ。
国王は仕事と妻にしか興味はなく、スティリアを「生まれながら心の醜い女」として王位継承権を与えなかった。
それにとても腹を立てたスティリアは、王妃——母が産む弟妹をことごとく暗殺してきたのだ。
おかげで崖の国の王には未だスティリア以外の子はいない。
ざまあみろ、と思っている。
この美しい自分を、「醜い」と言って愛さない父。幾度となく弟妹を殺したスティリアを恐れて近づかなくなった母。
スティリアが聖森国に輿入れすることになり、崖の国の世継ぎは完全にいなくなってしまった。
「聖女スティリア様、どうか解熱薬を……!」
「わたくし、これから花嫁修行の予定が詰まっておりますの。故郷の民には申し訳ないと思いますわ……」
そう、悲しげな声色を発しながら、スティリアは固有魔術[魅了洗脳]を発動させる。
キラキラと白い光が部屋中を包む。
スティリアの[魅了洗脳]はその名の通り、魅了して洗脳し、操る精神系の魔術。
この固有魔術でスティリアは崖の国でも好き放題していた。
そして、この固有魔術を警戒して国王も王妃もスティリアに一切近づかなくなったのだ。
両親は何度もスティリアを捕らえて、監禁しようと試みた。だが、この固有魔術であらゆる魔術師は無効化されてしまう。
この城の——獣人たちもそれは例外ではない。
あんななにもない国よりも、豊かな聖森国は魅力的だ。
今更帰るつもりもないし、自分を愛さない祖国などどうなろうが知ったことではない。
「でも、わたくしの故郷——崖の国の民は強い。必ずその苦難を乗り越えて行けると信じております」
「…………はい。確かに……聖女スティリア様のおっしゃる通り……崖の国の民はこれしきの苦難、乗り越えてくれるでしょう」
「ええ、ええ。それではわたくし、殿下に会いに行きますわ」
使者を部屋に置き、侍女たちを連れてスティリアは王太子の執務室へ向かう。
花嫁修行は聖森国に来てから一度も行っていない。
甘いお菓子や美味しい食事、風呂やプールで汗を流して好きな本を読み、洗脳した聖森国の令嬢たちにちやほやされてふかふかのベッドですやすや眠る……一見すると怠惰極まりない生活。
スティリアにとっては理想の生活だ。
だが、この国でひとつだけ気に入らないことがある。
「でんかぁ〜」
「おやおや、なにかご用でしょうか? スティリア王女」
舌ったらずな甘えた猫撫で声。
身をくねらせ、豊満なところを存分に見せつけて執務室に入っていく。
固有魔術を発動させて、キラキラと部屋の中を覆うが庶務机で黙々と仕事をしているその人は書類から顔を上げることはない。
実に忌々しい。
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