第69話は
必要あって、この屋敷に人を入れても、雇い入れたその人が信じられなくて、毎日、戦々恐々として暮らしているとは、何という事だろうか。雇った人だけでなく、あるが故に、”盗られるのではないか„という、自分の中にある恐怖に縛られて、身動きが取れない老主人の言葉に、私は考え込んでしまった。
信じられないという恐れが、厳しい言葉の鞭となって、自分の口から外へ出て行く。
人を信じるという事は、そんなにも出来ないものなのだろうか。
富という財を所有しているという事が、恐れの原因であれば、その人生は、もはや、自分の人生というより、富という財に、乗っ取られてしまった人生とは言えないだろうか。
人の心の中には、一体、どれ程の恐怖があるのだろう。失う事への恐怖。これが持てる者にある最大の恐怖なのかも知れない。
のほほんと、心を空っぽにして生きるという人生の対極にある、疑惑と恐怖に満ちた人生。
静川さんは、きっと、幾度となく、この二人から、思いもしない疑いをかけられていたのだろう。だからあの時、「俺は持って行けん。」という言葉になったのだと。
私は切なかった。こんな非常時にあってもなお、自分を守る事を考えなければならない、使用人という立場の厳しさと悲しさ。その厳しさと悲しさが、正に日々、我が事として私にも迫っていた。
老夫婦は、地震から三週間ばかりで、社長宅から帰ってきた。二人のベッドルームは、静川さんと二人で、部屋の真ん中にベッドを寄せて、綺麗に片付けて、すぐ使えるようにしてあった。
その頃、私は、両足に違和感を感じていたが、休む事も出来ず、ずっと働き続けていた。二人が帰って来るという連絡を受けて、私も、小学校の避難所を引き上げて、元の部屋に戻った。
小学校から戻ってまもなく、私に異変が起きた。金峰山の登山口には、広い駐車場と登山者用の水道の設備があり、トイレも完備されていた。トイレを借りに登山口まで行って、トイレにしゃがんだ瞬間、バキバキバキっという凄い音がして、両足の向こう脛に激痛が走り、余りの痛みに私は立ち上がり、しばらく、しゃがむ事が出来なかった。そうっと静かに用を足して、トイレを出て向こう脛を見ると、両足共に、同じ箇所が紫色に内出血していた。何が起きたのか、わからなかった。痛みはあったけど、歩けない事はなかったので、私はそのまま屋敷へ戻って、何事もなかったように働いて、一週間後、やっと病院へ行くことができた。内臓には何も異常はなく、外科的なものという事だった。無理を重ねて、体が悲鳴を上げていた。やがて、水道、ガス、電気が復旧すると、たくさんの職人さん達が毎日、やって来るようになった。
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